■過去の旅

28:衝突


 悪戯には、まず第一に逃走経路の確保が重要だ。ド派手な悪戯の後には、華麗な逃走がつきもの。悪戯仕掛人がフィルチに後れをとるなど言語道断。情けなく罰則を受けている所を誰か他の生徒に見られた暁には、悪戯仕掛人の通り名を返上しなければならない――。

 そんなことを先輩面でこんこんと説教垂れたジェームズだが、二割くらいは罰則を受けているよとリーマスから事前にタレコミがあったために、ハリーもロンもさほど気にすることなく聞いていた。

「とにかく、長くなってしまったけど、今から抜け道を教えるよ」
「本当に長かったな。七割くらいは省けただろう。ハリー達も退屈してる」

 シリウスの言葉に、ハリーとロンは遠慮なく頷いた。確かに、側を通りがかったクィディッチチームから箒を借りて廊下を飛び去った話だとか、逆転の発想で落とし穴を隠れ場所としたはいいが、杖を見失ってしばらく出られなかった話だとか、ド派手で豪快な、他の人には到底真似できない逃走経路の話は必要なかっただろう。その上、一言二言で終わるような話も、ジェームズの舌にかかれば過度な誇張やら臨場感溢れる感想やら余計なものがついてきてとんでもない長さの話に早変わりする。ジェームズの話は面白いのだが、いかんせん今日のように何か別の目的があるとなると、少々うんざりもしてくるのだ。

「悪戯仕掛人ともなると、フィルチとどちらがより多く抜け道を知っているかの戦いになる。もちろん、あいつの手先のミセス・ノリスをやり過ごすのも最近は必要になってきてるけど」
「まずは抜け道一つ目」

 シリウスがぺらりとタペストリーをめくった。

「ここはほとんどのグリフィンドール生が知ってる。呪文学の教室に近くに出られる道だ。次の授業に遅刻しそうだって焦ったとき、思いがけず見つけるんだ」
「当然フィルチも知ってるから、ただの近道としてしか使えないけど。でも次の道はフィルチだって知らない。ホグズミードに通じる抜け道だ」

 六人は五階まで降りた。タペストリーや肖像画が立ち並ぶ廊下を歩き、その中の一つ、埋もれるようにして影を薄くしている鏡の前で立ち止まった。

 ジェームズが呪文を唱えると、鏡は滑るようにして横に移動する。何の変哲もない石壁が現れたが、続いて杖で壁を叩けば、不思議なことに、みるみるそこに抜け穴が現れた。

「普段は目くらまし術がかかってるから、杖で叩かないとこの場所は分からない。『目くらまし』ってだけで、術を解かなくても通れるから、逃げ道には持って来いさ」

 ホグワーツ中を歩きながら、ハリーとロンは抜け道についての知識をこれでもかと頭に叩き込まれた。ホグズミードに行くためにしか忍びの地図を使ったことがなかったため、ハリーはたった半日だけでフィルチ以上にホグワーツの抜け道に詳しくなった。

「おべんちゃらのグレゴリー像の裏の道はこの前教えたよね?」

 グリフィンドール塔から徐々に降りながら、ついには一階までやって来た。

「あと他には……ああ、そうだ、ここも」

 踊り場近くの物置部屋、そのすぐ横に掛けられている今は無人の肖像画に『ちょっとごめんよ』と声をかけて横にずらせば、小さな抜け穴が現れた。

「かなり足場は悪いし狭いけど、ここから地下へ一気に駆け込むこともできる。出る場所がスリザリン寮の近くってのが気にくわないけど、フィルチの目を欺くには充分さ」

 ジェームズを筆頭に、悪戯仕掛人の三人が次々に抜け穴を潜った。ハリーとロンも後に続いて狭苦しい空間に身体を押し込む。しばらく下り坂が続き、先頭のジェームズが外の様子を窺い、出た先は甲冑の像が立ち並ぶ廊下だった。

「とまあ、一通りこれで抜け道は紹介し終えたかな。今度透明マントを貸すから、二人でホグズミードに行ってくると良いよ。マダム・ロスメルタには話をしておくからさ」
「ハーマイオニーには内緒にしておいてくれると助かる。生真面目そうだから」
「夜のホグズミードは最高だよ。背徳感がバッチリ」

 軽口を叩きながら階段に向けて歩いていると、人気のなかった廊下から誰か一人歩いてくるのが分かった。前髪がつくほど熱心に本を読みながら歩いている。ねっとりした黒髪と大きな鉤鼻からハリーはスネイプだと判断した。あっと思ったときには、隣にいたはずのジェームズとシリウスは消えていた。

「やあ、スニベルス!」

 気がついたときには、二人はスネイプの前にいて、ジェームズの手には、今まさにスネイプが読んでいたはずの本があった。得意げに杖を振っている様子から、何か呪文でも使ったのだろう。

「またこんな本を読んでるのかい? 呆れた。エバンズも言ってたよ。闇の魔術に与する奴は心底軽蔑するって」
「返せ!」

 表情を歪めながらスネイプがジェームズに掴みかかる。しかしジェームズは二、三歩軽く後ろに避けて肩をすくめた。

「悪戯仕掛人からご忠告差し上げよう。鏡と足下は見た方が良いと」

 ジェームズがそう言った途端、スネイプの足下に泥状の水たまりが現れた。ジェームズにしか注意がいっていなかったスネイプは見事に水たまりにはまり込む。シリウスがクックと堪えきれない笑いを零した。

「鏡さえ見れば、君は自分がエバンズにふさわしくないって分かるだろうし、足下さえ見れば薄汚い格好になることもなかっただろう。あっ、でも、普段と大して変わりなかったかな――」
「その良く回る舌を止めろ!」

 『シレンシオ』を唱えられ、ジェームズの口はピタリと止まった。スネイプは唇の端を歪めた。

「僕からも一言申し上げると、口を開けば自慢ばかりのお前にはうんざりだとリリーも言っていた」

 シリウスが杖を振るうと、スネイプの顔が勢いよく地面にぶつかった。あまりの衝撃に鈍い音が響き渡る。機嫌が良さそうに鼻を鳴らすシリウスを、鼻血と泥水を滴らせながら睨み付けるスネイプ。

 ――この人達は、誰だ。

 ハリーはどこか夢うつつに目を瞬かせた。

 ようやく口が動き始め、またからかうようにスネイプを馬鹿にするジェームズに、それを援護するシリウス。どこか罰が悪そうに視線を逸らすリーマスに、この成り行きを出し物か何かのように楽しそうに眺めているピーター。

 みんな、ハリーの知らない人達だった。誰だ、この人達は。

 今更ながら、思い詰めたように相談を持ちかけるハリエットの言葉が脳裏に蘇った。

『いじめにしか思えなかったわ』

 ハリーも、確かにそう感じた。これは、紛れもないいじめだ。

 スネイプが武装解除されるのを見て、ハリーの足はようやく動き始めた。一触即発、互いが睨み合う状況の最中、ハリーはジェームズに手を差しだした。

「杖を返して」
「ハリー?」
「返して」

 ジェームズは目を白黒させながらも、ハリーに杖を返した。ハリーは腰を屈めてスネイプに差し出す。スネイプはひったくるようにして杖を手にすると、泥水を跳ねさせながら立ち上がった。

「こんな奴らと一緒にいれば、お前も碌な奴にならないだろう」

 ハリーは何も返せなかった。その代わりにジェームズとシリウスが後ろで何か言い返しているが、それすらも耳に入らない。

 睨みながら去って行く天敵を目にして、ジェームズとシリウスが何もしないはずはなかったが、ハリーが静かに二人の前に出たために、スネイプの後ろ姿に呪文を掛けることができなかった。

 もの言いたげに己を見るシリウスに、ハリーは何度も自分の中で言葉を整理した。何からどう話したものか、まだ何も分かっていなかった。先ほど見た光景の衝撃が大きすぎたのだ。

 ロンと目が合って、ハリーはようやく少しだけ落ち着くことができた。彼の気まずそうな顔に、自分と同じ気持ちだとホッとすることができたのだ。

「……二人は、いつもこんなことしてるの? スネイプに」
「ハリーにはちょっと刺激が大きかったか?」

 勇気を持って話しかけたハリーの言葉は、からかうようにしてシリウスに一笑された。

「でも、グリフィンドールとスリザリンなんていつもこんなものだよ。大したことじゃない」
「大したことじゃない?」

 ハリーは思わず語気を強めて聞き返した。

「スネイプはまだ何もしてなかった。杖を構えてもいなかった。君達から・・・・喧嘩をふっかけたんだ。それも、二対一で」

 いや、リーマスとピーターも合わせれば四対一だ。攻撃には加わっていなかったとはいえ、スネイプからしてみれば、二人もジェームズの仲間であることに変わりはないのだから。

「そりゃあ、あいつはいつも一人で、俺たちはいつも一緒だから、そんな構図になるのも仕方ない」
「一方的に攻撃して、その上人数も多いのが仕方ない・・・・?」
「……僕もあんまり気分は良くなかったよ。スネイプの性格が悪いってのは知ってるけど、今のはさすがに……」

 控えめにロンが口を挟んだ。シリウスがますます眉間に皺を寄せ、それに見かねたピーターが割って入った。

「でも、ハリー、スネイプだってやり返してる。向こうは闇の魔術だって使って――」
「僕は二人と話してるんだ!」

 ピーターを見もせずにハリーは短く一蹴した。頭に血が上っている今のハリーに、ピーターの存在は火に油を注ぐようなものだった。

「良いよ、分かった」

 静かな声でジェームズが言った。

「僕達だけで話そう。二人は先に帰ってて」

 ジェームズがヒラヒラと手を振った。リーマスは気遣わしげにハリーとロンを見たが、シリウスまでもがさっさと行けと手を振るので、ピーターと共にその場を去った。

「場所を移動しよう」

 ジェームズを先頭に、四人は近くの空き教室に入った。厳重に鍵を閉め、それぞれバラバラの位置に立つ。

「どこから話したものかな。……ヴォルデモートという魔法使いを知っているかい?」

 言葉を探りながらジェームズはハリーとロンを見た。二人の顔色が変わったのを見てジェームズは嘆息した。

「その様子じゃ知ってるみたいだね。史上最悪の闇の魔法使い。マグルやマグル生まれの魔法使いを排除して魔法界を支配しようとしているんだ」
「純血主義のスリザリン寮は死喰い人の巣窟だ。あいつらの両親は何人もヴォルデモート与してる」
「死喰い人って?」

 ハリーが聞き返した。

「ヴォルデモートの手下だ。ヴォルデモートの考えに賛同した奴ら」
「死喰い人は、闇の魔術を好んでる。君達は、まだ楽しく便利な魔法しか知らないだろうけど――闇の魔術には、人を従わせる魔法も、拷問する呪文も、一瞬で死に至らせるものだってあるんだ」

 知っている。ハリーは知っていた。両親を忌避すべき闇の魔術で殺されたハリーはよく知っている。

「スネイプはそういう魔術を好んでる」

 ジェームズがスネイプの本を掲げた。タイトルからでも容易に闇の魔術を彷彿とさせるものだ。

「でも、それでも僕には分からない。スネイプが闇の魔術を好んでいたとして……そんなことがスネイプを攻撃して良い理由にはならない」
「マグル界で育った君達にはちょっと衝撃だったかもしれないけど、闇の魔術は――」
「そうやって線引きしないで欲しい」

 ハリーはきっぱりジェームズの言葉を遮った。

「確かに僕は魔法界の知識に疎い。でも、君達がさっきスネイプにしたことがおかしいって感覚は普通の人にはあると思う」
「俺達は普通じゃないって?」

 ハリーは小さく頷いた。

 ハリーは、決定的な違いに気づいていなかった――自分は、スネイプがホグワーツの教授になることを知っていて、つまり、ダンブルドアに認められた人が死喰い人になる訳がないことを分かっていて――ただ、ジェームズとシリウスはそれを知らない。今のスネイプしか知らないということを。

「だからリリーも君達のことが好きじゃないんだと思う」

 ジェームズがハリーを見た。ハリーはその視線の鋭さに思わずドキリとする。言い過ぎたと思ったが、もう取り消すことはできなかった。

「じゃあ君達はどうなんだい?」

 ジェームズがイライラした声で言った。

「君達はピーターを疎ましく思ってる。それを僕達が気づかないとでも?」
「――っ!」

 咄嗟に言葉が返せなかったのは仕方がないことだった。まさか、ジェームズ、彼の口から一番聞きたくない名前が出てくるなんて。

「君達は、ピーターに何の恨みがあるんだい? 前からずっと思ってたけど……もう見てられない。さすがに態度が悪いよ」
「……別にそんなんじゃ……。ただ、ペティグリューとは性格が合わないって言うか」

 血の気を失った顔で黙り込むハリーの代わりに、ロンが間に入った。だが、ジェームズは頑とした態度で首を振る。

「僕達も最初は気のせいだと思ったさ。君達がグリフィンドールにふさわしいってことは見ていてよく分かったし、気も合ったから。でも、さすがにもう見過ごせない。君達はピーターのことが嫌いなんだ」

 本題がずれていることは、皆が理解していた。だが、誰しもがこの話は避けて通れないと思った。ハリーがスネイプに関して口を挟むのを止められなかったように、ジェームズとて、ピーターのことで言及したかったのだ。

「お前達は何が気にくわなかったんだ?」

 幾らか冷静にシリウスが尋ねた。

「両親についての質問か? でも、あれはピーターも知らなかったんだし――」
「そんなことじゃない!」

 ハリーは思わず叫んだ。シリウスは気圧され、ジェームズは一歩ハリーに近づいた。

「じゃあ、ピーターが何をしたって言うんだい?」
「あいつ――あいつは!」

 ハリーは短く浅い呼吸を繰り返した。うまく酸素が入ってこない。苦しそうにシャツの胸元を握りしめる。

 言ってやりたい。全て暴露してやりたい。今この場でピーターを糾弾し、すぐにでもジェームズ達から引き剥がしたい。でも、できない。その葛藤がハリーを苦しめる。

「言えないんだ」

 ハリーを庇いながら、ロンがもごもごと弁解した。

「言えないけど……ペティグリューは、ハリーにとって許せないことをした」
「なんで言えないんだ?」
「それは……」

 ロンまでもが黙り込む。ジェームズがため息をついた。

「君達は、僕達のスネイプに対する扱いが気にくわない。ただ、僕達も君達のピーターに対する態度に納得できない」

 ピクリとハリーの肩が動くが、彼は何も言わなかった。

「ピーターは僕の大切な友達だ。蔑ろにするのは止めて欲しかったけど……この様子じゃ、無理なんだね」

 ジェームズは二人を見た。ハリーの視線は合わず、辛うじてロンとは視線が交わるも――やがて逸らされる。

「僕達、お互いに付き合いを考えないといけないかもしれない。考えが合わないなら」

 ハリーはハッとしてジェームズを見た。何か言いたげにその唇は僅かに動くが、言葉にはならない。代わりにやるせないもどかしさが涙となって頬を伝う。

 自分は悪くない。ジェームズも悪くない。悪いのはピーター・ペティグリューたった一人なのに、彼のせいで自分達の間に亀裂が入ることが許せないし、怒りがこみ上げる。ますます憎しみが募る。

「……僕達はもう行くよ」

 しばらく待ったが、ハリーとロンは何も言わず、ジェームズは静かにそう告げ、シリウスと二人で教室を出て行った。ハリーは声もなくはらはらと涙をこぼし、ロンは何も言えないまま彼の後ろ姿を見つめていた。