■過去の旅

35:満月は去り


 マダム・ポンフリーの言葉通り、ジェームズは昼食の席にはいつの間にかひょっこり大広間に姿を現していた。あまりに当たり前のように何事もなく席についているので、始めハリーが二人いるのかと疑ったくらいだ。

 ホグワーツの噂の広まりようは未来でも過去でも同じなようで、まことしやかに噂されているのは、命の危機に瀕したスリザリンのスネイプと何人かの生徒を、グリフィンドールのジェームズ・ポッターが大怪我しながらも救ったというものだ。

 皆は、ジェームズに事の真偽を確かめようと詰め寄ったが、ジェームズはあっけらかんとはぐらかした。

「救ったなんて格好いいものじゃないよ。僕も怪我してむしろ足手まといだったし。いやあ、思い出すのもちょっと恥ずかしいから、あんまり根掘り葉掘り訊かないでくれると助かるよ」

 やんわりと拒絶するジェームズが、流れるように次の悪戯話をすることで、彼らの興味は次第に薄れていった。そのおかげで、新たに複数の傷をこさえて、いつもより暗い表情でリーマスが戻ってきたことには誰も気づかなかった。

 夜になると、次のハッフルパフ対レイブンクローのクィディッチ対抗試合に話が移り、ジェームズの周りの人だかりは少なくなった。ジェームズが自身が、わざと口数少なくしているせいもあるのだろう。ハリー達は、目配せして徐に彼に近づいた。

「あの――ジェームズ」

 ハリエットは緊張で頬を紅潮させながらジェームズに話しかけた。

「昨夜、私達のこと助けてくれて、本当にありがとう。怪我は大丈夫?」
「うん、もうピンピンさ」

 思っていたよりも柔らかい返答だった。目でソファに座るように促され、ハリエット達は躊躇いがちに腰掛ける。

「僕の方こそありがとう。ハリーとハリエットが、僕のために献血してくれたって聞いた」
「そんなの当然だよ! ジェームズが元気になってくれて良かった」
「うん……ありがとう」

 どこか気もそぞろな返事だ。ジェームズは俯いたまま口ごもった。

「それで……君達は、知ってるんだよね?」

 何がとは、ジェームズは言わない。ハリエット達も聞き返さずに頷いた。

「ダンブルドアは、君達は話さないって約束してくれたって言ってたけど……」
「話さないよ」

 ハリーがきっぱり言った。

「誰が話すもんか。リーマスは僕達の友達だ。……あの、君達がそう思ってなくても」

 しどろもどろになってハリーは小さく付け足した。ジェームズには聞こえていないようで、じっとハリーを見つめている。

「本当に? 怖くないの?」
「そりゃ、あの状態のリーマスはちょっと怖いよ」

 ロンが苦笑いしながら言った。

「でも、普段のリーマスは優しいし、尊敬できる。今まで通り普通に話したい」
「私も、もしできたら、リーマスと今話がしたいわ」

 控えめに言うハーマイオニーに追随し、ハリエットも頷いた。

「このままぎこちなくなっちゃうのは嫌だもの。私達、リーマスとはこれからも友達でいたいの」

 ジェームズは四人をぐるりと見回した。歓喜と驚きとがない交ぜになった顔をしている。

「……分かった。じゃあ、リーマスと少し話してくれるかな? リーマスは今……ちょっと具合が――気分の方が落ち込んでるかもしれないけど――」

 ジェームズが立ち上がりかけたとき、階段からシリウスが現れた。深刻そうな表情でハリー達に目を留めると、一瞬の逡巡の後、四人の前に仁王立ちになる。

「あの……あー、昨日のことだけど」

 いつも堂々としているシリウスにしては珍しく歯切れが悪い。

「悪かった。俺が考えなしなことをしたせいで、皆を危険にさらした。……怖かっただろう?」

 ロンとハリエットは困ったように目を合わせた。ここで嘘をついても仕方ないだろう。ハリエットは小さく答えた。

「……ちょっとだけ」
「――っ」

 シリウスはハッと顔を上げ、焦ったように言いつのった。

「で、でも、怖いのは満月の夜だけだ! 一ヶ月のうちたった一回だ。それだって、君達が寝ている間に終わるあっという間の出来事で……。普段のリーマスは優しいし、無害だ。何の危険もない……」
「分かってるよ」

 珍しく慌てふためいている名付け親がいっそおかしく思えてきて、ハリーは口元が緩みそうになるのを堪えた。

「月に一回叫びの屋敷に引きこもるリーマスと、君達が毎日起こす悪戯を思ったら、圧倒的に悪戯の方が有害に決まってる」
「は……?」

 いつもは頭の回転が速いシリウスも、こういうときはてんでその頭脳は発揮されないらしい。ポカンとするシリウスにジェームズが堪らず噴き出した。

「だから、ハリー達はリーマスとこれからも友達でいたいって言ってるんだ。一足遅かったね。ついさっき、これからリーマスと話したいって言ってくれたのを僕が聞いたばかりだ」
「…………」

 情けなく口角が上がっていくのを、シリウスは数秒遅れて片手で覆い隠した。急にくるりと身を翻し、階段の方へ歩き始めたと思ったら、慌てて振り返ってハリー達へ手をこまねく。

「来いよ! リーマスの奴、拗ねてるんだ。今の台詞、そっくりそのまま聞かせてやってくれ!」

 まるで四足歩行で駆け上がったかのように、シリウスの姿はあっという間に見えなくなった。呆気にとられた後、ジェームズに促されて彼らの寝室へ顔を出しに行けば――。

「リーマス! 何拗ねてるんだ! 早く起きろ!」
「だから……体調が悪いって言ったじゃないか……」

 シリウスは、リーマスのベッドの前で、その主と問答を繰り返していた。毛布を引き剥がそうとするその姿は、まさしく母親だ。

「ハリーだ! ロン達も来る! 早く起きろ!」
「……は……? なんで……?」
「お前のことどう思ってるかって聞いたら、今から話したいって!」

 リーマスは茫然とシリウスを見上げた。その隙にシリウスに毛布を取り上げられる。

「なんてことしてくれたんだ! さり気なくって言ったじゃないか!」
「さり気なくも何も、向こうが大々的に言ってきたんだよ!」
「だからって突然連れてこなくても良いじゃないか! だからシリウスに頼むのは嫌だったんだ!」

 小声で何やら言い争いをしているが、残念ながらハリー達にもバッチリ聞こえていた。もちろん、空気は読めるので聞こえない振りをしたが。

「ハリー! 言ってやれよ、さっきの台詞を!」

 急にシリウスが振り返り、ハリーに叫んだ。リーマスはピシリと固まり、まるで死刑宣告を待っているかのように顔色が青白くなった。

 突然話を振られ、ハリーの頭は真っ白になった。そもそも、さっき何を言ったのかも良く覚えてない。しどろもどろになりながら、精一杯の笑みを浮かべる。

「あの……だから、リーマスとこれからも友達でいたいって言いたくて」
「…………」

 急にシンと静まりかえり、ハリーは当惑した。焦ってハリエットに助けを求めてみるが、私にはどうにもできないと言わんばかりにぶんぶん首を横に振られ、全く役に立たない。

「あの……」
「怖くないの?」

 ポツリとリーマスが零した。

「人狼は、ただ凶暴になるだけじゃない。もし噛まれでもしたら、君達も僕と同じになってしまうんだ。だから魔法界では忌み嫌われる。それが当然なんだ」
「だからって、普段のリーマスが誰彼構わず噛みつく訳じゃないじゃないか」

 堪らずに横からロンが口を挟んだ。

「確かに、人狼には……ちょっと偏見を持ってた。ヒトに噛み付くのが大好きな危ない奴だって。でも、リーマスは普通の人だった。むしろ、優しすぎるくらいだよ。ユーモアもあって、最高のきょう――アー……最高の人狼だよ」

 妙な締め方に、リーマスだけでなくシリウスも変な顔になった。

「ね?」

 ロンも自分で自分の発言が何かおかしかったことに気付き、何を血迷ったか、ハリエットに同意を求めた。ただ、失言をカバーしようと必死な彼の思いはハリエットにも何度も身に覚えのあることで、その助けを無碍にすることはできなかった。

「最高の人狼って言うか……ロンは、最高の監督生って言いたいのよね!」
「ああ――ウン――そうだ、最高の監督生だ! 満月の夜はちょっとやんちゃになるけど、それ以外は優等生じゃないか! 監督生ではあるけど、ただ厳しくするだけじゃなくて、えっと」
「見逃すところは見逃すっていうのが、リーマスの良いところだと思うの。下級生にも慕われてるし、私達ももちろん尊敬してるのよ」
「ああ……ありがとう……」

 人狼云々よりも、ただただリーマスの人柄を褒める時間になってしまっている。

 そのことには誰しもが気づいているだろうが、ロンだけならまだしも、ハリエットにまで真面目な顔で言われ、リーマスは突っ込むことなどできなかった。同じく神妙な面持ちでお礼を口にする。シリウスも間を置いて我に返り、リーマスの肩を叩いた。

「良かったな!」
「う、うん……」

 自分以上に喜びを見せるシリウスに、リーマスは毒気を抜かれ、へなへなと笑った。

 安心したせいか、彼は壁に寄りかかるようにして力を抜いた。その顔色があまり良くないように見えて、ハリエットは不安になった。

「リーマス、体調は大丈夫? 休んでる所に突然お邪魔してごめんなさい」
「ああ……さっきのは気にしないで。あの、本当に」
「心の準備が欲しかったってだけだろう?」

 リーマスの恥じらいなどてんでおかまいなしでシリウスが暴露した。リーマスは横目で彼を睨んだが、先ほどの引きこもりようを目撃しているだけに、どうにも迫力がない。

 ハリー達は目で示し合わせ、そろそろお暇することにした。このまま仲直りの余韻に浸っていたいのはやまやまだが、満月明けのリーマスに無理させるわけにはいかない。

 おやすみの挨拶をした後、四人でぞろぞろ寝室を後にした。

「待って!」

 談話室へ行こうとした矢先、ハリー達を呼び止めたのはジェームズだった。振り返る間もなく、ハリーは後ろから少しの衝撃と共に抱きつかれたのを感じた。いや、ハリーだけではない。四人まとめてジェームズは抱きついている。

「……ありがとう……」

 どうしたの、という声は、喉元で止まった。

「君達の言葉に、どれだけリーマスが救われたか。本当にありがとう……」

 鼻声のようにも聞こえたのは気のせいだろうか。だが、口を閉ざし、気付かない振りをした。

「今まで大人げない態度をとってごめん」
「そんな、悪いのは……僕達だし」

 躊躇いがちにロンが言った。ジェームズは頭を振った。

「君達さえ良ければ、また友達になってくれたら嬉しい」

 ロンは黙ってハリーを見た。ハリーは一瞬の間を置き。

「もちろんだよ」

 声に喜びが溢れすぎてしまわないよう気を付けなければいけなかった。

 ハリーでさえこんな調子で、ハリエット達の方も、ジェームズとハリーの一挙一動に集中していたせいか、誰も階段を上がってくる音に気付かなかった。気がついた時には、ポカンと口を開けたリリーがこちらを見つめていた。

「お邪魔したかしら……。ごめんなさい、また後で来るわ」
「待って!」

 咄嗟にハリーが声を張り上げた。

「僕達はもう行くから。もしかして、ジェームズに用?」
「ええ……だけど、私もちょっと感謝を伝えたいだけだから」
「僕に?」

 ジェームズは不思議そうに聞き返す。ハリー達がサッと道を譲れば、リリーは遠慮がちにジェームズの前に立った。

「ポッター……。噂を聞いたわ。あなたがセブの命を救ってくれたって」
「大袈裟だよ。そんなんじゃない。シリウスがスネイプをからかったっていうせいもあるし……」

 友人の負い目があり、ジェームズは控えめだった。リリーはゆっくり首を振る。

「それでも、あなたがセブの命を救ってくれたことに変わりはないわ。大怪我もしたって聞いたし……。本当にありがとう」
「う、うん……」

 心からの親しみが込められた笑みを真正面から受け止めることができず、ジェームズはドギマギと中途半端な所に視線をやる。不意にハリーと目が合って、ジェームスは照れ笑いのような奇妙な笑みを浮かべた。

「じゃあ私は行くわ。またね」
「うん……」

 リリーが去ってもなお、ジェームズはぼうっとした表情で彼女が去った先を見つめていた。いつもの彼らしくない。

「良かったね」
「エッ!」

 ジェームズが焦ったようにハリーを見た。

「な、何が?」
「リリーのこと好きなんでしょう?」

 急に切り込んできたハリーに、ジェームズだけでなくハリエットも動転した。

「いや……えっ、まあ、隠してはいなかったけど……気づいてたんだ……」
「お似合いだと思うよ」
「そんなこと初めて言われた……。無理だ無理だって言われるばかりで……」

 赤らむ顔を、ジェームズは片手で覆った。

「そんなことないわ! 私だって応援してるのよ」

 ムズムズするのを堪えきれずに、ハリエットも小さく言った。父と母の歴史的瞬間に出会えた気分だ。

「ジェームズの良い所を、さり気なくリリーに言ったりしてるの」
「ハリエットにもバレバレだったの?」

 いつもの余裕はどこへやら、ふにゃふにゃしているジェームズが何だか可愛く思えてきて、ハリエットはクスクス笑った。

「自信持って! ジェームズなら大丈夫よ! 絶対にリリーを振り向かせられるわ!」

 珍しくきっぱりと言い切るハリエットに、ジェームズは次第にその瞳に自信を漲らせた。

「ハリエットに言われると何だか自信が湧いてきたよ! うん、今ならエバンズをホグズミードに誘っても断られないかも!」
「応援してるわ! ファイト!」
「行ってくる!」

 満面の笑みで手を振り合う父娘を尻目に、ハーマイオニーはため息混じりに呟いた。

「私知らないわよ……」

 ジェームズ撃沈まで、あと三十秒。