■過去の旅

41:寝室の語らい


 誰の目も気にせず泣ける場所を、寝室以外ハリエットは思いつかなかった。

 だが、何もむせび泣きたいわけではない。涙が止まらないのだ。ドラコに言われたことは事実で、かといって悲しくないわけではないのだ。ジェームズもリリーもいない場所で、今は涙を早く止めたかった。

 ベッドに飛び込み、毛布にくるまると、そう間を置かずに控えめなノックの音が響いた。

「ハリエット? 私よ、ハーマイオニー……。入っても良い?」

 小さくしゃっくりが出て、ハリエットは返事をすることができなかった。ハーマイオニーは躊躇いがちに寝室へ入ってくる。

「あー……ハリエット、その……」

 ハーマイオニーは、何度か話そうと試みたが、言葉が見つからなかったのか、押し黙った。その代わり、ハリエットのベッドの端に腰掛け、優しくハリエットの背中辺りを撫でた。

 ハーマイオニーはいつまでもそこにいてくれた。授業のベルが鳴ってからもだ。ハリエットの嗚咽は次第に小さくなっていく。

「……ドラコの言ったことは事実だわ」

 ハーマイオニーに側にいてもらうことが申し訳なくて、何か言わなければとハリエットは焦った。

「悲しいとかじゃなくて、虚しくなっちゃったの。私達が今をどんなに大切に思っていても、お父さん達にはあっという間の出来事で、私達が未来に帰ったらきっと私達との思い出も薄れていくわ。私達が二人の子供だってことも知らないで死んでいくの……。私達だけがそれを覚えてるの」

 ハッとハリエットは息を吐き出した。

「私達はただの友達としか思われてないのよ。それって、共通の思い出って言えるのかしら」
「――少なくとも、あなた達がジェームズ達に与えた影響は小さくないわ」

 毛布ごとハーマイオニーはハリエットを抱き締めた。

「私達はここに来てよく分かったわ。ハリーもハリエットも、ジェームズとリリーに本当に瓜二つだって。性格だって、二人はリリーに似てるわ。ジェームズ程とはいかないけど、悪戯だって好きでしょう? 一緒にいればいるほど、あなた達の共通点はたくさん出てくる。私達がそれを覚えてる」
「…………」
「未来に戻ったらシリウスにたくさん聞かせてあげるの。あなた達の共通点を。思い出を。未来がどうなってるかは分からないけど、あなた達があの時のハリーとハリエットだって分かったら、きっとびっくりするでしょうね」
「……そうね」

 もしかしたら、そういう風な未来に改変されているのかもしれない。シリウスは、ハリー達が未来からやって来た事実があることを知らない様子だった。同じ名前で、そっくりな子供が、過去と未来でもしかしたら繋がることに、あのシリウスが気づかないわけがない。

「それに、ルーピン先生もいる。私達の思い出は、二人もちゃんと覚えてくれてる」
「よく考えたら、マクゴナガル先生だってダンブルドア先生だって覚えてるはずよ。あんまり嬉しくはないかもしれないけど――スネイプ先生だって。思い出を語れる相手はたくさんいるわ」
「ええ」
「今のうちに相手・・をたくさん作っておくのもいいかも。ほら、ハグリッドとか。リリーと一緒に今度遊びに行かない?」
「楽しそう」

 毛布から顔を出し、いつの間にかハリエットの顔には笑顔が戻っていた。ハーマイオニーはホッとして肩の力を抜いた。

「あのね……ほんのちょっと私が思っただけなんだけど、聞いてくれる? 誰が悪いとかじゃなくて、ちょっと思い至っただけなの」
「なあに?」
「――ロンの推測はね、きっと当たってると思うの。マルフォイは、父親のことが心配だって」

 ハーマイオニーは言葉を探しながらゆっくり話した。

「だって、ジェームズとリリーが生き残るのであれば、当然シリウスも無事でしょう? ジェームズとシリウスは、あれだけスリザリンを――死喰い人を嫌っているのよ。二人は、アズカバン行きを逃れようとするルシウス・マルフォイを許さないでしょうね。何としてでも尻尾を掴むはず。ルシウスも相当の地位と権力を持ってるけど、勝利者は不死鳥の騎士団よ。ルシウスはきっと二人に敵わない」
「で、でも、服従の呪文で操られたって言って、アズカバン行きを逃れたってロンは……。未来が変わったとしても、そこは変わらないんじゃない?」
「いいえ、変わるわ」

 ハーマイオニーはきっぱりと言い切った。

「例のあの人が破り去った後、不死鳥の騎士団はかなりの大打撃を受けていたはずだわ。ジェームズ達が死んで、シリウスが裏切り者だって発覚して、まさに混乱してる最中だったと思うの。まだ死喰い人の残党だってたくさん残っていたはず……。そんな中で、未だ地位と権力を手にしているルシウス・マルフォイが服従の呪文だと言い張った所で、それは嘘だと言い切れる人がどれだけいるかしら? 彼をアズカバン送りにするべきだと手を上げる者がどれだけいるかしら? 仲間を売ることでアズカバン行きを取りやめにさせる司法取引だって存在したの。それだけまだ死喰い人の力は強かった――報復を恐れる人は多かったはずよ」

 ハリエットが黙ったのを見て、ハーマイオニーは慌てたように顔を上げた。

「もちろん――もちろん! 悪いことをしたらそれ相応の罰が与えられるのは当然のことよ。それは私も分かってる。理解してる。……でも、マルフォイの気持ちを考えたら、そう割り切ることもできなくて。私達が未来を変えるつもりがないことを、マルフォイは信じることができないんだわ。未来に戻った時、もし父親がアズカバンにいたら――そう思って不安になったんじゃないかしら」
「……ドラコは、未来に帰れる保証もないのに、私達が楽しそうにお父さん達と過ごしてるのも嫌だったみたい」

 ハーマイオニーはちょっと躊躇った後、頷いた。

「そうでしょうね。でも、本当に誰が悪いとかじゃないの。だってあなた達の気持ちも分かるんだもの。せめて、ここにいる間くらい――ジェームズ達と楽しく過ごしたいって気持ちは当然のことよ。マルフォイはそのことを考えもしなかったんだろうし、私達の思いも知らなかったんだろうし。……かといって、人の気持ちも考えないで、あんなことを言ったのはやっぱり許せない」

 言い切った後で、ハーマイオニーは何かに気づいたようにハッとした。ついで、どこか自信がなさそうに俯く。

「……私ね、あの時のことすごく後悔してるの。シリウスが冤罪なんだって分かったあの夜のこと」
「叫びの屋敷でのこと?」
「ええ。叫びの屋敷でルーピン先生が現れたとき、私は――さも、ルーピン先生が狼人間だから、私達を裏切ったのだと、そんな風に言ってしまったわ。気が動転していたの。ルーピン先生が狼人間であることと、悪いことをしたかもしれないこと、イコールでは繋がらないのに、偏見でものを言ってしまったの」

 あんまりハーマイオニーがしょげ返っていたので、ハリエットは腕を伸ばして彼女の手を握った。

「ルーピン先生は、今まで同じような偏見は幾度となく味わってきていたはずよ。だからあんなに落ち着いていたの。私の言葉に怒らずに、冷静に対応したの。……絶対に傷ついていたはずなのに。過去に来てから、暴れ柳の事件があって、一層そう思うようになったわ。ルーピン先生は、今までもずっと、自分のことよりも他人を気にして生きてきたんだろうなって」

 ハーマイオニーはハリエットの手を握り返してきた。

「私、ハリエットとルーピン先生は似てるなって思ったの。自分が傷ついたことよりも、周りの人のことを心配するような所。……だから、私が感じたようなマルフォイの事情を知ったら、あなたは気にするんじゃないかと思ったの。もし知らないでいたら、後からそのことに思い至ったとき、後悔するんじゃないかって」

 ため息交じりにハーマイオニーは続けた。

「私は、いろんな事情を汲んだ上でも、あなた達を傷つけたマルフォイは許せない。でも、あなたは……マルフォイと友達なんでしょう?」
「……ええ」
「ハリエットがマルフォイと友達だって聞いて、私すごく驚いたの。今だってどうしてってちょっと思ってる。でも、相手があなたなら納得できる部分もあるの。だってあなたは――許せる人だもの。たとえ傷つけられても、相手を理解しようとするでしょう?」
「ハーマイオニー……大袈裟だわ。褒めすぎよ」
「あら、でもそこは短所でもあると私は思ってるわ。傷つけられることに慣れてしまって、自分の感情に気づけないんじゃないかって心配でもあるの」

 ハーマイオニーは眉を下げて微笑んだ。

「こんな偉そうなことを言ってるけど……私も、さっきも言ったように、ルーピン先生のことすごく後悔してる。でも、今更謝っても逆にルーピン先生は気にしてしまうと思うから……」
「ルーピン先生は、ハーマイオニーの優しさに気づいてると思う」

 ハリエットは毛布を取り払って起き上がった。驚いたように目を丸くするハーマイオニーと目が合う。

「ルーピン先生の正体に気づいても、たとえ私達にでも、決して明かさなかった所。ハーマイオニーは偏見で見てなんかいないわ。あの時は、私達を守ろうとするあまり、自分が知っていることを明かしただけ。今までもずっとそうだったじゃない。ハーマイオニーはいつも必要な時に必要な情報を私達にくれていた……。そこに偏見も何もないわ」
「……ありがとう」

 一瞬遅れて、ハーマイオニーは微笑んだ。お礼を言いたいのは自分の方だ、とハリエットは胸を詰まらせた。

 過去に来てから、ハリエットは、ジェームズのように、リリーのようになりたいと幾度と思った。だが、今気づいた。今までも――これまでもずっと、自分が気づいてないだけで、ハリエットはずっとハーマイオニーにだって憧れていたのだ。勤勉で、自分の頭で公平に考えようとして、そして行動に移す所。今のハリエットは、少なからずハーマイオニーに影響されて形作られている。

 胸がポカポカ温まるようなこの感情を言葉にすることができず、ハリエットは思いきりハーマイオニーに抱きついた。勢い余って、ハーマイオニーの体勢が崩れかけたくらいだ。

「ど、どうしたの?」
「急にこうしたくなっちゃっただけ」

 耳元で囁かれ、ハーマイオニーはくすぐったそうに笑った。つられてハリエットもクスクス笑う。

「ハーマイオニー、授業サボらせちゃってごめんなさい」
「今更そんなこと気にするの? 授業よりも大切なことはたくさんあるわ」

 ハリエットはますます笑みを深くした。

「私、今からちょっと行ってくるわ」
「どこへ行くの?」
「ダンブルドア先生のところ」

 ハーマイオニーは目を丸くしたが、何も言わなかった。目を細め、「ええ」と頷いただけだった。

 長時間泣いていたせいで、目が赤く、顔もひどい有様になっていたが、それはハーマイオニーが杖の一振りで何とかしてくれた。

 ハーマイオニーに手を振って一度は寝室を出たハリエットだが、思う所があり、ドアの所から中を覗き込んだ。

「ハーマイオニー」
「なあに? 忘れ物?」
「私、あなたと友達になれて良かった!」

 気恥ずかしくなって、ハリエットはハーマイオニーの顔を見ることができなかった。言い逃げとばかり慌ただしく階段を駆け下り、ハーマイオニーが顔を真っ赤にして俯いていることなどつゆ知らず、談話室を飛び出した。