■過去の旅

45:獅子寮と蛇寮


 父と共に夜のホグワーツを散歩したことで、ハリエットの中で気持ちの整理がついた。グチャグチャに荒んでいた心が、少しだけ落ち着いたのだ。

 翌日になって冷静になったハリエットは、ふくろう便でドラコを呼び出した。昨日の今日で、きっと彼は来てくれないだろうと思っていたが、だからこそ、いつもの場所に彼が現れたとき、ハリエットは一瞬声を詰まらせてしまった。

「ごめんなさい」

 それでも、ドラコに先に口を開かせる前にハリエットは素早く彼に向き直った。

「昨日のは八つ当たりだった」

 後ろめたい気持ちから、ハリエットは顔を上げることがで着なかった。

「ストレスが溜まってたみたい。いろんなことが積み重なって――」
「いや」

 素早い切り込みに、ハリエットは反射的に顔を上げた。

「僕の方が八つ当たりだった……ごめん」

 ハリエットがようやくドラコを見た所で、彼はこちらを見ていなかった。ハリエットは気まずくなって両手を組み合わせる。

「ううん、別にいいの……。私達も、考え無しに動いちゃったことはたくさんあるし……」
「いや」

 ドラコは再び言った。

「それとこれとは別だ――ごめん」

 ハリエットは息を詰めた。またも自分が今悲しみに蓋をしていることに気づいた。気づいたが最後、ハリエットはまたじわりと涙が浮かんでいくのが分かった。

「本当は、嫌だったの。あなたに言われた何もかもが。私達だって、できることならお父さん達を助けたい……。でも、それができないからこんなに苦しい思いをしてるのに」
「……ああ」
「どうせ、どうせ……でも、それでも一緒にいたいから。私達が知らないお父さん達のことを知りたいから」
「ああ」

 涙は出てきたが、不思議と昨日ほど悲しいとは思わなかった。昨日のうちに気持ちの整理ができていたからだろうか。自分の悲しみと自覚して涙を流すことは、思っていた以上にハリエットの心をも救っていたようだ。

 そっと窺い見ると、ドラコは、まるで死刑宣告でも待っているかのように蒼白な顔をしていた。

「ねえ」

 力を抜き、壁にもたれながらハリエットは言った。

「毎週ここで会わない?」
「……は?」

 ドラコはポカンとして顔を上げた。あくまで真面目な顔でハリエットは続ける。

「毎週ここでお喋りするの」
「何のために?」
「目的は特にないんだけど……」

 理由を聞かれても、そんなのハリエットにもよく分からない。今急に思いついたのだから。

「いいのか? 僕と話していたら、君の父親達に良く思われないと思う」

 「スリザリンだから」とドラコは言い訳のように付け足した。今度はハリエットの方がポカンとする側だ。

「スリザリン生と話しているだけでお父さんは嫌ったりなんかしないわ。面白くないと思うかもしれないけど、私がどうしようが、それはお父さんには関係のないことだわ」

 でも、とハリエットは続けた。

「ここにはそれぞれで来た方が良いと思う。私と話していたら、スリザリンでのあなたの立場が悪くなるわ。私は、ここではマグル生まれだし、グリフィンドールだし……」

 その二点は、決して恥ずべき汚点ではない。だが、ここでは否が応でも人の目を気にしなければならない。自分だけならまだしも、周囲の人に影響が出てくるなんてあってはならないことだ。

 ただでさえまたクィディッチの試合が近づいていることもあって、スリザリンのグリフィンドール嫌いは加速し、その逆もまた然りだ。ハリエットがドラコと共にいて良いことは何もないだろう。

 そこまで考えた所で、ふと思いついたことがあり、ハリエットは一言ドラコに断って玄関ホールに向かった。そのままとんとん拍子に目的を終えると、すぐにまた戻ってきてドラコにあるものを差し出す。

「マダム・フーチに許可をもらって箒を借りてきたの。気分転換しない?」

 ドラコは困惑した様子で箒を見つめた。そんな彼の手に箒を持たせると、ハリエットは箒に跨がった。

「ドラコ、シーカーでしょう? しばらく乗ってないと勘が鈍っちゃうんじゃない? もう半年は経ってるし」
「それはまあ……」

 気が乗らないのか、唐突で驚いたのか、すぐには動き出さないドラコを置いてハリエットは飛び立った。彼なら、きっとすぐに追随すると思ってのことだ。予想通り、彼はすぐに追い掛けてきた。それどころか、久しぶりの飛行にハリエットがこわごわと高さとスピードを調節している間に、うんと高い所まで飛び上がっている。スニッチを追い掛けているわけでもないのに、小回りよく俊敏に動く様は、箒に乗ることにずっと焦がれていたようにしか見えない。

 だんだんと飛行に慣れてきたハリエットはようやくドラコの隣に並んだ。

「私達、こうしてストレス発散させることが必要だと思うの。お互いに」
「僕は別に……」
「今更そんなことを言うの?」

 ドラコが受けているストレスは容易に想像がついた。知り合いもいないスリザリン寮。唯一心を許せるかも知れなかったスネイプは、最近仲良くなったというエイブリー、マルシベールと時間を共にし、家柄が怪しいドラコは居心地が悪いはずだ。

 以前はハリーやロンとすれ違うだけで嫌味を口にしていた彼が、今ではぱったりとその姿を見せないことで、よほど心の余裕がないのだと推測できた。

 ハリエットとて、兄や友人が近くにいるにもかかわらず、ドラコ相手に八つ当たりしてしまったことで、やはり内に溜めてしまう性分なのだと改めて痛感した。お互いに、気が晴れるようなことをしなければならないのだ。

「約束ね」

 多少強引にでもハリエットはそう締めくくった。ドラコは返事をしなかったが、ハリエットはあまり心配していなかった。まるで脅すように箒を教えてもらう約束を取り付けた一年生の頃だって、なんだかんだ彼は欠かさず来てくれたのだ。今回もそうなる予感がした。

 二人は、少し汗ばんできた頃にようやく箒から降りた。特に何をしていた訳ではないが、近頃全く箒に乗っていなかったせいか、かなりの集中と筋肉を使ったような気がする。

「箒、返してくるから」

 ドラコの箒に手をかけたが、彼はなかなか力を緩めない。ハリエットが問いかけるように彼を見るとようやく箒を手放した。

「ちょっと寒くなってきちゃった。早く帰りましょう」

 つい数分前は暑く感じていたのに、あっという間に汗は冷え、今は身震いするほどだ。二本の箒と共に急ぎ足で玄関ホールを目指すと、風に乗った小さな声がハリエットの耳に届いた。

「……ありがとう」

 想わぬ言葉にハリエットの足は止まりかけたが、すんでの所で堪えた。何食わぬ顔で前を向きながらも、うっすら口角を上げる。

 数歩遅れてドラコはついてきた。ハリエットとしては、玄関ホールでさよならするつもりだったのだが、温室から人が出てきたのを見て内心驚いた。つい先ほど、グリフィンドールとスリザリンは一緒にいない方が良いと結論づけたばかりだったのに、まさかこんなに早く第三者と遭遇するとは思いも寄らなかった。

 だが、ハリエットはすぐにそんなことを頭から吹き飛ばした。何を隠そう、温室から出てきたのはリリーただ一人だったのだから。

「リリー!」
「あら――こんにちは」

 ドラコの姿を認めたためか、リリーは丁寧に微笑んだ。立ち止まったハリエットに対し、遅れて隣に並んだドラコはぶっきらぼうに頭を下げた――ように見えた。もしかしたら不意につま先が気になって下を向いただけかもしれないが、何となくハリエットは違うような気がした。むしろ、「自分の親に挨拶してくれた友達」のように思われて、ハリエットは突然むず痒い気持ちに襲われた。

 咄嗟のことにハリエットは黙ったままだったが、ドラコは気まずかったのか、そのまま「じゃあ」と言って玄関ホールへ行ってしまった。ムズムズしていたハリエットは少し助かったと思ってしまった。

「箒に乗ってたの?」

 二本の箒を見てリリーが尋ねた。

「ちょっと気晴らしに」
「仲良しなのね」

 目を細めて笑うリリーに、ハリエットは少し違和感を覚えた。どこがと言われれば分からないが、いつもの朗らかさが陰りを見せているような気がした。

「そういうリリーはどうして温室に?」
「スラグホーン先生に手伝いを頼まれたの。研究室へのお使いよ」
「私も手伝う?」

 ハリエットにスナッフルのような尻尾が生えていたら、きっとぶんぶん音が鳴るくらいに降っていたことだろう。リリーの次なる言葉にもしゅんと垂れただろうに。

「これを運ぶだけだから大丈夫よ」
「そう……」

 一時は落ち込みかけたが、しかしハリエットは諦めが悪かった。箒を元の場所に戻したら、いかにも自然にリリーの隣に並び立ち、そのままついていったのだ。

 最近リリーが勉学に忙しそうでほとんど構ってもらえず、仕方がないこととは言え寂しかったのだ。――とはいえ、本来リリーのような多忙さが学生の鑑として当たり前のことであって、ジェームズやシリウスのように、日々騒がしく過ごしている方がおかしいのだ。

 とりとめもない話をしながらだとスラグホーンの研究室まではあっという間だった。

 縄張りに入ってきた敵を警戒するようにスリザリン生からは威圧感たっぷりにジロジロ見られながら、ようやくと二人は階段にたどり着いた。

「マルフォイとはよく一緒にいるの?」
「ドラコ? 最近はあんまり会ってなかったけど、これから一緒に箒に乗ろうと思って」
「そう。……あのね、仲が良いのは良いことだと思うけど、その――あんまり、親密な姿を他の人に見られない方が良いと思うの」

 言葉を探しながら拙く伝えるリリーが危惧していることはハリエットにもよく分かった。

「グリフィンドールとスリザリンだから?」
「ええ……。私も、セブと一緒にいるときにいろいろ言われたから。たぶんセブもそうだと思う。寮で何か言われていたはずだわ」
「こっそり会おうとは思ってるの。ドラコはただでさえ寮では一人だし……」
「セブが気にかけてくれてると良いんだけど、たぶん無理かも知れないわ」

 嘆息と共にリリーは呟いた。

「セブは、エイブリーやマルシベールと最近一緒にいるの……。あまり評判の良くない人達よ。マグル生まれを嫌ってるの。メリーにだって呪いをかけたのよ! 闇の魔術! なのに、セブは――二人は、悪い人じゃないって。冗談でやったんだって――」

 語気を荒くするリリーは、心配そうに見上げるハリエットに気づき、ようやく我に返った。そしてすぐ苦笑いを浮かべる。

「ごめんなさい。変なこと言っちゃったわね。あなたに話すようなことじゃなかったわ」
「私、そんなに頼りない? リリーの愚痴を吐く相手にもなれない?」

 不安そうに、寂しそうに、真っ直ぐに見つめてくるハリエットに、リリーは驚いたように目を丸くした。

「ごめんなさい、そういう意味じゃないの。でも、もし不安にさせたらって思うと」
「魔法界が綺麗なだけの世界じゃないことはよく分かってるわ。闇の魔術が徐々に魔法界を蝕んでいることも」
「…………」

 しばらくの逡巡の後、リリーは観念したように目を伏せた。

「セブは、確かにもともと闇の魔術に興味を持ってたわ。共通の話題があるんだから仲良くなるのも当たり前だったかもしれない。でも、セブまで悪い影響を受けないか心配なの。あの二人は、学生のうちに闇の魔術を人に対してかけるような人達なんだから。それに」

 リリーは視線を上げてハリエットを見据えた。

「なおのことマルフォイも心配よ。闇の魔術に興味を持ったりしてない? 危険視するって意味じゃないけど、スリザリンでは、環境に助長されることだってあると思うの」
「それは……大丈夫だと思うけど……」

 だんだん自信を失ってハリエットの声は小さくなっていく。ドラコから闇の魔術に関することは聞いていないが、ハリエットに話してないだけかもしれない。だが、クィディッチやハリー達に絡んでくるのに忙しい彼が、果たして闇の魔術にまで興味を見せるだろうか?

「でも、ハリエットが友達なら大丈夫ね」
「えっ?」
「だって、友達のことすごく大切にしそうだから」

 不意に言われて、ハリエットはカーッと頬が熱くなっていくのを感じた。褒められたのは分かったが、なんて、返せばいいのかわからない。

 そうこうしているうちに二階までたどり着いていた。リリーがハリエットに向き直る。

「ハリエット、付いてきてくれてありがとう。愚痴も聞いてくれて。スッキリしたから、また午後から勉強頑張るわ」
「あ、ええ。頑張って」

 ひらひらと手を降って、リリーは図書室へ消えていった。ハリエットは少し落ち込んでいた。上手にリリーの相談に乗れたら良かったのに、心配されて、褒められて、ただそれだけだ。だが、リリーの優しい言葉にドギマギして、ハリエットはそれでも良いかと思ってしまった。