■過去の旅
48:闇の勧誘
ドラコとの気晴らしは、週に一度、きっかり行われていた。さすがに強引に約束を取り付けた次の週はドラコが来てくれるかとドキドキしていたものの、むしろハリエットよりも早く来ていたのを見て拍子抜けしたものだ。
リリーに宣言した通り、ハリエットとドラコは周囲に関係性を悟られることなく会っていた。ハリー達にすら気づかれずに会っているのだから相当の気の使いようだ。とはいえがっ全く苦には思わなかった。こっそりドラコと会うのは一年生の頃を思い出すようで懐かしかったし、彼の嫌味混じりの文句も平常運転が戻ってきたと思えば微笑ましいものだ。
やることといえば、箒の練習だけでなく、勉強を教えてもらうこともあったし――最近知ったことだが、ドラコは数占い学を選択していたのだ――特に何を話すでもなく、ハリエットは編み物をし、ドラコは読書をしたりとそれぞれのことをするときもある。どれもホグワーツ内でやった方がよっぽど温かいのだが、城裏でやることが定着してしまったので、今更変えようもない。
――そんな穏やかな日々が続いていたある日のことだった。
「湖の方へ行かない?」
何十分と編み物に集中し、そろそろ目が疲れてきた頃、ハリエットは不意にドラコに問いかけた。
「この寒いのに、なんでわざわざ」
「お父さんが言ってたの。今の時期は湖に薄い氷が張ってるから、箒に乗りながら蹴るとパキッて割れて楽しいって」
「子供か」
思わずと突っ込んだドラコにハリエットは苦笑いを浮かべる。
「割れたことに反応して大王イカも近づいてくるから面白いって言ってたわ」
「子供だな」
興味をなくしたようにドラコはまた読書に戻った。ハリエットは拗ねたようにドラコに近づいた。
「この辺りばっかり飛んでて飽きちゃったわ。たまには違う所に行かない?」
「寒いのに湖なんて嫌だね」
「折角今日はお父さんからスニッチ借りてきたのに」
ピクリとドラコの眉が反応した。ハリエットがちゃんと証拠としてポケットからスニッチを取り出すと、ドラコは本の隙間から目だけをこちらに向けてきた。
「いつもはクィディッチをするとすぐに暑くなっちゃうけど、氷の上なら丁度いいかなって思ったんだけど、ドラコがそう言うなら……」
ハリエットは、クィディッチ観戦は好きだったが、いざ自分がやるとなると、運動は苦手なのであまり身が入らなかった。ドラコは箒に乗るとすぐにクィディッチをしようと言ってくるが、大抵ハリエットがすぐに根を上げるのできっとずっと張り合いがなかったことだろう。スニッチがあれば、せめて一人で練習ができる。
スニッチを吊らされた途端手のひらを返すのはドラコのプライドに反したが、しかし背に腹は代えられない。ドラコは仕方なしに重い腰を上げた。
湖に着くと、ハリエットは早速縁に立って片足で氷面を押してみた。湖面が透過して見えるほど氷は薄かったので、すぐにパキリと氷は割れた。もう少し足を上げるのが遅かったら、きっと今頃靴がずぶ濡れになっていたことだろう。
ほんのり靴型に割れた穴から湖を覗いてみるが、大王イカの姿は見当たらない。箒に乗って中程まで移動してみると、ようやくイカがのろのろと泳いでいるのが見えた。
ジェームズの言葉を思い出し、また足でそうっと氷を割ってみれば、大王イカはそれに反応して足をハリエットの方に伸ばした。
箒に乗って移動しながら氷を割っていくと、大人しくイカもついてくるので、まるで大王イカを散歩させているような気分になって楽しかった。
ジェームズの話では、穴を開けた後は、マグル式のゴルフをやっても楽しかったということだが、道具もないし、もしかしたらドラコも嫌がるかもしれないのでその話はしなかった。
ハリエットが楽しそうなので、ドラコも渋々足で氷をパキリと割ってみた。が、力加減を間違えたせいで足はズボッと湖に浸かり、水浸しになってしまった。ドラコは悲鳴を上げた。
「足が濡れた! ずぶ濡れだ!」
あんまり情けない声を上げるので、悪いとは思いつつも、ハリエットは笑いを堪えきれなかった。
「これのどこが楽しいんだ……!」
「私は楽しいわ」
「僕はもう行く!」
「待って、スニッチを忘れてるわ!」
ハリエットは慌ててドラコの方まで飛んでいってその手にスニッチを握らせた。ここまで付き合ってもらったのに、戦利品もなしでは申し訳が立たない。
「次のクィディッチの試合までまだ日があるから、しばらく返さなくても良いよって」
「チェイサーだろう? なんでスニッチが必要になるんだ?」
「それは分からないけど」
俊敏性を上げるために必要……とか?
首を傾げるハリエットには知るよしもないことだったが、試合が近づくと、リリーに応援して欲しいがために、わざと真剣な顔をして場所を問わずスニッチを弄ぶジェームズの姿が見られるのはホグワーツの風物詩でもあった。チェイサーにもかかわらずスニッチを弄んでいる姿には正直違和感しかなく、当の本人リリーもジェームズがただ目立ちたくてやっていると思っていた。
ジェームズが格好つけるためのアイテム、スニッチを手に入れ、ドラコはホクホクしながら湖から離れてクィディッチの練習を始めた。正直な話、過去で半年近く生活するあまり、五感が鈍りきっていた。これでは、未来へ戻ってクィディッチの試合に出たとして、スニッチの姿を捕らえることなく試合終了、なんてことも充分あり得る話だ。
今までにない真剣さでスニッチを追い掛けるドラコ。始めこそすぐにスニッチを見失い、途方に暮れるばかりだったが、徐々にその勘も戻ってくる。ようやく気配を察知し、もう少しで掴めると思ったとき、視界の端から突如現れた手が先を越した。
「お前、クィディッチに興味があったのか?」
エイブリーとマルシベールの二人組だった。エイブリーは競技用ローブを身につけ、手には箒を持っていた。間の悪いことに、クィディッチの練習帰りに目についてしまったのか。
「シーカー志望か? でも、今はレギュラスがシーカーだからな。時代が悪かったな。まあ、補欠くらいなら入れてやってもいい」
ドラコの返事も聞かずにペラペラとエイブリーはそう口にした。ドラコは眉を寄せる。
「どういう風の吹き回しだ?」
「別に。ただ、スリザリンってことは、素質はあるんだろうし、この際はっきりさせよう。お前、本当に純血か?」
「マルフォイ家の傍系ではあるが……純血だ」
視線を落としてドラコは答えた。嘘ではないし、ここでスリザリン生として偽りを口にする利点もない。エイブリーはマルシベールと顔を見合わせた。
「まあ、実際純血かどうかはさほど問題ない。要は、俺達と同じ思想を持ってるかどうかなんだから。――純血主義か?」
「……ああ」
「闇の帝王のお考えに賛同しているか?」
「…………」
思わず黙り込むと、マルシベールが眉を顰めた。
「なぜ黙る? 怖じ気づいたのか?」
「いや……」
「俺達はメンバーを募ってる。こんな所さっさと卒業したら、帝王の組織する組織に入れてもらうつもりだ。お前ももしそのつもりなら、コネは持っていた方が良い。俺達のグループに特別に入れてやってもいい。スネイプがお前もどうかと言ったんだ」
前のめりでマルシベールが一歩詰め寄ったとき、木の陰から誰かが飛び出した。
「マルフォイ」
声をかけたのは、おどおどと視線を彷徨わせているハリエットだった。
「さっき――マクゴナガル先生が呼んでたわ。試験についてって」
「また盗み聞きしてたのか?」
続いてマルシベールはハリエットに向き直った。気圧されるようにハリエットは一歩退く。
「違うわ。何か話してるみたいだったから、タイミングが分からなくて――」
「セクタムセンプラ!」
一瞬の出来事だった。旋風が巻き起こったと思ったら、腕に鋭い痛みが走っていた。驚いてその場に尻餅をつく。
「あーあ、外れた。やっぱりまだ改良が必要だな」
片手で杖を弄るマルシベールに、ドラコは咄嗟に彼とハリエットとの間に割って入った。
「何だ?」
「いや……。誰かに見られたら」
「それくらい抜かりはないさ。お前も誰にも言うなよ」
ドラコ越しにマルシベールが杖を向けた。ハリエットはどうして良いか分からず、小さく頷いた。
マルシベールはドラコの肩に手を回した。内緒話でもするかのように彼の耳に囁く。
「いい呪いを教えてやる。スネイプが開発したんだ。お前に喧嘩をふっかけてくるグリフィンドールの奴らに痛い目見せてやれるぞ」
「俺達、お前のこと見直したんだぜ。一人でグリフィンドールに向かって行ったんだって。まあ、殴るなんてマグル式は馬鹿馬鹿しいと思うけど」
そのまま三人はホグワーツの方へ歩いて行く。ハリエットは慌てて立ち上がって追い縋った。
「あ、あの、でも、マクゴナガル先生は急ぎの用みたいで……」
「そんなの適当に言っておけばいいだろ」
「でも――」
なおも言い募ろうとしたハリエットの声は途中で途切れた。ハリエット自身、何が起こったのか全く分からなかった。浮遊感と、天地がひっくり返るような気持ち悪い感覚。気がついたときには、ハリエットはまるでくるぶしを引っかけられたように逆さまに宙づりになっていた。遅れてパサリとローブが顔にかかる。
自らの身に何が起こったかようやく理解したとき、ハリエットは悲鳴を上げてスカートを抑えた。
「下ろして!」
「何するんだ!」
ドラコがマルシベールに詰め寄った。悪びれた様子もなく彼は薄く笑う。
「ゴチャゴチャとうるさかったから。いい気味だろ? 効果が切れるまでそうしてろよ」
「止めて――下ろして!」
羞恥と混乱で泣きそうになってハリエットは叫ぶ。ドラコはマルシベールに杖を向けた。
「早く下ろせ!」
「はいはい」
肩をすくめると、マルシベールは杖を上に振り上げた。
それにより、確かに、ハリエットの身体は空中から下ろされた――だが、湖の上だった。勢いのついたハリエットの身体は、薄い氷を突き破り、いとも簡単に極寒の湖へと沈んだ。驚いて大きく息を吸い込む動作をしたせいで、鼻と口からは生臭い水が津波のように押し寄せてきてハリエットを更にパニックに陥れた。身体に纏わり付くローブをあしらい、やっとのことで上へ上へと泳いだが、伸ばした手には固い氷の壁がぶつかった。ハリエットが落ちてできた穴を見失ってしまったのだ。
混乱のあまり頭が真っ白になったが、ハリエットの腕を誰かが掴み、引き上げた。鋭利に割れた氷で腕に傷を作りながら、ハリエットはようやく湖面から顔を出した。咳き込みながら何度も息を吸い込み、自分を引き上げてくれた腕――ドラコの腕をぎゅっと掴んだ。
彼はそのまま氷の上までハリエットを引き上げようとしたが、身を乗り上げた途端またも氷が割れ、彼もろとも再びハリエットは湖の中に落ちた。ちょっと水は飲んでしまったが、しかしもう先ほどのようにパニックにはならない。岸辺は近かったし、氷を割りながら泳ぎ進めればすぐだった。
「あ、りがとう……」
カチカチと歯が音を立て、言葉を紡ぐので精一杯だ。
エイブリーとマルシベールの姿はもうなかった。そのことにホッとしたが、すぐに痛いくらいドラコに腕を掴まれ、眉をしかめる。
「なんでしつこくしたんだ? あれくらい僕だってうまくやり過ごせた!」
「でも、寮に行っちゃったら誰の目にもつかないわ。もし取り返しのつかないことになったら――」
「それでこんなことになってたら世話ない!」
怒鳴るようにして言うと、ドラコはハリエットの腕を掴んだまま歩き始めた。
「医務室に行くぞ」
異論なくハリエットも頷いた。が、ふと違和感を覚え、ずっしりと重たいローブのポケットに手を入れれば、そこにあるはずの杖はなかった。
「……杖、なくしちゃった」
ハリエットの声が聞こえているのか聞こえていないのか、ドラコの足は止まらなかった。何だか急に自分が情けなくなって、ハリエットはより一層俯いた。