■過去の旅

05:嵐を呼ぶ嵐


 三人がホグワーツ城に足を踏み入れた所で、ポツポツと夕食を食べ終えた生徒たちが大広間から出てくるのが見えた。そのまま流れに逆らって大広間へ入ろうとした途端、『ポッター!!』と怒声が聞こえてきた。

 あっとハリエットが振り返れば、そこには怒りに顔を真っ赤にしたドラコがいた。足を固定したままなので、壁伝いにこちらにやってくる。

「ど、ドラ――」
「スリザリンが僕に何の用だい?」

 ハリエットを後ろへ追いやり、せせら笑うような表情でジェームズが立ちはだかった。ドラコは一瞬気圧されたように立ち止まったが、しかし再び歩き始め、ついにはジェームズの前で立ち止まった。ハリーとドラコは同じくらいの身長なのに、今の二人の身長は、頭半分ほども違った。それでも怒りで頭に血が上ったドラコは、その事実に気づかない。

「用も何も、全部お前達の仕業だろう!? ウィーズリーはどこだ! 元凶は!」
「ドラコ、違うのよ。この人はハリーじゃないわ」

 ハリエットは小声でドラコに説明した。両親の世代にまで遡ったのだから、ここで過去の自分に遭遇することはないので、その点では安心だ。だが、かといって自分たちが遙か未来から来た人間だと露呈するのも避けたい。できれば、ハリー達を早々に見つけて未来へ帰る方法を探したいのだが――。

「何言ってるんだ! どこからどう見てもポッターだろうが! それに――何だ、お前達」

 ドラコは急に大人しくなった。その目は、遙か下――ハリエットとジェームズの、固く繋がれた手を見ていた。

「全くこんな時に……兄妹はそんなに仲が良いものなのか!? 手なんか繋いで!」
「ちっ、違うわ! 誤解よ! 転びそうだったのを助けて貰っただけ!」

 ハリーとはもう手は繋がないと言いたかったのか、ジェームズと手を繋いだ経緯を話したかったのか、とにかくハリエットはあわあわとジェームズの手を離した。もうすっかりハリエットの足はしっかりしていたし、これ以上手を繋いでいるのを目撃され、からかわれるのはごめんだった。

「君たち、知り合い?」

 ジェームズが疑い深い顔で尋ねた。どうしてスリザリンなんかと、とその顔はありありと語っている。

「ポッター、いい加減しらばっくれるのは止めろ。ウィーズリーを出せ。僕はこんな所さっさとおさらばするつもりだ」
「だからこの人はハリーじゃないのよ!」

 ジェームズ達に気づかれないよう、ドラコにここは二十年近く過去の世界だと伝えるにはどうすればいいのか。

 ハリエットは困り果ててしまった。

「何言ってるのかさっぱり分からないね。ウィーズリーなんて知らないし。そもそも君、誰だい?」

 ジェームズは悪びれもなく言ってのけた。ドラコは一瞬固まる。口をぽっかり開けたままマジマジとジェームズを見、そして。

「ふざけてる場合じゃないだろう! ロン・ウィーズリー! お前のお粗末な頭はそんなことも忘れたのか! お前達のせいで僕は足を怪我したし、こんな所にまで来る羽目になったんだ! あんまり僕をからかうんなら、父上にシリウス・ブラックのことを言いつけるぞ!」
「俺の何を、誰に言いつけるって?」

 ジェームズをグイッと押しやり、前に出てきたのはシリウスだ。もっと事態がややこしいことになり、ハリエットは頭を抱えた。

「クソ爆弾でフィルチを追いかけ回したことか? スリザリンに呪いをかけたことか? 別に誰に何を言おうが俺は困らないが……その顔、ルシウス・マルフォイの親戚だろう」
「はっ!?」

 ドラコは、怒気を含んだ視線のまま、突然現れたシリウスを上から下まで眺めた。二十年近くも年を取った脱獄囚と、今の若々しいシリウスとでは、彼の中で上手く結びつかなかったらしい。

「誰だお前は」
「……お前がお望みのシリウス・ブラックだ」
「はあ?」

 素っ頓狂な顔になるドラコを差し置いて、シリウスは完全に腹を立てたようだ。自分のことを言いつけると言っておきながら、こいつはその本人の顔も知らないのか、と。

「どうせお前達の純血ルートで俺の親に言いつけると言いたいんだろうが、残念だったな。もう俺は見限られてる。お前がお望みの方向にはならないだろうよ」
「…………」

 ドラコは大人しくなった。シリウスの言葉に落ち着いたのではなく、ようやくここが、どうやら一日、二日遡っただけの過去ではないと気づいたようだった。

「……全部お前達のせいだぞ」

 ドラコは力なくそう言い、壁に寄りかかった。随分とお疲れの様子だ。それもそうだろう。一番ひどい怪我をしていたし、マダム・ポンフリーには、退院しては良いが、安静にしていろと言われていた。何十年と過去の世界に来ることが安静とはほど遠いことはハリエットにだって分かる。

「怪我は大丈夫? 傷口は開いてない? 医務室に行く?」

 ハリエットは急に心配になり、ドラコに尋ねた。彼は脱力したまま首を振る。

「今はもう早く帰りたい……。医務室に行ってる暇なんて無い」
「おいおい、もう家が恋しいのか? 残念ながら、イースター休暇はまだまだ先だぜ」

 シリウスは小馬鹿にするようにハッと笑った。

「俺がお前のお父上に言いつけてやろうか。息子さんがホームシックにかかってましたって」
「止めて」

 ハリエットは軽くシリウスを睨み、ドラコの肩を持って支えた。

「ひとまず一緒に大広間に行きましょう。ハリー達に会えるかもしれないわ」
「俺はスリザリンなんかと歩くのはごめんだ」

 ふんとシリウスは顔を背けた。ハリエットが困ってジェームズに顔を向ければ、彼もまた顔を顰めていた。

「君がスリザリンと仲が良いなんて思いも寄らなかったよ。お人好しにも程があると思うけど。その子はどうせお仲間のスリザリンが助けるだろうから、君が気にするようなことはないと思うよ」

 ハリエットは唖然としてジェームズを見た。この人は本当に自分たちの父親だろうか? ハリーと同じ顔をしているのに、随分と冷たいことを言っている。ハリーとてドラコを助けたいとは思いもしないだろうが、しかし、いくらなんでもここまで直接的に冷たいことは言わない。

「グリフィンドール生として、困ってる人がいたら助けるのは当然だって言ってたじゃない。私、あの時本当に格好良いと思ったのに」

 ハリエットが悲しそうに言うと、シリウスは意にも介さずに言った。

「エバンズがまた騎士道精神をのたまっているが、何か反論は?」
「……それに関しては別に。ただ一言言わせてもらうと、僕らは会って早々、見も知らないそのスリザリン生に喧嘩を売られたんだ。僕らが根っからのお人好しじゃない限り、助けようと思わないのは当然だと思うけど」
「それはそうだけど……でも、ドラコもあなた達を別の人と勘違いしていたの。悪気はないのよ」
「それにしたって随分と高圧的だったと思うけどね。もともとの性格だってそんなに良いとは思えない」

 ドラコはムッとした顔をした。叫びの屋敷でもシリウス・ブラックに同じようなことを言われたのを思いだしたのだ。一度や二度会っただけの彼に、『こんな奴』呼ばわりされたあの時のことを。

「初対面なのに――」

 決めつけないで、と言おうとしたハリエットは、その顔のまま固まった。丁度コソコソと辺りを憚るようにして降りてきたグリフィンドール生が目に入ったからだ。

「は、ハリー……」

 嬉しいような、嬉しくないような、そんな複雑な声色でハリエットは彼の名を呼んだ。ハリーはパッと顔を上げ、その顔に喜色を浮かべたが、しかしすぐにハリエットの周りの人物を目にし、唖然とする。

「あ……と、父――」
「俺は夢でも見てるのか? ジェームズそっくりの奴がいる」
「これは驚いたなあ」

 驚くシリウスを余所に、ジェームズは落ち着いていた。先にリリーそっくりのハリエットを目にしていたことで、妙な耐性がついてしまったのだろうか。

「ポリジュース薬を飲んだ別人? ポリジュース薬を作れるのは限られてると思うけど。どこからか買ってきたのか、それとも誰かに作ってもらったのか」
「お前は誰だ?」

 ジェームズとシリウスはぞろぞろハリーに近づいた。ハリーはと言うと、黙りこくっている。その様子を見るに、彼もどうやらここが両親の世代のホグワーツだということに気づいているようだ。

「あの……ええっと……ハリーよ。その人は、私の双子の兄なの」

 仕方なしにハリエットは白状した。ハリエットとハリーが兄妹だということは既にドラコによって暴露されている。ジェームズそっくりの少年がハリーだというのは、いずれ分かる事実だ。

「双子? 全然似てないね」
「よく言われるわ」

 ハリエットは一旦ドラコをその場に残し、ハリーを回収に行った。これ以上問い詰められて、何かボロが出てもいけない。

「私達、友達を探さないと。ジェームズ、ここまで連れてきてくれてありがとう。ハリー、行きましょう?」
「う、うん……」

 ジェームズとシリウスの顔を忙しなく見つめながら、ハリーは気もそぞろに頷いた。

「ちょっと待てよ、エバンズ。何が何だかさっぱりだ。お前に双子の兄がいるなんて初めて知ったし、五年も寮生活してたのに、こんな強烈な顔の奴は一度も見かけなかったぞ。それに、いくらなんでもここまでジェームズに似てるなんておかしいだろ」

 一人重要な勘違いをしているシリウスが、尚も食い下がった。どうにかして、とハリエットはジェームズを見たが、彼は困ったように笑うだけだ。

「ううん、僕としてはエバンズの前で種明かししたかったんだけど……」
「そうもこうも言ってられないでしょう」

 ハリエットは珍しく強気で言い返した。だが、それも仕方なかった。

 ただでさえ人通りの多い玄関ホールは、ジェームズ・ポッターが二人いると、多くの野次馬が集まり始めていた。ホグワーツは噂が立つのが早い。誰が呼んできたのか、すぐ近くの大広間からわざわざ息せきって駆けつける生徒もたくさんいる。ハリエットとしては、早くこの場から立ち去りたい一心だった。

 だが、そうは問屋が卸さない。

 もはや何度目か分からない、乱入者の現れだった。

「ポッター!!」

 そう呼んだその声の主は、随分と怒った様子なのに、ジェームズの顔はパッと明るくなった。

「エバンズ!」

 人混みの間を縫って現れたのは、怒れるリリー・エバンズだ。その胸には監督生バッジが輝いている。

「また何かやらかしたのね? これは一体どういうこと?」

 ぐるりとこの場の人物を見回した彼女の目は、ジェームズか二人いるのを見て丸くなり、そしてハリエットの所で大きく見開かれた。しばらく無言でハリエットとリリーは見つめ合っていたが、やがてキッとその視線は鋭くなり、そのままリリーはジェームズを睨み付けた。

「分かったわ、ポリジュース薬でしょう! ポッターそっくりなのがピーターで、私そっくりなのがリーマス! リーマス、失望したわ。監督生でありながら、ポッター達の悪戯に加担するなんて」
「僕と一緒の推理だなんて嬉しいな! でも残念、この子達は僕の知らない人だよ。僕も自分にそっくりなこの子を見て驚いてた所だったんだ」

 ええっとその場の皆の視線がハリエット達に集まる。一気に四面楚歌の状況に追いやられた気分だ。

「君たちは一体誰だい? 本当にホグワーツ生?」

 ジェームズは困った顔でハリエットに問いかけた。ハリエットが答えに窮し、どうすべきかと焦りを募らせていた、その時。

「ハリー! ハリエット!」

 救世主の声が響いた。高くよく響くその声は、人混みをかき分け、後ろにもう一人を引き連れながらハリエット達の前までやってくる。

「私達、ホグワーツに編入するんです」

 皆に聞こえるような声でそう言うのはハーマイオニー。彼女の後ろのロンは、ジェームズとリリー、そしてシリウスを見て、興奮で目をキラキラさせていた。

「だから皆さんとは初めましてだわ。でも驚いた、世界に自分とそっくりな人が三人はいるって話だけど、まさかハリーとハリエットにそっくりな人、二人も同時に遭遇するなんて」

 ハーマイオニーはきょとんとした顔でジェームズとリリーを見た。

「あなた達の方こそ、二人と関係はないのよね? ポリジュース薬は飲んでない?」
「まさか!」

 ハーマイオニーが逆に問い返すことで、状況は一変した。やましいことは何もないのだと、むしろ驚いているのはどちらも同じなのだと周りに知らしめた。

「とにかく、編入して早々騒ぎを起こしたってバレたら怒られるわ。皆、行くわよ」

 ハーマイオニーは軽くネックレスをちらつかせた。――逆転時計だ。その正体が分かっている者たちは、皆ピシッと背筋を伸ばし、心を一つにした。

「あの、騒ぎを起こしちゃってごめんなさい。本当はあなたともっと話してみたかったけど……」
「あの……会えて本当に良かった。僕……まさか、君に会えるなんて」

 ハリエットはリリーに悲しそうに微笑み、ハリーはドギマギした様子でジェームズに挨拶をした。

 本当は両親ともっと話していたいのは山々だが、しかし、それは絶対にしてはならない所業だ。自分たちが今この場にいることすら禁忌なのに。

 しんみりとした空気の中、ロンは空気も読めずにハリーの脇腹を小突く。

「ハリー、スネイプもいたぜ。最初コスプレかと思ったけど」
「えっ」

 父ジェームズの対面と、スネイプのコスプレ情報はなかなかに拮抗した事態らしい。ハリーは詳しく話を聞きたがったか,ハーマイオニーに急かされ、なくなく彼女の後をついていく。ドラコもハリエットに支えられながら歩き始めた。

 だが、人混みを抜ける前に、逆にその人混みが割れた。そこから現れたのは、ハリエット達が知る彼女よりも十数歳は若いマクゴナガルだった。

「一体何事です」

 マクゴナガルは集団の中心にいるのが自分たちの寮生――しかも悪戯仕掛人ばかりだということに眉をしかめ、そして件のジェームズ、そしてリリーが二人いることに目を白黒させた。

「これは、何か新しい悪戯の一つですか?」
「先生、僕らが信用ならないのは分かりますが、今回ばかりは違いますよ」
「他人のそら似らしいです、マクゴナガル先生。編入生だとか」

 マクゴナガルは、鋭い目でハリエット達を射貫いた。彼女の子の全てを厳格に処すという視線は、いつまで経っても慣れることはない。

「――校長室へ」

 ようやくその言葉が絞り出されたときハリエットは、助かったと二重の意味でそう思った。