■過去の旅
51:酩酊薬
寝室に戻ってきたジェームズは、受け取ったプレゼントをベッドの上に置き、部屋の隅でコツコツ煮詰めていた大鍋の様子を見た。シリウス達はそれぞれの定位置に座り、ジェームズの後ろ姿を眺める。
「それ、もう出来上がるのか?」
「うん。シリウスの叔父さんのおかげでね。君が口利きしてくれて助かったよ」
「それ使って何するつもりなんだ?」
ジェームズが入れたのは、銀色に輝く一角獣の角の粉末だ。ドロドロしていた焦げ茶色の液体は、途端に透き通るような紫色に変わった。
「本当は実際に使って当てて欲しいところだけど……今回は我慢してあげる。これは酩酊薬だよ!」
「名前からして、嫌な予感しかしないね」
呆れたように言うリーマスに対し、シリウスは「ああ」と合点がいった様子だ。
「聞いたことあるな。六年生で習う奴だろう? 酔えるっていう、ただそれだけの効果の割に、稀少な材料と複雑な工程で難易度が上がるっていう」
「そう、まさにそれだよ」
「なんでジェームズはわざわざそんなものを作ってるの? 酔いたいならお酒を飲めば一発じゃないか」
ピーターがこの場の皆の気持ちを代弁した。
「ジェームズに限って、法律を破るのが怖いって理由じゃないだろうし」
「非公式アニメーガスっていう特大の法律破りをしてるんだから、俺達にとっては今更だもんな」
どこか得意げに言うシリウスに、リーマスは少し表情を暗くする。
「法律云々は規則に厳しいエバンズやハーマイオニーがいるから駄目なんだよ。今夜、誕生パーティーを開いてくれるんだろう? これを使って馬鹿騒ぎしようと思ってさ」
「馬鹿騒ぎなんていつものことだろ? 別に酩酊薬がなくたって」
「まあ……そうなんだけど」
ジェームズは勢いをなくして視線を落とした。
「あのさ……ハリーとハリエットが何か悩んでるみたいだってのは、皆も気づいてるだろう?」
「ああ、まあ」
「それに、そのせいかなんか寂しがり屋になった気もする。常に誰かといるよね?」
ハリエットに関して言えば、つい最近スリザリンに手ひどくいじめられたので、そうなるのも仕方がない。だが、ハリーは、これほどまでにいつも四人にひっついていただろうか。
「これを使ってちょっとでも明るくなって欲しくてさ。酔ったら気分も上がるし」
「陶酔薬の方が効果は覿面じゃないの?」
「あれはやり過ぎの所があるだろ? 薬の効果に頼りすぎなのは良くないよ。せいぜいちょっと気分を上げてくれるだけで良いんだ。それに――」
ニヤリとジェームズは笑う。
「こいつの使い道はこれだけじゃない。お酒に強い人でも、これを数滴入れるだけで酔えるし、それに何より、これはアルコール臭がしない。ちょっとした秘密を探りたいときに、相手の飲み物にこれを仕込んで口を軽くするっていうのも一つの手だ」
湯気の収まった鍋の中には、限りなく透明に近い紫色の液体が並々と入っている。確かに、これなら飲み物に混入しても誰も気づかないだろう。
「真実薬に勝るものはないけど、飲酒とは比べものにならないくらいの法律を破ることになる。それなら、この魔法薬を使う方が得策だろう? それに」
ジェームズはここで一つ咳払いをした。
「これを使えば、フィルチのスクイブ説も明らかにできるかもしれない」
ジェームズの言葉に、シリウスもニヤリと笑った。ピーターもワクワクした顔になる。唯一リーマスだけが浮かない顔だ。
「人の秘密を無理に暴くのはおすすめしない」
「あいつに自分を重ねてるのか? フィルチとリーマスの場合は違うだろう」
「違わないよ。人狼もスクイブも、周りにバレたら差別されることには違いない」
「俺達だって、別にフィルチがスクイブだって大声で吹聴しようなんて気はない。ただ、今後俺達のやることなすこと、片っ端からケチつけて追いかけ回すのを止めろって交渉しようって話だよ」
「知られるだけでも絶望するんだ」
リーマスは顔を伏せたままだが、それでも語気は強いままだ。引くという気概は一切ないようにも見える。
「僕の場合は……君達が知ってくれて良かったと思ってる。一緒にこの秘密を背負い込んでくれて、昔よりもずっと気が楽だから、とても有り難いと思ってる。……でも、フィルチさんの場合はどうだろう。屈辱に感じるだろうし、吹聴されて、迫害されるかもって絶望を感じると思う」
シリウスは黙り込んだ。差別するつもりも迫害するつもりもなく言っていたのは事実だが、フィルチがスクイブだったら面白そうだと感じたことは確かだった。と同時に、リーマスの神妙な態度との温度の差に、ホグワーツではあまり思い出すことのない生家のことが脳裏に蘇る。ブラック家のあの忌々しいタペストリー。それには焼け焦げた痕があり、叔父のアルファードからは、スクイブの人の名が記されていた場所だった聞いていた。
――ふと、自分がブラック家と同じ思考回路をしていたのではないかという事実に気付き、シリウスは気分が悪くなった。急に静かになったシリウスを見てピーターも慌てる。リーマスの頑なな態度に戸惑ってもいた。平和主義のリーマスが、ジェームズとシリウスの、スネイプへの態度に良い思いを抱いてないことは察していた。だが、それでも控えめに止めるくらいで、こんな風に確固とした意志で二人の言動を否定することはなかったのに。
「――そうだね。よく考えればリーマスの言う通りだ! フィルチで試すのは今回は止めておこう」
「そもそも、フィルチが僕らの渡すものを飲むわけがないしね」
居心地の悪い沈黙が場を支配する前に、ジェームズが話を締めた。ピーターもそれに追随する。
「魔法薬は完成したけど、もちろん試飲はまだだ。パーティーに出す前に、まず僕らで試してみたいんだけど、誰かやりたい?」
ジェームズが見渡したが、誰も手を上げない。それもそうだろう。仲間内とはいえ、悪戯仕掛人の中で唯一自分だけが無防備になってしまったら、一体どんな秘密を聞き出されるか分かったものじゃない――。
「試飲って言っても、ただ酔うだけの魔法薬だろ? そんなの全員で良いんじゃないか?」
「まあそうだね。何か副作用があっても、全員仲良く医務室ってことで」
「僕はジェームズの調合を信じてるから……!」
友人達の言葉にジェームズは頷き、しもべ妖精を呼び出し、あらかじめ頼んでおいたバタービール四本を皆の前に出した。
「用意が良いことで」
「気が利くって言って欲しいな」
杖を軽く振り、それぞれのジョッキの中に酩酊薬を数滴垂らしていく。ほとんど透明に近いので、見た目には全く変化はない。
「じゃあ、新たな悪戯に祝して」
ジェームズの声を合図に、皆はバタービールを慎重に飲み始めた。
「これ、全部飲まなきゃいけないの?」
「二、三口くらい? 効果は人それぞれだと思うんだけど……」
半分ほど飲み干した所で、誰ともなくジョッキを床に置く。ピーターが「ああ……」と情けない声を漏らした。
「僕……駄目だな……。酔っ払ったみたい……」
舌っ足らずに言うピーターは既に顔が真っ赤だ。シリウスがケラケラと笑う。
「アルコールに弱いみたいだな」
「僕はまだそんなにかな。ジェームズも?」
「うん。ちょっとほろ酔い気分ではあるけど」
「もうちょっと入れてみよう」
勇敢なのか向こう見ずなのか、シリウスが杖を振って酩酊薬をまた皆のジョッキにボトボト垂らしていく。
「ええっ、入れすぎだよ! 酔いたいならバタービールを飲み干せば良かったのに」
「これの方が手っ取り早いだろう?」
「ホンット君ってばそういう所雑なんだから……」
仕方なしにまたバタービールに口をつければ、ジェームズは腹の底が一気にポカポカしてくるのを感じた。同時に頭の中に靄がかかったようにうつら、うつらとしてくる。
「あー、僕も来た。酔ってきた……」
「俺も」
シリウスなんかは今にも眠りそうな具合だ。唯一リーマスだけは顔色一つ変えていない。
「だから入れすぎだって言ったのに。リーマスは大丈夫?」
「うん。もしかしたら、ヒトと人狼とでは体質が違うのかもしれないけど……」
「単に酒に強いだけだろう? 陶酔薬の効き目はリーマスが一番だったんだから」
何気ないシリウスの言葉に、リーマスは笑った。ジェームズが赤ら顔で皆を見渡した。
「この際、暴露大会でもする?」
「何の暴露大会だよ」
「そりゃあもちろん自分の中に秘めてる秘密ごとさ!」
「一人目は言い出しっぺからどうぞ!」
陽気なシリウスに杖を渡され、ジェームズは素直に受け取る。ちょっとだけ声が通るようになっている杖先で声量を調節し、ジェームスは真剣な表情になる。
「実は……ハリエットにビキニのポスター見せちゃった」
「――なんてことしてるんだよ!」
一瞬遅れて頭に理解が行き渡ったシリウスは勢いよく立ち上がった。ちょっと足がふらついたように見えるのは、酩酊薬の影響だろう。
「俺のだって言ってないだろうな?」
「言っちゃいました」
「ジェームズッ!」
シリウスがジェームズの胸ぐらを掴み、あわや乱闘でも始まるかと思いきや、二人の足がもつれてもんどり打ってベッドに倒れ込む。ピーターが至極楽しそうにケラケラ笑い、リーマスも堪えきれず笑い声を上げる。
しばらくしてようやく落ち着いた二人の揉み合いは、怒りの大きかったシリウスの勝利で収められた。二人とも、髪もぐしゃぐしゃ、ローブもひどく乱れているが、正直な所いつものことなので気にしない。
「じゃあ次、ピーターね」
渡された杖をしっかり握り、ピーターは恐る恐る口を開く。その目の先はジェームズだ。
「アー……この流れで言っちゃうと、この前、ジェームズの箒がハッカ臭になった事件、あれ僕のせいなんだよね……」
「……はあっ!?」
「ジェームズが瓶に詰めてたハッカの液、部屋に入った時に蹴飛ばしちゃってさ。本当ごめんね」
ジェームズはわなわな震えながら立ち上がった。
「ピーターが言ったんだろう、寝ぼけて蹴飛ばしたんじゃないかって!」
「だからごめんって」
ヘラヘラ謝るピーターは完全に出来上がっている。
「あれのせいで僕、しばらくチームメイトからハッカ・チェイサーって呼ばれるようになったんだから!」
「ハッカ・チェイサー!!」
シリウスがお腹を抱えて笑った。
「良いじゃないか、格好いいぜ、ハッカ・チェイサー!」
「黙れよ!」
「結局ジェームズが悪いことに変わりはないじゃないか。荷物をちゃんと片付ければ良かった話だよ」
「でも……!」
リーマスに正論を述べられ、ジェームズもそれ以上強く出ることができない。
暴露大会が一巡した所で――リーマスは酔ってないので、どんなに皆がけしかけても大した秘密を告白しようとはしなかった。単にジェームズ達のように後ろ暗い秘密がないだけかもしれないが――そのことが気にくわなかったジェームズにリーマスは更に一人だけしこたま酩酊薬入りのバタービールをこれでもかと飲まされ、べろんべろんに酔っ払ってしまった。
本来の目的が何だったかなんてすっかり記憶の彼方へ飛んでいき、そんな窓の外では、少しずつ太陽が傾き始めていっていた。