■過去の旅

08:闇の時代


 それから、過去のホグワーツでの授業が始まった。ハリー達は、本当のところ新四年生ではあるが、過去で先取りして勉強をするというのもおかしな話なので、三年生として編入することになった。

 授業のことを聞いたハリーとハリエットは、どうしてこの時代に来てしまったのだろうと大変不服だった。あと二年早く来ていれば、父や母と同じ授業を学べたはずなのに、どうして!

 しかし、その不満はすぐに吹き飛んだ。授業の合間合間に彼らとすれ違うことはままあったし、食事の際には、すっかりハリー達を気に入ったジェームズが自分たちの所に来るようすぐに呼んでくれるからだ。何より、談話室に行けば、大抵悪戯仕掛人の四人は顔を突き合わせて悪戯の計画をしている。おまけに、二度目の三年生であるおかげで、ハリー達は、宿題や復習に煩わされることなく、思う存分ジェームズやリリーとの学生生活を堪能することができていた。

 あまりにも幸福な日々を過ごしていたハリエットは、初めての魔法薬学で、未だ足を固定したままのドラコを見てようやく我に返った。彼は、自分たちのせいで過去にやって来て、一人スリザリンで過ごしているのだ。心細くない訳がない。

 いつもクラッブやゴイルと共にスリザリンでふんぞり返っているドラコは、今はどこか元気がない。スリザリンに組み分けされたことや、マルフォイという家名から、血筋は保証されているものの、突然編入することになった彼は、もしかしたら同じスリザリン生の中でも敬遠されているのかもしれない。

 スリザリンは排他的な寮だ。その中で一度でも異色と判断されたのであれば、非常に生活しづらくなるはずだ。

 いつもの癖で後ろの方に座ったハリエット達には気づかず、ゆっくり通り過ぎていくドラコ。ロンが小さく囁いた。

「あいつ、まだ足固定してる。マダム・ポンフリーが言うには、一日で直るって話だったのに」
「名誉の負傷について何か言いたいことがおありかな、ウィーズリー?」

 嫌味たっぷりな口調で、ドラコは喜々として振り返った。

「本来なら、床に頭を押しつけて謝罪するのが道理だというのに……全くお前達は。そんなにあの野良犬を危険生物処理委員会に通報されたいのか?」
「――っ」
「駄目よ、挑発に乗らないで」

 反射的に杖に手が伸びたハリーを、ハーマイオニーが厳しい顔で押しとどめる。

「足、まだ痛むの?」

 ハリエットが心配そうに尋ねると、ドラコは勇敢に痛みに耐える顔をした。バックビークに怪我させられた時に見たものと同じ表情だ。

「ああ、痛くて堪らないね」
「どうだか」

 ロンは鼻で笑い飛ばした。

「どうせまた難癖つけて僕らに調合をさせようって魂胆だろう? でも残念だな、ここに君の大好きなスネイプはいないぜ」
「誰がお前のお粗末な手を借りるか。トロールの手を借りた方がまだマシだ」
「良かったじゃないか。トロールならいつも君の両側にいる」
「――っ」

 ハリーの返しに、ドラコまでもがカッと頬に熱を集め、杖に手が伸びた。ハリエットは慌てて立ち上がった。

「座るの手伝ってあげるわ。そのままじゃ座りにくいでしょう?」
「誰がお前の手を借りるか!」

 ふんと鼻を鳴らし、ドラコはハリエットの手を振り払ってドカッと前の席に座った。ハリーは不満そうに顔を歪める。

「あいつに優しくする必要なんてないよ。ロックハートの本を読む方がよっぽど有意義だ」

 ハーマイオニーが何か言いたげな顔をした所で、魔法薬学の担当教授、スラグホーンが入ってきた。セイウチのような髭を蓄えた、大柄な男性だった。

 今日の授業は、いつぞやの『縮み薬』を調合することだった。スネイプの授業で一度調合したことのある四人は慣れたものだった。その中でも、もちろんハーマイオニーのものが群を抜いている。

 スラグホーンは、ハーマイオニーの鍋を見てにっこりした。

「素晴らしい! 君は確か……」
「ハーマイオニー・グレンジャーです、先生」
「ミス・グレンジャー、君は確かマグル生まれだとか。いやはや、君の調合の腕は素晴らしい。そういえば、先程も縮み薬の効能について、見事な回答だった」

 ハーマイオニーはポッと頬を赤らめた。スネイプが教授では、どんなに頑張った所で褒められることなど万に一つもあり得なかったからだ。

「編入したばかりだというのに、素晴らしい努力家のようだ。君にはぜひとも我がスラグ・クラブに来てほしいものだね」
スラグナメクジ・クラブ?」

 ロンが遠慮なく聞いたので、ハリーが素早く彼を小突いた。幸いなことに、スラグホーンには聞こえていなかった。

 スラグホーンは、ハリエットにも関心を示した。残念ながら、ハリエットの調合の腕前は大したものではなかったが――彼のお気に入りらしいリリー・エバンズにそっくりだったのが一番の要因らしかった。ハリエットとハーマイオニーが注目を浴びている間、冷ややかな視線がスリザリンから浴びせられているのが気にかかった。

 その後、無事調合を終え、スラグホーンに縮み薬を提出した後――ハリー達は、スネイプでは考えられない程の『客観的な』評価を得た――四人は他の生徒と共に後片付けを始めた。その際、ふと目に入ってきた少年の姿に、ハリーは目を丸くする。

「ハリエット」

 振り返り、ハリーは妹のローブを引っ張った。

「ほら、見て、あの人。シリウスにそっくりだ」

 彼が指し示したのは、黒髪の少年だった。彼の周りにいるスリザリン生は、ちやほやと彼に声をかけているが、まるで台風の目のように、中心にいる少年は穏やかで、静かだった。

「あの人、シリウスの弟さんですって」

 兄に釣られたハリエットも小声で返した。

「レギュラス・ブラックよ。この前少しだけ話したの」
「弟がいるなんて初めて知った。兄弟でも寮は別れるんだね」
「あら、パーバティとパドマだって、姉妹の、しかも双子だけど、寮が違うじゃない」

 ハーマイオニーも口を挟んだ。ハリーは『分かってるよ』と返した。

「でも、まさかグリフィンドールとスリザリンで別れるなんて思ってもみないじゃないか――」
「人のことジロジロ見て、なんです?」

 つい話し込んでいた四人が顔を上げれば、そこには不快そうに眉根を寄せたレギュラス・ブラックが立っていた。

「正直、不愉快です」
「ごめんなさい……」

 反射的にハリエットは謝った。レギュラスの取り巻きと見られるスリザリン達にも見下ろされる形だったので、怖くなったのだ。

「君、シリウスの弟って?」

 だが、果敢にもハリーが尋ねた。好奇心の方が勝ったようだ。

「それが何だと言うんです?」

 レギュラスがチラリとハリエットを見た。余計なことを、とでも言いたげな視線だった。

「あなた達が兄と親しくしているのは知っています。ですが、兄と僕はもう関係ありません。スリザリンとグリフィンドールである限り」
「兄弟なのに?」

 ハリーは心底不思議そうに尋ねた。不躾に家族間のことを聞いてくるハリーに、レギュラスの眉間に一層皺が寄る。

「穢れた血が気安くレギュラスに話しかけるなよ」

 彼の隣のスリザリン生が、一歩前に出た。気づけば、彼らは一様に嘲笑を浮かべている。

「マグル生まれが一気に四人も編入? これだからグリフィンドールは」
「グリフィンドールには穢れた血か血を裏切る者、それに半端者の混血ばかりだ。そんな所に行った兄弟なんか、見限って当然だ」
「何だと!?」

 ロンがいきり立って立ち上がった。止めどなく投げかけられる差別発言に、これ以上黙っていることなどできなかった。

「そこ、何をやっているのかね? 喧嘩か?」

 人混みをかき分け、スラグホーンがやって来た。スリザリン生達は薄笑いを浮かべながら散り散りになる。

「何でもありません、先生」

 代表してハーマイオニーが答えた。ハキハキと答える彼女に、スラグホーンは面食らう。

「険悪な雰囲気だったが……本当に?」
「はい。ブラックと、彼の兄について話していただけです」
「ならいいが……。片付けが終わった者から帰るように。次の授業に間に合わなくなる」

 スラグホーンの登場以降、皆はもう私語を口にすることなく、速やかに後片付けを終え、地下牢を後にした。一階まで上がった所で、ロンがふてぶてしくため息をついた。

「あいつら、自分たちの寮監がハーマイオニーを褒めたのが気にくわないんだぜ」

 続いて、彼は非難するようにハーマイオニーを見た。

「どうしてさっき奴らを庇ったんだ? スラグホーンに告げ口すれば良かったのに。喧嘩をふっかけてきたのは向こうだ」
「私達、あまり目立たない方が良いと思うの」

 ハーマイオニーは、真面目な顔で言った。聡明な彼女は、いち早く、この時代が自分たちのいた平和な時代とは似ても似つかないことを肌で感じていた。

「おや、誰かさんは喜々としてどの授業でも手を上げていたようですけどね?」
「それとこれとは話が別よ」

 ハーマイオニーはロンを睨んだ。授業で手を抜くなど、ハーマイオニーには考えられない所業のようだ。

「いい? この時代では、『例のあの人』がまだ生きてるの」

 声を潜めて言う彼女に、ハリエットはゾクッと背筋が冷えるのを感じた。ハリーも同様に、厳しい顔つきになる。

「これからどんどん闇の時代真っ只中になっていくわ。そんな中で、『マグル生まれ』である私達は激しい差別の対象となるはずだわ。主にスリザリンにから、ね。そんな中、彼らの反感を買って、意図せず注目を浴びることになったらどうなると思う? ……私達の秘密が露呈するかもしれない」

 ロンですら静かになった。黙したまま、ハーマイオニーの言葉に耳を傾ける。

「ダンブルドア先生の言う通り、未来から来たってことは誰にも知られちゃならないことなの。どこから例のあの人に情報が漏れるか分からないわ。私達が未来から来たってことがバレたら、未来のことを知ろうとあの人が私達を捕らえに来るかもしれないのよ」

 ロンはぶるりと身体を震わせた。ハリエットもローブの裾を強く握りしめる。両親を殺めた敵が、今この時代に――。

「いい、分かった? 極力ここにいるときは大人しくしておきましょう。特にスリザリンともめ事を起こすことだけは勘弁よ」

 ハーマイオニーはきつくハリーとロンに言い聞かせた。ハリエットも、ハーマイオニーの言葉を反芻しながら頷く。

 ――自分たちの存在は、異質でしかないのだ。

 ハリエットは、両親と一緒に学生生活を送れるという事実に目が眩み、そうした重要な事に気づいていなかったと、今更ながら自分を責めた。