■呪いの子

23:過去へ


 アルバスとデルフィーは、禁じられた森で杖を構えて向かい合っていた。

「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」

 デルフィーの杖が、宙を飛んでアルバスの下にやってくる。アルバスはパシッとそれを受け止めた。

「うわー、すごいや、アルバス! 完璧な武装解除呪文だ!」
「できるようになったわね。うまいわよ」

 デルフィーは杖を受け取りながら、気取った声で言った。アルバスは恥ずかしそうな顔になる。

「僕、呪文が下手だった」
「私も全然駄目だった――でも、コツを覚えたの。あなたもそうなるわ」
「僕もできるようになるかな?」

 レギュラスもモジモジして言う。デルフィーはにっこり頷いた。

「もちろんよ。呼び寄せ呪文は君が一番上手いじゃない」
「えへへ」
「さあ、もう行きましょう。そろそろ動く時よ。ダイアゴン横丁は今はもう落ち着いているでしょう」

 丁度夕方のこの時間帯、ダイアゴン横丁は一番人が少ない。

「でも、皆僕たちを探してる。日刊予言者新聞の号外に載ってたもの」
「家出少年が、まさかダイアゴン横丁に来るとは誰も思わないわ」
「レグが消えたら、僕だったらハニーデュークス店を探すけどね」
「僕だって、ジェームズが消えたらWWW店を探すね!」
「そこは僕じゃないのか!?」

 アルバスの呆れた声に、レギュラスは恥ずかしそうに笑った。

「アルバスの行きたい所が分からないんだもの……」
「僕が消えたら、まず君んちを探して欲しいな」
「アルバス!」
「あの……お二人さん、時間がないって言ってるわよね?」

 デルフィーはコホンと咳払いをした。

「さあ、二人とも、私の手に掴まって。一気に姿くらましするわよ」
「またあの気持ち悪い感覚を味わうの?」
「ほんの一瞬よ」

 パチッとウインクされ、レギュラスとアルバスは渋々デルフィーに掴まる。四方八方からぎゅうぎゅう押さえつけられているような感覚があり、腹の底から気持ちが悪くなる。だが、それも僅かな時間で――気づくと、夕闇のダイアゴン横丁にいた。三人は人通りの少ない横道に立っている。

「さ、ここらで逆転時計を使いましょうか」
「デルフィー、僕ら考えたんだけど、君は来ちゃいけない。僕らといるところを見つかったら、また父さんが何かするかもしれない。ここまで連れてきてくれてありがとう。すぐにどこか安全なところに行って」
「そんな……駄目よ。私がいないと逆転時計が使いこなせないわ」
「君が時計の使い方を教えてくれた」

 デルフィーは承服できずに動転した。

「駄目だってば。二人だけでこの仕事は……」
「お願い、僕らを信用して。もう君を巻き込みたくないんだ。ここで別れよう」

 デルフィーは二人を見て大きく息を吸った。そして納得したように頷き、笑みを作る。

「分かった、じゃあ任せたわ。でも、これだけは覚えておいて……今日あなた達は滅多にないチャンスを得たのよ。今日あなた達が歴史を変えるの。それだけじゃないわ、一組の夫婦を心から幸せにしてあげられるの」
「僕たち、やるよ」

 レギュラスもにっこり笑った。デルフィーは頷き――その場で姿くらましをした。

「さあ、行くぞ」

 アルバスは先頭に立ち、往来の中に身を滑り込ませた。レギュラスは困惑しながらもその後についていく。

「ここで過去に戻るんじゃないの?」
「この逆転時計じゃ、五分しか戻れないんだ。できるだけ現場の近くに行かないと。あっ、顔を隠して!」

 丁度WWW店の前を通る時だったので、二人は慌てて下を向いた。チラリと視界に映ったショーウィンドウの奧では、フレッドとジョージが賑やかに悪戯グッズの実演をしているのが見えた。

「オーケー、本屋はもうすぐだ……」

 だが、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店につく前に、知り合いの一団が待ち構えているのが見えて、二人は間一髪脇道に飛び込んだ。ロンの声が聞こえてくる。

「本当にこんな所にいるのか? 二人は」
「確かに夢で見たんだ。本屋に来るはずだ……」
「家出してまで買いたい本があるなんて、あの二人、いつの間にハーマイオニーに影響されたんだ?」

 惚けたようなロンの言葉は、ジニーがパシリと叩くことで治まった。

「ハリー、二人は見つかったか?」

 後ろに闇祓いを従え、シリウスがやって来た。

「いや、まだだ。そっちは?」
「念のためノクターン横丁も調べている。が、見つからない……」
「一体どこに行ったんだか……」
「二人がまさか家出なんて……今なら蛙チョコを山ほど買ってやるのに」

 隣でピクリと反応したレギュラスをアルバスは小突いた。そして懐から逆転時計を取り出す。

「いいか? 僕らは使命を果たすんだ。準備はいいね?」
「大丈夫。汽車を降りたときから、もう準備はできてるさ」
「ポリジュース薬を飲む準備はできてなかったくせに……」

 アルバスはブツブツ言いながら、逆転時計を力強く押した。手の中で逆転時計が震えだし、次の瞬間、激しく動き出す。それを合図に周りの様子が変わり始めた。巨大な閃光が走り、何かが砕けるような音が響く。時間が止まり、時は流れの向きを変え、少し躊躇い、そして巻き戻り始める。始めはゆっくり――それから加速して。

 ――突然、辺りが賑やかになり、アルバスとレギュラスは人並みに飲み込まれた。見渡すまでもなく、ここがダイアゴン横丁だとすぐに気づく。きゃあきゃあ甲高い魔女の声が辺りに響いている。二人は、人の波に押されるようにして書店の中に押し込まれた。

「ハリー、ハリエット、私のサイン会に来てくれてとても嬉しい」

 奥の方から気取ったような声が響いてきた。その声が響くたびに、きゃあっと興奮した黄色い声があちこちから上がる。

「さて、ここで私は発表いたしましょう! この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』の担当教授職をお引き受けすることになりました!」

 人垣がワーッと湧き、拍手した。アルバスはレギュラスのローブを引っ張るだけで精一杯だった。絶対にハリー達に姿を見られてはいけないというのに、この少年は興奮で我を忘れているようだった。

「アルバス! お母さんだ! 伯父さんもいる! お母さん小さいよ! アリエスにそっくりだ!」
「レグ、静かに! 僕らは皆に姿を見られる訳にはいかないんだ。大人しくしてて――」
「良い気持ちだっただろうな、ポッター?」

 青白く、顎の尖った少年が、ハリーとハリエットの前に現れた。ツンと顎を突き上げ、ふんぞり返っている。

「有名人のハリー・ポッター。ちょっと書店に行くのでさえ、一面大見出しかい?」
「うわあ……小さい頃のお父さんだ! 本当に僕とそっくり!」
「ある意味で全く似てないけど……」

 アルバスは呟いたが、レギュラスには全くもって聞こえていなかった。そうこうしているうちに、なんやかんやルシウス・マルフォイがやって来て、アーサー・ウィーズリーに対し喧嘩を売り始める。二人は組んずほぐれつの喧嘩になった。

「わあ、どうしよう、止めないと!」
「僕らが止めなくても、どうにかなるよ。それよりも問題はリドルの日記だ」

 やがてハグリッドがやって来て、二人の喧嘩は幕が下ろされた。ハリエットは地面に散らばった教科書を慌てて集めている。

「あ、あれ! 今、ルシウスお祖父様がお母さんの教科書に日記を滑り込ませたよ!」
「今だ、レグ! 呼び寄せ呪文だ!」
「アクシオ! リドルの日記!」

 だが、リドルの日記はピクリともしない。何度やっても同じだ。マルフォイ一家が書店を出て行く――。

「そうだ!」

 ようやくアルバスは思い出した。

「すっかり忘れてた! 分霊箱は呼び寄せ呪文が使えないんだった!」
「じゃあどうするの? お母さん行っちゃうよ!」
「うーん――うーん――ええい! アクシオ! ハリエット・ポッター!」

 アルバスの決死の策はうまくいった。可哀想なことに。

 大事そうに教科書をぎゅうっと抱き締めて歩いていたハリエットは、突如後ろから何者かに引っ張られるような感覚があった。抵抗する間もなく、ハリエットの足は宙に浮く。

「あ――あっ――きゃあああっ!」
「ハリエット!?」

 驚いたハリーは振り返ったが、もう時既に遅し。妹の姿は忽然と消えていた。

 一方のアルバス達は大混乱だ。レギュラスは教科書に埋もれ、アルバスの上にはハリエットが倒れ込み。まだここが本屋の横の裏通りで良かった。もし往来でこんな問題を引き起こしていたならば、すぐに皆の注意を引き、ウィーズリー家にまで目撃されたこと間違い無しだ。

「うう……」

 呻きながら、ハリエットは顔を上げた。自分が何かの上に乗っている、とようやく気づいた。

「あ……や、やあ」
「ハリー?」

 ハリエットはパチパチと瞬きをした。目があった目の前の少年――彼は、ハリーにそっくりだった。いや、だがすぐに違和感がハリエットを襲う。ハリーと同じ黒髪ではあるが、彼の髪質は真っ直ぐだ。それに、眼鏡もしていない。無意識のうちにハリエットは彼の前髪に触れた。――額の傷もない。

「あなた、誰?」
「アル――」

 アルバス、と言いかけて、すんでの所で口をつぐんだ。名前を教えて、過去に何か影響があっても良くない。それに、『アルバス』はダンブルドアの名だ。不審がられるに違いない。

「アルだよ、アル」
「大丈夫?」

 教科書の山から、ようやくレギュラスが顔を出した。ハリエットは彼を見て驚いた顔をした。

「ドラコ? こんな所でどうしたの? お父様は?」
「えっ? あ――」

 慌てふためいたレギュラスだが、返事を聞くよりも先に、ハリエットは己の状況に気がついた。未だアルバスの上に乗ったままだと。

「あ――私、ごめんなさい! 怪我はない? 乗っかっちゃってごめんね」
「大丈夫だよ」

 アルバスは笑って答えた。手の中の逆転時計が震え始めた。

「私、ハリエット・ポッターよ。普通に歩いてたんだけど、何かに急に引っ張られてここに……。本当に魔法界って不思議なことだらけね」

 のんびり言うハリエットに、アルバスは愛想笑いを返した。急に身体が宙を浮いたのに、彼女は不思議の一言で済ませた。この時ほど、親友が彼女の息子だと実感した瞬間はない。

 ハリエットは教科書を拾い始めた。慌ててアルバスとレギュラスも手伝う。さらりとリドルの日記を己の懐に忍ばせるのも忘れない。

 逆転時計も、不吉な音を出し始めていた。チクタクという音の感覚も狭まってくる。

「僕たち――もう行かなきゃ」
「手伝ってくれてありがとう、アル」

 ハリエットは笑って会釈した。アルバスは中途半端に笑み、うんうんと頷く。

「ドラコもまたホグワーツで」

 パッと気色を浮かべるレギュラスの口を塞ぎ、アルバスは慌てて首を降る。

「君が何を言ってるのか分からないけど……彼はドラコじゃないよ。レグだ。うん、それじゃ――」
「レグ? でも、あなた、ドラコにそっくり――」
「行かなくちゃ!」

 遮るようにして挨拶をし、アルバスはレギュラスを連れて裏通りの奧へと走った。やがて手の中で閃光が走る。

「ハリエット! こんな所にいたんだね?」
「全く、急にいなくなったら困るじゃないか。また迷子になったかと思ったよ」
「ハリー、ロン! ねえ、聞いて。私、今そこでハリーにそっくりな人を見かけたの!」

 ハリエットの興奮した声を最後に、アルバス達は現在へ戻ってきた。