■呪いの子 IF

07:子と親と教師と



〜もしもホグワーツに授業参観があったら〜
※続き物です。またいつか後編更新します


 毎年この時期になると、ホグワーツはいつも浮き足立つ。ハロウィーンやクリスマス、バレンタイン等の魅力的なイベントごとを差し置いても、この時期は生徒も教師も肖像画も落ち着かない。良い意味でも悪い意味でも。

 ホグワーツの住人たちの気をそぞろにしている張本人たちは複数存在する。腰の曲がった老人や、若い夫婦、果ては魔法の使えないマグルまで――。

 本来魔法界に滞在することのできないマグルまでが、どうしてホグワーツ城にいるのか。

 早い話が、今日は一年に一度きりの授業参観なのである。

 ホグワーツでは、イースター休暇前に授業参観が行われる。生徒の保護者であれば誰であっても参加可能で、マグルでさえ、近年では生徒の保護者であれば参加可能になった。

 生徒の親は、そのほとんどがホグワーツ出身で、となると、この授業参観自体も懐かしの母校を訪れる非常に貴重な機会で、このイベントは全ての保護者に大人気だった。

 それにしたって、今年は例年以上の騒がしさだ。その理由は単純明快。一体どこから漏れたのか、ホグワーツにハリー・ポッターがやって来るというのだ。

 これまでは、問題児たるジェームズや思春期のアルバスが両親の参加を嫌がったり、はたまたハリーの方も仕事が重なって行けなかったりと、一度も授業参観には参加することができなかった。だが、今年ばかりは違う。アルバスとも仲直りしたハリーは、今度こそ授業参観に行くべく何ヶ月も前から周囲に触れ回り、そして同時に早くから仕事を片付けていき、この華々しい参加にこぎつけることができたのだ。

 とはいえ、混乱を避けるため、ハリーは時間ギリギリに行く予定だった。その逆で、緊張と楽しみ故に早く来すぎてしまったのはマルフォイ夫婦だ。二人が教室に入ってくると、室内はざわついた。それもそのはず、二人は去年から今年にかけて新聞の一面を大いに飾った人物たちで、かつ片方の容貌は自分たちのよく知る同級生にそっくりなのだ。

 有名人の登場に、隣の友人に話しかけるコソコソ話は囁きの度合いを通り過ぎ、いっそ騒がしい。彼らの興奮した声は、もう一つのプラチナブロンドにも届いた。

「お父さん、お母さん!」

 喜々として振り返ったレギュラス・マルフォイは、幸せ一杯の空気を溢れ出しながら振り返った。

 今日の主役の生徒たち――彼らはもう十五歳になる。にもかかわらず両親に向かって輝かんばかりの笑みで手を振る生徒は、残念ながらレギュラスしかいなかった。女子でさえ多感な時期にあるため親に手を振るなどという豪胆さを持ち得ている者はいない。

 レギュラスの隣のアルバスですら、少し恥ずかしそうにしている。彼はハリエットとドラコに小さく頭を下げると、すぐに前を向いた。彼がレギュラスのローブを引っ張っていなければ、おそらく彼は両親の下へすっ飛んでいったことだろう。そうならないで良かった。この後すぐに更なる有名人がやって来たからだ。

 燃えるような赤毛の男性と、綺麗にまとめられた長い栗毛の女性。二人は仲良く連れ立って教室へやって来たが、すぐに囁き声・・・の洗礼に困惑することになる。

「魔法大臣だ!」
「ハーマイオニー・グレンジャー!」
「今はウィーズリーだ」

 誰に言うでもなくロンは不機嫌そうに呟いた。ハーマイオニーは苦笑しながら彼の脇腹を小突く。

 二人の娘、ローズ・ウィーズリーは、徐に振り返ると、両親に向かって控えめに微笑んだ。間違ってもレギュラスみたいに手を振ったりはしない。そうしたい気持ちはあれど、さすがに同級生の前では恥ずかしいのだ。それが普通の感覚だ。

 ようやく少し教室内が落ち着いたかと思われた頃、更に爆弾が投下された。魔法界の英雄、ハリー・ポッターの登場だ!

ハリー・ポッター!!
「サインしてください!」
「握手、握手!」

 もはや教室内は阿鼻叫喚だ。生徒たちは我先にとハリーの下に駆け込み、握手してもらうのだと右手を差し出す。自分の両親ですら気恥ずかしそうにしていたくせに、ハリー・ポッターともなると、途端にミーハー心が思春期の壁をぶち壊してしまうらしい。

「僕の父さんなのに……」

 目を合わせる暇もなく埋もれてしまった父親を見て思わずアルバスは呟く。レギュラスはカラカラ笑った。

「君も混じってきたら?」
「冗談止めてくれよ!」
「じゃあ僕が行こうかな」

 アルバスは目を剥いてレギュラスを見た。当のレギュラスは至って真面目な顔をしていた。

「僕、よく考えたらハリー伯父さんと握手したことないし、サインだって持ってない……」
「本当に止めてくれ!」

 アルバスが悲鳴を上げるのと、ガラガラと音を立てて教室の扉が開くのは、ほぼ同時だった。皆が反射的に入り口の方を見やる。

 そこに立つのは、くるぶしまで伸びる漆黒のマントを身に纏った男だった。目元や髪に年齢を感じさせはするものの、刻まれた眉間の皺や視線の鋭さは相も変わらず健在で。

 ――生徒のみならず、その両親までもが、半ば無意識のうちに背筋を伸ばした。彼らのほとんどがホグワーツ出身であるというならば、何を隠そう、すなわち漏れなく彼の授業を全員受けたということで、更に言えば、ここにいるハリー・ポッターと在学期間が被った者も数多く――。

 スネイプは静かに辺りを見回す。授業開始の合図がなったにもかかわらず、過半数の生徒が席についておらず、それどころか騒ぎ倒し。そしてその騒ぎの中心はハリー・ポッター――。

「ああ、さよう」

 生徒の保護者は、授業参観のふくろう便を受け取ったとき、誰しもが思った。どうして、どうして年に一度の授業参観がこの人の授業なのだと。微笑ましく我が子の授業を観覧するつもりが、こちらまで緊張の糸を張り詰めるような思いをしなければならないのか――。

「ハリー・ポッター。我らがスターだ」

 ハリーは何とか微笑みのようなものを浮かべた。どういう感情でこの台詞を受け取ればいいのか分からなかった。嫌味と受け取ればいいのか、スネイプなりの歓迎と受け取ればいいのか――いや、やっぱり後者はあり得ないだろうか――。

「席につけ。ハリー・ポッター殿のサイン会は授業の後でやっていただこう。それとも、我輩の授業よりもご自分のサイン会の方が貴重だと、そう仰りたいのですかな?」

 やっぱり飛び火が来た。ハリーはピッと背筋を伸ばした。

「いいえ、とんでもないです。すみません、授業開始の音に気づかなかったんです。失礼しました、スネイプ教授」

 そつなく頭を下げるハリーに、スネイプは鼻に皺を寄せるだけで、何も言わなかった。そのまま不機嫌そうに教卓へと向かう。

「スネイプ先生もハリー伯父さんのサイン欲しいのかな?」
「マルフォイ、授業に関係のない無駄口を叩くのは止めてもらおう。スリザリン一点減点」

 アルバスにだけ聞こえるように囁いたはずのレギュラスの声は、シンと静まりかえった地下牢教室によく響いた。そしてスネイプの早速の減点を告げる声も。

 ロンはツボに入ったのか、変な風に笑いを誤魔化した。

「ンンッ、これは傑作だ。レギュラスには後で蛙チョコレートを贈ろう――」
「ミスター・ウィーズリー、次に無駄口を叩いたら教室から出て行っていただく」
「ハイ」

 ローズとハーマイオニー、二人ともどもにまで睨まれ、ロンは大人しく頭を下げた。

 多少のごたつきはあったものの、授業はつつがなく開始された。数段高い位置から見下ろすスネイプの姿に、生徒のみならず、保護者までもが空気を張り詰めさせる。

「今日は頭冴え薬を調合する。効能と調合の際注意すべき点は?」

 すかさずローズがピンと手を上げた。天井から吊り下げられているのではないかと見紛うほどのその真っ直ぐな腕は、かつてのハーマイオニーを彷彿とさせる。ロンは確かに見た。隣のハーマイオニーが、ローズと全く同じタイミングで右手をピクリと動かしたのを。

 だが、例によって、スネイプの視界にはグリフィンドール生は映っていないようだった。スネイプはポリー・チャップマンを指名し、彼女は若干拙いながらも、見事三点の加点を獲得し、嬉しそうにチラチラ後ろを見た。もちろん、ライバルであるローズの方を得意げに一瞥するのも忘れない。ローズは悔しそうに歯噛みした。

「スネイプの贔屓は健在って訳か」

 ロンが悔しそうにギリギリ歯ぎしりを立てる。

「うちのローズだったらもっと完璧に答えられたのに……」

 その次も、頭冴え薬の開発者や歴史など、いくつかの質問が投げかけられ、当てられた生徒が答えていく。簡単な質問はスリザリン生へ、難しい質問はグリフィンドール生へ、といった地味にいやらしいところは昔と変わっていない。とはいえ、ローズはそのどれもに真っ先に手を上げていたが、颯爽と完璧に答えられるのは癪なのか、スネイプは一度たりとも彼女を当てることはなかった。

「よろしい。では最後に、調合のための材料を述べよ」

 嬉しそうに父親の方を振り返るスリザリン生に三点加点すると、スネイプは最後の質問を口にした。真っ先に挙がった手は三つ。ローズとヤン・フレデリックス、そしてレギュラス・マルフォイだ。

 スネイプは、しばし逡巡した。だが、も自寮の生徒であることに変わりはない。スネイプは仕方なしに口を開いた。

「では、マルフォイ」

 保護者の幾人かが息を呑み、そして当のレギュラスも、ガタガタッと音を立てて起立した。――別に立たなくても良かったのだが。

「あー、あの、えっと……」

 レギュラス・マルフォイは、見事青白い肌を真っ赤に染め上げ、声を上ずらせていた。

「ね、根生姜と、タマオチキョッ――タマオシコガネと、アリュマジ……アリュ、アルマジロの胆汁と……」

 ――誰がどう見ても、レギュラスは緊張の最高潮にいた。

 スネイプは思わず天井を仰ぐ。

 当ててほしいと顔を輝かせてこちらを見てきたくせに、いざ当てたら緊張のど真ん中にいるとは一体どういうことだ! せめて心の準備をしてからあの顔をしろ!

「イモリの脾臓です!」

 ようやく全て言い終えたレギュラスに、生徒や保護者、スネイプまでもがホッと息を吐き出した。レギュラスも、盛大に噛み噛みだったことなど頭から吹き飛び、加点されることを微塵も疑わない顔でスネイプのことを見上げている。スネイプは渋々声を押し出した。

「――よろしい。スリザリン五点」
「ありがとうございますっ!」

 パアッと満面の笑みを浮かべ、レギュラスは後ろを向いた。レギュラスそっくりに破顔したハリエットと口元を緩めたドラコがうんうん頷いて息子を讃えている。

 親馬鹿な光景は見なかった振りをして、スネイプは調合の開始を告げた。

 一人一人が大鍋と材料を用意し、まずは乳棒でタマオシコガネをトントンと潰し始めた。スネイプはその様を教室を練り歩きながら観察していく。時々教室の隅で爆発が発生することもあったが、珍しく小言の二、三で止め、罰則は勘弁することにした。生徒のみならず、今日は保護者からのブーイングも考えられ得る。授業を進行するので手一杯なスネイプは、さすがに彼らまでをも相手取ることは難しいと考えたのだ。

 基本は静かに進行する授業中、教壇に立つスネイプからは、後方の扉がスーッと開いていく様はよく見えた。そこから澄ました顔で身を滑り込ませてきたのはシリウス・ブラックで、気持ち悪いほどバッチリ視線がかち合う。二人は同時に視線を逸したが、内心はムカムカである。スネイプは、己が教鞭を執っているこの場に天敵がやってくること、シリウスは可愛い孫たちの授業参観がよりにもよってスネイプの授業であることに、だ。

「今日は来られないんじゃなかったの?」

 しかめっ面で隣にやって来たシリウスに、ハリエットは驚いて囁き、尋ねた。

「運よく早く仕事を終わらせることができてね」
「部下に押しつけてきたの間違いじゃないの?」

 からかい混じりにロンが尋ねれば、シリウスは簡単に尻尾を出した。

「今日は絶対に休みを取ると宣言していたのに、問題を起こす輩が悪いんだ」
「ミスター・ブラック」

 ため息と共にスネイプはジトリとシリウスを睨みつけた。

「ここは君の家ではない。神聖な授業の場だ。その馬鹿でかい声をしばし潜めることを覚えていただきたい」
「これはこれは失礼した、スネイプ教授。あなたの陰険な声があまりにも小さくて聞こえなかったものだから」
「年齢を考えれば耳が遠くなるのも仕方あるまい。そろそろ引退を考えてはいかがかな?」
「それをお前に言われるとは! 一体何人の生徒がお前の辞職を待ち望んでいるだろうな」
「それはこちらの台詞だ。いつまでも闇祓いの席に居座って口うるさく教え説かれる君の後輩には心から同情する」
「――お二人とも、今は授業中です」

 ピシャリとハーマイオニーが言い放った。さすがは魔法大臣の貫禄だ。くだらない言い争いに緩み始めてきた空気が元通りになる。スネイプは空咳をした。

「さよう、今は授業中だ、皆なぜ手を止めている?」

 自分の失態などなかったことにして、涼しい顔でスネイプが言えば、生徒は慌てて調合を再開する。だが、静かになったのも束の間――。

ポッター!

 突然の名指しにビクッと身体を震わせたのは三人。言うまでもなく、アルバス・ポッター本人と魔法界の英雄ハリー・ポッター、そしてポッターであるハリエット・マルフォイ――。

 「ポッター」ではないレギュラスもなぜか盛大に身体をビクつかせていたが、いつものことなので問題ない。

「君は字が読めないのかね? 根生姜を入れるタイミングはなんと書いてある?」
「アー……間違えました」

 教科書を読み直し、アルバスは気まずさに鍋をかき回した。スネイプとシリウスの程度の低い口論に笑いを噛み殺していたら、すっかり調合が疎かになってしまっていたのだ。スネイプはやれやれと首を振る。

「君の魔法薬学の腕前は、残念ながら父親の遺伝だろう」
「僕もお父さん譲りだよ」

 レギュラスがよく分からないフォローをするが、アルバスとハリーの面持ちは複雑だ。自分を貶したいのか、息子を貶したいのか――いや、両者ともに決まっているか。

 そんなこんなで、いつもと違ってどうにも集中しきれない授業が幕を閉じた。出来が悪かった生徒には二倍の課題が出され、その中の一人にもれなく選出されてしまったアルバスは特に落ち込んだ。サインを欲しがる生徒の山をかき分け、ハリーは息子の肩を叩いた。

「気にするな。私も魔法薬学は苦手だった」
「少しは気にしていただきたいものですな。もうすぐOWL試験だ。この調子では、来年の魔法薬学の継続は夢見ることすら叶わないだろう」

 すれ違い様、決してポッター親子に対して嫌味を忘れないスネイプ。だが、「ハリー・ポッター!」と口々に叫ぶ生徒の山で思うように先に進めずに苛立っているようだ。その様が、まるでハリーのサインを欲しがる列に並んでいるように見えて。

 ロンは軽口を叩かずにはいられなかった。

「割り込みは駄目ですよ。ちゃんと列に並ばなきゃあ」
「ウィーズリー、調子に乗らないでいただきたい」

 冷ややかな視線に射貫かれ、ロンは早速後悔した。

「フィルチさんのつけている記録簿を君の娘に見せましょうかな? 君が過去にどんな罰則を受けたか、余すことなく知ることができるだろう」
「私が悪かったです」

 白旗を上げるロンを一瞥して去って行くスネイプに、押し寄せる生徒の山でついに姿が見えなくなったハリー。まだまだ授業参観は始まったばかりだった。