■小話

06:幸福の訪れ


月様
リクエスト

 幸か不幸か、ハリエットはあまりドラコの職場に来たことがない。それは、幸せなことにハリエット自身や身の回りの人に大きな怪我や病気がなかったためだ。

 内心では、癒者として働くドラコを遠目からでも眺めてみたいと思うことは多々あった。それがこんな形で叶うとは思いも寄らずに。

 その日、確かにハリエットは聖マンゴ病院を訪れていたが、どちらかというと、ドラコには会いたくなかった。診察を終え、さあ帰ろうかとなった時も、キョロキョロ辺りを見回し、ちらとでもドラコのプラチナブロンドが視界を横切らないかと注意していたのだ。

 だが、子供の察知能力と反射神経、声の大きさには、さすがのハリエットも敵わなかった。

「パパだ! パパ、パパ〜!」

 きゃっきゃと喜びの声を上げ、レギュラスは途端に駆け出した。今まで大人しくちょこちょこ隣を歩いていたのが、突然ハリエットの手を振りほどいて走り出してしまったのだ。最近力も強くなってきていると思っていたが、レギュラスはもともとのんびりしている子なので、突発的な行動はないだろうと高をくくっていたらこれだ。ハリエットは一瞬ヒヤリとしてしまった。

「パパ〜〜」

 レギュラスはよじよじとドラコの足にしがみつき始めた。まるでコアラのような光景に通り過ぎていく人々がクスクス笑っている。

 息子にくっつかれ、思うように動けないドラコは、ヘラヘラと笑うレギュラスを抱き上げた。顔を上げ、少し見回してハリエットに気づくと、微笑んで歩いてくる。

 だが、歩いてくるまでに、ここがどこであるかを思い出したようで、徐々にその顔が心配そうに陰り、ようやく目の前に来たと思ったら、開口一番に尋ねた。

「こんな所でどうしたんだ? 何かあったのか?」
「あの……その、ね」

 途端にハリエットは口ごもる。

 だから、今は会いたくなかったのだ。今日家に帰ってきたら、と思っていたのに。こんな往来では落ち着くのも落ち着けない。もっと雰囲気がある時――いや、せめて食事中であれば落ち着いてタイミングを計ることができるのに。

 両親の沈黙などいざ知らず、レギュラスはドラコのローブを使って一人隠れんぼをしている。ローブから出たり入ったり、足下に絶えず風が起こり、ドラコは落ち着かないはずだが、彼は気にもしていないようだった。

 それを見ていると、何となく肩の力が抜けて、ハリエットは笑ってしまった。そしてただ黙ってお腹を撫で、ドラコを窺い見る。

えっ!?

 ドラコはハリエットの顔をまじまじと見つめ、そしてお腹を見た。それを何度か繰り返し――やがてハリエットの手を両手で掴み、隅に寄ろうとしたが、途端に妻が身重であることを思い出し、そろそろと歩みが遅くなった。

「もう診てもらったのか?」
「ええ。二ヶ月ですって」
「二ヶ月……」

 目を細め、ドラコはハリエットのお腹を撫でた。まだ膨らんでもいない平らなお腹だ。ここにもう一つの命が宿っているなんて不思議な気持ちだ。

「今日は絶対に早く帰る」

 ぼうっとした様子でドラコが宣言した。

「シリウスには?」
「まだ。家に帰ってきてから報告しようと思って」
「でも、今日も遅くなりそうだな。何時になるか……」
「早く帰って来てって甘えるつもり。そんなこと言ったことないから、早く帰ってきてくれるかも」

 茶目っ気のある言い方をするハリエットにドラコは閉口する。そりゃあそんな言い方をされたらすっ飛んで帰ってくるだろう。というより、正直に言って羨ましい。

「僕には言ってくれないのか?」

 ドラコはジトッとハリエットを見やる。

 こうなってくると、ハリエットとシリウスの方がよっぽど夫婦のようだ。思い返してみても「早く帰ってきてほしい」なんて甘えられた記憶はドラコにはない。

 ハリエットはちょっと口ごもり、目だけで周りを見渡した。こちらを見ている人はちらほらいる。だが、あくまで知らない人ばかりだし、声までは聞こえないだろう。

「早く帰ってきて……?」
「もちろん」

 期せずして上目遣いになってしまったが、何はともあれ、ドラコはすっかり機嫌を直したようだ。それどころか、レギュラスにまで「早く帰ってきてほしいか?」と尋ねている。

「うん! うん! パパ、帰ってきて!」

 スネイプすら認めるだろう百点満点の答えに、ドラコは零れるような笑みで息子の頭を撫でた。

 ぶんぶん両腕を振る息子と控えめに手を振る妻に見送られ、ドラコは病院の奧へ消えた。レギュラスはまたご機嫌にハリエットの手を握る。

「レグ、どうして私たちがパパの所に来たのか分かる?」
「んー?」
「ママね、赤ちゃんができたの。レグに弟か妹ができるのよ」
「おと……いも……?」
「レグにはまだ少し早かったかしら」

 レギュラスは小難しい顔で唸っている。ハリエットは笑って息子の眉間をつついた。

「レグがお兄ちゃんになるのよ」
「おにい?」
「ジェームズとアルバスみたいな」

 それでようやく合点がいったのか、レギュラスは繋いでいるハリエットの手を嬉しそうにぶんぶん振った。ハリエットは笑い声を上げる。

「嬉しい?」
「うん!」

 元気よく頷くレギュラスに、ハリエットは温かい気持ちが込み上がってくるのを感じた。

 ずっと、賑やかで温かい家庭を作りたいと思っていたのだ。だから、二人目ができたかもしれないと思った時はとても嬉しかった。

 つい二月前も、ハリーのところに三人目ができたという吉報を受け取ったばかりだ。親戚含めて、きっと大いに騒がしくなるだろう。だが、それは嬉しい悲鳴だ。かつての辛く寂しい記憶を吹き飛ばすくらいの明るい家庭を築くのだ。