■呪いの子 小話

05:心中察するに



*呪いの子本編後 ホグワーツにて*


 長らく教師生活を送っていると、騒ぎが起こりそうな気配というのは、敏感に感じ取れるようになってくる。

 地下にある地下牢教室へ向かっていたスネイプは、己の鉤鼻が微かに焦げ臭いを嗅ぎ取ったのを悟り、くるりと踵を返した。眉間には深い皺が一つ増え、彼の表情を見たスリザリン生以外の生徒は、皆恐怖におののいた――。

「ジェームズ・ポッター」

 現場にいたのは、スネイプの予想に反さず、くしゃくしゃな黒髪の少年だった。ゲッと遠慮なく顰められる彼の顔に、スネイプは至上の愉悦と共にニタリと笑む。

「こんな所で何をしておいでかな? 大量のクソ爆弾を手に……」
「あ、いや……これは……」

 ジェームズはにへらっと笑う。

「ピーブズと対決しようとしたんです。あいつ、この前フィルチに告げ口したから――」
「グリフィンドール十点減点」

 自分から聞いたくせに、スネイプは最後まで聞かずに減点を宣言した。途端に面白いくらいにジェームズの顔が歪む。

 愉快なことよ。これがあるから、教師生活も悪くないと思える。

 スネイプが踵を返した途端、ジェームズがべっと舌を出したのを、彼は窓ガラス越しに気づいていた。だが残念。ジェームズはそれ以上文句を言ってくることはなかった。

 至極残念だ。更に楯突こうものなら、ちょうどいい罰則も用意していたのに。

 ――こうして幾度となくジェームズ・ポッターの相手をしていると、いかにハリー・ポッターの内面が母親似であったかが窺える。生き写しというのは、まさにこのジェームズ・ポッター二世のことを言うのだろう。会ったことがないはずなのに、同じ名前を与えられた所以か、ジェームズは彼の祖父ジェームズ・ポッターに瓜二つだった。見た目もさることながら、傲慢で自意識過剰で目立ちたがり屋な性格。おまけにこちらの神経を逆なでするような繊細さの欠片もない態度が、まさにスネイプの天敵ジェームズにそっくりだった。

 外見に惑わされ、スネイプはハリーを偏見の目で見過ぎていたと、今なら少し冷静になってそう言える。

 学生時代の最も嫌悪すべき対象の一人、ジェームズ・ポッター。彼が己の最愛の人を妻とし、そして生まれ落ちたのが、ハリーとハリエット・ポッター。特にジェームズに瓜二つのハリーには、スネイプは並々ならぬ憎しみを抱いていた。外見もそっくりならば、問題ごとばかりを起こすところもそっくり。ハリーがどんな言い訳を並べ立てようと、スネイプは聞く耳持たなかった。反抗してこようものなら、やはりお前はジェームズ・ポッターの息子だと更に厳しく接した。

 だが、結局のところ、二人はまったくの別人だった。ジェームズは、己に礼を述べたこともなければ、謝罪したこともない。更に言えば、天地がひっくり返ったとしても、自分の息子のミドルネームにスネイプのファーストネームを与えようとはしないだろう。

 思い返してみれば、少なくとも、ハリーはクソ爆弾片手に校内を走り回りはしなかったし、学校中のトイレを逆流させたり、廊下に落とし穴をこさえたことはなかった。比較対象がおかしいのかもしれないが、彼が自ら問題ごとを起こすことはなかった。もちろん、降って湧いた事件に対し、己の力を過信し、並々ならぬ正義感を以てして自ら首を突っ込みに行くようなところは気にくわなかったが。

 とはいえ、それも彼の境遇を思えば仕方のなかったことなのかもしれないと、あれから更に年を重ねたスネイプはそう考え直していた。ハリーの子供がホグワーツに入学してくるような年になると、さすがのスネイプも、ハリーをきちんと個人として捉えることができていたし、彼の父ジェームズに対する憎しみも、ぼんやりと形を崩し、矛先を失ったまま持て余すこととなった。

 今でも、時折思い出したかのようにふつふつと腹の底から憎しみが湧き上がってくることはあれど、毎日ではない。なんと言っても、彼はもう死んでいるのだ。彼の息子の成長を、己が代わりに見ていたのだと思えば、哀れみこそすれ、更なる憎しみが生まれてくることはない。――とはいえ、顔も性格もジェームズ・ポッターそっくりなジェームズ二世がしでかす悪戯の数々に、埋もれかけていた憎しみが日々ぐつぐつと沸き立っていてはいたが、今ここでは言及しないでおく。

 授業開始のチャイムと共に、スネイプは地下牢教室に入った。少しざわついていた生徒たちが、スネイプの姿を見て声を潜め、心なしか背筋も伸びる。

「まずはレポートを回収する。未提出の者は十点減点」

 杖を振るい、スネイプは各所からレポートを回収した。あちこちから絶望の声が上がるが、全て無視だ。

「今日は安らぎの水薬を調合する。OWL試験にも課題としてよく出される魔法薬だ。不安を鎮め、動揺を和らげる効果があるが、成分が強すぎると飲んだ者は深い眠りに落ち、そのままになることもある……。最後には身を以て自分たちが調合した魔法薬の成果を試してもらう。目が覚めたら五学年が終わっていた、なんてことにならないよう心して調合に取りかかるように」

 五年生にもなると、二人一組の組み合わせは、大体いつも見慣れた組になる。それにしたって、スリザリンのレギュラス・マルフォイとアルバス・ポッターが組むのは一年生の時から変わらない。今時珍しいくらいの友情の固さなのだ――いや、そもそもこの二人は去年逆転時計を盗み出し、危うくヴォルデモートを復活させるところだったのだ。そんな大事件を引き起こしておいて、更に強固な絆が生まれないわけがない。いざ調合する時になっても、素晴らしい阿吽の呼吸で、五年生になって更に複雑になった過程をスムーズにこなしていく。

 レギュラスは手先が器用で、その材料の特性に適した調合や加工ができる。父親から学んだのか、魔法薬の知識にも秀でており、更に発展的なアイデアを出すこともままある。奇抜になりすぎて失敗しそうになることもあるが、そこはアルバスの出番だ。さすがにやり過ぎだと軌道修正する光景もよく見られる。

 アルバスは、魔法薬に関して好奇心旺盛なレギュラスの手綱を握ったり、考えすぎてぼうっとしている彼をうまく御したりしている。これがなかなか侮れない役目で、天然を地で行く彼を一発で現実世界に引き戻すことは、おそらく彼の両親ですらできないのではないかと思われる。

 とまあ、今回もその二人がタッグを組み、安らぎの水薬を調合したのだが、月長石を入れるタイミングをずらしてみるアイデアは功を奏したようだ。美しい銀色の湯気が立ち上り、完成だ。レギュラスはそれを自信たっぷりにガラス瓶に詰め、スネイプに差し出す。なぜか褒めて褒めてと言いたげな顔をしていたが、スネイプはこれを無視する。

「――よろしい、オーだ」

 見まごう事なき完璧な調合に、さすがのスネイプも私情を挟むことなどできなかった。パッと晴れやかな笑みを浮かべ、レギュラスが嬉しそうにアルバスを小突いた。教師の前だからとアルバスはさすがに自重するようレギュラスを突つき返している。

「僕、お父さんに相談したんだ。スネイプ先生からなかなかOがもらえないって。そうしたら、スネイプ先生は、今までの授業の応用を入れ込んだら点数をくださるだろうって言ってくれて」

 レギュラスはアルバスにだけ囁いているつもりだろうが、バッチリスネイプにも聞こえていた。

 ――どうやら、今回は元教え子のドラコにしてやられたようだ。

 スネイプは呆れにも諦めにも似たため息をついた。

 確かに、言われてみればこの魔法薬の出来はドラコのものとよく似ている。これまでの授業を忘れてないですよ、ちゃんと復習してますよと、ドラコはこれまで明言しないまでも、調合過程で訴えてきていたのだ。ドラコの、そういったスリザリンらしい狡猾なところも気に入っていた。にもかかわらず、その息子のこの少年はどうにも間が抜けている。

 母親ものほほんとしているきらいはあったが、レギュラスはそれ以上だ。ドラコ・マルフォイの臆病なところと、ある意味では純粋なところ、そしてハリエット・ポッターの底抜けのお人好しと疑うことを知らないところが掛け合わされた結果、なぜか人畜無害の最高峰を極めた少年がこの地に生まれ落ちた。いや、だが、ある意味では有害極まりない。彼は、ことあるごとにその天然を発揮してスネイプを返り討ちにしてきたからだ。実際、スネイプが彼に嫌味を吐けば、嫌味を嫌味とも受け取らないレギュラスによって、二倍にも三倍にも返ってくる。

 おまけに、スリザリン生でありながら、彼が心優しく、無害であるということは、数年も経つと、ホグワーツ中に知れ渡っていた。だからこそ、スネイプが喜々として彼に小言を言っていると、まるで小動物をいじめているような光景になり、グリフィンドール生やハッフルパフなど、正義感に溢れた生徒たちが異を唱えてくるのだ。

 ついこの間まで、死喰い人の子供だとか、継承者の子供だとかでからかっていたくせに、魔法大臣によるマルフォイ夫婦の本が出版されてからは、その娘、息子を見る皆の目が変わったのだ。好意的になったし、同情的になったし、何より見守るような温かさを孕むようになった。彼を色眼鏡で見なくなったからこそ、「レギュラス」自身を見るようになり、結果、彼が近年まれに見る人畜無害な少年であることが知れ渡ったのだ。だからこそ、他寮の生徒を、まるで保護者のような立ち位置で味方に付けたレギュラス・マルフォイは、スネイプにとって全く以て厄介極まりない存在だった。

 というか、後輩をも保護者としての地位を確立させるようなレギュラスの守ってあげたくなるような空気感がスネイプはどうしていいか分からない。今までにない人種だ。ヴォルデモート現存の闇の時代においては真っ先に淘汰されてしまうだろうほどの弱者。だが、だからこそ今の平和な時代においては、何よりも大切にされる存在となってしまったのだろうか。

「だが」

 若干寄り道をしかけていた思考を元に戻す。レギュラスとアルバスの表情が固まった。

「勝手にカノコソウを一グラム入れたことはいただけない。何か確信あってのことか?」
「確信という程では……。前に、カノコソウは筋肉を弛緩させる効能があると聞いたことがあるので、もしかしたらもっと効果が強まると思ったんです」
「魔法薬は思いも寄らぬ結果を生み出すこともある。我輩は言ったはずだ、最後にお前たち自ら試飲してもらうと。もしこれがとんでもない毒薬に変わっていたらどうするつもりだ?」
「でも、スネイプ先生なら気づいてくださるでしょう? もしとんでもない毒薬に変わっていたとしても、気づいて止めてくださいますよね?」
「……そういう問題ではない。もし我輩が気づかなかったらという話だ」
「スネイプ先生なら絶対に気づくはずです!」
「…………」

 そういう話ではない、と再度スネイプは言いたかった。だが、絶対に気づくはずだと曇りなき眼で真に訴えてくるレギュラスに、スネイプはそれ以上難癖をつけることなどできなかった。顔を片手で覆い、もう一方の手でヒラヒラ振って追いやる。まだ彼らは一組目。この面倒くさいやり取りの間に、二人の後ろには長々と列ができていた。他に出来を見なければならないものが山ほどあるのに、いつまでもレギュラスを相手にしているわけにはいかない。

 頭を下げ、席に戻ろうとする二人だが、帰り際、アルバスが思わずと呟く。

「やっぱり僕たちにだけ当たりが強いよ」
「ポッター、我輩の総評に問題がおありかな?」

 スネイプがジロリと睨むと、途端に姿勢を正してぶんぶん首を振るポッター家次男――彼においても、スネイプが複雑な感情を抱く相手の一人だ。特に複雑極まりない。アルバス・セブルス・ポッター――ミドルネームに、己の名前が入っているなどと。

 ハリー・ポッターに対しては、彼が在学中、些か意地悪をやり過ぎたという自覚はあった。彼も彼で、そうなるべき仕方のない生意気な態度を取っていたことは否定できないが、しかし、それ以上に自分が大人げない態度を取っていたことは事実だ。にもかかわらず、いくらスネイプが影ながら彼を助けていたとはいえ、そのことに感謝し、それまでの禍根など一切忘れたかのようにスネイプの名を子供に授けたことに、驚きと困惑を隠せない。

 肩をすくめつつも、スネイプは次々に生徒の魔法薬を評価していった。――どうにも、今日は全てにおいて集中できない。スネイプの感情を激しく揺さぶる生徒たちにはもう慣れたはずなのに。

 やっとの思いで授業を終えると、スネイプは次の授業の準備を始めた。どういう因果か、次の授業は――。

「うわあ、次はアリエスたちが授業なんだ。頑張ってね!」
「ええ!」

 ニパッとそっくりな笑みで笑い合うマルフォイ家兄妹。

「スネイプの授業はどう? 嫌がらせされてない?」

 そんな中、心配そうに問いかけるのはアルバスだ。声を潜めているようだが、残念、聞こえている。あの少年は学習するということを知らないのか。スネイプの眉間にまた一つ皺が寄った。

「ううん、そんなことないわ。優しくしてくださるの」
「減点されたことなんてないのよ!」

 えへんとアリエスとリリーが胸を張る。アルバスはぽっかり口を開けた。

「まさか! グリフィンドール嫌いのスネイプが?」
「アリエスもリリーも魔法薬学が得意なんだね!」

 レギュラスが天真爛漫に褒め称える。――きっとそういう問題ではないとアルバスは思った。あのスネイプが、薬学が得意だからという理由だけで減点しないわけがない。自寮の生徒なのに、自分たちが今まで何点減点されたか、レギュラスだって忘れたわけではないだろうに!

「お父さんにたくさん教わってるから、そのせいかもしれないわ」

 嬉しそうに顔を綻ばせるアリエスには申し訳ないが、アルバスは何かもの言いたげにスネイプを見つめた。

 ――スネイプは、彼のこういうところが嫌いだった。悪戯大好きの問題児というわけではないのに、自分がこうと思ったことに関しては教師にでさえ面と向かって刃向かってくる頑固さ。大人しく従った振りをして従順になれば良いものを、決して己を曲げたがらない。そういう姿は、スネイプのいびりやアンブリッジの勢力にも決して屈しなかったハリーとよく似ていると思う。芯がしっかりしていると言えば聞こえは良いが――要は、生意気なのだ。自分のしていることが正しいと思って疑わないのだろう。やり方を変えることをしようとしない。

 きっと、アルバスはスネイプがリリー・エバンズそっくりのこの二人を贔屓していると思っているに違いない。が、スネイプは否定もしないし、肯定もしない。アルバスにどう思われようと、己は痛くも痒くもないのだから。

 ただ、彼女たちに対し、少しだけ態度が甘くなるのは、スネイプにとって致し方ないことだ。赤毛の少女が二人――しかも、彼女たちの名前は、リリー・ルーナ・ポッターと、アリエス・リリー・マルフォイ……。リリーの名前がそれぞれついている。まるでリリーの双子がいるようで、それはそれでスネイプの心をざわつかせて止まないのだ。

「そういえば、ジェームズがこれアルバスにって」

 不意に思い出したようにリリーは本を取り出した。薬草学の本だ。

「ジェームズが借りっぱなしになってたって」
「借りっぱなしって……これ、いつの間にか無くなってたやつだ!」

 憤慨してアルバスは本を受け取る。紛れもない、半年ほど前からアルバスの本棚から姿を消していたものだ。

「やっぱりジェームズが勝手に持って行ってたんだ! 前に僕が聞いたのに、あの時はしらばっくれて!」
「悪戯に使いたかったって言ってたわ」
「せめて直接返してきなよ! 妹をふくろう扱いして、全く……!」

 ――この子たちを見ていると、随分平和な時代になったものだと痛感する。減点などものともせずに悪戯しまくる悪ガキに、あくまでマイペースを貫く平和主義のスリザリン生、余りある愛情を受けてすくすくと育った素直な少女たち。

 本来は、彼らに囲まれて彼女もこの世にあるべきだった。しかし、現実は非情なものだ。勇敢に戦い、守った彼女は命を奪われ、その原因の一端を担った男が、彼らを教え導く立場にある。

 あの日、全てが終わった後、スネイプは教職に戻るつもりなどさらさらなかった。だが、どういう因果か、今もまだなおホグワーツにいて、小生意気な生徒に減点を食らわせる日々。

 病室で目覚めた時、自分の役目は全て終わったと感じていた。むしろ生きていることに空しさすらあったかもしれない。

 本当は、退院した後は、誰にも何も知らせずにひっそり隠居し、魔法薬の研究でもしようと思っていた。にもかかわらず、そうなっていないのは、新校長の熱心な勧誘や、どこぞの後見人の挑発、澄ました顔で馴れ馴れしく微笑みかけてくる元同僚の説得あってのことだ。気がついたらホグワーツに立ち、教鞭を執っていたのだから、さすがにあの頃は病み上がりでどうかしていたのだとしか思えない。

 ただ、一度やると言ったからには、半端は許せない。途中で教職を降りることはスネイプの道義に反する。彼女の代わりに見守っているに過ぎないのだ。まだまだ未熟なこの子供たちがホグワーツを旅立っていくその時までを。

「グリフィンドール十点減点。いつまで立ち話をしているつもりかね? 君たちの耳には授業開始のチャイムが聞こえなかったのですかな? ――ああ、さよう。君たちは次の授業がないと、そう言いたいのだな、ポッター? だが、この教室では次も変わらず授業が行われる。君を中心に世界が回っているわけではないことをご理解いただこう」

 ――思っていた以上に似ていなかったあの子たち、思っていた以上に似ていたこの子たち。可能な限り見守り続けよう。時間が経ってもなお色褪せないこの想いと共に。