■アフターストーリー

09:復学後初日


 夏の間にだらしない生活をしていたつもりはないのだが、翌朝、ハリエットは少しだけ寝坊してしまった。制服に着替えたハーマイオニーに呆れられるほどなかなか起きられなかったのだ。

「初日から遅刻なんて恥ずかしいわよ」
「そうね。首席の友達が遅刻なんて……」
「からかわないの!」

 本心からの言葉だったのだが、ハリエットは軽く睨まれてしまった。

 察するに、昨夜、ロンは首席バッジをもらえたことを褒め称えた――もちろんロンはからかうつもりでもなんでもなく、本気で喜んでいたのだが、気恥ずかしかったのか、ハーマイオニーは「からかっている」と断定することに決めたらしい。

 ロンが素直になっている分、ハーマイオニーも素直になれば良いのにと思う一方で、これがハーマイオニーらしいなとも思うので、難しいところだ。

 寝ぼけ眼で服を着替えると、ハリエットはハリーたちと一緒に大広間へ向かった。

 大広間で朝食というのは、これまで何百回とやってきたことだが、一年もブランクがあると、なかなか懐かしい。ふくろう便の時間ですら新鮮な光景だ。――と、自分の前にコノハズクが飛んできて、ハリエットは目を丸くした。

 見慣れないふくろうだ。大抵こういう場合はシリウスからの手紙を持っていることが多かった――シリウスは、逃亡生活中に、野性のふくろうを手懐けて手紙を託す術を身につけていたのだ――ただ、問題は、昨日シリウスとは別れたばかりだということだ。

 誰だろうと思って開くと、やはりシリウスからの手紙だった。簡単に挨拶と、両面鏡の片方が欲しいという内容のものだった。

「ハリー、片方置いてこなかったの? 私、てっきり――」
「だって、僕たちもう十八歳だ。皆寮生活で、新入生ですら親と離れて生活をしてるのに、僕たちだけいつでもシリウスと連絡ができるなんて……」
「でも、シリウスも心配してるのかもしれないわ。ホグワーツにいるとはいえ、死喰い人がまだ潜伏してるっていうし」
「それでもだよ。保護者といつでも連絡が取れるなんて普通あり得ないよ」

 ハリーは一層声を潜めた。ちょうどジニーが近くを通りかかったからだ。

 要は、ハリーは恥ずかしがっているらしい。シリウスが逃亡生活を余儀なくされていた頃は、手紙よりも迅速で安全な連絡手段という利点を最大限享受し、むしろハリーとハリエットとで両面鏡の奪い合いにも発展しつつあったのだが――ヴォルデモート亡き後、危険性も去った後は、ただただ恥ずかしさが残るのだろう。

 だが、ハリエットはそんなこともない。夏の間は、念願シリウスと一緒に暮らし始めたのだが、騎士団員として、彼はやることがたくさんあった。ハリエットが寝た後に帰ってきて、起きる前に出て行くの繰り返しで、ろくに話をした記憶もない。正直、まだ甘えたりないのだ。

 一番の脅威が去ったとは言え、魔法界は完全に安全とはまだまだ言い切れない。シリウスの無事も確認したい――ということで、ハリエットはハリーから両面鏡を譲り受けた。今年は鏡を独り占めできそうだとハリエットはホクホクした。

 朝食の後は、寮監が時間割を配って回った。六、七年生には特に時間がかかった。OWL試験の結果と照らし合わせる必要があったし、将来にも関わってくるからだ。

「七年生は、卒業後の進路について、来週から面談を行います。それまで自分の将来について固めておくように。また、もし事前に相談したいことがあるという場合は放課後私の所へ」

 言い終えると、マクゴナガルはせかせかと教職員テーブルへ戻っていった。まだ朝食すら食べてないはずだが、フリットウィックと何やら熱心に話し始めた。

「マクゴナガル先生、校長と寮監を兼任するみたいね」

 ハーマイオニーは心配そうに言った。

「やることもたくさんあるはずなのに……。大丈夫かしら?」
「そうは言いながらも、今日の放課後、一足先に相談しに行くんだろう?」

 余っていたフルーツを摘まみながらロンが言う。ハーマイオニーはうっと詰まった。

「それは……だって、一回の面談で終わる気がしないもの」

 ハーマイオニーの言葉を聞いて、人知れずハリエットは落ち込んだ。相談することがたくさんあるということは、それだけいろいろなことを考えているということだろう。ハリーもハーマイオニーもきちんと将来のことを考えているのに、自分は……と思うと、些か落ち込んでもくる。

 少しの期待を込めてロンの方を見てみれば、彼はピッグウィジョンの頭にイチゴのヘタを乗せて遊んでいるところだった。妙に安心したハリエットは、自分もイチゴを口に放り込んだ。

 記念すべき一時間目は魔法薬学だ。授業の始まりが近くなってきたので、四人は席を立った。ピッグウィジョンは、ヘタに気づかず器用に頭に乗せたまま飛んでいった。

「僕は、新しい魔法薬学の先生は誰かってことの方が気になるな」
「そういえばそうね。ルーピン先生のことがあってすっかり忘れてたわ」
「まさかとは思うけど、スネイプってことはないよな? そもそも教師をそのまま続けるのかも分からないし」
「それはどうだろう。まだ怪我の具合が良くないのかもしれないけど……。スネイプが教職に戻るのが嫌なの?」
「嫌ってわけじゃないけど……」

 ハリーの言葉にロンがまごつく。

「スネイプが、ずっと僕らのことを助けてくれてたのは分かった。でも、それで今までのことが帳消しになるか? あの人のことだから、演技ってわけじゃないだろうし……」

 ロンの声はだんだん大きくなってくる。

「そもそもだ。真冬の冷たい湖の中に剣を沈める必要があったか? あれは絶対に嫌がらせだ。悪意があったんだ」
「それは……まあ」

 ハリーも否定しきれないまま頷く。言われてみれば、確かにそうだ。スネイプのリリーへの深い愛と、その延長線上にいた自分たちのことまでも助けてくれたという事実に深く胸を打たれ、今まであまり思い返しもしていなかったが――。

「別にさ――もうスネイプのことが嫌いってわけじゃない。でも、できれば別の教授がいい。オーケー?」
「――ほう」

 底冷えのする声が背後から聞こえてきて、四人はゾクゾクッと背筋を伸ばした。真っ先に振り返ったのはロンだ。

「ウィーズリーは我輩のことがお気に召さないと、そう仰りたいのですかな?」
「あー……いや」

 口の中でロンはもごもごと何かを言う。煮え切らない態度に、スネイプが一歩近づく。ハリエットは咄嗟に顔を上げた。

「あっ――でも、私は嬉しいです。スネイプ先生が復職なさって……。ね、ハリー?」
「あ――うん、はい」

 突然ふられたハリーも、戸惑いながらも頷く。そこにあるのは、またしても純粋な感謝と心からの素直な言葉だ。ハリエットはまだしも、ジェームズそっくりのハリーにそんなことを言われ、スネイプはゾクゾクと身の毛がよだつのを感じた。

 病室でも感じたあの居心地の悪さに、スネイプは「言葉に気をつけたまえ」だの「次の授業が楽しみだな」だのなんだの言いながら退散した。ロンはハーッと脱力する。

「ハリエット、ナイスだ……!」
「気を悪くしてないといいんだけど」
「絶対減点食らうと思った……」
「もしそうなってたら最悪のスタートね」

 肩をすくめてハーマイオニーが言った。ロンは斜め上を見上げ、何も言わなかった。

 教室に着くと、十五人にも満たない人数が席についていた。これでもまだ多い方だろう。本来は、復学生であるハリーたちはいない存在なのだから。

 何事もなかったかのようにスネイプは教壇に立っていた。そのことに生徒たちは少しざわついているが、授業が始まっても尚、スネイプは己の怪我や経緯については一言も言及しない。何とも彼らしい復任だった。

 初めての授業は、ハナハッカ・エキスを調合することだった。「二人一組で」とスネイプが最後にそう付け足したことで、教室がワイワイ騒がしくなる。

 復学組の合流と、四つの寮が入り交じっての初授業。二人一組の組み合わせも様々というもので。近くに座っている人に声をかける者もいれば、仲良しの誰かを誘う者もいて。

 ジニーが振り返り、ハリーを誘った。

「ハリー? 良かったら私と……」
「うん、オーケー」

 びっくりするくらいの食いつきだった。てっきり自分と組むと思っていたロンはポカンとしている。

 ジニーとハリーが組むのなら、とハリエットも席を立った。ロンとハーマイオニーが組むのも新鮮で面白いだろうし、それなら、自分だってという気持ちだった。

 だが、ドラコにたどり着く前に、ハリエットの表情は些か緩みすぎていたらしい。めざとくスネイプが釘を刺す。

「今更言及しなくとも最終学年のお前たちは理解しておくべきことだが、我輩の授業は恋人とべったりする時間ではない」
「……ロン、組まない?」
「ハーマイオニー、あー……」
「組む?」

 ポッター家双子は見事撃沈した。ジニーも結局同学年の子と組むことになったようだ。教室には気まずい空気が流れている。まだ減点されなかっただけで良かったくらいだ。まだ本調子じゃないのか、それとも心を入れ替えたのか――スネイプは、心なしか、本当に心なしか、グリフィンドールに対して当たりが柔らかくなった気がする。そのことは、魔法薬を提出した時のハリーの評価で一番顕著に表れていた。

「見ろよ、僕たちの評価、まだマシな点数だ」

 授業終わり、ロンは徐に羊皮紙を見せてきた。確かに、今までの目も当てられないような評価ではない。感動したのか、ハリーはほうっと息をついた。

「今までスネイプのその時の気分で五点から十五点くらい引かれてたんだ。びっくりだよ」
「ハリー、十五点は言い過ぎよ。自分の実力を過信しすぎだわ」
「……とにかく、絶対に五点は引かれてた。それが、今は――たぶん公正な点数だ。明日はピクシー妖精が降ってくるかもしれない」
「初日だけのおまけじゃないことを祈るわ」

 不穏な言葉を口にするハーマイオニーに、ハリーとロンは微妙な顔を見合わせた。