■回想

01:届かない手紙


「手紙が来ない!」

 週末のまったりとした空気の談話室にジェームズの声が朗々と響いた。彼の手には開けられた様子のない手紙が四通あった。それにはそれぞれハリー、ハリエット、ロン、ハーマイオニーの四人の名が記されている。

「それに、届きもせずに戻ってくるってどういうこと? 僕のふくろうは優秀なのに」
「僕のもだよ」

 ピーターも落ち込んだ様子で答える。だが、どこかホッとしたようにも見えるのは、「手紙を突き返されたかもしれない」のが自分だけではないと分かったからか。

「住所なんて分からなくても絶対に届くはずなのに……。誰か、マグル界での住所は聞いた? どこに住んでるとか」

 皆が一様に首を振る。ハリーたちはともかくとして、ロンやハーマイオニーも、なんだかんだはぐらかすばかりで結局マグル界での住所も教えてもらえなかったのだ。

「でも、そうなってくると少し奇妙じゃないか? だって四人とも届かないなんて普通あり得ない」
「今思えば、ハーマイオニーは住所を教えたがらない様子だった」

 リーマスがポツリと言った。シリウスは怪訝そうに彼を見る。

「どういう意図があって?」
「それは分からないけど……」

 しばし四人が押し黙る。ふくろう便が届かない原因は二つ考えられる。ふくろうが住所を特定できなかったか、手紙が届いたにもかかわらずそれを突き返されたかのどちらか。

 リーマスの言うことが事実だとしたら、後者が正しいと思わざるを得ない。

「ハリーたちは、手紙を突き返すような子じゃない」

 四人が四人とも同じ解答にたどり着いただろうが、ジェームズが皆の気持ちを代弁した。

「でも、だからこそ分からないんだ。どうして手紙が届かないのか。まるで、この世界から消えちゃったみたいだ……」

 思い詰める四人の傍ら、肖像画の穴からリリーとメリーが出てきた。ジェームズはすぐにリリーの名を呼んだ。

「エバンズ!」
「なに?」
「あのさ――ハリーたちから手紙届いた?」

 ジェームズの本意が分かると、リリーは改めて彼に向き直り、静かに首を振った。

「来ないわ。詳しい住所が決まったら手紙を送ってくれるって言ってたのに……。私の方からふくろうで手紙を送っても戻って来ちゃうの。もしかしてあなたたちも?」
「うん」

 短く答えたまま黙ったジェームズに、リリーはゆっくり言葉を探しながら返答した。

「もし――四人が、私たちの手紙に気づいた上で受け取っていなかったとしても、何か理由があるのよ。受け取れない理由が」
「理由……?」
「ええ。たとえば、ハリエットたちの家は魔法が嫌いなんでしょう? ふくろうで送られた手紙が気にくわないのかもしれないわ。それに、ロンとハーマイオニー達だって、ご両親は今の魔法界を怖がって二人を中退させたのよ。魔法界といつまでも関わり続けることを許してくれるかしら」
「……!」

 魔法界育ちの四人では考えもつかなかった理由だ。ジェームズはパッと表情が明るくなった。

「そうだよね! さすがエバンズだ。絶対にそうだ、そのせいだよ」
「四人も、もしかしたらこうなることが分かってたのかもしれない。だから手紙を送るって言っても慌てた様子だったんだ」

 理由は分かってスッキリはした。だが、それで感情の整理がつくかと言われると、それは違う。手紙という連絡手段を断たれ、住所すら分からない今の状況で、どうやってハリーたちと接触すれば良いのだろう。このまま交流が途絶えるというのは寂しすぎる。たった半年の付き合いだったとは言え、四人はジェームズたちに大きな影響を与えた。何とかして接触を図ることはできないのか、もしかしたら苦しい思いをしてるかもしれない彼らに何かできることはないのか――。

 だが、何も良い案が浮かばないまま二ヶ月が経った。休暇に入ったら何かが変わるかもしれないと思う傍ら、OWL試験のために費やす時間が増えてくる。ジェームズとシリウスは、さほど勉強をせずともOを取れる自信は多分にあったが、それでも試験明けというのは無条件に気が晴れるものだ。

 試験用紙やら羽根ペンやらを乱雑に鞄に押し込み、シリウス達と合流したジェームズはそのまま校庭に出て行く。リリーのいる方を気にしながら木陰に腰を下ろす。

 スニッチを弄んだり、試験の振り返りをしたり、ぼうっと湖を眺めたり、それぞれが別々のことをしていたが、共通していたのは、どこか退屈だと思う感情。試験期間中思い切り悪戯できなかったというのもあるし、よくよく考えてみれば、この二ヶ月悪戯仕掛人として大した活動すらしていない。何しろ、ハリーたちがいなくなってから、妙にやる気が萎んでしまったのだ。もともとはハリーたちがおらずとも日夜悪戯のためにホグワーツを駆け回っていたというのにおかしな話だ。

 得意げに次なる悪戯計画を話せば、ワクワクした顔で聞き入るハリーたち、見事な逃走手腕に感心したり、かと思えば、思いも寄らない悪戯のアイデアをくれたときもあった。悪戯仕掛人の小さな後輩――そんな風に思っていた矢先だったのだから、何をするにも興が削がれてしまうのは仕方のないことだった。

「退屈だ」

 シリウスが皆の気持ちを代弁した。だが、顔を上げたジェームズが何かを見つけてニヤリと笑う。

「これから楽しくなるかもしれないよ――見てみろ」

 ジェームズの示す先を見て、シリウスもくいっと口角を上げた。ピーターはワクワクした表情を浮かべ、対するリーマスの顔には暗く影が落とされる。

 四人の視線の先では、スネイプが立ち上がり、歩き始めた所だった――。


*****


 振り返りもせずずんずん歩く女子生徒の後ろに、男子生徒は必死に声をかけ続けながらついていく。

「何が気にくわなかったの? 僕は一度も君のこと――あんな風に呼んでない」
「全部よ! あなたのやることなすこと、全部が嫌! あなたがスネイプを非難する権利なんてないわ!」

 急にリリーがピタリと立ち止まった。

「ハリエットがここにいないことに感謝することね」

 なぜここにハリエットが出てくるのか。

 ジェームズは怪訝な顔になる。リリー大きく息を吸い込む。

「ハリエットは、あなたが使ったあの忌々しい呪文で湖に落とされたのよ! 今のあなたを見たら失望するでしょうね。心から慕ってたのに!」
「待って――レビコーパスが?」
「知らなかったなんて言わせないわよ」

 リリーはキッと睨みつけた。

「そういう問題じゃないの。あなたはあの人たちと同じ呪文で同じことをしたの! 弱い者いじめをする今のあなたはエイブリーたちと一緒よ!」

 吐き捨てるように言うと、今度こそ振り返りもせず立ち止まりもせずリリーは去った。ジェームズはガツンと衝撃を受けた顔をしたままその場に立ち尽くしていた。


*****


 六年生になってから、シリウスは物足りないと思うことが幾度となくあった。もちろん、一緒に悪戯をするメンバーであったハリーたちがいないというのもあったが、それ以上に――。

「大人しくなったよな」

 ぼんやりとした呟きだったが、その言葉は返事を求めている。リーマスは顔を上げた。

「ジェームズ?」
「ああ。刺激がない」
「良い傾向だと思うよ。ジェームズも大人になったんだ」
「大人? あいつが?」

 シリウスは軽快に笑い飛ばした。

「エバンズを気にしてるだけだろう。どうせそのうち飽きが来るよ」
「そうかな?」

 リーマスは笑みを深めた。その視線の先にはジェームズがいて、同級生と楽しそうにクィディッチの話をしている。至って健全に。

「確かにリリーのことを気にしているけど、以前のように盲目的にアプローチするのは止めたみたいだよ。何か思う所があったんじゃないかな」

 シリウスの言う通り、六年生になってから確かにジェームズは大人しくなった。面白半分に呪いをかけなくなり、高慢な所もなりを潜めた。自意識過剰な部分も少しは収まっている。

「あの時のことがショックだったのかな」
「スニベルスのパンツの時か?」

 シリウスはニヤリと笑ったが、リーマスは笑わなかった。

「リリーは――ジェームズの痛い所を突いた」
「あれは衝撃的だっただろうな。スニッチは俺もくどいと思ってたけど、まさかあのクシャクシャにセットした髪のことまで言われるなんて!」

 ククッとシリウスは笑い声を上げた。リーマスはシリウスの笑いが収まるのを待った。

「でも、だからこそジェームズは変わろうとしてる。僕は一月かそこらで止めるとは思わないな」
「そうか?」

 頬杖をつきながらぼんやりとシリウスは呟く。自分よりもジェームズのことを理解している様子のリーマスに、嫉妬こそないが、何となく釈然としない気持ちを抱く。

 とはいえ、いくら魂の双子と言えど、人の機微に人一倍聡いリーマスには敵わなかった。リーマスの見立て通り、粘り強くリリーに真摯に愛を捧げ続けたジェームズは、徐々にだが彼女と距離を詰めていった。開口一番リリーが突っかかるということがなくなり、ジェームズが話しかければ、話が途切れることはない。ジェームズの話術が巧みだったというのもあるし、何よりリリーが話を切り上げなくなった。このことが、リーマスは誰よりも嬉しく思った。

「きっとホグワーツの生徒全員が思ってたと思うんだ。ジェームズの恋は叶わないって。僕たちだっておもしろ半分に見てるだけで、うまくいくなんて欠片も思ってなかった」

 熱が籠もったように話すリーマスを、シリウスとピーターはポカンと見つめていた。

「でも、ハリエットだけは心の底からジェームズを応援してた。今急にそれが懐かしく思えてきてね」

 リーマスが見つめる先には、もちろんジェームズとリリーがいた。ソファに向かい合って座って、何やら楽しそうに話している。

「今の二人をハリエットに見せてあげたいなあ」
「辛いだけかもしれない」

 顔を顰めてシリウスが言う。ずっと黙っていたピーターが不意に顔を上げた。

「でも……何となく直感なんだけど――ハリエットはとても喜ぶ気がする。満面の笑みでジェームズ、良かったねって言うんだ」

 容易にそんな光景が脳裏に浮かび上がり、三人は苦笑した。自分の恋心よりも何よりも、ジェームズの幸せが第一のようなあの少女の笑顔が眩しくて仕方がない。

 ――と、同じように輝かんばかりの笑顔を浮かべた当の本人が浮かれた足取りで飛ぶようにやってきた。こっちのしみじみとした感傷を気にもせずに、盛大にどもりながら「エバンズがホグズミードに一緒に行ってくれるって!」と叫ぶものだから余計に何とも言えない感情が込み上げてくる。

「一番に報告したかったのはハリエットなのに――ああ! でも未だに手紙は戻ってくるし――どうしたらこの気持ちを伝えられるんだろう!」

 相変わらずジェームズは騒がしい。だが、それすらも眩しい笑みで「良かったわね、おめでとう!」とハリエットが何度も言う光景が頭に浮かび上がってくる。

「良かったね、ジェームズ」

 今はいないハリエットの代わりにせめてリーマスが代弁した。

「ハリエットもとっても喜んでくれただろう。今の君を見たら……」
「そうかな?」

 目尻を下げて照れくさそうに笑うジェームズ。その笑顔がハリエットの笑みと重なって見えて、リーマスは懐かしさに胸が温かくなった。