■繋がる未来―賢者の石―

01:幸福な一日


 ゴドリックの谷にある一軒家、南向きの子供部屋で、一人の少女が丸まって眠っていた。その寝顔はあどけなく、まだ十歳かそこらのようだ。成長を見越して購入したのだろうネグリジェは、少女にとってはまだ大きくブカブカだったが、よく似合っていた。

 ――と、やがて日が昇り始め、カーテンの隙間から光が差し込むと、少女はパチリと目を開けた。いつもはまだ微睡みを楽しむような時間だが、この日は違う。むうっと身体に力を込め、ぴょんと起き上がる。今日だけは、微睡みよりも大切なことがあるのだ。

 白いネグリジェの裾をはためかせ、少女はトンと絨毯に足を下ろした。ニャッと抗議の鳴き声が聞こえて、少女は思わず振り返る。

「あ――ごめんね、ミモザ。起こしちゃった?」

 今まさに少女がいたベッドの上――そこには、フワフワとした長い毛の年寄り猫が丸まっていた。片目を開け、非難するように少女を見ている。

「ミモザは寝るのが大好きだもんね。ごめんね」

 優しくなでなでした後、少女はミモザに布団を掛けてあげた。少女が一歳の頃から飼われ始めたミモザは、今はもうそれなりの老猫である。昔からよく昼寝はしていたが、最近は起きている方が珍しいくらいだ。

 老猫を宥めた後、少女は着替えもせずに、廊下に飛び出した。ミモザを気遣って、扉の開け閉めは慎重に行ったが、まさにその瞬間、隣の部屋からも双子の兄が飛び出してきたのを見て、少女は頬を紅潮させた。

「ハリー!」
「ハリエット!」

 双子の兄――ハリーもまだ寝間着姿だった。いつもは必死に撫でつけられている黒いクシャクシャの髪も、いつも以上に爆発したままだ。前髪もパックリ割れているので、傷一つないなだらかな額がハリエットに向かっておはようと挨拶しているかのように見えた。

「もう届いてるかしら?」
「行こう!」

 早く早くと互いを急かしながら、外見だけは似ても似つかない双子は、パタパタと階段を駆け下りた。徐々にトーストがこんがり焼ける香りと、コーヒーの苦みを帯びた香りが鼻腔をくすぐる。

「ママ!」

 キッチンへ駆け込むと、赤い綺麗な髪を背中に流した女性が湯を沸かしているところだった。双子は彼女に向かって猛然と駆け、右と左、両端から一斉に話しかける。

「おはよう!」
「ホグワーツから手紙は来た?」
「パパはどこ?」
「シリウスは来てる?」

 息つく暇も無いくらいに浴びせられる質問に、双子の母リリーは苦笑を浮かべた。そしてゆっくりしゃがみ込み、二人と視線を合わせる。

「ハリー、ハリエット、おはよう。今日も早起きね」
「おはよう!」

 ニパッとそっくりな笑みで笑う双子に、リリーは目を細めて二人の頭を撫でた。

「さて、一つ一つ質問に答えてあげるわ。まずはホグワーツからの手紙だけど……残念ながら、まだ来てないわ」

 すぐさま「ええっ」と非難の声が上がる。リリーは仕方なさそうに苦笑いする。

「こんな朝早くから働かせちゃ、ふくろうが可哀想でしょう?」
「でも、リーマスはそろそろのはずだって! 僕達が起きる頃には手紙は届いてるだろうって!」
「そりゃあ、リーマスもまさかあなた達がこんなに早起きをするなんて思いも寄らなかったんでしょう。日増しに起き出す時間はどんどん早くなってるし」

 ふて腐れて顔を見合わせるハリーとハリエット。二人の柔らかい頬をリリーは悪戯に摘まんだ。

「そんな顔をしないで。いつもお寝坊さんの可愛い双子ちゃん。今日はまた一番と頑張ったのね?」
「だって、ホグワーツからの手紙が待ち遠しいんだ」
「だって、手紙が来なかったらホグワーツに行けないのよ」

 嬉しそうなハリーとは対照的に、ハリエットは不安げに呟く。

「大丈夫よ。あなた達はホグワーツに行ける。ママが保証するわ」
「……うん」
「さあ、二つ目の質問だけど、パパは――」

 リリーが何か言いかけたとき、丁度庭から「ハリー、ハリエット!」と父ジェームズの呼ぶ声が聞こえてきた。双子はパッと喜色を浮かべる。

「パパ!」

 双子の声を受け、ジェームズは箒を手に家の中へ入ってきた。まるで嵐の中に飛び込んだかのようにクシャクシャな黒髪は、寝癖だらけのハリーとどっこいどっこいな髪型だ。

「おはよう、二人とも」
「おはよう!」
「本当はすぐにでもおはようのハグを交わしたい所だけど、今の君達にはこっちの方が喜ぶと思うから……」

 ジェームズは大袈裟にコホンコホンと咳払いをし、前屈みになった。

「これなーんだ」

 そうして双子の目の前に差し出される二通の手紙。ハリーとハリエットは、目をキラキラさせた。

「ホグワーツからの手紙!」
「当たり!」
「わあ!」

 ハリエットは顔中を綻ばせて素直に手紙を受け取ったが、ハリーはすんでの所で躊躇った。

「どうしたんだい、ハリー?」
「それ、偽物じゃないよね?」
「まさか! パパを疑うのかい?」
「だって……。実は吠えメールだとか、封を切ったら中からピクシー妖精が飛び出すとかするんじゃ……」
「折角の記念すべき日にそんなことするわけないだろう!」

 息子からの信頼が地に落ちていることを実感し、ジェームズは情けない顔で叫んだ。リリーは呆れたような、白けたような視線を夫に送る。

「あなたの普段の行いが、ハリーにこんなことを言わせてるのよ」
「リリー……」
「ハリー、大丈夫よ。本当にホグワーツからの手紙よ」

 ハリエットはハリーにグイグイ手紙を見せた。眼鏡越しの、明るい緑の瞳が手紙の文字を辿るにつれ、彼の表情もようやく明るくなる。

「見せて!」

 ようやくとハリーもジェームズから手紙を受け取り、封を切った。そして中身を流し読みした後で、ぐっと拳を握る。

「これで僕らもホグワーツ生だ!」
「おめでとう、ハリー、ハリエット。前から約束してたし、誕生日にダイアゴン横丁に行こう。そこで入学の準備をしないと」
「待ちきれないわ! 今日じゃ駄目?」
「さっき聞いたけど、今日はシリウスの予定が合わないらしいんだ」
「なーんだ。じゃあいいや。ハリエットもいいよね?」
「ええ」
「ハリーはパパよりもシリウスの方がお気に入りかい?」
「まあね」

 ジョークで聞いてみただけなのに、ちょっと気取った顔で答えるハリーにジェームズはショックを隠しきれずに落ち込んだ。

「ハリー、早く食べましょう! バチルダお婆さんにもお手紙見せに行かないと!」
「うん! 準備だってしないとだもんね!」

 ホグワーツに行けるとなれば、やらなければならないことは山とある。ハリーとハリエットはいつもの定位置に腰を下ろしかけたが、リリーは「待ちなさい」と二人を引き留めた。

「あと一月でホグワーツ生になるちびっ子ちゃん達。何か忘れてないかしら?」

 双子はポカンと顔を見合わせた。一体何のことだろう?

「早く着替えてきなさい。まさかそんな格好で朝食を食べるつもり? ママは許しませんからね」

 双子ははたと己の格好を見下ろした。そう言えば、誕生日に浮かれて、すっかり着替えることを忘れていた。二人はそそくさと自室に戻り、慌ただしく着替えを終えて戻ってきた。

 そしてようやくと和やかな朝食の席が始まる――かと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。何故だか顰めっ面を浮かべたリリーが夫に向き直った。

「さて、ジェームズ。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「あなた、朝から箒を持ってどこに行ってたの?」

 ぎくり、とジェームズの肩が跳ねる。彼は取り繕ったような笑みを浮かべた。

「いや……まあ、早く二人の喜ぶ顔が見たくてね」

 「分かるだろう?」とでも言いたげな顔で、ジェームズはチラチラと双子を見た。その視線の先には、双子が大事そうにテーブルに置いてある手紙。

「まさか、ホグワーツからのふくろうを探しに行ってたわけじゃ……」

 ハハッとジェームズが空笑いをした。図星だと言わんばかりのその表情に、リリーの視線が鋭くなる。

「探しに行ってたのね?」

 こくりとジェームズが頷いた。リリーは怒りを通り越して、もはや疲れたようにため息をついた。

「ホント、その行動力には頭が上がらないわ。せめて別の有意義なことに使えばと思うけど……」
「充分有意義だよ! 現に、朝一番に二人の輝くような笑顔が見れた!」

 「さあ見てくれ!」とジェームズは両手を広げ、目に入れても痛くないほどの可愛い双子を指し示す。ハリーとハリエットはパチパチ瞬きをして、ジェームズとリリーを見比べた。

「……分かったわ。今日の所は見逃してあげる。ふくろうはどこ? 返事を出さなくちゃ」
「……あっ」

 ジェームズは分かりやすい声を出した。リリーはにっこり笑う。

「ハリー、ハリエット。パパはこれからまたお空に行くみたい。本当に空が大好きよね。仕事の日も空を飛んで、休日も空を飛んで。三人で見送りましょう。パパ、行ってらっしゃい」

 リリーに合わせてハリーとハリエットもジェームズに手を振った。ハリーは気の毒そうに父を見つめ、ハリエットは邪気のない笑顔で父を見つめ。

 家族団らんから追い出されたジェームズは、すっかり意気消沈しながら再びふくろうを探しに空へと飛び立った。その瞬間、突風が吹き付け、ジェームズのただでさえクシャクシャな髪を更にクシャクシャに巻き上げていく。露わになった彼の額には、稲妻形の傷が刻まれていた――。