■繋がる未来―賢者の石―

21:父親の名誉


 今年は、いよいよ念願叶ってスリザリンから寮杯を勝ち取れるかもしれない――そんなグリフィンドールの期待を込めたクィディッチ戦当日がやって来た。ただ、唯一の問題は審判がスネイプであることだ。スリザリン贔屓のスネイプが、グリフィンドールの優勝がかかっている一戦に公正を持ち出すなんてことがあるだろうか?

「どんな結果になってもハリーを讃えてあげようぜ」

 スネイプが贔屓をし、グリフィンドールが負ける未来しか想像できないロンは悲観的に言った。

「無事に試合を終えられるだけで充分だわ」
「ハリーに怪我がないだけで……」

 続くハーマイオニー、ハリエットもどんどん期待値が下がっている。隣で聞いていたネビルは苦笑いだ。

「きっとハリーなら大丈夫だよ。ほら、選手入場だ」

 米粒のように小さな人影が競技場に入ってきた。赤と緑のローブでようやくチームが判明するくらいだが、ハリーの姿はすぐに分かる。あの中で最も小柄なのがそうだ。

 選手と共に競技場に並び立つスネイプが見えて、ハリエットは嫌な予感が脳裏を過ぎらずにはいられない。

『このことは全部私に任せてくれない?』

 ――そう言っていたが、やはりリリーでもスネイプはどうにもできなかったらしい。そもそも、ハリーを嫌っているスネイプが、そのハリーの母親の説得に耳を貸すだろうか?

 試合開始の合図が鳴り、選手たちが一斉に飛び立った。全体が見渡せるよう、ハリーはいち早く上へ上へと浮上する。

 皆が皆選手たちに注目する中、何者かがロンの背中を蹴った。

「ああ、ごめん、ウィーズリー。僕の足が長くてね」

 後ろの席に座り、わざとらしく足を伸ばしているのはドラコだ。ムッとしてロンは言い返す。

「ここはグリフィンドールの席だ」
「そんなこといつ決まった? 僕がどこに座ろうと僕の勝手だ」

 ふんぞり返ってそうのたまう態度はふてぶてしい。

「さあ、見せてもらおうじゃないか。今度はどんな卑怯な技を使って勝つのかを。まあ、スネイプ先生の公正な審判を潜り抜けられるとは到底思えないけどね」
「公正? 笑わせてくれるよ。この世で一番似合わない言葉だ」
「君の言葉は僕が先生に伝えておいてあげるよ」
「相手にしちゃ駄目よ。試合に集中しましょう」

 わなわなと震えるロンの腕を引っ張り、ハリエットは彼の意識を試合に引き戻そうとした。だが、ジョージがブラッジャーをスネイプの方に打ったという理由でハッフルパフにペナルティー・シュートが与えられたところで、ロンのイライラは更に募る。

「そういえば、この前の新聞読んだかい? ジェームズ・ポッターの息子の初試合……。あの写真には笑わせられたよ。四つん這いになってスニッチを吐く姿なんて、シーカーとしては屈辱以外の何物でもないよ」
「君、ハリーたちのファンか何か? 随分詳しいじゃないか」
「誰がファンだと?」
「君だよ。ハリーにもハリーのパパにもいちいちつっかかって。サインが欲しいって素直に言えよ」
「黙れ、ウィーズリー。僕はあんな目立ちたがり屋の父親じゃなくて良かったと言いたいだけだ。傲慢で自意識過剰な英雄様。あいつの記事ばかりでうんざりしてるのは僕だけじゃないはずだ」
「君がハリーの父親をどうこう言える立場か?」

 ちょうどその時、スネイプが何の理由もなくハッフルパフにペナルティー・シュートを与えたところだった。そのため、イライラが最高潮にまで達し、ロンは一度思いついた言葉の引っ込みがつかなくなっていた。

「君の父親なんてアズカバン帰りじゃないか」

 煮えたぎるような怒りの瞳を、ハリエットは初めて見たかもしれない。あっと思った時にはドラコがロンに飛びかかっていた。ロンは地面に強く頭を打ち付け、うめき声を上げながら目を回す。

「……ロン!」

 あまりに突然で、ハリエットはすぐには動くことができなかった。ようやくと我に返った時には、ドラコはロンの上に馬乗りになって殴りかかっていた。頭に血が上っているようで、ロンが気絶していることにも気づかない。

 ネビルも慌てて助けに入ろうとするが、クラッブ、ゴイルがそれを許さない。それどころか、二人がかりでネビルを羽交い締めにしようとする。

 ハリエットは周囲に助けを求めようとするも、ここは最上階のため、皆目の前の試合に夢中で後ろの乱闘には全くもって気づく様子がない。

「ハーマイオニー、助けて!」

 頼みの綱のハーマイオニーも応援に熱が入っており、ハリエットの声なんて耳にも届いていない。

「止めて!」

 こうなったら力尽くにでも止めようと、ハリエットはドラコの右腕を両腕で押さえ込む。

「気絶してるじゃない! これ以上やったら――」
「うるさい!」

 振りかざした左手は、勢い余ってハリエットの頬にぶつかった。鈍い痛みが走り、ハリエットはよろめく。ドラコも何かにぶつかったことには気付き、そしてその相手が女の子だったことにハッと固まった。

「あなたたち――一体何してるの!」

 振り返ったハーマイオニーの目に映っていたのは、昏倒しているロンに馬乗りになるドラコに、ネビルを二人がかりでいじめるクラッブ、ゴイル。そして真っ赤に腫らした頬を手に立ち尽くすハリエットだ。

 ハーマイオニーの怒声にグリフィンドール生もようやく事態に気づく。わらわらと集まり、乱闘騒ぎの中心であるスリザリン生を取り囲む。

「こりゃひどい」
「グリフィンドールに負けたからって腹いせか? 女の子にまで手を出すなんて!」
「マクゴナガルに突き出そう」

 いくらクラッブ、ゴイルの体格が良くても、所詮は「同級生にしては」という言葉がつく。上級生に首根っこやら腕やらを掴まれ、二人は為す術もなく連行されていった。ドラコもだ。

「大丈夫? 医務室へ行きましょう」
「ええ……」

 ハーマイオニーに支えられ、ハリエットは立ち上がった。ロンとネビルは担架に乗せられ、運ばれる。

「本当にひどいわ。一体何があったの?」
「ちょっと……口論になっちゃって」

 ハリエットはぼんやりしながら口ごもる。まだ先ほどの光景が脳裏から離れなかった。ロンが放った一言に、激しい怒りを宿すドラコ。

 彼の心の闇に触れた気がして、ハリエットは少し怖かった。


*****


 勝利の余韻に浸る間もなく、パーバティから妹と友達が医務室送りになったという話を聞き、ハリーは急いで医務室に駆け込んだ。

「一体何があったんだ!?」

 マダム・ポンフリーの治療を受けながら、ロンはアザだらけの顔面を思い切り歪めた。

「マルフォイだよ。あいつ、君のパパを散々罵った挙げ句、急に殴りかかってきた」
「その上、止めに入ったネビルとハリエットまで殴ったのよ」

 視線をずらすと、椅子に腰掛けたハリエットと目が合う。治療はすでに受けたらしいが、その頬は痛々しく腫れている。

「最低な奴だ……」
「でも、私たちも言い過ぎた部分はあるのよ」

 父やハリーの名誉を守ろうとしたロンを非難するつもりはないが、ドラコだけを一方的に悪者にするのも気が引ける。

 控えめにハリエットが言うと、ロンが目を逸らした。

「僕だって、あんなこと言うつもりじゃなかった。売り言葉に買い言葉って言うか」
「ええ、分かってるわ」

 ドラコがあんまりな物言いをしていたのは事実だ。だが、それでもロンが放った言葉は彼が一番気にしていたことだった。彼の父親がアズカバンの囚人だったこと――そこにはジェームズが関係していることもあって、なぜだかハリエットも後ろめたい思いにさせられた。ジェームズは正しいことをしただけなのに……。

「あいつらはどうなったの?」
「マクゴナガル先生に突き出された後、図書室でマダム・ピンスを手伝わされてるって」
「妥当だね」

 ふんとハリーは腕を組む。しかし、すぐにあっと身を乗り出した。

「僕も話したいことがあったんだ。スネイプ! スネイプとクィレルが禁じられた森で密会してたんだ」
「密会? またどうして……」
「僕たちが正しかったんだ! スネイプは、やっぱり賢者の石を狙ってたんだ。クィレルを脅して、フラッフィーを出し抜く方法を知ってるか聞いてた」
「クィレルは白状したの?」
「いや。でも、それも時間の問題かもしれない。だってあのクィレルだ……。バンパイアに怯えてニンニクの臭いをまき散らすくらいだ。スネイプの脅しに屈するのもそう遠い未来じゃないよ」

 皆は遠い目になった。ハリーの言うことはもっともだ。気弱なクィレルがスネイプに太刀打ちできるわけがない。

 さてどうしたものか、と四人は頭を悩ませたが、そう時間をおかずにマダム・ピンスがやって来た。

「面会の時間はとうに過ぎていますよ」
「僕たち、帰るところだったんです」

 ハリーは慌てて立ち上がった。ロンと目配せし、また今度と合図をする。

「あなたたち、気分はどうですか?」
「もうすっかり良くなりました。退院してもいいですよね?」
「ミスター・ウィーズリー、ロングボトムはまだ駄目です。後もう一回薬を飲んでもらいます」
「えー……」
「ミス・ポッターはもういいでしょう。痛みはありませんね?」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございました」

 まだ気絶しているネビルはまだしも、痛み以外は元気なロンは不服そうだが、彼を残して三人は医務室を後にした。グリフィンドール塔へ向かっている途中、ハリエットは行く所があるとハリーたちと別れた。向かう先はマクゴナガルの部屋だ。

 マクゴナガルは在室で、すぐにハリエットを部屋に引き入れた。

「先ほどの喧嘩についてですか?」

 開口一番に核心を突くマクゴナガルにハリエットは恐る恐る頷く。

「マルフォイたちが罰則を受けてるって聞きました。でも、私たちも言い過ぎてしまった部分はあって……。私も罰則を手伝ってはいけませんか?」
「また喧嘩になる可能性があるのではないですか? あなたにその気がなくとも、向こうがそうなるかもしません」

 確かに、いつも喧嘩をふっかけてくるのは向こうの方なので、マクゴナガルの心配は十分に理解できる。ハリエットが項垂れていると、マクゴナガルは小さくため息をついた。

「ただ、まあ……罰則云々ではなく、あなたがただマダム・ピンスを手伝いたいと言うのであれば、私がどうこう言えるものでもありませんが」
「――っ、お時間ありがとうございました。失礼します!」

 ハリエットはパッと笑顔になって頭を下げた。マクゴナガルは複雑そうに苦笑を浮かべている。

 部屋を出ると、ハリエットは早速図書室に駆け込んだ。手伝いを申し出ると、マダム・ピンスには大変感謝された。何でも、クラッブとゴイルが逆に仕事を増やしてばかりでうんざりしていたのだという。本来は魔法で本を元あった場所にすぐさま戻せるのだが、今回はマグル式での罰則なので、二人に本を元に戻してくるよう頼んだ所、見当違いな場所へ片付けて……という訳らしい。

「私はあの二人の監督をしてくるので後はお願いしますね」
「はい」

 気合いを入れて、ハリエットは積み上げられた本を持ち上げた。張られているラベル通りの書棚へ戻すだけなので、時間はかかるだろうが、そう難しいことではないだろう。

 目的の書棚を探して練り歩いていると、当然同じ作業をしているドラコとも鉢合わせする。失礼なことに、彼はすぐさま顔を顰めた。

「何しに来たんだ? 笑いに来たんだろう」
「そんなんじゃないわ。私も罰則で」
「ウィーズリーももちろんそうなんだろうな?」
「ええ、退院したらたぶんそうなると思う……」

 適当に誤魔化したハリエットだが、それでもドラコは納得したらしい。少しは持ち直した様子で本の整理に入る。

 だが、隣でハリエットも本を戻していると、うんざりしたように離れた。

「なんでこっちにいるんだよ。あっちに行けよ」
「私もここの書棚に用があるの」
「謝ってほしいのか? 嫌味な奴だ」

 見当違いなことを言いだしたドラコにハリエットはしばし言葉に詰まる。だが、そういう考えに至るということは、彼も少なからず気にしているということの裏返しではないか。

「……違うわ。むしろ、私はあなたに謝りたくて……私たちも明らかに言い過ぎちゃったから」

 ドラコは無言のままだ。やはり、たとえ謝罪であっても、父親のことは触れられたくないらしい。ただ、ハリエットも言わずにはいられない。

「でも、私だってお父さんのこと悪く言われるのは嫌なの……」

 聞こえるか聞こえないくらいの小さな声だった。どうしてもこれだけは言っておきたかった。父のことを誇らしく思っているのに、誰かに貶されるのは心が痛む。彼も同じ考えなら尚更だ。

「――っと、すまねえ」

 誰かにぶつかられ、ハリエットはよろめいた。ちょっとぶつかられたくらいでもその衝撃だったのは、相手がハグリットだったからだ。

「ハグリッド、こんな所で何やってるの?」
「ハリエットか?」

 相手がハリエットだと分かると、ハグリッドは慌てた様子で何かを背中に隠した。

「お前さんの方こそ、こんな所で……」
「マダム・ピンスのお手伝いをしてるの。本を借りに来たの?」
「あ、ああ、まあな」

 あまりに挙動不審だ。ハリエットは少し気になったが、しかし、秘密を詮索するようなことは駄目だろう。ぐっと堪えたハリエットとは反対に、ドラコは好奇心のままにハグリッドの後ろに回り込んだ。

「ドラゴンの飼い方?」
「――っ、いけねえ! 用事を思い出した! じゃあな、ハリエット!」

 文字通りその場で飛び上がると、ハグリッドは慌てて図書室を出て行こうとした。途中、まだ本の貸し借りを行っていないとマダム・ピンスに怒られ、カウンターでうだうだしていたが、とにかく本を借りて出ていった。

「ドラゴンの飼い方、ねえ」

 訝しげにドラコが呟く。そういえば、とハリエットは思い出した。

 いつだったか、ハグリッドはドラゴンを飼いたいと漏らしていたことがあった。だが、魔法界ではドラゴンの飼育は禁止されている。魔法生物に関してはいろいろと破天荒な部分もあるハグリッドだが、まさか、ドラゴンを飼うなんてそんなことまで手を出しはしない……だろう。

 一抹の不安と共に彼の出ていった入り口を見つめていたハリエットは、隣でドラコが薄く笑っていたことに気づかなかった。