■繋がる未来―賢者の石―

26:根深い因縁


 家族との再会を喜ぶ人々の間を縫って歩き、ピーターはようやく目的の家族を見つけた。といっても、探すのはさほど苦労しなかった。何しろ、彼らは魔法界で一番目立つといっても過言ではない。

「ハリー、ハリエット。おかえり。久しぶりだね」
「ピーター!」

 嬉しそうにハリエットが駆け寄り、ピーターとハグをした。思わぬ友人の登場にジェームズは目を丸くする。

「ピーター? 君もお迎えに来てくれたのかい?」
「私がピーターにお願いしたの。買い物に付き合ってほしくて」

 ハリエットが笑ってピーターの隣に並ぶ。ジェームズはそれを見て複雑そうだ。

「買い物ならパパが付き合うのに……」
「ピーターと行きたい気分だったの」

 あっけらかんと言い放つ娘に、ジェームズはわざとらしく嘆き悲しむ真似をした。しかしこんなのはいつものことなので、ハリエットもあまり気にしない。

「夕方までには帰れると思うよ」
「ピーター、それなら夕食はうちで食べていってね。ご馳走を用意するから」
「いいの? 嬉しいなあ。お言葉に甘えてお願いするよ」
「行ってきます!」

 嬉しそうに肩を並べ、人混みの中へ姿を消す二人。ジェームズが名残惜しげにそれを見送っていると、悪戯っぽくリリーが「デートね」と呟いた。自分も少しそう感じていただけにジェームズは余計打ちのめされる。

「パパじゃなくてピーターを選ぶなんて……一体何が悪かったんだ? 手紙を送りすぎたから?」
「自覚してるなら、もう少し頻度を下げることね」

 両親がそんなやり取りをしていることなどつゆ知らず、ハリエットはピーターと共に漏れ鍋へ向かっていた。

 ハリエットが買い物のお供をピーターにお願いしたのは、ピーターと行きたかったから……というのもまるっきり嘘ではないが、一番大きな理由は、ジェームズだと目立つからだ。

 ジェームズの顔は魔法界一知られていると言っても過言ではない。そんな父と一緒に買い物に行けば、いつも握手やらサインやらを求める人たちに囲まれ、なかなか先へ進めないからだ。ジェームズもジェームズで、変装すればいいのに、ちやほやされるのは嫌いではないので堂々ジェームズ・ポッターとして歩くものだから、一緒に歩くハリエットたちとしては堪ったものではない。

 そんなことを手紙でピーターに零したら、買い物に付き合ってくれると言ってきてくれたので、喜んでお願いしたのだ。

「それで、行きたい所っていうのは……」
「ジャンクショップ!」

 すぐさまハリエットが答えた。

「何を買うつもりなんだい?」
「もうすぐハリーのお誕生日でしょう? ハリーの好きなシーカーのサイン入りスニッチを買うのよ」
「ああ、なるほどね」
「調べたらすごく高かったの。でも、そこの店主さんが、お父さんのサインと交換だったら安くしてくれるって言うから」
「あー……」

 ピーターは遠い目になった。ある意味、ジェームズの代わりに自分がお供をすることになって良かったと思った。

 ピーターの様子を見てハリエットは慌てて言い訳した。

「でも、ちゃんとお父さんに聞いたのよ。ハリーのためになることに使っても良いかって。そしたら快くオーケーしてくれたから……」

 ピーターは黙って微笑んだ。まさかジェームズも、自分のサインが物々交換の物に選ばれたとは思いもしないだろう。娘にサインをねだられて浮かれていただろう友人が少し気の毒だ。息子が敵チームのシーカーのファンだということ自体ショックだろうに、まさかそのシーカーのスニッチのために己のサインが娘に裏取引に使われるなんて……。

 でもまあ、ジェームズはサインをねだられたら誰にでもどこにでもサインをする男だ。そのサインが息子の喜びの糧となれるなら本望だろう。

「私、ちゃんとお父さんのお手伝いをするつもりよ。これじゃ、ハリーのプレゼントを買ったのはお父さんみたいになっちゃうもの」
「うん、そうだね」

 自分が言いたいこととは少しズレているが、しかしそれ以上ピーターは何も言わなかった。要は、この事実がジェームズに知られなければいいのだ。――知られたらすごく面倒くさくなるだろうなあ……。

 ニコニコ顔のハリエットによって、店主に差し出されるジェームズのサイン入り色紙。店主はそれを受け取ると、ハリエットにいくらか差額を提示した後、箱入りのスニッチを渡した。

 ――等価交換でないのが悲しいところだ。サインしたがりのジェームズのせいで、そもそもそのサインの価値は日に日に下がっていっているのだろう。

 しっかり差額を支払うと、ホクホク顔でハリエットはジャンクショップを出た。

「ピーター、ついてきてくれてありがとう! これでハリーも喜んでくれるわ!」
「それは良かった。この後はどうする? 気になる所があったら寄ろう」
「それなら、ロンドンで気になるお店があるの。可愛いお花の雑貨を売ってるお店でね、ハーマイオニーが教えてくれたんだけど――」

 その時、不意に妙な視線を感じた気がして、ピーターは足を止めてそちらを見やった。だが、薄暗いその通りには誰もいない。ピーターが遅れていることに気づいたハリエットが振り返った。

「ピーター、どうかした?」
「いや、なんでもない。行こう」

 ピーターは頷き、また歩き出した。――あの通りはノクターン横丁に続いている。嫌な予感がしたが、すぐにその思いを振り払う。せっかくのハリエットとのお出掛けだ。暗い顔をしていたらもったいない。

 しかし、漏れ鍋を通り、マグルの住まうロンドンへと出たところで、ピーターは自分が判断を誤ったことに気づいた。嫌な気配は、マグル界へ出てもなおついてきている。気のせいではない。

「――ハリエット、こっちの道を通ろう」
「どうして? あっちの方が近いのに」
「誰かがついてきてる」

 ピーターはローブのポケットに手を入れ、杖を握った。反対の手はハリエットの肩に置き、間違ってもはぐれないようにした。その手から緊張が伝わってくるようで、ハリエットは不安げな面持ちでピーターを見上げる。

「ピーター……」
「大丈夫だよ。ただの客引きかもしれない」

 むしろそうであってくれと願っていたのはピーターの方かもしれない。だが、ついぞその願いが聞き届けられることはなかった。

「探したぞ、ワームテール」

 まるで気安い間柄のように肩を並べてきたのは、忘れもしないかつての同級。

「――エイブリー」

 母親を拉致し、ピーター自身をヴォルデモートの眼前まで連れ出した人物。彼の連れだったマルシベールは闇祓いに捕まり、今はアズカバンだ。にもかかわらずエイブリーだけが捕まらずにいられたのは、外国まで逃げていたからだ。

「なぜイギリスに? 亡命してたんじゃないのか?」
「とある伝手で戻ってきたんだ。やっぱりイギリスはいいな。この辺りは穢れた血の臭いで鼻がひん曲がりそうだが」

 ピーターは杖腕を出そうとしたが、エイブリーがその腕を押し止める。そしてピーターの向こう側にいたハリエットに顔を向け、目を細める。

「そのガキがジェームズ・ポッターの娘だろう? エバンズにそっくりじゃないか。こりゃ息子の顔も拝みたくなるな」
「――ハリエット、一人で家に帰れるね? 漏れ鍋から家へ。私は彼と話があるから」
「つれないこと言うなよ。ポッティーちゃんも一緒にお喋りしようぜ」

 ――目が据わっている。ハリエットはその鋭い視線に射貫かれ、思わずピーターの服を掴んだ。ピーターはやんわりその手を外した。

「家に帰りなさい」
「俺一人だけで来たと思ってるのか?」

 エイブリーがハッと鼻で笑う。ピーターはハリエットの肩を引き寄せた。

「なあ、お前に恨みがある奴、一体何人いると思う? お前の告発でアズカバン行きになった奴はおろか、今もまだ闇祓いから逃げ続けて泥水をすすっている奴……。その筆頭が俺だ」

 エイブリーはローブのフードを持ち上げた。そこから覗いた顔には醜い傷跡があった。左目から頬にかけて鋭利なナイフで切りつけられたような傷が走っている。目に光がないので、もしかしたら視力も失っているのかもしれない。

「ベラトリックスにやられたよ。裏切り者のお前を引き込んだのは俺だからってな。殺されなかっただけまだ良かった。あのお方を探す役目を担ったんだ。この十年は長かった。世界のあちこちを探したが、あのお方はどこにもいらっしゃらなかった」

 ハリエットは、ピーターの杖腕がエイブリーに掴まれているのに気づいた。これでは杖が使えない……。

「それなのに、だ。ホグワーツに隠されていた賢者の石が破壊されたらしいじゃないか。ダンブルドアの足下へ盗みに入ろうなんて豪胆さを持ち合わせる方なんて一人しかいらっしゃらない」

 エイブリーが足を止めた。自ずとピーターたちも立ち止まることを余儀なくされる。

「なあ嬢ちゃん。闇の帝王がホグワーツに現れたって言うのは本当か?」
「……!」

 ハリエットは息を呑み、その場に立ち尽くした。クィレルの後頭部に取り憑いていた亡霊のようなあの残骸をそう呼ぶのなら、答えは決まっている。だが、ハリエットにはどう答えたらいいのか分からない。視線だけで助けを求めると、ピーターはぐいっと前に出てエイブリーの視界からハリエットを隠した。

「私たちが知るわけがないだろう。聞く人を間違えている。ダンブルドアに聞けばいい」
「ポッターが慌ただしくホグワーツに出入りしていたのは知っている。関係してないわけがないだろう?」

 エイブリーはため息をつき、ついに右手をポケットから抜いた。節の多い杖が握られている。

「正直に答えるのなら、情けだけは与えよう」
「…………」
「一瞬だ。一瞬で終わらせてやる。そのガキもろともな」

 ビルの向こうから、横道から、後ろから。

 計三人の死喰い人が姿を現した。杖を手に油断なくピーターたちを包囲している。

 イギリス首都の昼下がり。大通りから逸れた道とは言え、通行人は多い。野暮ったい黒いローブを着た集団を見て、周りのマグルは、撮影か何かかと遠巻きに眺めながら通り過ぎていく。

「エクスペリアームス!」

 一人の死喰い人が武装解除呪文をかけ、ピーターの杖が宙を飛んで彼の手の中に収まった。杖を突きつけながらエイブリーもピーターから離れる。

「まあいい。無言は肯定と受け取る。悪く思うなよ。裏切り者はこうなるのが末路だ。お前の勇姿は我が君に伝えておくさ」

 エイブリーが死喰い人らに目で合図をする。その中の一人の杖が僅かに動いたところで、ピーターは叫んだ。

「デパルソ!」

 ――ハリエットに杖を向けて。

 まるで万眼鏡でスローモーション再生でもしたかのように、ハリエットの視界はゆっくり流れていった。必死の形相をしたピーターが不意に微笑み、また前を向いて、そして杖を構える。でももう遅い。ハリエットがこっそり渡していた自分の杖を、彼はハリエットを助けるために使ってしまった。ピーターが自分自身の身を守る時間はもうない。

 ハリエットは、近くのマグルを巻き込みながら遠くに吹き飛ばされた。そしてその瞬間、辺りが目映い光に覆われ、それから。

 耳をつんざくような爆発音が響き渡った。爆発に巻き込まれ、何人ものマグルが悲鳴を上げる。ハリエットもまた頭を打ち、瞬間的に気を失っていた。しかしすぐに覚醒し、慌てて起き上がる。そして眼前に広がる光景に愕然とした。

 爆発が起こった場所にはポッカリ大きなクレーターができ、その周囲にはおびただしい量の血が飛び散っていた。マグルの被害も甚大だった。ハリエットとその近くにいたマグルはうまく爆発から逃れられたが、近くを歩いていたマグルは重軽傷を負い、痛みに大きく喘いでいる。

 ――そして、その爆心地には。

 膨大な魔力を感知した魔法不適正使用取締局の局員が次々と姿現ししていた。その中には魔法事故リセット部隊もいる。諦めてマグルの目の前で堂々と姿現ししているのは、一連の出来事を記憶修正するほかないと判断したからだろう。

 辺りに死喰い人の姿はない。そしてピーターの姿も。

 ハリエットはよろめきながら走り出した。それに気付き、魔法使いが止めようとしたが、その腕を掻い潜ってハリエットは駆けつける。

 辺りには血の臭いが立ちこめていた。血だまりの中をハリエットは進み、そして見つけてしまった。ピーターが立っていた場所。そこに血だらけの上着と僅かな……僅かな肉片が……。

 腰が抜けてハリエットはその場に崩れ落ちた。血だまりが不快な音を立ててハリエットのスカートを濡らすが、そのことに頓着する余地はない。

「君、大丈夫か? 怪我はないか?」

 一人の魔法使いが肩を揺するが、ハリエットは何の反応も返せなかった。肉片のすぐ側に、ハリエットの杖が転がっていた。


賢者の石 完結