■繋がる未来―賢者の石―
25:家族の元へ
久しぶりの帰省。だが、いざ一年間も過ごしたホグワーツを離れるとなると、少し寂しいものがある。そう感じているのは何もハリエットだけではないらしく、ホグワーツ特急出発の時刻が近づいていてもなかなかグリフィンドールの談話室から人が離れる気配はない。
「ちょっと、まだチェスをしようって言うの? 正気じゃないわ。もうホグワーツ特急の時間なのよ!」
「だって挑戦者が後を絶たないんだ。マクゴナガルのチェスを破った僕にぜひ挑みたいっていう勇者がね」
「呆れた……」
首を振り、ハーマイオニーは男子部屋へ続く階段を上った。まだ降りてこないハリーの様子を見にだ。長年の勘で、ハリエットはまだ兄が荷造りを終えていないのだろうと察していた。本来はハリエットの役目なのだろうが、ロンが連勝していく様が面白くてソファから立ち上がれずにいる。そんな時、ハリエットのすぐ横から甘い匂いが漂ってきた。
「観戦のお供にお菓子はどうだい?」
「あ、ありがとう」
見ると、皿の上においしそうなクリームサンドがたんまり乗っている。ロンのチェックメイトをリーが凌げるかどうか、その大事な一手がかかってる時にあまりよそ見もしていられない。
クリームサンドを一つ手に取り、チェス盤を見ながらサクッと一口。次第に身体がムズムズし始めたのは、何もロンが八連勝目を決めそうだからではない。肌に何かが生えるような感触があり、チェス盤もなぜかどんどん遠ざかっていき、しまいにはロンたちを下から見上げる形になった。
なっ、なにこれ!
そう叫んだつもりが、ハリエットの口から出てきたのはピイピイと甲高い鳴き声だけだった。
「この前のお返しさ」
そう言って、文字通りハリエットを持ち上げたのはウィーズリーの双子だ。何が何だか分からないまま手の平の上で足踏みしていると、双子はハリエットに鏡を見せた。そこに映っていたのは、手乗りサイズの実寸カナリアだった。
「カナリア・クリームって名付けたんだ。面白い食べ物だろう?」
「可愛い〜」
ラベンダーが寄ってきてハリエットを撫でた。こんな姿なので、あんまり嬉しくはない。ハリエットは不満げな声を出したつもりだったのだが、やはり口から出てきたのはピーッと軟弱な鳴き声だけだった。
双子に抗議するつもりでパタパタ羽を動かしていたら、ハリーとハーマイオニーが階段を降りてきた。ようやくハリーの荷造りが終了したらしい。
「さ、もう行くわよ。チェスも終わったわね?」
言いながら、ハーマイオニーは杖の一振りでチェス盤をロンのトランクに突っ込ませた。もう少しで勝敗がつくというところだったのでロンの悲鳴は悲惨で、逆にリーは良い笑顔でハーマイオニーに返事をした。
「あら、ハリエットは? ……もう、あなたたちがのんびりしてるから、ハリエットが行っちゃったじゃない!」
「違うよ、ハリエットはここだよ」
ラベンダーの手の平のカナリアを指さし、双子が短く言う。ハーマイオニーはきょとんとしていたが、やがてみるみる眉を釣り上げる。
「あなたたちはまた……! もう出発する時間だって言うのに悪戯なんかして! 早くハリエットを元に戻して!」
「そう怒んなくても直に戻るよ。一分で元に戻る仕組みなんだ」
そう言い終えるや否や、カナリアの羽がポツポツと抜け落ち始めた。やがて全て抜け落ち、元の姿に戻ったハリエットがぶすっと立ち上がった。双子がニヤニヤ問いかける。
「どうだった?」
「最悪よ。それにおいしくなかったわ」
「クリームサンド? 味は二の次だろ?」
「いくら悪戯でも、おいしくなくっちゃ。まずいのが悪戯ってわけじゃないんでしょう?」
「それもそうだな」
そういう問題でもないとハリーは思ったが、何も言わなかった。母のお菓子の腕が良いので、ハリエットは味にうるさいのだ。
双子が悩み始めたその隙にハリエットはそうっと離れた。いつまでもこの場にいたら、またどんな悪戯をされるか分かったものではない。
「うーん、味の研究はしたことないからな」
「おふくろに聞いてみるか?」
「そうしよう。それに、もう少し中身の改良もしたいよな。ただ可愛いだけじゃ面白みに欠けるし」
「いっそのこと、もっと大きくしてみるか? 人間サイズのカナリア!」
不穏な言葉を最後に、ハリエットはようやく談話室を脱出した。トランク片手にハリー、ロン、ハーマイオニーも集まっている。
「さ、ハーマイオニーの大好きなホグワーツ特急に行こうか」
「あなたたちがのんびりしてるだけ!」
ロンとハーマイオニーの掛け合いにクスリとしながら、皆でホグズミード駅へ向かう。
「夏休み、うちに泊まりにおいでよ。ママが喜ぶしさ」
「あ、僕もそう言おうと思ってたのに。父さんも母さんも、二人を家に呼べってうるさいんだ」
「うるさいって……」
あんまりなハリーの言いようにハリエットは訂正しようとしたが、クリスマス休暇中、両親とシリウスで言い合っていた光景を思い出し、やっぱり止めた。確かにちょっとうるさかったかもしれない。
「じゃあ交代で泊まろうよ。君たちの家ってゴドリックの谷にあるんだっけ? 行ったことないな」
「どんな所なの?」
「何もない田舎だよ。でも、マグルも住んでるから、魔法には少し気をつけないといけないけど」
「楽しみだなあ」
言われてみれば、お互いの住んでいる所の話はしたことがなかった。話題は唯一のマグル生まれ、ハーマイオニーの地元の話に移りながら、やがてホグズミード駅にたどり着いた。
いつかと同じように、ハグリッドが生徒たちを誘導して汽車に乗せている。ハリーたちを見ると、彼は嬉しそうに片手を上げた。
「よう、お前さんら。しばしの別れだな」
「ハグリッド、お酒も賭け事もほどほどにね」
「そう言われると立つ瀬がねえ……」
大きな身体を竦ませ、ハグリッドはしょんぼり言う。
「でも、あれからお咎めもなかったんでしょう?」
「ああ。いずれにせよ奴は石を見つけ出していたからって……。本当はクビにされてもおかしくないっていうに……」
嘆くハグリッドの背後で、急にピイピイ騒がしくなってきた。この鳴き声に敏感だったのはハリエットだ。
「もしかして、カナリア・クリームじゃ……」
言い終わらないうちに、ホグワーツ特急からカナリアが飛び出してきた。一羽だけではない。軽く十羽近くいる。想像に違わず、フレッドたちの声が聞こえてきた。
「待った待った、これはまだ試作品だから提供できないんだ。ちょっと待っててくれ、もう少ししたら、もっとあっと驚くような悪戯フードに……」
「まーたお前さんらか。家へ帰る日にも悪戯しちょって」
汽車の窓から顔を突っ込み、ハグリッドががなり立てる。バタバタと騒がしいので、もしかしたらウィーズリーの双子は逃げ出したのかもしれない。
「可哀想に……」
つい少し前までの自分を見ているようで気の毒だ。ハリエットは、飛ぼうとして、しかし全く飛べずに地面に落ちたカナリアたちに近寄った。どこの誰かは分からないが、恐ろしく太った二羽に一羽のカナリアが押し潰されている。このままでは窒息死しそうなほど窮屈そうだ。
「大丈夫?」
哀れなカナリアを救い出すと、驚いたのか、ピーッとやけに甲高く鳴きながら飛び立とうとして、しかしまた失敗して汽車の窓に身体をぶつけている。
「ドジなカナリアだ。これはネビルだな」
ニヤッと笑うロンの声に合わせるかのように、みるみるカナリアの羽が抜けていく――と、そこに立っていたのは丸顔のネビルではなく、尖った顎のドラコだ。
「誰がロングボトムだ!」
乱れた髪を直し、ドラコが立ち上がった。しばしきょとんとした後、ロンはお腹を抱えて笑い出した。
「マルフォイ、君、箒で飛ぶのは上手くてもカナリアじゃ落ちこぼれなんだな」
「そういう君は上手なのか? ――ああ、毎日兄に実験台にされてるから上手なのか」
「何だって?」
自分から喧嘩を売ったくせに、挙げ句すぐに挑発に乗ってしまったロンを抑えつつ、ハリエットはせめて笑顔でドラコを見送る。
「また来年もよろしくね、マルフォイ」
久しぶりに我が家に帰れる嬉しさで大いに寛容だったのだ。想定外の反応だったのか、ドラコは始めこそきょとんとしていたが、やがてすぐにぶすっと顰めっ面を返した。来学期にはもう少し仲良くなれればと思うが、あの様子では無理そうだ。
「警戒心の高そうなマルフォイがよく食べたね」
ハグリッドから逃げ帰ってきたフレッドにロンが話しかけた。
「そりゃ、車内販売を装ったからな」
「なんて手の込んだ……」
ロンが呆れて呟く。もしここに母親がいたならば「その熱心さを少しでも勉強に向けてくれたら……」と嘆きそうだ。
車内はまだ少し羽毛が飛び散ってはいたが、あらかた生徒たちはみな元の姿に戻れたようだ。
空いているコンパートメントを見つけ、皆でとりとめのない話をしていると、ロンドンに着くのはあっという間だった。アナウンスが鳴り始めた頃からそわそわしていたハリエットは、やがて汽車が止まると一番にコンパートメントを出た。「ほら、甘えん坊でしょ?」とでも言いたげにハリーが目配せすると、ロンは「間違いない」と頷いた。くだらないやり取りをする男の子たちにハーマイオニーは肩をすくめた。
「お父さん、お母さん!」
「ハリエット! おかえり!」
自分の胸に飛び込んできてくれるものと腕を広げていたジェームズは、ショックを受けた顔でそっと腕を下ろした。今まさにハリエットが妻の胸に飛び込んだばかりだったからだ。リリーに負けるなんて……。だが仕方がない。リリーとはクリスマス以来なのだから。
人の波が一段落つくのを待って、のんびりやってきたハリーにジェームズは話しかけた。
「ハリー、おかえり。マルフォイは大丈夫だったか?」
「マルフォイ?」
ハリーはきょとんとした。
「まさか、忘れてたのか? マルフォイがハリエットに近づかないよう監視してくれって言っただろ?」
「ああ、そういえばそんなことも……。うん、まあたぶん大丈夫だよ」
何とも適当な返事だ。ジェームズは疑り深く息子を見つめるが、リリーの手前、あまり強くは聞けない。
「それよりもハリー、ホグワーツのクリスマスは楽しめた?」
「うん。ご馳走もおいしかったし、飾り付けも綺麗だった。それに、残ってる人が少なかったからちょっと特別な感じがしたかな」
「薄情な息子だ。パパたちは二人が揃って帰ってくるのを待ってたのに」
ジェームズがいじけてそっぽを向く。リリーは気にせずハリーに賢者の石の冒険譚について尋ねた。照れくさそうに話すハリーに、興奮しながら合いの手を入れるハリエットが加われば、もうジェームズそっちのけで話が盛り上がる。すっかり蚊帳の外になってしまった時、躊躇いがちに誰かが呼び止めた。
「あのー、ハリーのパパさん?」
またサインか何かか、とジェームズが振り返ると、そこには赤毛のそっくりな少年が二人が立っていた。ウィーズリーの有名な双子だ。
「ハリエットから聞きました。忍びの地図、俺たちがもらってもいいって……。でも、本当にいいんですか?」
「ああ、もちろん」
ジェームズは躊躇いなく頷いた。他の制作者たちに確認したわけではないが、きっと彼らもジェームズの意見に賛成したことだろう。
「ハリーやハリエットにプレゼントするのは夢ではあったけど……でも、フィルチの部屋から盗み出して、なおかつその使い方まで暴いたのなら、もうそれは君たちのものだよ。存分に使いこなしてほしい」
「――ありがとうございます」
地図の便利さを十二分に実感している双子は、素直に礼を述べた。ジェームスはニッと笑い、二人に顔を近づけて囁く。
「――それに、ここだけの話、妻に怒られてね。子供たちを第二の悪戯仕掛人にするつもりかって。あの子たちよりは、君たちの方がよっぽど後継に向いてるからね」
「俺たちもそう思います」
自惚れではなく、仲間意識だ。妙な連帯感を感じながら、三人は握手を交わした。
「でも、どうして制作者の一人が私だって気づいたんだい? よく分かったね」
「ハロウィーンの日、ハリーたちに吠えメールを送ったでしょう? その時に悪戯仕掛人って言葉がちらっと聞こえたので」
「なるほど、少しばかりうっかりしてたかな。ああ、でもこうして君たちと知り合えたのは嬉しいよ。久しぶりに悪戯の話が思う存分できそうだから」
「俺たちも聞きたい」
ニヤッとそっくりな顔で笑い合う三人。急になぜか嫌な予感がし、リリーがジェームズの名を呼んだのだが、その頃には、まるでマクゴナガルに呼び止められた時のように何気なさを装って三人は解散していた。