■繋がる未来―賢者の石―

24:寮杯の行方


「――抗えぬ運命だったのじゃよ。覚悟もなしにあの者と対峙させるわけにはいかぬ。これはどうしても必要なことだったのじゃ――」

 声を潜め、誰かが話す声にハリーは薄ら目を開ける。一番に視界に飛び込んできたのは、己とよく似た顔が難しい表情を浮かべているところで。ハリーは掠れた声を上げた。

「父さん……?」
「ハリー! 気がついたのか!? 気分は?」
「大丈夫――それよりあいつは! クィレル! クィレルが石を盗もうとしていたんだ!」
「落ち着くのじゃ、ハリー。クィレルはもう石を悪用することはできぬじゃろう」

 今度はダンブルドアがハリーを覗き込んだ。その顔を見ていると、ハリーも毒気を抜かれてまたベッドに身を横たえる。

「僕はどのくらい眠ってたんですか?」
「三日間じゃよ。ハリエットたちも心配しておった。君が気がついたと知ったらホッとするじゃろう」
「でも先生、石は……」
「石は大丈夫だ。私が駆けつけた時も、クィレルはお前から石を取り上げることができずにいた。一人で本当に頑張ったな」

 クシャッと笑ってジェームズが頭を撫でた。ダンブルドアの前なのでハリーは苦笑いでそれを受け入れる。

「でも不思議なのは、僕が触れたら、クィレルはまるで火傷したみたいに顔が焼けただれていって……。どうしてクィレルは僕に触れなかったの?」

 ジェームズとダンブルドアが顔を見合わせた。少し躊躇った末、ジェームズが口を開く。

「――そういう魔法をお前にかけておいたんだ。嫌な予感がしてね。悪しき者がお前に触れることができないように」
「そんな魔法……聞いたことがない」
「今年ホグワーツに入学したばかり新入生が一体どれだけこの世の魔法を知ってるって言うんだ?」
「なんで僕にかけたの?」
「嫌な予感がしたからだって言っただろう? 私も入学したての頃は思う存分いろんな所を冒険したものだ」

 ハリーはじっとジェームズを見つめる。誤魔化されていると肌で感じたのは、これまでも同じような状況があったからだろう。そういう時は決まってシリウスやリーマス、ピーターが集まり、大人だけで話をしようとして、ハリーやハリエットは部屋から締め出されたものだ。

 息子からの疑念を感じ取り、ジェームズはため息をついて膝をついた。視線が同じ高さになる。

「ハリー、私は君たちに透明マントを贈ったが、こういうことをしてほしかったからじゃない。お前たちのおかげでヴォルデモートの復活は阻止できた。ああ、それは喜ばしいことだ。でも、そのせいであいつは確実にお前のことを恨むようになるだろう」
「ジェームズ、この子たちの行動はとても勇敢じゃった。君やシリウスだって同じことをしていたじゃろう」
「ええ、それは分かっています。ですが、親だから言いたいこともあるんです」

 考えすぎかもしれない。だが、ハリーは少しジェームズの言葉に刺を感じた。深く考える間もなくジェームズの声が大きくなる。

「私の息子だということでそもそも狙われやすくはあっただろう。だが、今回のことで奴は個人的にお前に恨みを抱くようになった……。それはとても危険なことだ。分かるね?」

 視線を落とし、ハリーは頷く。

「お前のしたことは正しい。褒められて然るべきだ。でも、それでも私はお前たちに危険なことはしてほしくない……。それだけは分かってくれ」
「僕は、勇敢なところを見せてやろうって思ったんじゃない。ヴォルデモートが復活するのは阻止しないとって思っただけで……」
「分かってる。お前は……まあ、なんというか、喜ばしいことに、リリーによく似てる。友達思いで、正義感があって、驕ったところは一つもない――そういう所が好きなんだ。そういう所がとても素晴らしいと思う」

 むず痒くなって、ハリーは居心地悪く視線を逸らした。嬉しくないわけではない。だが、こんなに真面目な調子で愛情を伝えられたことは今までになかった。いつもは大抵大袈裟なくらいに溺愛してきていたのだから。

 ダンブルドアの前だから、とハリーは咳払いをしてまた真面目な話に戻る。ずっと胸に抱えていたしこりのような不安の種だ。

「ヴォルデモートは、きっとまた戻ってくると思う?」
「ああ、いなくなったわけじゃない。乗り移る身体を探しているんだろう。また同じように誰かがヴォルデモートの狙いを挫かなければならないかもしれない。でもそれはお前たちであってほしくない。私たち大人がやるべきことだ。全力でヴォルデモートの行方を追おう」
「うん……」

 ハリーは大人しくジェームズに抱き締められていた。だが、不意に聞こえてきた友達の声に慌てて離れる。

「そんな、少しだけでも駄目ですか? 五分だけでも……」
「いいえ、絶対にいけません。安静にしなければ」
「でも、ダンブルドア先生は良かったのに」
「そりゃ校長先生ですから、他とは違います」

 言わずもがなロンたちの声だ。

 一連の流れを聞いてようやくハリーは気がつく。ダンブルドアがいない。一体いつ医務室を出て行ったのだろう。

 咳払いした後、申し訳なそうに、しかしハキハキと話すハーマイオニーの声も聞こえる。

「ダンブルドア先生に言われたんです。ハリーが目を覚ましたから、顔を見てくるようにって……」
「……まあ、それなら仕方ないでしょう。でも五分だけですよ」

 マダム・ポンフリーの許可をもらい、三人はワーッとハリーのベッドまで押し寄せた。

「ハリー!」
「気分は大丈夫?」
「安心したよ。君、全然目を覚まさないから……」

 口々に安堵の言葉を述べ、三人はようやくジェームズの存在に気がついた。

「お父さん?」
「こんにちは」
「やあ、皆には心配をかけたね。どうぞ掛けて」
「でも、五分だけって……」
「お見舞いがさすがに五分に収まらないのはマダム・ポンフリーも承知済みさ」

 ジェームズの言葉を受け、ハリエットたちは近くの椅子に腰を下ろした。そして一番気になっていたことを尋ねる。

「一体何があったの? スネイプが犯人じゃなかったんだよね?」

 ハリーの意識が戻らなかった数日間、何食わぬ顔でスネイプは授業を続けるし、代わりにクィレルが休んでいるしで、何がなんだか分からなかったのだ。簡単にダンブルドアから説明を受けてはいたものの、疑問が膨れていくのも当然だった。

 ハリーは、論理の部屋でハーマイオニーとも別れた後のことを語った。ヴォルデモートを復活させようとしていたのはクィレルで、ヴォルデモートは彼の後頭部に取り憑いていたこと。スネイプはハリーのことを守ろうとしていただけだったこと。賢者の石はみぞの鏡の中に閉じ込められていたが、ハリーだけがそれを取り出すことができ、クィレルと取り合いになったこと。ハリーの手が触れると、その途端に彼の顔が焼けただれたようになったこと。

 足りないところはジェームズが補足してくれた。ハリーだけが鏡の中から石を取り出すことができたのは、ハリーが石を使いたいとは思っていなかったからだということ、ニコラス夫妻にはダンブルドア自ら説明し、賢者の石は破壊してしまったこと。

「君がそんな大冒険をしてる間、僕は呑気に医務室で寝てたなんて」
「廊下で寝てたのよ。お父さんに会えてホッとしたせいで、私、しばらく腰が抜けちゃって動けなかったの」
「風邪引かなくて良かったわね」

 ハーマイオニーにクスッと笑われ、ロンは大袈裟に首を振った。

「ハリー、何とか言ってくれよ!」
「僕はあんなに頑張ってたのに……」
「ハリー!」

 ハハッとジェームズにまで笑われ、ロンは恨ましげだ。だが、単純にジェームズは懐かしかったのもある。四人の何気ない掛け合いが、あの頃の、あの子たちのそれを彷彿とさせて。

 だが、そんな穏やかな時間にも終わりがやってきた。マダム・ポンフリーが厳しい顔を覗かせてきたからだ。

「ミスター・ポッター? あなたまで楽しそうに会話に花を咲かせているようですが、面会時間はとっくに過ぎていますよ」
「これは失礼しました。子供たちの可愛い顔を見ていたら時間を忘れてしまいました。マダム・ポンフリーならお分かりですよね?」
「ふざけるのも大概に、ミスター・ポッター。そろそろ学年度末パーティーが始まる時間ですよ。あなたはともかく、子供たちは参加したいのでは?」
「あっ!」

 急にロンがソワソワし出した。パーティーで出るであろうご馳走のことを思うと、急に自分が空腹であることを思い出したようだ。それを見て、ハリーももちろん落ち着かなくなる。

「僕、もう退院してはいけませんか?」
「いけません! 目覚めたばかりなんですよ!」
「でも、もう元気です。食欲だってあるし、初めてのパーティーなんです」
「マダム・ポンフリー……」

 ジェームズまでもがお願いの目で見つめた。本来ならば、保護者として彼はこちら側なのに、とマダム・ポンフリーは額を押さえる。

「……分かりました。ですが、パーティーが終わったらちゃんとまた戻ってくるんですよ。診察をしますからね」
「ありがとうございます!」

 ぴょんとベッドから抜け出し、ハリーはマダム・ポンフリーの気が変わらないうちにさっさと医務室を出た。大広間の前まで来ると、ジェームズが立ち止まった。

「このまま何食わぬ顔で私も参加したいところだけど、さすがにもう戻らないと。ハリー、ハリエット、残りのホグワーツ生活も楽しむんだよ」
「お父さん、助けに来てくれてありがとう」

 これまでも何度か感謝の気持ちを伝えてはいたが、ハリエットは改めて礼を述べた。ハリーも、この流れで思春期を貫くわけにもいかず、照れくさそうに呟く。

「ありがとう……」
「子供が危険な目に遭ってるかもしれないっていうのに、じっとなんかしてられない。君たちが無事で良かった。ロンも、ハーマイオニーも。この子たちを助けてくれてありがとう」

 ロンとハーマイオニーは、くすぐったそうに笑った。ジェームズはますます笑みを深くしてハリーたちの頭をくしゃりと撫でた。

「どんな些細なことでも、不安に感じたら教えてほしい。もちろん、言いたくないことは言わないでいいけどね。私とて、学生時代何回罰則を食らったことか。きっと歴代の中で最高を誇るんじゃないか?」

 まさか、減点と罰則を受けたこと、ジェームズは知っているのだろうか?

 ハリエットは不安げな顔になるが、聞くこともできないままジェームズは手を振って去って行く。ハリーがじっとハリエットを見た。

「罰則のこと、父さんたちに言ってないよね?」
「言ってないわ」

 心外だ。

 思わずハリエットが言い返すも、なおもハリーは訝しげだ。

「だって、ハリエットはすぐ何でも皆に言うんだから」
「何でも言わないわ!」

 ついハリエットの声も大きくなる。まあまあ、とロンが宥めた。

「だって、ハリーが……」
「ごめんって」

 むくれるハリエットを余所に、ハリーはなんとも呑気な顔で扉を開ける。

 大広間に入ると、生徒たちは一瞬静まりかえり、そしてまた騒がしくなった。皆がハリーに注目している。ハリーがクィレルから賢者の石を守ったという話は「秘密」だったのだが、ホグワーツにおいて秘密というのは、つまり学校中が知っているという意味なのだ。

「さて、全員が揃ったところで、寮対抗杯の表彰を行うとしよう。なあに、ご馳走は走って逃げはせん」

 ダンブルドアがそう言った瞬間、クラッブが皿に伸ばしていた手を引っ込めた。ドラコが睨んだせいもある。

「点数は次の通りじゃ。四位グリフィンドール、三四二点。三位ハッフルパフ、三五二点。二位レイブンクロー、四二六点。そしてスリザリン、四九二点」

 スリザリンのテーブルが一気に沸き立った。反対にグリフィンドールはお通夜のようだ。大広間がグリーンとシルバーのスリザリンカラーで飾られていたので、優勝がどこなのか予想はついていたが、やはりグリフィンドールは面白くない。何人か、行儀悪く料理を食べ始めようとしたところで、ダンブルドアの次の言葉にピタリと動きを止めることとなる。

「スリザリンはよくやった。しかし、最近の出来事も勘定に含めねばな」

 広間全体が静まりかえった。スリザリン生の笑みが消える。

「駆け込みの点数をいくつか与えよう。まずはロナルド・ウィーズリー君」

 その中の一人、ロンがエッと顔を上げる。

「この何年か、ホグワーツで見ることができなかったような、最高のチェスゲームを見せてくれたことを讃え、グリフィンドールに五十点を与える」

 割れんばかりの拍手が起こった。ロンは何が起こったか分からないと言った顔で辺りを見回した。徐々にその顔が赤くなる。

「僕の弟さ! マクゴナガル先生の巨大チェスを破ったんだ!」

 パーシーが他の監督生にそう言うのが聞こえた。

「次にハリエット・ポッター嬢。周囲に助けを求めようとした的確な判断を讃え、グリフィンドールに五十点を与える」

 またも歓声が上がる。加点をもらえたなんて信じられなくて、しばらくハリエットは呆けていた。

「続いてハーマイオニー・グレンジャー嬢。火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処したことを讃え、グリフィンドールに五十点を与える」

 ハーマイオニーは両手に顔を埋めた。ノーバートの件で、大量に失点していたことをずっと気にしていたのだ。

「四番目はハリー・ポッター君。その完璧な精神力と並外れた勇気を讃え、グリフィンドールに六十点を与えよう」

 再び歓声が上がった。耳をつんざく大騒音だ。スリザリンと全く同点だ。寮杯は引き分けだ!

「勇気にもいろいろある」

 ダンブルドアは微笑んだ。

「敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ。そこでわしは、ネビル・ロングボトム君に十点を与えたい」

 爆発と聞き紛うほどの大きな歓声がグリフィンドールから沸き上がった。ハリーたち四人は立ち上がって叫んで歓声をあげる。ネビルは皆に抱きつかれて顔を青くしたり赤くなったりしていた。

「従って、飾り付けをちょいと変えねばならんのう」

 ダンブルドアが手を叩くと、グリーンの垂れ幕が真紅に、銀色が金色に変わった。

 巨大なスリザリンのヘビが消えてグリフィンドールのそびえ立つようなライオンが現れた。教員席の方を見やれば、スネイプが苦々しげな作り笑いでマクゴナガルと握手をしている。

 それからは、飲めや歌えの大騒ぎだった。スリザリンから寮杯を奪い取ったのなんて、一体何年ぶりだろう。グリフィンドールが寮杯を獲れたことをハッフルパフもレイブンクローも祝ってくれたが、もちろんスリザリンはそうではない。皆の中心に立ち、賢者の石の話をせがまれ、夢中で冒険譚を語るハリーやロンを苦々しく見つめている。

 スリザリン生は、食事を終えると、気分を害したように早々に大広間を後にした。それを見て、少しハリエットも胸が痛む。自分たちが優勝だと確信していたのに、直前に駆け込みで点数が入り、順位が入れ替わってしまったら確かに気分は良くないだろう。

 やがて、その後をを追うようにスネイプも立ち上がり、大広間を出ていこうとする。ハリエットはあっと思って立ち上がった。

「スネイプ先生!」

 地下へ降りる階段でハリエットは声を張り上げた。黒いコウモリのような出で立ちの男がゆっくり振り返る。

「先生、あの……」

 下から見上げられているだけなのに、その威圧感に身が竦みそうになる。だが、ハリエットはそれをぐっと堪える。

「ハリーのこと、助けてくれてありがとうございました。ハリーの箒に呪いをかけられてた時、先生が助けてくれたんですよね?」
「何のことやら我輩には見当もつきませんな。ポッターの腕前があの程度だったのではないのか?」

 なかなかに失礼なことを言う。だが、ハリエットは堪える。これから自分も失礼なことを口にする自覚があったからだ。

「わ、私、実は先生のこと疑っていて……。先生がハリーのこと殺そうとしていたんだと思ってたんです。でも、お母さんは違うって言って……」
「君の母親から手紙が来たのはそのせいかね? そうやってすぐ保護者に手紙を書くのは止めてほしいものですな。ジェームズ・ポッターのように大騒ぎする輩が現れては堪らん」

 ハリーにも似たようなことを言われていたので、ハリエットは返す言葉もなかった。こんな風に思われるのが嫌だったからハリーもジェームズに手紙を書くのを渋っていたのかもしれない。

「そもそも、余計なことに首を突っ込んだ挙げ句、医務室に入院する羽目になったのは自業自得ではないか。そういうところは父親に似たのだろうな」
「でも、ハリーはハリーです……」

 ハリエットは思わずそう口にするのを止められなかった。ピクリとスネイプの顔が動いたのを見て、言うんじゃなかったと思ったが、しかしもうなかったことにすることはできない。ハリエットにできるのは、せいぜいスネイプの気をそらすことだけだ。

「とにかく、スネイプ先生。ハリーを助けてくれてありがとうございました」

 最後にそれだけ言うと、ハリエットは言い逃げとばかり大広間の中に逃げ込んだ。それ以上その場に留まれば、またどんな嫌味を言われるか分かったものではない。

 グリフィンドールらしからぬ逃げ足の速さを見せるハリエットを見送り、スネイプは眉を顰めながらまた歩き始める。

『杖を返して』

 そんな声が今にもどこからか聞こえてきそうだった。友達と相反することも厭わず杖を差し出してきた彼。宿敵そっくりのその顔は、しかし瞳だけは明るいグリーンをしていた。

 ――確かに、彼は違ったかもしれない。「彼」は。

 だが、ここの彼はどうだ。宿敵にぬくぬくと育てられた彼は、生意気にも教師に楯突き、堂々と文句を並べ立てる。まるで学生時代のジェームズ・ポッターを見ているようで気分が悪い。

 そう、今までのホグワーツ生活は、少々ウィーズリーの双子が騒がしいものの、それでも比較的穏やかだった。スリザリンも毎年寮杯を獲得し、順当にいっていたのに、ポッターの息子が入学してから全てがひっくり返された。やはり問題児に違いない。

 来年こそは、ポッターの息子をどうにかしてやろうと思いながら、スネイプは研究室の扉を開けた。