■繋がる未来―秘密の部屋―

02:サイン会の再会


 夏季休暇も終盤に近づくと、ホグワーツからふくろうがやって来た。九月一日にホグワーツ特急に乗るようにという手紙と、新学期用の教科書のリストが入っていた。

 ロン、ハーマイオニーからも手紙が届いており、ダイアゴン横丁で一緒に教科書を買おうと誘われた。なぜか二人とも示し合わせたように水曜日を指定してきたのでハリーは首を傾げた。

「水曜日って何かあるの?」
「今週の? 別に何の記念日でもなかったと思うけど」
「そうだよね」

 とまあ、特に断る理由もないので、ハリーもハリエットも喜んでと書いて返事をした。

 その水曜日がやって来ると、ハリーたちは煙突飛行ネットワークでダイアゴン横丁へ向かった。ハリーの後に暖炉を出ると、ハリエットに何かが飛びついてきた。ハーマイオニーだ。

「辛かったでしょう……」

 キングズ・クロス駅で別れてから、ハーマイオニーと会うのはこれが初めてだ。日刊予言者新聞でハリエットの身に起こった出来事を知り、ハーマイオニーは手紙でしかやり取りができないことを歯痒く思っていたのだ。

「大丈夫、大丈夫だから」

 暖かな腕の中に包まれていると、じわりと涙が浮かんできそうだったので、ハリエットはやんわりハーマイオニーから離れようとした。だが、その更に上からガシッと誰かにハグされ、ハリエットは目を白黒させる。

「ロン?」
「アー……やっ、久しぶり」
「久しぶり……」

 ロンと目が合うと、彼は照れくさそうに横を向いた。その視線の先にはウィーズリーの双子が。ハグなんてロンの柄じゃないだろうに、兄にせっつかれたのだろうか。ハリエットは苦笑を浮かべた。

「ありがとう。もう大丈夫よ」
「ならいいんだけど」

 ぎこちなくロンが離れた。

「あっ、紹介するよ。妹のジニー」
「よろしく」
「よろしくね。ハリエット・ポッターよ」

 去年よりも少し背が伸びたようだ。ジニーとにこやかに握手をしたが、いざロンがハリーを紹介しようとした時、彼女はサーッとモリーの背に隠れてしまった。

「ハリーにお熱なんだ」

 ロンはハリエットの耳に囁いた。

「キングズ・クロス駅で初めて会った時からうるさくってさ」
「妬いてるの?」
「まさか! 早すぎるって言いたいんだ。だってあいつまだ十一歳だぜ? 子供じゃないか!」

 そう言うロンとは一歳しか違わないのだが、ハリエットは黙っておくことにした。

 ポッター家、ウィーズリー家、グレンジャー家と三家族揃うことになったが、しばらくは別行動することになった。ハリーたちもいざ四人でダイアゴン横丁へ繰り出そうとしたが、後ろからこっそりついてくる気配に気付かないではいられない。

「父さん……僕たちもう子供じゃないんだ」
「それはもちろん分かってる……。ただ、何があるか分からない。念のためだよ。私のことはいない振りをしてくれて構わないから」

 そう言われれば、ハリーもそれ以上は何も言えない。ピーターのこともあって、子供たちだけで歩かせるのが心配なだけだろう。

 ただ、いない振りは全くもってできなかった。すれ違う魔法使いらが「いない振り」してくれないのだ。誰かがジェームズに気づくと、ちょっとした人だかりができた。皆が皆サインや握手を求めるので、そのたびにハリーたちは待たなければならなかった。

 しばらくすると、ハーマイオニーがもどかしそうに何度も腕時計を見始めた。握手待ちの時間つぶしにアイスクリームを買ったロンがのんびり尋ねる。

「何かあるの?」
「忘れたの? 一時間後に書店で待ち合わせって言ってたでしょう?」
「もうそんな時間? まだ全然見てないのに」
「父さんは目くらまし術を使うことを覚えなきゃ」

 ハリーが嘆息して言った。ハリエットは小さく頷いて同意した。

 結局、人混みの中から無理矢理ジェームズを連れ出したハリーたちは、そのままフローリシュ・アンド・ブロッツへ向かった。だが、書店へ近づくにつれなぜか人だかりが大きくなってくる。書店にもう一人ジェームズがいるのかと錯覚してしまいそうな事態だ。だが、もちろんジェームズではない。窓にかかった大きな横断幕によると、今からギルデロイ・ロックハートによるサイン会が行われるらしい。

「本物の彼に会えるわ!」

 ハーマイオニーが黄色い声を上げた。

「この人のこと知ってるの?」
「もちろんよ。リストにある教科書のほとんどを書いてるじゃない!」
「ロックハート……ロックハートね」

 ロンがうんざりして呟いた。

「ママ、もしかしてこのことを知ってたからわざわざ水曜日に決めたんだろうな」
「君のママってロックハートのファンなの?」
「うんざりするほどにね」

 人だかりはほとんど三十から四十代ほどの魔女ばかりだった。皆と落ち合う約束をしているばかりに、仕方無しにハリーたちは人の波に突っ込んでいった。

「彼の本、リストに七冊も載ってたでしょう? 私、気になって先に一冊だけふくろう便で頼んでみたの」

 人混みの中でもハーマイオニーのハキハキした声はよく聞こえる。ハリエットはうんと相槌を打った。ハリーとロンは、ロックハートのサイン待ち列にうんざりして早々遠くの方へ行ってしまい、はぐれてしまった。ハリエットは何とか二人を追おうとしたが、途中からあることに気付いた。ハーマイオニーもハリエットと同じくハリーたちを探している――と思いきや、彼女はどうもわざとサイン列へ近づいているように見えたのだ。

「彼の本――とても面白くてね。私、夜更しして読んじゃったの。だってハラハラドキドキし通しなんですもの。フィクションじゃないなんて信じられないくらい。あなたも、読んだらとても気に入ると思うわ――」

 その言葉を最後に、ハーマイオニーは見えなくなった。一人になってしまったハリエットは仕方無しに階段へ避難した。

 書店の二階は、ハリエットと同じように、ロックハートのサイン会から逃げ出した人たちが散見していた。一階から響いてくる喧噪は気になるが、それでも四方から漂う紙の匂いやほどよい照明、軋む床板は妙に安心感がある。

 二階に並べられている本はほとんどが難しそうなものばかりだったので、ハリエットはそのどれも手に取らないまま、当てもなくウロウロしていた。別に走り回っていたわけではないが、本棚の角を曲がろうとしたところで人とぶつかりそうになり、理由もなく歩き回っていたことを少し後ろめたく思った。ただ、その相手がスリザリンのドラコ・マルフォイであることに気付くと更に複雑な心境になったが。

「君もロックハートとか言うサイン会のために来たのかい?」

 少し驚いていた様子だったが、持っていた本を小脇に抱え、早速のご発言だ。

「違うわ。たまたま教科書を買いに来たのと被っちゃったのよ」
「涙ぐましい言い訳だね」

 それを言うなら、ドラコもサイン会に興味があったというのを否定できなくなるのだが、ハリエットは黙っておくことにした。

「全く、世の魔女はどうしてあんな目立ちたがり屋の嘘くさい魔法使いに夢中になるのか、僕は気になって夜も眠れない。目立ちたがり屋が人気になるっていうのは世の常なのかな?」

 吹き抜けの手すりに肘を置き、階下を眺めるドラコ。きっと、一階にいるジェームズのことを揶揄したいのだろう。だが、ハリエットは言い返す気にはなれなくて黙っている。

「――ドラコ、もう行くぞ。いつまでもこんな所にいたら鼻がひん曲がりそうだ」

 向こう側から現れたのはルシウスだった。本棚の影になっていて見えなかったのか、ハリエットの姿を認めると、彼は唇の端を吊り上げた。

「これはこれは……。ミス・ハリエット・ポッター?」
「こんにちは」
「まさか日中出歩いているとは思いもしなかったが。一人かね? ご両親は?」
「一階にいると思います」

 ルシウスは、クリスマス休暇に見かけた時よりも健康そうに見えた。頬には肉がつき、目には光がある。だが、それでも一度失われた若さはそこにはない。

「先の事件は実に痛ましかった……。ご冥福をお祈りする」

 何と答えたものか分からなかったので、ハリエットは静かに頭を下げた。

「して、その闇の魔法使いはまだ逃走中だとか。君も気が気でないだろう」

 ルシウスが一歩詰め、ハリエットがその威圧感に二歩下がった時、ジェームズが階段を駆け上がってきた。

「ハリエット! こんな所にいたのか」

 ジェームズとルシウス、二人の視線がかち合うが、ジェームズは何事もなかったかのように視線を外し、ハリエットの肩に手をおいた。

「まだ教科書は買ってないな? 今は混んでるし、サイン会が終わるのを待った方が良いか……」
「ミスター・ポッター、挨拶もなしとは悲しいな」
「……久しぶりだね、マルフォイ。いつ以来かな」
「裁判が最後だったから十年振りか」

 言葉の割にルシウスから怒りの感情は見て取れないが、隣のドラコからは沸々と感じる。ハリエットは非常に居心地が悪かった。

 早く行こうという意味で父のローブを握ると、ジェームズは分かってるという風に軽く目配せした。

「娘は人の多い所が苦手でね。早く買い物を終わらせたいからもう失礼するよ」
「それが良い。あんなことがあったのだから、もう子供から目を離さない方がよろしいだろう」
「ご忠告感謝するよ」

 ちっとも感謝していない顔でジェームズは言った。ハリエットの肩を抱きながら彼は階段を降りていく。

「ハリエット……」

 そして囁くように娘に話しかける。喧噪の中でも彼の声はよく聞こえた。

「マルフォイは私に恨みを抱いている。できるだけ接触は避けてほしい。話しかけられても、無難に断ってすぐその場から離れるんだ。分かるね? 心配なんだ」
「ええ……」

 視線を落とし、ハリエットは頷く。

 ピーターの一件があってから、ジェームズもリリーも過保護になった。心配してくれているのは分かる。だが、ハリエットは少し息苦しかった。束縛されているから――とは、少し違う気がする。とにかく息が詰まり、ひどく気持ちが落ち込む。

 一階では、まだロックハートによる催しが続いていた。ちらりと彼の方へ視線を向けたハリエットはそのまま目を丸くした。見間違いでなければ、ロックハートの隣に並び立ち、彼と共にカメラのフラッシュを浴びているのは己の兄ハリーだ。

「皆さん、大いなる喜びと誇りを持ってここに発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて『闇の魔術に対する防衛術』の担当教授職をお引き受けすることになりました!」

 ワーッと人垣が拍手をした。就任の記念に、とロックハートはハリーに全著書をプレゼントしていた。あまり嬉しくなさそうだ。目立ちたがりを父に持った彼は、それを反面教師に、あまり自身が目立つことを良しとしないのだ。それはハリエットも同じくで。

 今彼の元に行けば自分にも注目がいきそうなので、薄情なハリエットはハリーから離れておこうと思った。だが、そんな彼女の横を彼は躊躇いもなく通り過ぎる。

「さぞいい気分だろうな、ポッター? 親の七光りで一面大見出しか」

 紛れもなくドラコ・マルフォイである。一度別れたと思った彼ら親子は、なおもハリエットたちの後ろからついてきていたらしい。

 ハリーはうんざりとドラコを一瞥した。

「僕の本意じゃない。――あげる。僕は自分で買うから」

 ハリーはロックハートからもらったばかりの教科書をジニーに渡した。ドラコの顔は喜々と輝いた。

「ポッター、ガールフレンドができたじゃないか!」
「君はまだみたいだね」

 怒ってるでも嫌味でもなく、ただただ自然に飛び出たハリーの言葉にジニーは顔を真っ赤にさせた。そしてそれはドラコも同様で。

 自分が撒いた種なのに、そんなことも忘れてドラコはハリーを睨め付ける。

 一触即発。

 まさにそんな空気が流れた時、ロックハートがこの騒ぎに気付いた。同時にそのすぐ近くにいた魔法界の英雄にも。

「これはこれは! ジェームズ・ポッターさんまでお出ましですか! やれやれ、今日はなんとめでたい――」
「どうも」

 愛想笑いを浮かべながらロックハートと握手をするジェームズを見て、同族嫌悪という言葉がちらっとハリーの頭に浮かび、そして首を振る。ジェームズは確かに目立つのが好きだが、ロックハートほどあからさまで品が無いわけではない。ロックハートのような人が父親だったらと想像し、思わずハリーは身震いした。

 「品が無い」とハリーに称されてしまったロックハートは、次にジェームズの隣でちょこんと立っているハリエットに目を向けた。彼女の両腕が空いているのを見てにっこり笑う。

「私の気が利かなかったようですね。安心してください。ミス・ポッターにももちろんプレゼントしますよ」

 驚く間もなく、ドン! とハリエットの両腕一杯に本が積まれていた。あまりの重たさにハリエットはよろめいた。

「ジェームズ・ポッターさんも、安心してお子さんを私にお任せください! 一年後にはきっと素晴らしい魔法使いと魔女が誕生していることでしょう!」
「生憎だが、私の目にはもう既に立派な魔法使いと魔女に見えているよ」

 親馬鹿なもので、と申し訳程度にジェームズが付け足すと、ロックハートは機嫌良く笑っていた。冗談だと思ったらしい。

 お疲れ気味のジェームズを横目に、ハリエットはそろそろとハーマイオニーに近づいた。

「この本いる? せっかくもらったけど、私、教科書しか買わないつもりだったから」

 ハーマイオニーは悲しそうに声を詰まらせた。

「ああ……本当に残念なんだけど、私さっき教科書全部買ってしまったの。あとハリエット、リストにある教科書はそれ全部よ」

 全く嬉しくない情報だ。防衛術の授業があるたび、これだけの教科書を持ち歩かないといけないのだろうか。今から憂鬱になってくる。

 もともと重たい教科書が更に重たくなった気がする。少しの間だけ借りるつもりで、ハリエットはこっそりサイン会のテーブルに教科書を置いた。

「ミス・ポッター!」

 その瞬間、ロックハートが急に大きな声を出したので、ハリエットは怒られると思って身体を縮こまらせた。だが、なんてことはない。ロックハートはニコニコしていた。

「君のことだって私は忘れていませんよ。一緒に写真を撮りましょう」
「わ、私は大丈夫です……」

 ロックハートの写真会に捕まっているのは今度はジェームズだった。数々の聴衆を前に彼を無碍にすることができなかったのか。

 ハリーは父親を人身御供に自分はさっさとロンと共に本屋の片隅に避難していた。ご愁傷様、とその目がハリエットに言っている。

「なあに、遠慮することはありませんよ! 君も私の本を求めて来たんでしょう?」

 正確に言えばロックハートの教科書を、である。それも彼の教科書だけではない。だが、そんなことを言葉にする前にロックハートはハリエットの肩に腕を回した。

「さあ、にっこり笑って!」

 パシャパシャと焚かれるフラッシュにハリエットは目を瞬かせた。モリーとハーマイオニーが最前列で羨ましそうにこちらを見つめている……。

 新聞を全て埋め尽くしてしまいそうなほど写真を撮られると、ハリエットはようやく解放された。唯一嬉しかったのは、写真会の間にリリーが他の教科書を買ってくれていたことだ。

 父と共にフラフラと本屋を出ようとすると、またもロックハートが声をかけてきた。

「ミス・ポッター! 私の本を忘れていますよ。私との写真に夢心地になるのは分かりますがね」

 ハリエットには全く分からないが、せっかくもらった本を無碍にはできない。渋々戻って教科書を腕に抱えた。

「パパが持つよ。大鍋に入れてくれ」
「いいの? ありがとう」

 他の買い物は済ませたので、もう漏れ鍋に行くだけではあるが、それでももう足取りはクタクタだ。ハリエットは有り難くジェームズが買ってくれた大鍋の中に入れた。

 本屋を軽く見渡すと、いつの間にかマルフォイ親子も消えている。それはそうだろう。ロックハートのような人は二人が最も忌避しそうな人種の一人に見える。

「ロックハートが防衛術の教師だって? ダンブルドアは何を考えてるんだ。まだシリウスがやった方がマシさ!」

 隣でジェームズがブツブツ言っている。相槌を打つのも疲れてしまって、ハリエットは小さく頷くだけに留めた。