■繋がる未来―秘密の部屋―

05:語る日記帳


 初日の授業が全て終わると、ハリエットはクタクタになって寝室へ戻って来た。実は、ハーマイオニーに図書室に寄らないかと誘われていたのだが、無難に断っていたのだ。確かに良い成績は取りたいが、初日から図書室通いはさすがに厳しい。

 ハリーたちは談話室でボードゲームをしているようだ。自分も混ぜてもらおうと机に鞄を置いたが、すぐに教科書がインク塗れなことを思い出し、がっくり肩を落とした。

 ピクシー小妖精が大暴れしたことで、鞄の中身は散々だったのだ。ロックハートの教科書が一番の被害を被っていて、一冊ずつ魔法で綺麗にしていくしかなかった。

 順々に魔法を掛けていくハリエットだが、最後の一冊になると手を止めた。ホグワーツへ行く前日、家で見つけたあの謎の日記帳があったのだ。

 朝は急いでいたので、ごっそりトランクから教科書を取り出した時に一緒に鞄に入れてしまっていたのだろう。しかし驚くべきはそこではない。

 鞄に入れていたものは全て等しくインクまみれだったというのに、その日記帳だけはまっさらなままだったのだ。これも何かの魔法だろうか。

 見たところ日記に怪しいところは何もない。そもそも、誰の持ち物かというのが問題だ。書店で紛れ込んだのなら、できれば持ち主に返してあげたい。

 薄れていた出版年は五十年前のもので、随分古い。表紙をめくると、最初のページに端正な文字で「T・M・リドル」と書かれている。

 日記帳なので、中を見るのは罪悪感があったが、持ち主を特定するためだとページをめくる。だが、その緊張感も裏腹に、日記帳はまっさらだった。どのページにも何も書かれていない。ピクシーがひっくり返したインクの染みすらないのだ。

 試しにちょんと羽根ペンで点を書いてみた。すると、点はまるで紙に染み込むかのように消えていく。

 あっと驚き、ハリエットは更に線を書いてみたが、その線すらスーッと染み込んで消えた。一体どういう仕組みなのだろう。自分以外の人には文字が見えないようになっているとか?

 日記を前にしてうんうん考え込んでいると、不思議なことに、今度は逆に文字が浮かび上がった。

『あなたは誰ですか?』

 確かに、そう書かれていた。だが、数度瞬きをするうちに、その文字すら薄くなっていく。ハリエットは唖然としつつも、この奇妙な魔法が解かれてしまうのはもったいないと、慌てて己の名を書いた。

『ハリエット・ポッターです』

 また文字が消えた。しばらく待ってみると、新たな名前が文字となって出てくる。

『こんにちは、ハリエット・ポッター。僕はトム・リドルです。あなたはこの日記をどんな風にして見つけたのですか?』

 純粋にハリエットは驚いた。自分から話しかけてくる日記なんて聞いたことがない。だが、少し落ち着いて考えてみると、すぐ側に話しかけてくるもの・・があった。正確には、音や声に反応して、事前に吹き込まれた声を再生しているだけ……らしいのだが、要は、あのテディベアと似たようなものだろうか。

 ひとまず、質問されたからには答えないとと真面目なハリエットは羽根ペンを手に取る。

『たぶんダイアゴン横丁の本屋で紛れたんだと思います。本当の持ち主のことは分かりますか?』
『この日記は僕のものです。僕の記憶を封じ込めています』

 リドルは、五十年前にホグワーツに在籍していた生徒で、当時の記憶を封じ込めていたのだという。となると、本当の持ち主は相当な年齢だ。

 いろいろ話がしたいというリドルに、ハリエットは消極的だった。

『ひとりでにものを思考したり、話しかけたりするものは信用しちゃ駄目だってお父さんが言ってたの。――闇の魔術がかかってるかもしれないからって』

 躊躇いがちに答えると、少し間をおいてまた字が浮かび上がった。

『とても賢明なお父さんですね』
『ごめんなさい』
『いいえ、普通に考えたら警戒する気持ちも分かります。こちらこそ突然すみませんでした。誰かと話すのが五十年ぶりだったので、ついはしゃいでしまったみたいです』

 そう言われると、ハリエットも申し訳なくなってくる。躊躇って返事を書けずにいると、またリドルが話しかけてくる。

『良ければ、魔法界が今どのようになっているかだけでも教えてくれませんか? それだけ教えてもらったら、寂しさも紛れると思うんです』
『それなら大丈夫』

 ひとえに心苦しさからくる親切心だった。少し日記と会話するくらい大丈夫。少し魔法界のことを教えてあげるだけ。

 そんな気持ちから、ハリエットは魔法史を教えてあげた。

 リドルは、彼の記憶を閉じ込めた頃からの情勢が気になっているようだった。魔法史ではまだ最近の出来事は学んでないが、両親が闇の魔法使いらと戦ったこともあって、ハリエットもかなり詳しい。

 ヴォルデモートという闇の魔法使いが現れ、台頭し始めたこと、それと共に現ホグワーツ校長であるダンブルドアが彼に対抗する組織、不死鳥の騎士団を結成したこと、ハリエットの両親もそれに属し、闇の魔法使いと戦ったこと。

『ヴォルデモートはどうなったのですか?』
『まだ生きてる……と思うわ』
『そうですか。それならまだ魔法界も気が気じゃありませんね』
『皆はもう死んでるって思ってる。お父さんが倒したって思ってるのよ。お父さんは油断しちゃ駄目だって言ってたけど、本当は私ももう安全だって思ってた。だって、まさか十年以上も経って、今更現れるなんて……』

 積年の恨みを抱え、今更襲ってくるなんて誰が考えただろう。だが、ハリエットは自覚すべきだった。両親やその友人たちは、かつてヴォルデモートと戦った人たちであり、まだその縁は切れていないことを。

『何か悲しいことでもあったのですか?』

 ハリエットが黙りこくっているからだろう。リドルが話しかけてきた。

『何もないわ』
『本当に何も?』
『…………』
『僕はただの日記なので、秘密を守ることができます。誰にも言えない悲しみを打ち明ければ、少しは気持ちが楽になるでしょう』
『楽になりたい訳じゃないわ』

 ハリエットは間を置かずに書いた。そして否応なしに後悔した。この件に関して自分がピリピリしていることは自覚している。ジェームズとの喧嘩で否応なしに気付かされた。

『とても……大切な人を失ったの』

 謝るつもりで、ハリエットはその一文を記した。だが、実際に字に起こすと……もう止められなかった。誰かに聞いてほしいと、本当は内心で思っていたのだ。だが、誰でも良い訳ではない。ハリエットのこともピーターのことも、誰も何も知らない全くの赤の他人に、ただ聞き流してほしかった。そして――。

『私が足手まといだったの。早く逃げれば良かったのに、戸惑っている間に囲まれて……。私があの場にいなかったら、ピーターもちゃんと反撃できたわ。なのに、ピーターは私を助けるために……』

 ポタポタと涙が羊皮紙に落ちては消えていく。ハリエットの書く字もまた吸い込まれていく。

『何もできなかったの。ただ見ていることしか……。私が悪かったのに、なのに誰も私のこと責めないの……』

 誰かに責めてほしかった。そうしないと罪悪感で押し潰されてしまいそうだった。

『そ、それに、怖かったの。目の前で突然人が死んで、びっくりして、怖くなって。ピーターが死んじゃったことよりも、あの時のことが怖くて』

 一瞬のうちに人が肉片へ変わってしまったことが恐ろしかった。初めて触れた「死」にハリエットは恐怖を感じてしまった。そのせいで、ピーターが死んだことに対する悲しみよりも、人の死の恐怖が勝った。そのことが後ろめたくてならないのだ。

『まだ君は子供なんだ。驚いてしまうのも無理はない。自分を責めることはないんだよ』
『でも、でも、私がもっと強ければ、ピーターがあんな選択をすることもなかった……私が足手まといだったから、ピーターは――』
『君は確かに弱い』
「――っ」
『でも今はそれを自覚しているだけで充分だ』

 厳しくも優しい言葉が紙面に綴られる。ハリエットは黙ってそれを見ていた。

『それでも君がまだ強くなりたいと言うのなら――僕が教えてあげよう。強くなる術を』

 リドルの言葉はとても魅力的に聞こえた。気がついた時には、ハリエットはこっくり頷いていた。その日、ハリエットはインク壺を使い切る勢いで、リドルとずっとをしていた。