■繋がる未来―秘密の部屋―

32:傷ついたのは


 誰かが何かを叫んでいる声でハリエットは強制的に起こされた。薄ら目を開けてみると、外はまだ暗い。なのにこんなに大騒ぎしているのは、グリフィンドールのクィディッチキャプテン、オリバー・ウッドだ。

「アンジェリーナ! ケイティ! アリシア! 練習だ! 起きろ!」

 ウッドの声はあまりにやかましかった。男子は女子塔の階段を上れないので、声を張り上げるしかないからだ。ハリエットは頭から毛布を被って扉に向かって背を向けたが、それでも騒がしいのは騒がしい。

「こんな時間から練習だなんて正気?」

 欠伸混じりにアンジェリーナたちが階段を下りていく。ようやくウッドの声が止んだ。

 そのおかげでハリエットもまたうつらうつらと微睡みへ誘われ、次に目を覚ましたのはいつもの起床時間だった。

「おはよう、ハリエット。ハリーったら、朝早くからクィディッチの練習に駆り出されたみたい。ロンが言ってたわ」
「ああ……。朝、ちょっと騒がしかったものね」

 ハーマイオニーは既に身支度を終えているようだ。ハリエットも急いでベッドを出ようとしたが――起き上がった時に何かがひらりと地面に落ちる。拾い上げたそれは真っ白な羽だった。

「羽……」

 考えてみても、思い当たる節はない。ウィルビーはグレーだし、昨日はヘドウィグと会ってない。同室生も皆ふくろうは飼ってないし――じゃあ、この羽は一体どこから?

 少しだけ不気味だった。だが、ハーマイオニーに声をかけられ、気を取り直したハリエットはその羽を机に置き、着替えた。

 談話室へ下りていくと、ロンがあちこちをウロウロしていた。クッションを持ち上げたり、暖炉を覗き込んだりしている。

「何してるの?」
「え? あ、いや――」

 ハリエットが尋ねると、目に見えてロンは動揺する。

「チュウ」
「スキャバーズ! どこに行ってたんだ?」

 その時、肖像画の穴の方からネズミが歩いてきた。毛並みも綺麗で、賢そうなそのネズミは、ジェームズからハリーへと託されたペットだ。ロンは嬉しそうにネズミを抱き上げた。

「スキャバーズ? それが名前?」

 ロンはばつが悪そうに頷いた。

「ペットって一人一匹だろ? ハリーにどうかって言われたんだ。ホグワーツにいる間だけだけどね」

 この様子では、ロンもハリエットとジェームズの間にあった出来事は知っているのだろう。

 一見ただのネズミにしか見えないこの子が情報収集してくれる存在だというのは、ホグワーツに来てからハリーから聞いた。となると、自然とジェームズがネズミを渡そうとしてきた意図も読み取れる。

 それでもハリエットの心中が複雑なことには変わりないが。

 だったら、最初からそう言ってくれれば良かったのに、と。内緒にしてまでこのネズミを渡してこようとしたジェームズの意図が分からない。

「でもこいつ、すぐどっか行っちゃうんだ。夜は絶対いなくなるし、何日も見かけないことだってある」
「ちゃんとご飯は食べてるみたいだし、いいんじゃない? ホグワーツが安全かどうか調べてくれてるんでしょう?」
「うん。こいつが無事ならいいんだけどさ」

 ハーマイオニーの言葉に頷き、ロンは優しくスキャバーズを撫でた。ポッター家の事情により、あちらこちらと押しつけ合う形になってしまったネズミだが、ロンなら大切に世話してくれるだろう。ハリエットはスッとネズミから視線を外した。

 大広間で食事を済ませると、三人はクィディッチピッチへ向かった。朝食すら食べていないだろう選手たちの分のトーストも持って、である。

 しかし、霧がかったピッチには誰もいなかった。休憩中だろうか?

 キョロキョロしながらスタンドへ向かうと、一人の少年がカメラを抱えてあちこち写真を撮っているのが見えた。

「おはようございます。僕、コリン・クリービー」
「知ってるわ。ハリーのファンでしょう?」
「ハリーから聞いたの?」

 コリンは嬉しそうに尋ねた。

「後で一緒に写真を撮ってくれる? できればハリーも一緒に!」
「ハリーがオーケーならいいわ」
「僕、ジェームズ・ポッターにも会ってみたいな。悪い魔法使いを倒した英雄なんでしょ? サインしてもらえるかな?」
「時間があればしてくれると思うわ」
「わーっ! じゃあ、見かけたら一番にお願いしないと! お父さんに送ってあげるんだ!」

 頬を染めて素直に感情を露わにするコリンは初々しくて微笑ましい。自分が一年生の時もこんな感じだったのかとハリエットは少しくすぐったい気持ちだ。

 ピッチが騒がしくなり、下を覗くと、更衣室からハリーたち選手が出てくるのが見えた。まだ練習着は綺麗で、更に言えば眠そうにすら見える。とても練習上がりの顔には見えない。

「てっきり終わったのかと思ったよ」
「まだ始まってもないんだよ。ウッドが新しい戦術を教えてくれたんだ」
「これでも食べて」

 ハーマイオニーがトーストの入ったバスケットを浮遊術で下に降ろした。ワーッと選手たちが群がる。

「これから練習だって時に気が緩むじゃないか!」
「食べないと力も出ないわ」
「そうだそうだ! 横暴だ!」

 ジョージが野次を入れる。ムッとウッドは押し黙った。その隙にとばかり、選手たちはガツガツトーストを貪った。お腹も膨れて上機嫌になったフレッドがオリバーの口にトーストを近づけると、彼は腕を組んだまま無言で齧り付いた。まるで凶暴なドラゴンを相手にしているかのようだ。

 朝食も終え、ようやく練習――かと思いきや、そうは問屋が卸さない。選手らが箒に跨がり、浮上し始めた所で、ピッチ内にグリーンのローブを着込んだ集団が入ってきたからだ。

「嫌な予感がするわ」

 ハーマイオニーが一番に席を立って階段を降り始めた。ロンとハリエットもその後に続く。

 駆けつけた時には、グリフィンドールとスリザリン、両チームが出揃っていた。

「一体どうしたんだ? それに、あいつこんな所で何してるんだよ」

 スリザリンの集団の中にはドラコもいた。彼もまたクィディッチ・ローブを着ている。

「物わかりが悪いな、ウィーズリー。僕はスリザリンの新しいシーカーだ」

 ドラコは得意げに胸を張った。

「僕の父上がチーム全員に買ってあげた箒を皆で賞賛していたところさ」

 よくよく見れば、確かにスリザリンチームは全員ピカピカの綺麗な箒を携えている。

「ニンバス2001。先月出たばかりさ。旧型2000シリーズからかなり改良されているし、旧型のクリーンスイープに対しては圧勝するだろうさ」

 フリントはクリーンスイープ5号を握りしめているフレッドとジョージを鼻先で笑った。

「カビの生えた箒じゃあ、一生かかっても勝てないだろうな」
「少なくとも、グリフィンドールの選手は誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」

 ハーマイオニーがきっぱり言い放った。ハリーたちはよく言った、と言わんばかりに満足そうな顔をした。スリザリン側は、しかし矢面に立たされたのが新人シーカーなので、庇うでもなく、おかしそうに静観するのみだ。

 そして肝心のドラコは。

 スーッと表情がかき消えるのをハリエットは目撃してしまった。ルシウスによく似た、冷たい表情。書店で見かけた時の、悪寒が走るほどのぞっとする表情――。

「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれ損ないの穢れた血め」

 彼の吐き捨てた言葉にその場は騒然となった。今度はスリザリンがよく言ったと機嫌が良くなり、対してグリフィンドールは非難の声を上げる。フレッドとジョージはドラコに掴みかかろうとしたが、それを阻むためにフリントはドラコの前に立ちはだかった。

 ハリーとロンは杖を取り出していたが、一瞬早くロンが呪文を唱えた。

「マルフォイ、思い知れ!」

 閃光が迸ったが、しかし、杖先からではなく反対側からだった。ロンの胃の辺りに直撃し、彼はよろめいて尻餅をついた。

「ロン、ロン! 大丈夫!?」

 慌ててハーマイオニーが駆け出した。彼を引っ張りあげようとした時、ロンは大きくえずき、口からナメクジを吐き出した。

 スリザリンチームは激しく笑い転げた。グリフィンドールは心配そうにロンの周りに集まったが、それ以上誰も大きなナメクジに近寄りたがらない様子だ。

「ハグリッドの所に連れて行こう」

 ハリーがロンの腕を掴んで助け起こし、ハリエットも反対側から支えた。ハーマイオニーは心配そうに彼の背中を撫でている。

「うわあ、これ、何の呪いなの?」

 ロンがボタボタナメクジを吐くのを見てコリンはカメラを構えた。

「撮らないで!」

 すれ違いざま、ハリーが叫ぶ。

「こんな場面撮られて誰が嬉しいって思う!?」
「後で俺に一枚くれよ」

 スリザリンの一人が野次を入れたが、ハリーは無視して進んだ。

 ようやくの思いで小屋に辿り着いた四人だが、ハグリッドに治療法はないと言われて落胆した。ナメクジを吐ききるまでこの呪いは終わらないそうだ。

「一体何があったんだ?」
「ロンの杖がね……ちょっと調子が悪かったんだよ」

 空飛ぶ車でホグワーツに到着した際、暴れ柳にぶつかった二人はあちこち怪我をしたらしいが、それは持ち物にも言えることで。

 どこかにぶつけてしまったのか、ロンの杖は真っ二つに折れかかっていたのだ。スペロテープで何とかくっつけてはいたものの、もはやその程度では修復不可能で、授業でも不具合を起こしてばかりだったのだが……。一番最悪な時に呪文の逆噴射を起こしてしまったようだ。

「マルフォイが最低な言葉を吐いたんだ。ロンはそれに怒って」
「本当に最低な奴」

 洗面器に数匹ナメクジを吐き、青い顔でロンは顔を上げた。

「あいつ、穢れた血って言ったんだよ」
「でも、私はどういう意味か知らないわ。もちろん、失礼な言葉だってことは分かるけど……」
「マグルから生まれたって意味の最低な侮辱だよ。代々魔法使いの一族であることを誇って自分たちを純血って呼んで、代わりにマグルやマグル生まれを見下してるんだ」

 ハーマイオニーの表情が陰りを見せた。それを目にし、ハリエットはふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。

 魔法のまの字も知らない子が単身魔法学校へやって来て首席になる。それがどれだけ難しく、賞賛されるべきことか。努力も実力も人柄も見ずに出自を嘲笑するなど言語道断だ。

「マルフォイも馬鹿なことを言いおる。ハーマイオニーが使えない呪文は今までに一つもなかったぞ」
「そうよ! ハーマイオニーは首席なのよ!」

 ハグリッドに追随し、ハリエットも思わず言う。

「次マルフォイに会ったら言ってやるわ。あなたは学年何位? って!」
「ハリエットの成績と比べられるから止めておいた方がいいよ」

 控えめにハリーが突っ込んだ。ハリエットはバケツから逃げようとするナメクジを魔法で捕まえるのに忙しく、聞いていなかった。

 小さく笑みを零し、そっと涙を拭うハーマイオニー。ハリーは見なかった振りをして話題を変えた。

「そういや、野菜畑のカボチャ、随分大きかったね」
「気付いてくれたか! よーく育っとろう? ハロウィーンの祭り用だ」
「珍しい品種なの?」
「うんにゃ……。ちーっと手助けしてやっとるだけだ」

 ハグリッドのチラチラした視線は、壁に立てかけているピンクの花模様の傘に向けられていた。一見はただの傘なのだが、おそらくは中に杖が入っているのかもしれない。

 三年生の時にホグワーツを退学になって以降、ハグリッドは魔法を使ってはいけないことになっている。なぜ退学になったのかはハグリッドも教えてくれない。ジェームズなら何か知っているかもしれないが、本人以外から探るような真似はできない。

 ハーマイオニーも今日ばかりはハグリッドの「魔法」を見て見ぬ振りをするらしく、黙ってお茶を飲んでいた。