■繋がる未来―秘密の部屋―

07:十年分の


 次の日の朝、談話室へ下りていくと、ハリーとロンが隅の方で話し込んでいた。ハリエットとハーマイオニーに気付くと、手を上げて呼び寄せる。

「昨日はどうだった? 罰則だったんでしょう?」

 魔法の車で登校したこと――その件での罰則は、ハリーはロックハートの手伝い、ロンはトロフィー磨きだった。なぜ二人が別々だったのかというと、ロックハートがハリーを指名したからだ。昨夜、うんざり顔のハリーを送り出したことは記憶に新しい。

「罰則は何事もなく終わったよ」
「僕は何事もあったよ。身体中筋肉痛だし、トロフィーの金ピカで今も目が眩んでる」
「問題は罰則の後だ」

 ハリーはロンのぼやきを無視した。

「ロックハートの部屋で気味の悪い声を聞いたんだ。引き裂いてやる、殺してやるって声を」
「でもロックハートは聞こえなかったんだろ? ロックハートが嘘をつくとも思えないし、分かんないなあ」
「どこから聞こえたの?」
「分からない。でも、そう遠くない。隣の部屋か、壁の中か……とにかく、すごく近くから聞こえてきたんだ」
「これもホグワーツの罠が関係してるのかしら」

 ハリエットは不安げに呟いた。今年、ホグワーツに来てからおかしなことばかりだ。一つ一つはそれほど大したことではないが、まとめて考えてみると少し気味が悪い。ハリエットも、最近ベッドに白い羽が落ちていたり、昨日の夜何をしていたか、よく思い出せない空白の時間があったりした。後者については、完全に自分の記憶力の問題なので口に出すことも憚られるが。

 お父さんに言った方がいいんじゃないかしら、といつもの癖で言いそうになるところを、ハリエットはすんでの所で堪えた。

 今なら、昨年のハリーの気持ちがよく分かる気がした。何でもかんでも両親に話すのは違う。自分たちはもうホグワーツの二年生だし、自分で解決できることはそうしなければならない。いつまでも両親に頼っていると友達に思われるのも嫌だ――こういった心境の変化も、ハリエットが父親と喧嘩したから意固地になっている……わけではないとは思うが。

 大広間で朝食を食べつつも、結局謎の声の正体は分からないまま、四人は散り散りになった。ハリーはクィディッチの練習で、ロンはディーンたちとゲーム、ハーマイオニーは図書室――そしてハリエットは寝室だ。

 近頃、ハリエットはあまりハーマイオニーと一緒にいない。というより、いつも一人で部屋にこもっている。ハリエットがずっと「日記」を書いていることは、同室である彼女も気付いていないわけではないだろう。ただ、ハリエットの身に起こった出来事を思うと、深く切り込むことは躊躇われ、なぜいつも日記を書いているのか、日記に何を書いているのか、ハーマイオニーも聞くに聞けず、今に至っていた。

 ハリエットも、そんな彼女の気遣いに気付かない振りをして、今日もまた部屋にこもるのだ。

 寝室には、ラベンダーもパーバティもいなかった。ハリエットは迷わず机に向かい、日記を開いた。

『おはよう、トム』
『おはよう、ハリエット。さて、今日は何から教えようか』

 ――強くなる術を僕が教えてあげよう――。

 その言葉通り、リドルは日々ハリエットに魔法を教えてくれていた。様々な呪いや防衛術、そんな使い方もできるのかと驚くような呪文まで教えてくれた。教わるばかりでは申し訳ないので、ハリエットは代わりに魔法界の情勢について話して聞かせた。とはいえ、ハーマイオニーほど新聞をよく読むわけではないので、本当に表面的なことしか説明できなかったのだが。

 リドルのおかげで、戦うことについての知識は身についた。だが、字のやり取りで教われることといったら理論くらいだ。杖の振り方も、呪文の唱え方も、実際の動き方も、対面しなければてんで理解ができない。ハリエットが一番身につけたかったのは実戦だ。目の前に害意を持った魔法使いが現れた時、逃げる術――。防衛術こそ実戦が必要な授業だったので、ハリエットはリドルの授業に次第にもどかしさを覚えるようになった。

『トムが目の前にいたらな』

 休憩がてら、何気なく書いた呟き。しかしすぐにハッとしてハリエットはその文字を消そうとした。だが、文字はいつものごとく瞬く間に紙面に吸収される。

『僕も何度そう思ったことか。記憶を閉じ込めようとした当時の僕は、きっとちっぽけな記憶の「僕」にも退屈や寂しさが感じられるとは思いも寄らなかったんだろう』
『ごめんなさい。私が考えなしだったわ』

 日記の中に閉じ込められている張本人が一番外に出たいに違いない。あまりに無神経だったとハリエットは己を恥じた。

『あなたの気持ちも考えずに……。本当にごめんなさい』
『でも、方法がないわけじゃない』

 ぼんやりと浮かび上がってきた文字にハリエットは目を瞬かせた。

『ただ、そう簡単に、というわけにはいかない。君を危険な目に遭わせることになるかもしれない』
『どうやるの?』
『君の魂を僕に注ぐんだ。僕がほんの少し実体化できるまで。ただ、そのせいで君は少し体調が悪くなるかもしれない』
『具合が悪くなるだけ?』
『そうだ』

 リドルの文字を見て、ハリエットも返事を書こうとしたが、それよりも早くまた文字が浮かび上がってくる。

『でもいいんだ。五十年ずっと闇の中にいた僕を君が見つけ出してくれて、こうして話せるだけで嬉しいんだ。実体化しなくても僕は充分幸せだ』
『トム……』

 五十年間ずっと孤独というのは、一体どれほど辛いことだろう。家にはいつも両親がいて、ホグワーツには友達がいる。いつも側に誰かがいるハリエットには想像もつかなかった。

『少しだけならやってみましょう』

 そう書いてしまうくらいには、ハリエットはもうリドルに心を許していた。

『でも』
『具合が悪くなるだけなんでしょう? 今日はお休みだし、本当にしんどくなったら寝てればいいわ』

 リドルは少し躊躇っているようだが、しかしやがてハリエットの提案に承諾した。

『でも、やるなら誰にも見られない場所がいい』
『見られない場所……』

 今年でホグワーツ生活は二年目になるが、ハリエットもそれほど穴場を知っているわけではない。フレッドとジョージならば一年もあればありとあらゆる抜け道まで把握していそうなものだが、生憎ハリエットは優等生だ。寮生活に慣れるのに必死で、授業に関係のない穴場は探そうともしていなかった。

『空き教室じゃ駄目?』
『誰かが入ってきたら困るな。禁じられた森は?』
『うーん……』

 今度はハリエットが唸る番だ。確かに禁じられた森ならば誰も来ないだろうが、生徒は立入禁止だし、何より昨年クィレルに取り憑いたヴォルデモートと遭遇した場所だ。少し怖い。

『じゃあ城の裏手は? あそこなら人も来ないと思うの』
『そうだね。いいと思う』

 日記を上着のポケットに突っ込み、ハリエットは外へ向かった。談話室を通った時、フレッドが叫んでいるのが聞こえた。

「ロン、またスキャバーズが俺たちの部屋に入り込んでたぜ。いっそのこともう俺たちのペットになった方がいいんじゃないか?」

 外は曇り空で、少し肌寒かった。そのせいか、あまり人気はない。ハリエットは不自然にならない程度に辺りを見渡し、誰もいないことを確かめながら城裏へ向かった。

 ちょうど大きな木がなっている場所があったので、ハリエットはそこで立ち止まった。

『この辺りでいい? 私は何をすればいいの?』
『日記を持ってるだけでいい。力を抜いて、心を落ち着かせて』

 言われた通りにすると、日記がぼんやり光り始めた。徐々に大きくなる光と対照的に、ふと気分が悪くなってきてハリエットは屈んだ。口元を手で押さえ、じっと蹲る。

「大丈夫かい?」

 その時、突然上から男の子の声が降ってきた。顔を上げると、半透明の手がハリエットの肩をすり抜けていくのが見えた。背の高い黒髪の少年がこちらを見下ろしている。

「トム?」
「ああ、そうだよ。ありがとう。君のおかげでこうして外に出ることができた」

 リドルは、まるで曇りガラスの向こうにいるかのように輪郭がぼやけていた。だが、確かに目の前にいる。

「具合はどう?」
「大丈夫。少しじっとしていれば良くなるわ」
「なら良かった」

 リドルはハリエットの隣に同じように座り込んだ。見た目はまるでゴーストのようだ。だが、同じような年頃のせいか、あまりそんな風には思えない。

「ありがとう、ハリエット。夢みたいだ。こうして外に出られるなんて」

 目元を抑え、リドルは俯いた。ハリエットはハッとして彼を見つめる。

「五十年間もずっと孤独だったんだ。好奇心だけで記憶を日記に閉じ込めたこと、何度後悔したか分からない。当時の僕はなんて浅はかだったんだろうって思うよ。『僕』にだって感情はある。寂しくて、虚しくて、怖くて辛い。君と話せて、こうして外に出られて、僕がどんなに嬉しいか」

 ポツポツと語るリドルに、ハリエットは胸が締め付けられるのを感じた。

「もっと早くにこうしてれば良かった。ごめんなさい、気が付かなくて」

 ハリエットはリドルに深く同情していた。五十年間も誰とも話せずに日記の中に閉じ込められているなんて、一体どれだけ苦痛だっただろう。

「あなたを日記から解き放つことはできないかしら? マクゴナガル先生に話してみるの。きっと何とかしてくださると思うわ」

 記憶を閉じ込めることができるのなら、その逆もできるはずだ。そうでなくとも、マクゴナガルならリドルにとって良い案を出してくれると思った。しかしすぐに彼は首を振る。

「駄目だ。教師に知られたら僕はタダじゃ済まされないだろう。彼らにとっては僕を解放するより処分する方が遥かに簡単だ。それに、当時監督生でもあった僕があまり褒められない魔法の使い方をしたと知られたくない」
「だったら、本物のあなたを探すのはどうかしら? こんなすごい魔法を使えたんだもの。きっとあなたを日記から解放することだって――」

 ふとリドルが警戒するように立ち上がった。そう間を置かずに角から姿を現したのは箒を携えたドラコ・マルフォイだ。

 彼は不快そうにハリエットを一瞥した後、ゆっくりリドルに視線を移した。その目が大きく見開かれる。

「なんだそいつは! ゴーストか?」

 答えるのを躊躇っていると、ドラコはふんと鼻で笑った。

「友達がいないからこんな所でゴーストと話し込んでるって訳か?」
「別にいいじゃない」
「でも、一体どこのゴーストなんだ? ホグワーツでは見たこともない。またジェームズ・ポッターのお得意の魔法か?」

 ハリエットが何も言えずにいると、ドラコはくるりと踵を返した。

「得体の知れないやつをホグワーツに引き込んだって知られたら、ジェームズ・ポッターもさすがに大きい顔ではいられないだろうさ」

 ドラコの言葉にサッとリドルは青ざめた。ハリエットもだ。

「お願い、マルフォイ。考え直して。トムのことは誰にも言わないで。お父さんとは関係ないの。私が彼を連れてきたのよ」

 ハリエットは日記帳をギュッと抱きしめた。

「トムは五十年間ずっと日記の中にいて孤独だったの。寂しかったのよ」

 ゴーストに孤独も寂しいもあるかとドラコは思ったが、言い合うのも馬鹿らしい。

「日記から出てきたなんてますます気味が悪い。穢れた血のお友達はどうしたんだ? ゴーストと友達になってる暇があったらあいつのひけらかしをなんとかした方がいい」

 あんまりな物言いに、ハリエットはだんだん悲しくなってきた。

「マグル生まれが何だって言うの? ゴーストと友達になっちゃ駄目なの? これを言ったら相手がどんな気持ちになるかって想像することはできるでしょう?」
「僕に説教しているのか?」

 ドラコの言葉にも怯まず、ハリエットは真っ直ぐ彼を見た。

「ハーマイオニーの時だってそう……。あなたはハーマイオニーがどんなに傷ついたか知らないわ」
「あいつが僕に言ってきたことは忘れているのか?」

 拳を握り、いよいよドラコはハリエットに向き直った。

「箒は父上から十年分のプレゼントだった。アズカバンにいる間一度だって誕生日も祝えなかったからと!」
「……っ」
「父上は、僕がスリザリンでみくびられないようにわざわざ全員に箒をくださったんだ。それなのに僕をシーカーにするための賄賂だと?」

 ルシウスは知っていたのだ。父親がアズカバンにいる子供がホグワーツでどんなに肩身の狭い思いをしているか。スリザリンは仲間意識が強いが、それとこれとは話が別だ。まだドラコの立ち位置は確立されていなかった。由緒正しい純血の一族ではあるが、世間の注目は英雄ジェームズ・ポッターに向けられている。ヴォルデモートのしもべを父に持つドラコの肩を持っても良いことはない。ドラコは彼なりのやり方で自分が有用であることを証明し、また地位を確立する必要があったのだろう。

 つい先ほどドラコに向かって切った啖呵がそのまま自分に降ってきてハリエットは何も言えない。

 黙り込むハリエットに対し、ドラコは急に興味をなくしたようにくるりと踵を返し、城へと歩いていく。

 彼の言葉が衝撃的で、ハリエットは後を追うことができなかった。しかしリドルは違う。俯くハリエットを一瞥し、スッとドラコへ近付く。

「君はマルフォイと言うそうだね」

 涼やかな声が隣から聞こえ、ドラコは一瞬肝を冷やした。接近されていたのに全く気配がなかった。ゴーストなので当たり前だろうが、それにしてもやはり気味が悪い。

「君の――おそらく祖父かな。アブラクサス・マルフォイとは同寮だった」

 ドラコはあまり気のない素振りでリドルに目を向けた。

「祖父のことをご存知で?」
「ああ。彼とは親しくさせてもらっていた。彼は魔法薬学に造詣が深くてね、僕も何度か教えてもらったものだよ。話もよくあった。マグル生まれが蔓延る今のホグワーツのことをどう思うか、と」

 ドラコはリドルのことを気にしながら歩調を緩めた。

「君は不快に思わないか? 魔法は魔法族だけが学ぶことのできる特権だ。愚かなマグルは何も知らずにただのうのうと暮らしていればいい」

 ドラコの足が完全に止まった。リドルは友好的な笑みを浮かべた。

「僕のことを教師に話すのは止めてくれないか? 今年、僕はホグワーツにある仕掛けをするつもりでね。決して君を退屈させないだろう」
「仕掛け?」
「ああ。ハロウィーンの日から始めるつもりだ。それを見てからどうするか決めても遅くはない。君が――君たちが学びやすい環境を作るつもりだ。約束しよう」
「……分かった」

 短く答え、また歩き始めるドラコ。リドルはそれを警戒するようになおも見つめていたが、やがてふっと力を抜くとまたハリエットの元へ戻っていった。

「……ごめんなさい、説得することができなくて」
「いいさ。きっと彼は誰にも言わない」

 ドラコと何を話したのか、リドルは確信を持ってそう言った。なぜそんな風に思うのかハリエットは気になったが、ドラコの言葉がまだ引っかかり、その疑問は胸の中に押し留めた。