■繋がる未来―賢者の石―

04:不吉な杖


 リリーはすぐに見つかった。魔法薬関連の陳列棚の前で熱心に分厚い本を読みふけっていたからだ。

「お母さん、採寸終わったわ」
「あら、ハリーは?」
「これからシリウスと三人で箒を見に行く予定でね。ハリエットを預けに来た」
「箒は最後に買うって言ってなかった? 全く、箒のことになるとすぐ周りがが見えなくなるんだから」

 そうは言いつつも顔は笑っているリリー。妙な沈黙があったと思ったら、ジェームズは徐にリリーに近づき、そしてチュッとキスをした。ハリエットはポカンとし、リリーは怒った。

「ちょ――ちょっと! ハリエットの前で止めて!」
「私の奥さんは今日も綺麗だなと思って」
「調子いいこと言っても駄目よ!」

 顔を赤くしてリリーは怒っているが、あまり本気のようには見えない。

 ジェームズは愛妻家だが、外の人目のある場所でイチャつくというのは珍しい。家の中であればジェームズがリリーにちょっかいをかけに行くところも何度も遭遇したことがあり、正直そういう時は少し気まずい思いをしていたものだが――しかし、同時にハリエットの憧れでもあった。

 あんな風に自分のことを大切に思ってくれる人がいたら、とませたことを考えたのも一度や二度ではない。二人はホグワーツで出会ったという話なので、ハリエットもそういう意味でも楽しみにしていたのは誰にも内緒だ。

 一人でポッポと頬を赤めているうちに、ジェームズは名残惜しげに書店を出て行った。洋装店での出来事が尾を引き、ジェームズも離れがたい気分なのだろうが、息子の箒を買うという使命があるので泣く泣くだった。妻とイチャついているうちに抜け目のない後見人に出し抜かれでもしたら後悔してもしきれない。

 やっとのことでジェームズを見送ると、リリーはため息交じりに本を棚に戻した。ジェームズが来る前に読んでいた本だ。

「その本、買わなくていいの?」

 今まさにリリーが読んでいた本を棚に戻してしまったので、ハリエットは思わず声をかけていた。

「ああ、いいの。ちょっと気になってた魔法薬の調合方法を見ていただけだから」
「私、調合って苦手。ホグワーツに入学しても良い成績を取る自信ないわ」

 リリーはホグワーツを首席で卒業し、中でも魔法薬学は特に得意なのだという。時々ハリエットはリリーから魔法薬学を教わってはいたが、虫や複雑な調合が苦手で、どうにも好きにはなれなかったのだ。

「誰にだって苦手はあるわ。それに、案外ホグワーツで皆と一緒に学ぶうちに好きになることだってあるのよ」
「うーん……」

 そうなれば良いけど、とハリエットはなおも不安だった。何せ、いつもジェームズやシリウスに魔法薬学の教授は性格が悪いと聞かされていたのだ。スリザリンの寮監でもあるので、自寮を贔屓し、グリフィンドールを目の敵にしているとも聞く。グリフィンドールに入りたいハリエットとしては、ますます不安が募るのだ。

「さ、カウンターへ行きましょうか。そろそろ二人分の教科書をまとめてもらえてると思うわ」

 二人一緒にカウンターへ向かった先には先客がいた。ブロンドの背の高い女性だ。ハリエットとリリーの存在に気づくとあからさまに顔を顰める。

「母上」

 そこに現れたのが先ほどの少年ドラコだ。彼もハリエットに気づくと顔を顰め、そしてリリーを見て馬鹿にしたように口角を上げた。ハリエットはムッとしてリリーを守るように前に立った。

「まあ、ドラコ! その顔はどうしたの!?」
「英雄殿の息子にやられたんです。すぐに手を出すところは野蛮人と相違ありません。店中で周囲の迷惑も考えずに暴れるなんて」
「なんてこと……!」

 ドラコは名前を出さなかったが、女性はキッとハリエットたちを睨み付けた。

「行きましょう! 同じ空気を吸っていたくないわ!」
「僕も同感です」

 購入した教科書をしもべ妖精に持って帰らせ、ナルシッサとドラコはそそくさと店を出て行った。何も言わないリリーの手をハリエットは握りしめた。

「ハリーは悪くないのよ。あの子がハリーやお父さんや……とにかく、たくさん悪口を言ったの」
「ええ、わかってる。ハリーは誰かのために怒る子だもの」
「あの子、お父さんやシリウスのことすごく恨んでるみたいだったわ。父上がどうとかって言ってた……」

 ハリエットは窺うようにリリーを見上げた。リリーは少し躊躇った後、やがて観念したように口を開いた。

「あの子の父親はルシウス・マルフォイ。死喰い人だったの」
「死喰い人って――」
「ヴォルデモートのしもべよ。マルフォイは、自分は服従の呪文で操られてただけだ、無実だって訴えて、一度は無罪判決が出たの。でも、ジェームズとシリウスが証拠を掴んで再び裁判にかけられて、結局アズカバン行きになったわ」

 アズカバンは、魔法使いの牢獄だ。そこには吸魂鬼という恐ろしい魔法生物がいて、人々の幸福な感情を吸い取っているのだという。

「だからといって、私たちが後ろめたく思う必要はないし、もちろん怒りや悪口をぶつけられるいわれもないわ。あなたたちは堂々としていればいいのよ。でも」

 少しの間を開けてリリーは続けた。

「あの子からしてみれば、私たちが父親を奪ったも同然だもの。そりゃあ憎いわよね」

 両親が健在のハリエットにとっては、父親が牢獄にいるドラコの気持ちは想像もつかない。だが、かといってリリーの言う通り、怒りをぶつけていい理由にはならない。それに、彼は関係のない母まで侮辱したのだ。最低な言葉で。

 そう思うとまた悲しくなってきて、ハリエットはわざと明るい声を出してリリーの手を引っ張った。

「早く教科書を受け取りましょう! 私、杖を買うの楽しみにしてたの!」
「はいはい。そろそろジェームズたちも箒を買い終えてる頃だろうし、合流できるかもしれないわ」

 二人分の教科書を受け取った後はすぐに書店を出た。箒専門店へ向かおうとした矢先、曲がり角からジェームズが手を振って歩いて来ているのが見えた。後ろにはハリーとシリウスもいる。

「ナイスタイミングだ! やっぱり私たちは通じ合ってるね!」
「ハリー、その様子じゃ素敵な箒が買えたみたいね?」
「うん、ニンバス2000を買ってもらったんだ!」

 ジェームズの言葉を華麗に無視して会話をするリリーとハリー。

「教科書持つよ。ほら、荷物持ち要員も手伝って」

 しかしジェームズはめげなかった。愛想良くハリエットたちから教科書を受け取ると、そのままシリウスに半分押しつける。ジェームズを睨みつつもシリウスももはや何も言わない。いつもの光景なのだ。

「じゃあお次は杖かな?」
「いつになっても杖選びの時間は興奮するものだ。さあ、早く行こう」

 一行が向かったのは、高級杖メーカーのオリバンダーの店だ。老舗のようだが、その割には狭苦しく埃っぽい店だった。だが、それを差し引いても天井近くまで整然と積み重ねられた細長い箱の山は圧巻だった。あの中身が全て杖だというのだから興奮もしてくる。

「いらっしゃいませ、ポッターさん、ブラックさん。そちらはハリー・ポッターさんとハリエット・ポッターさんかな?」
「初めまして」

 店の奥に老人が立っていた。ハリーたちは慌てて挨拶をする。

「まもなくお目にかかれると思ってましたよ。お二人ともご両親に瓜二つじゃ。お母さんは柳の杖で二十六センチ、お父さんはマホガニー、二十八センチのよくしなる杖でしたな。よし、よし、お二人はどんな杖に選ばれるのか……」
「選ばれる?」
「そうじゃよ、ハリー・ポッターさん。よく間違われるが、杖が持ち主を選ぶのじゃよ。さて、あなたの杖腕はどちらかな?」
「右です」
「腕を伸ばして、そう」

 オリバンダーは長い巻き尺を取り出し、ハリーの方から指先、手首から肘、頭の周りの寸法を採った。

「なるほど。では、ポッターさん。これをお試しください。ぶなの木にドラゴンの心臓の琴線、二十三センチ。手に取って振ってごらんなさい」

 ジェームズたち観衆の中、ハリーはワクワクした顔で杖を振った――が、あっという間にオリバンダーはハリーから杖をもぎ取ってしまった。

 その後もいくつか試してみたが、なかなかオリバンダーがうんと言う杖は現れなかった。

「難しい客じゃのう。これはどうじゃろう。滅多にない組み合わせじゃが、柊と不死鳥の羽根、二十八センチ、良質でしなやか」

 杖を手に取り、ハリーが一振りすると、その杖先から赤と金色の火花が花火のように流れ出し、光の球が踊りながら壁に反射した。

 オリバンダーは「おーっ」と嬉しそうに声を上げ、ハリエットも手を叩いた。兄の杖が決まったのだとすぐにわかった。

「素晴らしい、決まって良かった。……じゃが、不思議なこともあるものよ、全く……」
「何かあるんですか?」

 ジェームズが尋ねた。何となくその声に気迫を感じ、ハリエットは身を強ばらせた。

「ポッターさん、わしは自分の売った杖は全て覚えておる。息子さんの杖に入ってる不死鳥の羽根は、同じ不死鳥が尾羽根をもう一枚だけ提供していた……。三十四センチのイチイの木。『名前を言ってはいけないあの人』の杖じゃ」

 驚きの声を上げたのはハリーとハリエットだけだった。困惑して両親を窺い見ると、怖いくらいに顔を強張らせている。

「随分と奇妙な縁じゃ。『あの人』を倒した英雄の息子さんが兄弟杖に選ばれるとは……。ハリー・ポッターさん、あなたもきっと偉大なことをなさるに違いない。『あの人』もある意味では偉大なことをした。恐ろしいことじゃったが、偉大には違いない」

 ハリーはじっと杖を見つめていた。ジェームズもリリーもシリウスも、皆が口を閉ざしているので、ハリエットはそのことの方が恐ろしく思えた。

 ハリエットの不安そうな視線に気づいたのか、ジェームズはニッと笑った。

「娘の杖も選んでもらえますか?」
「杖が選ぶのじゃが、そうですな。ハリエット・ポッターさん、こちらへ。杖腕は右かな?」
「はい」

 ハリーと同じようにいろんなところの長さを測られ、いざ杖選びが始まった。だが、難航したハリーに比べ、拍子抜けするほどハリエットの杖はすぐに決まった。二十六センチ、スギと不死鳥の羽根の杖だ。自分だけの杖を手に入れ、ハリエットはすっかり嬉しくなってもっと杖を振りたくなったが、まだ駄目だとジェームズに取り上げられた挙げ句、箱に入れられてしまったので落ち込んでしまった。

 杖二本の代金として十四ガリオン支払い、オリバンダーの店を出た。皆まるでオリバンダーに言われた不吉な話などなかったかのように振る舞っていた。あんまり大人たちがいつも通りなので、そのうちハリエットもハリーの杖のことは気にしなくなった。

 鍋や秤、折りたたみ式望遠鏡などを購入し、最後に向かったのはイーロップのふくろう百貨店だ。誕生日プレゼントとして、ハリーはシリウスからふくろうを買ってもらうことにしたのだ。

 店内は、至る所にふくろうの姿があった。ハリエットはぽかんと口を開けたままキョロキョロ見て回る。大きさも様々だし、色も模様も個体によって全然違う。吸い寄せられるように奧へ奧へと歩みを進める。

 店の奥までたどり着いたところで、一羽のふくろうと目が合った。フサフサした灰色のふくろうだ。「豆ふくろう」の名に違わず周りのふくろうと比べてみても随分小さい。

「ホーッ」
「こんにちは」

 まるで挨拶するように鳴くので、ハリエットも返さないわけにはいかなかった。

 ふくろうは、ハリエットをじっと見つめたまま羽をパタパタ動かした。あんまりその羽がフサフサ柔らかそうなので、ハリエットは堪らずそうっと檻の中に指を差し込み、触らせてもらおうとしたのだが――餌と勘違いしたのか、ふくろうに力一杯噛まれてしまい、ハリエットは悲鳴を上げた。

 ふくろうはなかなか離してくれなかったが、嘴を緩めてくれた後も、その円らな瞳には悪びれた様子はない。むしろ、もう一回とせがんでいるようにも見えてハリエットは思わず目を瞬かせる。

「その子が気に入ったのか?」

 いつの間にかすぐ隣にシリウスがいた。

「誕生日のプレゼントはその子にしようか?」

 シリウスの提案は魅力的だった。だが、ハリエットは迷った末首を振った。

「ううん、私にはミモザがいるから大丈夫」
「そうか……」

 ミモザは、きっともう死期が近い。それなのにハリエットが新たなペットを買えば、もしかしたらミモザはそのことに傷ついてしまうかもしれない。ハリエットは、お別れになるその日までミモザにたくさん愛情を注いであげたかった。

「バイバイ」
「ホー……」

 寂しそうなふくろうに後ろ髪を引かれる思いだったが、何とかそれを振り切ってハリエットは店を出た。

 皆はもう外に出ていて、ハリエット待ちだったようだ。ハリーは手に大きな檻を抱えていた。中には雪のように白く美しいふくろうがいる。

「とっても綺麗! その子を買ってもらったのね?」
「うん。ハリエットはふくろう買ってもらわないの?」
「私にはミモザがいるから」

 だが、それでもやはり少し悔いが残るのは事実。家に帰ったらハリーのふくろうをたくさん触らせてもらおうと思いながらハリエットは思いを振り切った。

「さあ、もうそろそろ帰ろう。今日は誕生パーティーだからね」

 ジェームズの言葉に、ハリーとハリエットは嬉しそうに頷く。もうすっかり日は傾いていた。