■繋がる未来―賢者の石―

03:根深い恨み


「いらっしゃい。坊ちゃんとお嬢ちゃん。ホグワーツなの?」

 出迎えたのは、マダム・マルキンその人だった。ハリーが返事をすると、彼女はにっこり微笑む。

「全部ここで揃いますよ。もう一人お若い方が丈を合わせている所なの」

 店の奥を覗くと、青白い、顎の尖った少年が踏み台の上に立ち、もう一人の魔女が長い黒いローブをピンで留めているのが見えた。マダム・マルキンはハリエットを入り口近くのソファに座らせ、ハリーを少年の隣の踏み台に立たせた。

「君もホグワーツ?」

 ハリーは気さくに少年に話しかけた。

「そうだよ。君もかい?」

 少年は気取った話し方だった。

「教科書を買った後、母上と一緒に競技用の箒を見に行くんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて理由が分からないね」
「そうだよね。箒くらい許してくれたっていいのに」

 少年はその時初めてチラリとハリーを見た。

「なんだ、話が分かるじゃないか。こっそり持ち込んでやろうとは思ってるけどね。君は自分の箒を持ってるのかい?」
「子供用のは持ってる。でも、今日新しいのを買ってもらう予定なんだ」
「ニンバス?」
「まだ決めてない。でも、父さんはニンバスを使ってるんだ。できればニンバスがいいな」
「丁度ニンバスは新しいのが出たばかりだしね」

 少年はニヤッと口角を上げた。

「クリーンスイープの型落ちなんか買われてみろよ。僕なら恥ずかしくて家に置いて行くだろうね」
「うーん、そうかな」

 ハリーは間延びした返事を返した。希望はニンバスだが、買ってもらえるのであれば、どんな箒でも嬉しい。

 何となくこの少年とは気が合わない、とハリーは薄ら感じた。話が合うと思ったのはただの気のせいだったかもしれない。

「君はどの寮に入りたいんだい?」
「グリフィンドールさ」

 ハリーは自信を持って答えた。だが、反対に少年の眉間に皺が寄る。

「何だって?」
「グリフィンドールって言ったんだ。勇敢な人がいる寮――絶対にグリフィンドールに行くんだ」
「はっ」

 少年は鼻で笑った。

「グリフィンドールなんか、血の気の多い野蛮人ばかりじゃないか。そんなところに行きたいのかい?」
「そう言う君は?」

 ムッとしてハリーは切り返した。少年はハリーに向き直った。

「僕はスリザリンだ。僕の家族は皆そうだった。もしグリフィンドールなんかに入る羽目になったら退学してやる」
「何だと?」

 ハリーは怒りを湛えた瞳で少年を見た。両親の出身寮を馬鹿にする彼が許せなかった。

「僕だってスリザリンなんかに入りたくないね。純血主義のたまり場じゃないか。碌な奴がいないって父さんたちが言ってた」
「口を慎め」

 少年もまた、激しくハリーを睨み付けた。一触即発、今にも殴り合いの喧嘩が始まりそうな雰囲気が漂い始めたとき――コンコンとノックの音がした。二人が振り返れば、朗らかな笑みを浮かべたシリウスが、両手にアイスを二つ持ち、窓越しにこちらに掲げている。

「シリウス!」
「シリウス? シリウス・ブラックか?」

 少年の顔が一気に険しくなる。

「――はっ、血を裏切る者。そうか、ブラックと知り合いな時点で、君の家柄も薄々察しがつくさ。大方、君、混血だろう?」

 タイミングが良いのか悪いのか、ハリーの採寸が終わった。ハリーは不機嫌そうに台から降りる。

「純血だろうと混血だろうと、僕たちが同じ魔法使いなのは変わらない。答える気にもならないね」
「それが答えだ」

 ふんぞり返って男の子は言った。

「僕はドラコ・マルフォイ。由緒正しい純血の家柄さ。覚えておくといいよ」
「自己紹介どうも。純血を合言葉にしてくれたら、きっと君のこと思い出せると思う」

 素っ気なく言い捨て、ハリーはそのまま見向きもせずにハリエットの所までやってきた。

「ハリー?」
「シリウスと一緒に待ってる」

 多くは語らず、ハリーは店を出て行った。これ以上あの少年と同じ空間にいたくなかった。

「さあ、お次はお嬢ちゃんの番ですよ」

 マダム・マルキンが踏み台までハリエットを案内した。ハリエットはドキドキしながら踏み台の上に立った。そしてその高揚した気分のまま、隣の少年に顔を向ける。

「こ、こんにちは」
「…………」

 ぶすっとしたまま少年はハリエットを見た。ハリーとの間に何かあったのだろうか、とハリエットは不安になった。

「あなたもホグワーツに行くの?」
「ああ。君はさっきの子の友達?」
「双子なの。私は妹よ」
「へえ、あんまり似てないね」
「よく言われるわ」

 知りたいことだけ聞くと、少年はそのまま押し黙った。ハリエットは、なんとか会話を続けようと努力した。

「あなたは魔法界の子?」
「ああ」
「ホグワーツ、楽しみね。私、手紙が届いたときは本当に嬉しかったの。でも、冷静になってみると勉強についていけるか不安になっちゃって……家で勉強はした?」
「まあ」
「私魔法薬学が自信なくて。あなたは?」
「それなりに」

 悲しいほどにつれない態度だ。やがてハリエットも会話を諦め、ただ採寸が終わるのを待つだけになった。だが、不意に耳に飛び込んできた名前に顔を上げる。

「――ジェームズ・ポッターだわ!」
「本当! ここへ来るのは久しぶりじゃない?」

 店員たちの興奮した声は、窓の外に向けられていた。アイスを食べているハリーとシリウス、その向かいでジェームズが笑っている。

「君はあの人たちとどういう関係?」

 突然少年が問いかけた。

「え? あ、お父さんと後見人よ。私、ハリエット・ポッターって言うの」
ポッター?

 少年はハリエットの方をはっきりと見た。

「ジェームズ・ポッターが父親?」
「ええ」

 ハリエットたちの父は有名人だ。こういう反応をされたことは今までに何度だってある。漏れ鍋でもそうだったように、いつも父は握手を求められるし、時折その勢いがハリーに向けられることもある。だが、そのほとんどが好意的なものだった。何せ、父は闇の帝王を倒して魔法界を救った英雄なのだから――。

「道理でいけ好かないと思った!」

 だからこそ、まさかこんな悪意満面の言葉を投げつけられるとは思いも寄らなかった。

「父親が父親なら、子も子だな! 家族揃って魔法界の英雄だとかでさぞ天狗になってたんだろうな」
「ど――どうしてそんなこと言うの?」

 震える声でハリエットはようやくそれだけ言った。訳も分からないまま怒りをぶつけられて混乱していた。それなのに、少年は水を得た魚のように更に勢いを増した。

「どうして? 自分の父親に聞いてみればいい! 運が良かっただけなのに我が物顔で魔法界を闊歩されていい加減うんざりだ! 目立ちたがり屋で嫌でも新聞で見ない日はない!」
「パパの何を知ってそんなこと言うの?」

 驚きや怒り、悲しみで、ハリエットは目に涙を浮かべた。生まれてこの方、初めてここまで悪意をぶつけられたのだ。ハリエットはその対処法を知らなかった。

「初対面なのにパパのことそんな風に言われたくないわ!」
「生意気な奴め。さぞちやほやされて育ったんだろうな」

 動かないでと静止するマダム・マルキンの手を押しのけて彼は踏み台から降り立つ。ハリエットよりも目線の高さは低くなったはずなのに、底知れぬ威圧感があった。

「ああ、でも確か君のところは母親がマグル生まれだろう? こんな所にいて大丈夫かい? ホグワーツからの手紙は届いた?」
「当たり前でしょう」

 あからさまに馬鹿にされ、ハリエットは震えた。自分だけならまだしも、母まで馬鹿にされるのは許せない。

「――リリーのことを侮辱するのは止めてもらおう」

 ハリエットが言い返そうと口を開いたとき、低い声が響いた。パッと振り返れば、そこには少年を睨み付けるハリーとシリウス、そしてジェームズの姿があった。

「英雄殿のご登場ですか。どうやら子煩悩というのは事実だったようですね」
「そりゃあ、愛する妻との間に生まれた子たちだ。可愛く思わないわけがない」

 素知らぬ顔で嫌味を受け流すジェームズに、ドラコは思い切り顔を顰めた。シリウスも思わずと口を挟む。

「お前たちは変わらないな。血が偉いだのなんだの、まだそんなことを言っているのか?」
「当然だ」

 見上げるほど背の高いシリウスにすごまれても少年は全く意に介さなかった。むしろ、あらゆる嫌悪を顔中に貼り付けて相対する。

「血を裏切った奴に何を言われても痛くも痒くもない。ブラック家も落ちぶれたものだ。おじ上が当主になってまだ良かった」
「今のご時世、お前たちみたいな古くさい考えを持ってるから、死喰い人がいなくならないんだ」
「シリウス、もう行きましょう……」

 ハリエットはシリウスのローブを引っ張った。マダム・マルキンやその他店員たちが困った顔でこちらを見つめていた。もうとっくの昔に採寸は終わっているのに、自分たちが未だに居座って険悪な雰囲気を醸し出し、客を寄せ付けようとしないからだ。

「そうだよ。相手にしないのが一番だ」

 ハリーも同意し、顔を顰めたまま踵を返す。その後ろ姿に、最後とばかり少年が捨て台詞を吐く。

「闇の帝王がいなくなっていい気になってるみたいだが、所詮は似たもの同士なれ合っていれば良い! 血を裏切る者に自意識過剰な英雄、それに、母親は穢れた血だったか!」
「母さんのことを馬鹿にするな!」

 アイスを放り投げ、いよいよハリーが少年に飛びかかった。少年も慌てて応戦するが、ハリーの勢いには敵わなかった。すぐに彼は伸される。

 右頬を赤く腫らし、地面に倒れ込んだ少年は、半身を起こしながら四人を睨んだ。

「絶対に許さない! お前たちみたいなのがのうのうと暮らして、なのに、ち――父上は――」
「逆恨みかい?」

 静かにジェームズが尋ねた。その目には、いっそ憐情すら浮かんでいる。

「残念ながら、君の父親に起こった出来事はただの自業自得だ。なのに私やシリウスや――あろうことか、ハリーやハリエットにまで八つ当たりするなんて見当違いも甚だしいよ」
「黙れ!」

 少年は今にもまた起き上がって殴りかかってきそうな雰囲気だ。ハリエットは今度はジェームズのローブを引っ張った。

「お父さん……」
「ああ」

 床に飛び散ったアイスを綺麗にし、マダム・マルキンに謝罪をし、四人揃って出て行こうとしたところで――ふとジェームズが振り返った。

「金輪際ハリエットに近づかないでくれるかな」

 急に見当違いなことを言い出すジェームズに、一瞬しんとなった。「子供たち」ならまだしも、なぜハリエットだけ……。

 しかしあくまでジェームズは真剣だ。リリーを侮辱されたときと同じくらいの圧を感じる。少年も一瞬気圧されたが、しかしすぐに吐き捨てるようにして言う。

「誰がこんな赤毛」

 ジェームズとシリウスは反射的に拳を握ったが、渾身の力でハリエットが押しとどめた。何とか二人を店の外まで追い立て、ホッと息をつく。

「全く、なんて奴だ。ハリー、ハリエット、あんな奴ともう二度と関わるんじゃないぞ」
「当たり前だよ。頼まれたって友達になるもんか」

 ふて腐れて言うハリーに、シリウスはカラカラと笑った。

「それよりもハリー、さっきの拳はなかなか良かった。さすがのわたしも痺れたぞ」
「本当? でも、母さんには内緒にしてね?」
「もちろんだとも。そうだ、ハリエット、アイスだ。チョコレートで良かったか?」
「ええ、ありがとう」

 受け取ったはいいが、先ほどの騒動ですっかり食べる気をなくしてしまったハリエットは、しばらくアイスを見つめた後、ハリーに差し出した。

「食べる?」
「え?」
「何だか食欲なくなっちゃった。ハリー、まだ全然食べてなかったでしょ?」
「ありがとう」

 ハリーは嬉しそうに受け取ったが、シリウスは気遣わしげに、しかし何も言わずにハリエットの頭を撫でた。元気がないハリエットを心配してくれているらしい。

「そういえば二人はどうしてここに? 用事は?」
「ハリーの箒を見繕ってたんだ。わたしたちはニンバスがいいと思ったんだが、ハリーの意見も聞こうと思ってな」
「ホントに箒を買ってくれるの? やった! 僕、勝ってくれるのならなんでも良いと思ってたけど、父さんも使ってるニンバスがいいな! 今から買いに行くの? 僕もついていっていい?」
「もちろんだとも」

 話が盛り上がっているところに水を差すのは申し訳ないが、しかしハリエットはちゃんとリリーの言葉を覚えていた。

「ハリー、でも、お母さんと約束したじゃない。二人一緒に本屋に行くって」
「ハリエット一人でも充分だよ。僕は二人と箒を見に行ったって言ってて」
「ほら、言ってる間に本屋だ。二人は先に行ってて。ハリエットをリリーに預けてから私も行くよ。パッドフット、箒は私が買うんだ。出し抜こうなんて思わないことだ」
「分かってる……」

 苦々しい顔つきでシリウスは頷いた。誰が箒を買うかの激戦は、ジェームズに軍配が上がったらしい。

「早く来てね!」

 ハリーはぶんぶん手を振った。ジェームズは軽く手を上げ、ハリエットと共に書店へ入っていった。