■繋がる未来―秘密の部屋―

18:五十年前の犠牲者


 ハリエットが操られている証拠を見つける――そうと決まれば、ハリーは速やかに寮に戻り、透明マントを被って再び空き教室に戻ってきた。混乱でごった返している談話室を抜け出すのは容易だった。とはいえ、就寝までに戻らなければ三人がいないことは同室生に気付かれてしまう。そうなる前に何とか手がかりを見つけたいものだが……。

 談話室に戻った時に、ハリーはジニーから手鏡を借りていた――ジニーはハリーに鏡を渡した途端身を翻して逃げてしまったが――教室から一歩出れば、そこはいつどこでバジリスクと遭遇するかも分からない危険区域となる。ドアの隙間から廊下を確認し、三人はそろそろ外へ出た。

「いい? 少しでもズルズル何かが這うような音がしたら反対方向へ逃げましょう。あ、でも駄目ね、近くにハリエットがいるってことになるし、どうにかバジリスクを無力化できたらいいんだけど――」
「僕たちがバジリスクを無力化できるって、本当にそう思う? そんなことできたら今頃飛び級でホグワーツを卒業してるよ!」
「静かに!」

 つい声が大きくなるロンを小突き、ハリーは廊下の隅に身を潜めた。バジリスクが這う音でも聞こえたのか、ハーマイオニーたちは青い顔で押し黙る。だが、現れたのは怪物でも何でもない魔法使い三人組だった。

 こちらに向かってくるのは、一人はダンブルドアで、もう一人は山高帽を小脇に抱えた恰幅の良い男、そして最後が――。

「シリウスだ!」
「誰?」
「僕たちの後見人。闇祓いの局長なんだ」
「局長!? あの人が?」

 険しい表情をしているが、それでも整った顔立ちは隠せようもなく、ロンは感嘆の声を漏らしている。

「あ、でも僕隣の人なら知ってるよ。魔法大臣のコーネリウス・ファッジ! パパのボスなんだ」
「知り合いに興奮するのはいいけど静かにして!」

 ハーマイオニーがシッと短く言う。ハリーたちは急に恥ずかしくなってだんまりになった。

「でも、三人でどこに行くんだろう?」
「森の方へ行くみたい」
「シリウスに助けを求めよう!」

 マントを被り直し、ハリーは皆の返事を待たないまま外に出た。

「絶対ハリエットを助けてくれるよ。今の状況を説明しなきゃ」
「闇祓いの力が借りれるのなら嬉しいわ」

 現状、ハリエットの手がかりが何もないということもあり、三人はそろそろ後をつけていった。しばらくして分かったことだが、三人は森ではなくハグリッドに用があったようだ。小屋の中に入っていくのを見て、三人は示し合わせたように窓のそばに張り付き、ほんの少し隙間を開けた。

「――状況はよくない」

 開口一番、ファッジは落ち着きなく辺りを歩き回った。

「来るしかなかった。マグル生まれが三人も犠牲になった。もう始末に終えん。本省が何とかせねば」
「ダンブルドア先生、俺は決して……決してしちゃあおりません」

 コガネムシのようなハグリッドの瞳が潤む。堪らずシリウスが割って入った。

「何の証拠があると言うんです?」
「ハグリッドには不利な前科がある」
「そんなもの証拠とは言えない! ハグリッドが犯人だということにして楽になりたいだけでしょう!」
「シリウス」

 激高するシリウスを押しとどめ、ダンブルドアは静かにファッジを見据えた。

「コーネリウス、これだけは知っておいてほしい。わしはハグリッドに全幅の信頼をおいておる」
「しかしアルバス、魔法省としても何とかしなければならん。――学校の理事たちがうるさい」
「コーネリウス、ハグリッドを連れて行ったところで何の解決にもならんじゃろう」
「ハグリッドを庇いたい気持ちは分かるが……」
「そうではないのじゃ。実は、怪物の正体がつい先ほど判明してのう」
「なに!? では、何だったと……」
「怪物はバジリスクじゃ。ところが、五十年前ハグリッドが飼っていたのはアクロマンチュラじゃという。もし前回も女子生徒を殺害した怪物がバジリスクであったなら、ハグリッドは今回のみならず、前回も無実だったことが証明されよう」
「ハグリッドは怪物のような……特殊で凶暴な魔法生物を好むと聞いている。バジリスクを飼育――」
「俺はそんなことしちゃいねえです!」

 ハグリッドは悲鳴のような叫び声を上げた。

「アラゴクだって野蛮なことはしねえ……。俺が育てる子は絶対人を殺すようなことはしねえんです!」

 ハグリッドの言葉には些か疑問が残る部分もあったが、少なくとも彼が害意を持って魔法生物を飼育しているわけではないことは分かる。もちろん、バジリスクだって育ててはいないだろう。だが、ファッジにはそんなことはどうでもいいのだ。ただ興奮する理事を納得させられるだけの「動き」がほしいだけで。

「それでも、現状一番バジリスクを飼育する可能性があるのはハグリッドで間違いはなかろう。理事もそう判断するに違いない」

 ファッジは何としてでもハグリッドを連行したいようだ。シリウスはダンブルドアに目を向けた。

「なぜ怪物の正体がバジリスクだと分かったんです?」
「ハーマイオニー・グレンジャーという生徒が教えてくれたのじゃ。図書室でその正体を暴き、そして帰り道に遭遇したと」

 その時、ハリーはシリウスの口元が奇妙にヒクついたのを見た。まるで笑うのをこらえているような、そんな不思議な挙動。

 しかし次の瞬間にはもう真面目な顔に戻っていた。

「その生徒は無事なんですよね?」
「無事じゃ。その生徒を助けに入ったペットがおってのう。ただのネズミではあるが、主人の友人を助けようと果敢にも飛び込んでいったらしい」
「ネズミ!?」

 前のめりになってシリウスが叫んだ。

「君も知っているのかのう?」
「ええ……まあ。ジェームズがハリエットにあげたとかあげてないとか……。それで、そのネズミは?」
「今は石になって医務室におる。ハーマイオニー・グレンジャーが窓ガラスを割って、直接目を見ることがないようにしてくれたのじゃ」

 またしてもシリウスの口元がヒクついた。今度はちょっと長かった。

「――それなら、ハーマイオニーの証言があればハグリッドの無実は証明されるのでは? 今までバジリスクが人気のない所で犠牲者を出してきたのは側に誰か指示を出す存在がいたからでしょう。その者が継承者なのでは?」
「ミス・グレンジャーが言うには、バジリスクから逃げるだけで精一杯で、その場に誰かいたかは分からなかったと」
「そうですか……」
「状況が状況だ。一度ハグリッドを連行して……」
「そんなことに時間を割いてこれ以上後手に回るおつもりで?」

 シリウスは激しくファッジを睨みつけた。長身なだけに、小柄なファッジがより一層小さく見える。

「我々がやるべきはハグリッドを連行することではありません。怪物の正体を公表し、危険生物処理委員会と共に直ちにバジリスクを処理することです」
「しかし……しかし」
「こうしている間にもバジリスクが生徒を狙って徘徊しているかもしれない。我々が考えるべきは理事ではなく生徒の身の安全! ダンブルドア、今日はこれで失礼しましょう」

 シリウスはファッジの腕をがっしり掴んだ。

「できればすぐにでも怪物退治と行きたいですが、委員会を招集するには時間がかかりそうで、その間、生徒は……」
「もちろん各寮から一歩も出ることがないように」
「お願いします。ファッジ、行きましょう。明日の朝にはまたホグワーツに戻ってこられるように」

 そうして校門の方へ向かおうとしていた二人だが、思わぬ来訪者にたたらを踏むことになる。

「アルバス――ああ、大変なことに――」
「ミネルバ、一体どうしたのじゃ」

 マクゴナガルを招き入れ、ダンブルドアは椅子を勧めたが、彼女は首を横に振る。

「ふくろう便が届いたのです。中にはアルバス、あなたの停職命令が――十二人の理事の署名もありました」
「なんと!」

 ファッジは驚愕して叫んだ。

「なんと、そんな! ダンブルドアが停職……駄目だ、今という時期にそれは絶対困る……」

 ファッジはおろおろと頭を掻きむしった。

「理事の署名があるのなら、アルバス、我々にはどうしようもできない……。代わりにハグリッドを連行すれば、もしくは……」
「俺がアズカバンへ行くことによって停職が取り消されるのなら……俺はこれ以上ダンブルドアに迷惑をかけることはできねえです……」
「馬鹿げてる!」

 ファッジの提案をシリウスが一喝した。

「ハグリッドを連行しようがしまいが、理事は停職命令を撤回はしないでしょう。奴らがこれほどまでに一致団結するなど、理由は明白だ! 裏で誰が糸を引いているか、その可能性のある人物はそう多くはない! 今すぐ理事の下へ行って誰が黒幕かを――」
「シリウス」

 ダンブルドアの落ち着いた声がシリウスを一瞬にして静まらせた。

「理事がわしの退陣を求めるなら、わしはもちろん退こう」
「ダンブルドア!」
「ただし」

 ダンブルドアはこの場の一人一人とゆっくり目を合わせていった。

「わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実な者がここに一人もいなくなった時だけじゃ。ホグワーツでは助けを求める者には必ずそれが与えられる」

 一瞬、ダンブルドアの目が窓の外に向けられた。目が合ったような錯覚に陥り、ハリーたちはドキッとした。

「アルバス、それは……」
「では行こうかのう」

 一番にダンブルドアが出て行った。慌てて追い掛けるのはファッジだ。続いてシリウスも険しい表情で小屋を出て行く。

「……シリウスに言わなくていいの?」

 小さくなっていく三人の姿を見てロンが小声で尋ねた。ハリーは小さく首を振る。

「少なくとも、あの大臣が近くにいる限り絶対に言えない。ハリエットが犯人にされて終わりになる」

 マクゴナガルが城へ戻っていくのを確認し、ハリーは透明マントを脱ぎ、扉をノックした。

「それよりも、ハグリッドに聞きたいことがあるんだ。ハグリッド――?」
「ハグリッド!」

 扉が開くや否や、中に飛び込んだのはハーマイオニーだ。ハグリッドは目を白黒させてハーマイオニーを受け止めている。

「ごめんなさい……私――あの、ずっと言おうと、でも……」

 ハリーにもハーマイオニーの気持ちはよく分かった。ハリエットが継承者だと明かせばハグリッドは助かる。でも、それは友達を見捨てることと同義だ。

 どちらを取っても友人を売るような状況になるので、ハーマイオニーには生きた心地がしなかったに違いない。

「ハーマイオニー……心配はいらねえ。おかげでアズカバン行きは逃れたんだ」

 ハーマイオニーの心中はいざ知らず、ハグリッドは優しくその背中を叩いた。

「話は聞いてたんだな? お前さんらも早く帰れ。いつバジリスクと遭遇するか分からん。ダンブルドアがいない今、ホグワーツは無法地帯と変わらん」
「ハグリッド……僕たち、どうしても継承者に繋がる情報が欲しいんだ。五十年前のこと教えてくれない?」
「駄目だ駄目だ、まーたお前さんらは危ないことに首を突っ込もうとしちょる。もうすぐ委員会がやって来てバジリスクは退治される。それまで大人しくしとるんだ」
「五十年前は犠牲者は一人だけだったの? ハグリッドが逮捕されてからは誰も死んでないの?」
「頼むからあの時のことは思い出させんでくれ……。アズカバンは……とても、とても恐ろしい所だった」

 ハグリッドの巨体がぶるりと揺れる。生気の抜けたその表情にロンは気圧されたが、ハリーは揺るがなかった。

「ごめん、ハグリッド……。でも大事なことなんだ」
「お前たちの命の他に大切なものがあるか? ハリー、ジェームズもお前さんみたいに好奇心ばかり旺盛でよく禁じられた森に――」
「そういうんじゃないんだ!」

 ハリーの大声にハグリッドは驚いて声を詰まらせた。

「僕は父さんみたいに器用に何でもできるわけじゃない。目立ちたいわけでもない……。でも、これはどうしてもやらなきゃならないことなんだ」

 ハリーの剣幕に気圧され、ハグリッドは弱々しく首を降った。

「……五十年前の犠牲者は一人だけだ。他には誰も死んどらん」
「どこで死んでいたの?」
「トイレだ。わしはあの辺りは彷徨かん……」
「マートル?」

 不意にハーマイオニーが呟いた。

「亡くなった女生徒の名前はマートル?」

 もし、その亡くなった女生徒が今もまだその場所にいたとしたら――。

 ハーマイオニーのひらめきに声もなくハグリッドは頷いた。顔が青い。確かに、自分のせいでなかったとしても、犯人にされてしまってはマートルの住み着くトイレには近寄りがたいだろう。

「ありがとう、ハグリッド! 行きましょう!」

 ハーマイオニーは透明マントを広げ、ハリーたちをまとめて中に引き入れた。

「マートルに話を聞きましょう! 何か分かるかも!」

 そうして素早く三階女子トイレへ向かった三人だが、教師が集まっているのを見て慌てて隅に隠れる。

「とうとう……ああ、とうとう!」
「誰のことでしょう……『彼女?』」
「直ちに各寮点呼を取りましょう。いなくなった生徒が誰なのか。そして明日の朝、全生徒は帰宅させなければなりません。もしバジリスクも生徒も見つからないままであれば、ホグワーツはこれでおしまいです……」

 ハリーは伸び上がって皆が見ている壁の文字を読んだ。そしてその内容を理解すると愕然とした。

「『彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるであろう』!」
「ハリエットだ……ハリエットだ!」

 『継承者』が用済みになったから殺すのか。

 壁の文字を見てハリーは愕然とする。すっかり腑抜けてしまったハリーをハーマイオニーは激しく揺すった
「しっかりして、ハリー! ハリエットはまだ死んでないわ。だって今までと違って事件の痕跡すらないじゃない!」

 ハーマイオニーの鋭い声に、ハリーもようやく落ち着いてきた。うん、と小さく頷く。

「早くマートルのトイレへ向かいましょう」

 時間は刻一刻と迫っている。

 三人は透明マントを被り直し、足早にその場を後にした。