■秘密の部屋
10:黒革の日記帳
ドラコは箒を抱えて一人城裏へと向かっていた。この頃ムシャクシャすることばかりで、早く空を飛んで重苦しい気持ちを発散させたかった。
角を曲がると、一つの塊を見つけた。グリフィンドールのローブを着た女生徒だ。彼女は丸まって座り、顔は見えない。
死んだように彼女はピクリとも動かなかった。さすがのドラコも少し心配になって彼女に近づく。
「おい……」
「…………」
彼女は微動だにしなかった。続いて肩に手を乗せて少し揺する。
「大丈夫か?」
ようやく彼女は顔を上げた。げっそりとやつれていた。目の下にはクマがあるし、満足に食べていないのかいつも小柄な身体が一層小さく見えた。
「あ……うん」
随分久しぶりに彼女を見たと思った。また一メートルしか飛べなくなったと泣きつかれたときは、翌週も練習に来るのだと思っていたが、一向に彼女は姿を見せなかった。
こうしてちゃんと顔を見るのは何日ぶりだろうか。
「疲れてるのか? 箒は練習するのか?」
「もう、いいかな……」
「は?」
「箒。空飛べなくてもいい」
諦めたような声だった。じゃあどうしてこんなところに、とドラコは思った。
「また一メートルしか飛べなくなったんだろ?」
「うん、でもそれでいい。なんか疲れちゃった」
「医務室に行った方が良い」
「後で行くわ」
ドラコは、ハリエットが何か胸に抱えているのを見つけた。
「それはなんだ?」
「これ? 日記」
「日記?」
日記なんか書いてるのか、と馬鹿にしようとしてドラコはやっぱり言うのは止めた。
「でも、もう書きたくない」
「じゃあ書かなければ良いじゃないか」
「うん……」
そうなんだけど、とハリエットは傍らに日記を置いた。そしてまた膝に顔を埋める。ドラコはまじまじと日記を見た。黒革表紙の日記帳で、随分古ぼけている。ドラコは、どこかで見たような気がして、日記を睨み付けた。何か思い出せそうな気がした。
そう、確か、あれは父の書斎だった――。ちょっとした好奇心で書斎を漁り、そしてあの黒革表紙を見つけた。中身は真っ白なページばかりで、拍子抜けしていたが、その時父に見つかって、二度と触るなと怒られたことは覚えている。
「その日記……」
ドラコの声が掠れた。
「どうしてお前が持っているんだ?」
「分からない……拾ったの」
「どこで?」
「たぶん、ダイアゴン横丁」
「…………」
ダイアゴン横丁で、偶然にもハリエットと出会った。そして、書店で乱闘騒ぎになった。確か、その時彼女は本を地面に落としていたはずだ。
「その日記……見せてくれないか?」
「どうして?」
「いや……父のものと似ているから」
ドラコが日記帳に手を伸ばすと、ハリエットは素早い動きで日記を持ち上げた。
「駄目よ……駄目! 私のものよ!」
そして吠えるようにハリエットは叫んだ。目が血走っている。
ドラコが困惑していると、ハリエットは日記を宝物のように胸にギュッと抱き締めると、逃げるように城の中へ入っていった。
――誰だ? 彼女は、一体……。
まるで別人のようだった。何者かが乗り移っているような、そんな気すらした。
ドラコは、しばらく茫然とその場に座っていたが、やがて我に返ると、急いで寮に戻った。そしてルシウスに手紙を書いた。
昔書斎で見つけた黒革表紙の有無を問う手紙だ。自分の勘違いであれば良い。むしろ勘違いであることを祈った。
*****
ルシウスからの返事は、なんとも短いものだった。
『お前が気にする必要は無い。学校で起こる出来事についても、静観するように』
この返事で二つのことが分かった。あの日記はやはり父の持ち物で、そして――これは確実ではないが――継承者とは、ハリエットのことではないか、ということだ。
日記を手にしたハリエットはまるで別人のようだった。闇の魔術に関するものの中には、人を操るものだってある。それが、あの黒い日記だとしたら? あの日記が、ハリエットを継承者に仕立て上げ、そして秘密の部屋を開かせているのだとしたら?
だが、ハリエットは純血ではない。純血主義でもないし、スリザリンの生徒でもない。真の継承者とは、少なくともその三つはクリアしないと継承者にはなれないのではないか。
しかし、一つの可能性はある。ハリーとハリエットは双子だ。ハリーはパーセルマウスだった。なら、ハリエットは? パーセルマウスの可能性はあるし、もしそうでなくても、ハリーがスリザリンの血筋なら、もちろんハリエットだってそうだ。そういう意味では、継承者と言われても頷ける。
考え込みながら歩いていると、前の方から口論をする声が聞こえてきた。聞き慣れた声に、ドラコは足を速めた。
「お前達、こんなところにいたのか。二人とも、今まで大広間で馬鹿食いしていたのか? ずっと探していたんだ。面白いものを見せてやろうと思って」
ドラコの取り巻き、クラッブとゴイルがパーシーに絡まれていた。ドラコはこの規則に取り憑かれた赤毛が嫌いだった。
「ところでウィーズリー、こんなところで何の用だ?」
「監督生に少しは敬意を示したらどうだ! 君の態度は気に食わん!」
いきり立って怒るパーシーをドラコは鼻であしらい、そのまま寮に戻った。クラッブ達はいつもより大人しくドラコの後ろからついてくる。
スリザリンの談話室まで来ると、ドラコはお気に入りのソファに腰掛けた。そして懐から新聞の切り抜きを取り出す。
「ほら」
彼が差し出したのは、日刊予言者新聞の切り抜きだった。そこには、アーサーがマグルの自動車に魔法をかけたことによって金貨五十ガリオンの罰金が言い渡されたとある。
「どうだ? おかしいだろう?」
クラッブは空笑いを返した。いつもの馬鹿笑いではないので、ドラコは少し心配になった。
「お腹でも痛いのか? 馬鹿食いするからだ」
「そんなんじゃ――」
言い返そうとしたクラッブを、ゴイルが叩いた。クラッブは大人しくなった。
ドラコは静かだった。何か物思いに耽るような表情をしており、その口は結ばれている。いつものクラッブ達ならば、様子が違うことに気づき体調を気にしただろうが、今日のクラッブ達は違った。
「継承者に心当たりはあるのか?」
ゴイルは直球で聞いた。ドラコの眉がピンと跳ねるのを見た。
「……いや」
返事に間がある。明らかに何か知っている様子だった。
「僕は、君が継承者だったら良いのにって思う」
「僕が継承者?」
ドラコはようやく笑った。見当違いも甚だしいという笑いだ。
「ある意味それも光栄かもしれないが……僕じゃない。前回は五十年前に部屋が開かれたということしか、父上は話してくださらない。僕が何を聞いてもそれ以上教えてくれない。黙って見守れと言うばかりだ」
またもドラコは黙った。それ以上クラッブ達が話しかけても、生返事を返すばかりだ。
だが、ゴイルのある質問には面白いくらい童謡を見せた。
「前に部屋を開けたものがどうなったか知ってる?」
「――っ」
ドラコは目を見開き、何かに気づいたかのように盛んに両手を組み替えた。
「……追放された。アズカバンにいると聞いている」
「アズカバン?」
「魔法使いの牢獄だ」
もう良いだろう、と言わんばかりドラコは席を立ち、そのまま寝室へ姿を消した。取り残されたクラッブとゴイルは、しばらく戸惑ったように顔を見合わせたが、やがて『変化』に気づき急いでスリザリンの寮を出た。