マルフォイ家の娘

16   ―棄てられた娘―








 ダンスパーティー当日、ハリエットは自分が大きな間違いを犯していたことに気づいた。そう、ハリエットのパートナーはハリー・ポッターで、ハリーは三大対抗試合の代表選手で、代表選手は、ダンスパーティーの最初に踊らなくてはならず――。

 つまりは、ハリエットは皆の前でダンスを披露しなければならないということだ!

 その事実に気づいたとき、ハリエットは恐れおののいた。だが、時既に遅し。ハリエットは今から他のパートナーを見つけることもできず、ただ泣く泣くパーティー開催の時までをじっと待ち続けるほかなかったのだ。

「ハーマイオニー……ハーマイオニー、どうしよう。私、皆の前で転んだりしたら……」
「大丈夫よ。そうならないためにも、休暇中ずっと練習してたんでしょう?」
「でも、まさか皆の前で踊るなんて! 私、人前に出たことなんて一度だってないもの!」
「踊るのは一人じゃないでしょう? ハリーだっているし、私だって踊ってるもの」
「だからって――」

 うだうだと不安を口にするハリエットに対し、ハーマイオニーは気のない返事をした。

「折角のクリスマスなんだし、楽しまないと損だわ。ほら、ハリエットにもたくさんのプレゼントが届いてる!」

 親友の言葉に、ハリエットはいくらか元気を取り戻した。ドビーやドラコ、ナルシッサからしかプレゼントをもらう宛てのなかったハリエットが、ホグワーツに入学した途端、たくさんの友達からプレゼントを贈り合うことができるようになったのだ。今では、クリスマスや誕生日は一番の楽しみな行事だ。

 成長するにつれ、顔と名前くらいしか分からないような男の子からもプレゼントがくるようになったが――おそらく家名目当てのことだろう――そういったものはお礼のカードを送るだけに留めている。ナルシッサにも報告はしているが、その大多数は相手にするなと言われているためだ。

 半分ほど開けた所で、ハリエットの目についたのは、小さな細長い箱だ。重厚な緑色は、どこか見覚えのある色だ。胸騒ぎがして、ハリエットはすぐにその箱を開けた。

「――っ」

 一番に視界に飛び込んできたのは、マルフォイ家の紋章。ルシウス・マルフォイのサイン。そしてクリスマスを祝う言葉。

 カードの下には、大粒のエメラルドのネックレスが入っていた。ハリエットは、しばし声もなくカードとネックレスとを見比べた。

「それ、どうしたの? すごく高そう」

 肩越しにひょっこり顔を出したハーマイオニーが尋ねる。ハリエットは上の空で答えた。

「お父様から……」
「お父様って――ルシウス・マルフォイ!? でもハリエット、ルシウス・マルフォイからは、プレゼントは一度ももらったことないって……」
「そのはず、だったのよ……」

 ハリエットはポカンとしたままネックレスに目を落とした。

 クリスマスプレゼントにしては、あまりにも豪華な贈り物。だが、ドラコのクィディッチ・チーム入りに、チームメイト全員に最新の箒を与えるマルフォイ家当主の財力を思えば、至極普通の贈り物。問題は、ハリエットは今までずっとルシウスに嫌われていたという点だ。

 ハリエットの思い込みなどではない。ルシウスは確実にハリエットのことを嫌っていた。優しい言葉をかけてもらった記憶はないし、プレゼントだってなかった。それなのに、いきなり、どうして。

 困惑もあるが、しかしその中には確かに隠しきれない喜びもあった。だが同時に後ろめたさも覚える。嬉しいと思うことが、ひどく罪深く思えてならない。ルシウス・マルフォイは、両親の敵の仲間なのに。

 ルシウスからクリスマス・プレゼントをもらったことをハリーに、言い辛く、結局口には出さなかった。ハーマイオニーも機敏に察してくれたのか、何も言わなかった。

 散々頭を悩ませた結果、パーティーには、シリウスからもらったネックレスを付けていくことにした。心苦しくは思ったが、パートナーはハリーだ。ハリーとのダンスに、ルシウスのネックレスを付けては、どちらにも申し訳が立たない気がしたからだ。

「もう、ハリエット。ちゃんと前向いて!」

 ハリエットがしきりに胸元のネックレスを気にしていると、ハーマイオニーが怒った顔でぐりんと真正面に顔を向き直らせた。

「じっとしてないと髪が結えないわ。ネックレス、いいじゃない。ちゃんと似合ってるわ」
「あ、ありがとう……」

 ハーマイオニーは、もういつでも出陣可能な出で立ちだった。彼女だけでなく、同室のラベンダーやパーバティももうすっかり身支度を終えていて、クスクス笑いながらもう一ひねり何かお洒落できないかと試行錯誤している。

「ハーマイオニーの髪型、とっても素敵ね。何か魔法を使ったの?」

 髪をまとめるべきか、今になって悩み始めたパーバティが羨ましそうに尋ねた。ハーマイオニーは嬉しそうに答えた。

「スリーク・イージーの直毛薬をたっぷり使ったの。おかげで財布はすっからかん」
「でも、その甲斐はあったわね! 男の子達、きっとびっくりするわ」
「それに、パートナーはクラムでしょう? ハリエットのパートナーはハリーだし」
「ああ、思い出させないで!」

 ハリエットは青い顔で叫んだ。ハリーと一緒に、何百人といる人達の前で踊ることを考えると――今にも倒れてしまいそうだった。

 だが、時間は無情にもやってくる。「これでオーケーよ!」とハーマイオニーに肩を叩かれ、ハリエットは立ち上がった。

 ハリエットが着ているのは、ナルシッサに用意してもらった、深いグリーンのドレスだ。裾に深くスリットの入った大人っぽいドレスなので、初めて見たときはドギマギしてしまったが、今となっては、転びにくそうでむしろ良いかもしれないと思い直していた。

 ハリエットとハーマイオニーが談話室へ降りていくと、ハリーとロンがピタリと会話を止めた。ロンの視線は特にハーマイオニーに釘付けだ。

「君……誰?」
「たった数時間会わないだけであなたの目は節穴になったみたいね? パーティーよりも医務室に行った方が良いんじゃない?」
「いや……だって……ハーマイオニー?」
「私、パートナーと待ち合わせしてるから、もう行かないと。ハリエット、遅れないようちゃんと来るのよ」

 ハーマイオニーは魅力的に笑うと、軽い足取りで肖像画の穴へ向かった。ロンの視線はその後ろ姿にさえ注がれていた。

「女の子って魔法が使えるんだ……」
「あなたも使えるでしょ」

 ハリエットの呆れたような声に、ロンはようやくもう一人の女の子の存在を思い出したようだ。ハリエットを見てギョッとする。

「うわっ! 君もだ! 君も今日はおかしい!」
「褒め言葉として受け取っておくわ」

 全然褒められた気はしないが。

 ロンはもう少し男子力を身につけるべきだとハリエットは思った。兄はどうだろうとハリーに目を向ければ、彼はギクシャクしながら笑った。

「ハリエット……とっても綺麗だ」
「ハリーったら……気を遣わなくても良いのに」

 兄妹なんだから、と付け足せば、ハリーは照れくさそうに咳払いする。

「うん……でも、兄としての欲目をなしにしても、今日は可愛い……と思う」
「ありがとう」

 何だか照れくさくて一定の距離を保つハリーとハリエット、その後ろを、ロンがどこかつまらなさそうな顔でついてくる。

 玄関ホールは、大勢の着飾った生徒で溢れていた。パーティーの会場となる大広間はまだ準備ができていないらしく、その扉は閉ざされている。

「――スリザリンだ」

 ロンの声に振り返れば、今まさにスリザリン生が地下から階段を上ってくる所だった。一団の先頭はもちろんドラコで、彼の腕には、フリフリのドレスを着たパンジーがしがみついている。取り巻きのクラッブとゴイルは、パートナーもつれずにとぼとぼ後ろを歩いていた。

「パートナーは見つからなかったみたいだな」
「あの二人の隣にハリエットがいる所を見る羽目にならなくて本当に良かったよ」

 目線を上げたドラコと目が合った。ドラコは目を見張り、上から下へ、まるで検分するようにハリエットを見たが、その視線に気づいたパンジーが無理矢理ハリエットから視線を剥がした。

 声をかけるタイミングを失ったまま、ハリエットはハリーと共に大広間の前まで移動した。代表選手は一番に入場し、そして中央で踊らなければならないのだ。ハリエットは緊張で胃がひっくり返る思いだった。

「どうしよう……僕、アー、本当にダンスは苦手で……。足踏んだらごめん」
「わ、私こそ!」

 パーティー当日まで、ダンスは苦手だと互いにアピールをしていたものの、当日のこのタイミングになっても同じようなことを口にしていることに気づき、ハリエットはおかしくなって笑ってしまった。

「気を楽にして踊りましょう? 幸いにも私達は兄妹なんだし、格好つける必要もないでしょう?」
「……それもそうだね」

 ハリーもクスッと笑みを零し、前を向いた。扉が開き、まばゆいばかりの光が差し込んでくる――。


*****


「懐かしいと思いませんか」

 一つ席が離れただけのマクゴナガルの声は、嫌でもスネイプの耳に飛び込んできた。

「ジェームスとリリー……二人がパートナーとなってプロムで踊ったときは、心底驚かされました」
「ジェームスは昔っからリリー一筋で……。あんときは俺も思わず泣いちまいました」

 ハグリッドは大きく鼻を啜る。マクゴナガルは苦笑した。

「そういう今も泣いてるじゃありませんか」
「いけねえ……俺は昔から涙腺が緩くて……」
「ミス・ポッターの組み分けのときもどうやってあなたを泣き止ませれば良いのか大いに焦らされました。あなたが泣いている理由を生徒に気取られたらどうしようと冷や冷やしたものですよ」
「申し訳ねえです。ハリエットが、たとえマルフォイの家で育てられたとしても、グリフィンドールに組み分けされたことが嬉しくて嬉しくて……」

 二人の会話につられ、思わずスネイプの目も該当人物に向けられる。

 ハリー・ポッターとハリエット・マルフォイ。

 二人はぎこちないながらも、年相応に、仲睦まじく踊っていた。他校の代表選手が、代表らしく完璧に踊る中で、二人の小柄な体躯と拙いダンスは尚のこと目立つ。だが、それでも分不相応に見えないのは、二人が楽しそうに踊っているからだろう。

 ハリーがハリエットの足を踏んでしまえば、ハリーはパッと申し訳なさそうな顔をし、逆にハリエットは笑って何かを囁く。その距離感と親密さが、通常の友人のそれには見えないのは、見ている者の脳裏に想起するものがそれぞれ異なるからだろうか。

 ツッと視線をずらせば、人混みの中に、パーティーには決してそぐわない顔つきの少年がいる。

 ――ドラコ・マルフォイ。

 彼が二人を睨み付けるその目は、スネイプにも身に覚えのあるものだった。おそらく、プロムナードでジェームズとリリーが踊っている光景を見せつけられたあの日あの時、自分とて、射貫くように睨み付けていたに違いないから――。

「ところで、マクゴナガル教授」

 ジェームズとリリーの結婚式という、不快極まりない話題に移ろうとしていた所で、スネイプは強引に割って入った。

「第二の課題――人質の選考は決まりましたかな?」
「ああ、それなら、丁度このダンスのパートナーにしようと考えていた所です。ミス・デラクールは――残念ながら、今のパートナーは不本意のようですので、応援に来ている妹の方が望ましいとは思いますが」
「一言言わせて頂ければ、ポッターの人質もウィーズリーが妥当かと。ミス・マルフォイがこれ以上目立つのはよろしくない」
「それは――確かにそうですね」

 咄嗟に反論が飛び出しそうになったが、マクゴナガルはすぐに思い直した。三大対抗試合のことは、日刊予言者新聞にも取り上げられる。ハリーの大切な人がハリエットだと、たとえ恋人のような立ち位置で取り上げられたとしても、もしかしたらそこからポッター家の秘匿された娘のことにたどり着くこともあるかもしれない。

「では、ポッターの人質はウィーズリーにします」
「それがよろしいかと」

 スネイプは、再び会場に顔を戻した。ようやくあの嫌に長く感じた代表選手のダンスの時間は終わり、他の生徒がダンスを始めている頃だった。だが、すっかり調子を崩されたスネイプは、これ以上生徒の幸せそうな顔を見るに堪えず、外の見回りをすることに決めた。

 浮かれきった生徒達のことだ、きっと今この時も外の誰もいない所で羽目を外しているに違いない――。


*****


 ハグリッドの秘密を暴く記事を出したリータ・スキーターを痛烈に批判したハーマイオニー。ロンの嫌な予感は当たった。「週刊魔女」に彼女を貶める記事が出たのだ。

 あらゆる手練手管でクラムを落としただけに飽き足らず、ハリー・ポッターとハリエット・マルフォイの仲の良いカップルに割り込んだハーマイオニー・グレンジャー。国際クィディッチ選手をものにするだけでは留まらず、生き残った男の子の名声まで手に入れようとする強欲なグレンジャー。二人の少女の間で揺れ動くハリーの心。どうか相応しい少女が彼の心を射止めますようにと締めくくられていた。

 あまりにもでたらめで、そして失礼極まりない記事だ。言葉の端々にハーマイオニーを馬鹿にする言葉がちりばめられ、ハリーとクラムの二人を手玉に取る悪女のように書かれていた。ハーマイオニーがスキーターを批判した時ハリエットも同じ場にいたのに、彼女ほどは批判されていないのは、ひとえに「マルフォイ家の娘」である影響だろう。

 死喰い人がキャンプ場で暴れていたという事実に、マルフォイ家の地位と名声。ハリエットを批判することでルシウスの怒りに触れることを恐れたのだ。

 この記事の影響はすぐに現れた。

 月曜日、ふくろう便の時間になると、たくさんのふくろうがハーマイオニーに手紙を届けたのだ。スキーターの記事を読んだ読者が、ハリーとクラムを弄ぶハーマイオニーに悪態をつく手紙がほとんどだった。

 手紙はハリエットにも届けられた。封を開けた時、ハリエットは反射的に眉を顰めた。記事を切り抜いた文字で書かれていたのは。

喰い人の 娘は ハリー・ポッーに ふさしくない』

 スーッと血の気が引いていった。この記事のどこにハリエットはショックを受けたかも分からなかった。ハリエットはマルフォイ家の本当の娘ではないし、ふさわしくないと言われても、双子の妹であることには変わりはない……。だが、ハリエットは確かに心が痛んだのを感じた。すぐにサッと手紙を畳んでまた封筒に戻す。

「ハリエットのはどうだった?」
「私は――私のも、そうね。似たような感じ」

 みなまで言えず、ハリエットは黙り込んだ。だが、深く追求されることはなかった。ハーマイオニーが悲鳴を上げたからだ。

 見れば、ハーマイオニーの両手に黄緑色の液体がかかり、大きな腫れ物ができていた。

「腫れ草の膿を薄めてない奴だ!」
「ハーマイオニー!」

 ハリエットは慌ててナプキンで液体を拭ったが、既に遅く、ハーマイオニーの指はおできだらけになった後だった。

 ハーマイオニーはポロポロ涙をこぼしていた。液体を拭ったとき、それがちょっとハリエットの指に触れただけで刺すような痛みを感じたのだ、今の彼女の痛みは想像を絶する。

「医務室に行きましょう」

 ハーマイオニーの手をナプキンで包みながらハリエットは立ち上がった。


*****


 ハリエットが大慌てでハーマイオニーと共に大広間を出て行ったのにはドラコも当然気づいた。その前に、二人の前に大量のふくろうがやって来て手紙を落としたことも。更には、その手紙に目を通したハリエットの顔色が悪くなったのにだって気づいた。

 「週刊魔女」に載っていた気分の悪い記事は、当然ドラコも読んでいた。クスクス笑うパンジーに「面白いことが載ってるわ」と見せられた先にあったのは、ハリー達に纏わる四角関係。

 腸が煮えくりかえりそうだった。ハリーとハリエットが恋人だというだけでも頭がおかしくなりそうなのに、四角関係だと!?
 マルフォイ家という影響があってか、記事ではハリエットは悪いようには言われていなかった。だが、ホグワーツでは。きっと好色な視線が彼女を襲うに違いない。

 ハリーとロンが大広間を出て行こうとするのを目に留めたドラコはすぐに後を追った。彼らの次の授業はどうやら薬草学のようだった。温室へ向かうのを認めると、ドラコはクラッブ、ゴイルにロンを抑えるよう言い、自分はロンを押しのけてハリーの胸ぐらを掴んだ。そのまま壁に押しつけ、杖を突きつける。

「さぞ良い気分だろうな、ポッター」
「はあ?」
「何するんだ!」

 両側から抑えられ、ロンはもがいた。ハリーは眉を顰めてドラコを毅然と睨み返す。

「何の話だ」
「とぼけるな。ハリエットとグレンジャー、代表選手殿は女を二人弄ぶのも当然の権利だって?」
「弄んでない! 二人は友達だ!」
「友達? 思わせぶりな態度を取って二人をキープすることが? グレンジャーの取り合いならクラムと二人でやってろ。ハリエットを巻き込むな」
「だから――違う!」
「お前みたいな奴が一番吐き気がする。何も望んでないみたいな顔をして、全部を奪っていく――」
「何をしている、マルフォイ!」

 突然現れたマッド-アイが魔法で二人を引き剥がした。そして彼はドラコだけに杖を向ける。

「ポッター、何があった? 痴情のもつれか?」
「違います」

 冷静にハリーが否定する。観衆はクスリと笑ったが、当事者は誰一人と笑わなかった。

「マルフォイ、わしがマクゴナガルに今後一切体罰を用いないという誓約書を書かされていなければ、今頃お前は懲りずにイタチになっていたことだろう」
「そうなっていれば、あなたはその後ホグワーツを去っていたかもしれませんね」

 吐き捨てるようにドラコは言ったが、遠くからこの群衆に向かってくるハリエットの姿を見つけ、すぐにハリー達への興味を失った。

 人垣を割って驚くハリエットの手を掴むと、強引に連れ出す。

「マルフォイ、まだ話は終わっとらんぞ!」

 背後からはマッド-アイの叫び声が響くが、小さく「いいんです」とハリーが言うのが聞こえた。それがまた彼の余裕を現しているようで、ドラコは更に苛立ちを増した。

 戸惑うハリエットの問いかけにも答えず、ドラコは人気のない教室まで連れてくると、出口を塞ぐようにして扉の前に立ち、彼女と向き直った。

「ポッターは止めろ」
「ドラコ――」
「グレンジャーと二股するような男なんだぞ!? お前は弄ばれてるんだ!」
「ドラコまであの記事信じてるの?」

 ハリエットは困ったように視線を彷徨わせた。

「私はハリーと付き合ってないし、ハーマイオニーだって誰とも付き合ってないわ。リータ・スキーターが適当なこと書いてるだけよ」
「でも好きなんだろ!?」
「だから、友達として好きなだけよ。どうしてそう思うの?」
「…………」

 言いたいことは山ほどある。君があいつを見る目が違う。僕とあいつといる時では空気が違う。雰囲気が違う。いつも優しそうに笑ってる。僕といる時よりもあいつといる時の方が楽しそうだ――。

 だが、そのどれも声にはならなかった。ドラコのプライドが邪魔をした。それに、こんなことを言ったところで、彼女が振り向いてくれるわけもないのに。

「本当に違うのよ。私は誰とも付き合ってないわ。あの記事は、スキーターが当てつけで書いただけなの。授業が始まっちゃうわ。私、行くわね」

 言外に、腕を離してと言われ、ドラコは従うほかなかった。

 ――こうして彼女を見送るのは、これで何度目だろうか。たった一人だけ残される気持ちを、彼女はきっと知らないに違いない。


*****


 第三の課題は、迷路の攻略だ。もちろんただの迷路ではなく、ゴールまでには様々な障害物がある。それを魔法でどう切り抜けるかが勝負のポイントだ。

 選手達は、点数の高い者から順に迷路に入っていった。六メートルもある生け垣のせいで、ハリーの姿はあっという間に見えなくなってしまった。これでは、ハリーの健闘を見守ることも、ホグズミードでソワソワしているだろうシリウスにハリーの勇姿を録画して送ることもできない。ハリエットは落ち着かない気持ちで万眼鏡を下ろした。

 異変が起こったのは、三十分ほど経った頃だろうか。突然闇夜の中に赤い火花が上がったのだ。棄権の合図だ。

 状況が分からないからこそ、突然の棄権に生徒は皆ざわついた。棄権したのは誰かと伸び上がって迷路の入り口を見つめる中、そこから魔法の担架で運ばれてきたのはクラムだった。

「何てこと!」
「気を失ってる……。ハリーは大丈夫か?」

 先生達の様子を見るに、命に別状はないようだ。だが、あのクラムが棄権したのだ。迷路の中で何が起こっているのだろうか。

 しばらくして、巡回していたマクゴナガルがフラーも運んできた。二人目の棄権に生徒達は皆ざわつく。

「ハリーは大丈夫かしら……」

 フラーは火花すら上げられないまま気絶したのだ。もしかしたら、今この時も、ハリーは迷路の中で命の危険に脅かされているかもしれない。

「お嬢様!」

 すぐ隣でキーキー呼ぶ声が聞こえてきて、神経を張り詰めていたハリエットは飛び上がってしまった。

「トニー?」

 見れば、そこにいたのはマルフォイ家に仕えるしもべ妖精だ。なぜ彼女がこんな所にいるのか、ハリエットは一瞬混乱してしまった。

「どうしたの? 何か用?」
「トニーめは、ご主人様に命令をお受けになりました。お嬢様が、今すぐネックレスを身につけるようにと」
「お父様が? どうして今?」
「ネックレスには、とても大切な守護の呪文が掛かっているのです! お嬢様のためにも、今すぐ身につけるようトニーめはここにいらっしゃいました」

 トニーの言葉に耳を傾けながらも、ハリエットはちらちら迷路の方を見た。今はハリーの方が心配だった。

「でも、今は第三の課題の最中なのよ。ハリーが無事戻ってきてくれたら必ずネックレスを取りに戻るわ。それで良いでしょう?」
「しかし、ご主人様は今すぐにとお言いです」

 トニーは不安そうにハリエットを見た。その肩は僅かに震えている。ハリエットはハッと思い至った。ハリエットが命令に従わなかったとき、折檻されるのはしもべ妖精の方なのだ。

「……分かったわ。取りに戻るから、トニーはもう戻って。お父様にもちゃんと伝えて」
「しかし、トニーめはこの目で見届けるよう仰られました」

 ハリエットは気遣わしげに迷路を見た。ハリーの命とネックレス。大切な方なんて決まっている。だが、命令を成し遂げられなかったと知ったとき、ルシウスがトニーに何をするかが分からない。

 ハリエットが立ち上がったのに気づき、ロンとハーマイオニーが驚いて顔を上げた。

「ネックレスなんてこの試合が終わってからでいいじゃないか」
「……そういう訳にもいかないの」
「ハリーが危ないかもしれないのに」
「すぐに戻ってくるわ」

 ハリエットとて、ハリーのことは心配だ。後ろ髪引かれる思いでハリエットはホグワーツ城へと向かった。

 生徒のみならず、肖像画達も皆出払っていて、城の中はしんとしていた。太った婦人が唯一額縁の中でうとうとしていたことが不幸中の幸いだった。

 談話室まで来ると、ものぐさであることは承知の上で、呼び寄せ呪文でネックレスを手元まで引き寄せた。

「これでいい?」
「あと五分以内にお嬢様はそれをお付けになりませんと」

 トニーがキーキー言って首を振る。ハリエットは長い髪を持ち上げてネックレスを付けた。

「五分以内? 何かあるの?」
「いいえ、いいえ! ご主人様がトニーめにそうお言いになられました」

 いまいちトニーの言っていることが分からなかったが、悠長にはしていられない。ハリエットはすぐに寮を出て階段を降り始めた。

「トニー、もう帰って大丈夫よ。お父様にもしっかり伝えて」
「はい! トニーめは、ご主人様の下へお帰りになられます」

 パチンと指を鳴らし、トニーの姿はあっという間に消えた。ハリエットはちらりと窓の外に目をやったが、競技場は遠くてあまりよく見えない。一層足を速めたとき、ハリエットの視界の隅で何かが発光するのが見えた。淡いブルーの光。視線を下に向けて驚いた。光っているのは、他でもないハリエットのネックレスだった。

「何、これ――」

 こんな不思議な機能があったのだろうか。それとも、何か魔法が掛けられていて?

 ハリエットが深く考える時間はあまりなかった。間を置かずに、両足が地面からふわりと離れたのだ。

 確かに、階段を降りている最中ではあった。だが、落下するのではなく、まるで宙に放り出されるような、無重力の中をくるくる回るような不思議な感覚で。

 気がついたときには、ハリエットは再び地面に足を付けていた。それどころか、上手く着陸ができず、強かに両手と両膝をぶつける。

 まだ絨毯が敷かれていて助かった、とハリエットは思った。ついで、なぜホグワーツの廊下に絨毯が敷かれているのかという疑問も首をもたげる。それに、この絨毯はどこかで見たことがある――。

「杖を渡しなさい」

 反射的に顔を上げたハリエットは驚きに固まった。どうして目の前にルシウスがいるのだろう?

「杖を!」

 状況も何も分からない状態でも、言われたとおりに行動するのはハリエットの身に染みていた。ルシウスは杖を受け取ると、己のローブのポケットにしまった。

 ハリエットは、恐る恐る立ち上がった。この場にルシウスがいるのは当然だった。ここは、他でもないウィルトシャーにあるマルフォイ邸なのだから。――ハリエットが、何らかの方法でこの場に来たことは確かだ。そう、例えばこのネックレスが移動キーになっていたのだとしたら。

 ハリエットはえも言えぬ不安に襲われた。ルシウスは、一筋の光も通さない真っ黒なローブを着ていた。いつもの格好とは雰囲気が違う。

 緊張した沈黙が走る中、ルシウスが徐にポケットから取り出したのは一枚の仮面だった。躊躇う様子もなくルシウスはそれを身につける。

 ――完成だ。クィディッチ・ワールドカップのあの夜に見た死喰い人。黒いローブにフード、気味の悪い仮面。ハリエットの目の前には死喰い人がいた。

「腕に掴まりなさい」

 静かな声でルシウスが言った。ハリエットは後ずさる。

「どこに行くんですか」
「行けば分かる」

 大人しく杖を引き渡したことをハリエットはひどく後悔した。さっと屋敷の中に視線を走らせても、当然ハリエットの味方などこの場にいない。ジリジリと後退すれば、焦れたルシウスが大股で近寄ってくる。

「い、いや――」

 骨が軋みそうなほどの力で腕を掴まれる。ハリエットは必死に抵抗したが、大人の力には敵わない。

「放してください! 放して!」
「じっとしていろ!」

 目の前に杖が突きつけられる。ハリエットは血の気を失った顔でルシウスを見上げた。彼はもうこちらを見てはいなかった。

 姿くらましは、突然始まって、突然終わった。足取りが覚束なかったハリエットが地面に倒れ込まなかったのは、ひとえにルシウスに腕を掴まれていたからに他ならない。

 暗闇に目が慣れるのには時間がかかった。だが、それでも、今この場に何十人と人がいることには気づいた。ハリエットはルシウスに腕を掴まれながら、気味の悪い墓場の中を歩く。

 ルシウスと全く同じ格好をした人々は、痩せた男を中心に立っていた。不気味に赤く光る目、蛇のように平らな鼻の男だ――。

「ルシウス? ようやくお越しか」

 嫌味混じりの言葉に、ルシウスはさっと頭を垂れた。

「ここまで連れてくるのに時間がかかりまして……」
「その娘は?」
「ハリエット・ポッターです、我が君。ハリー・ポッターの妹の……」
「ああ、そうだった。お前はどうしてだかハリエット・ポッターの養育者だったのだとな」

 ルシウスは一層頭を下げたが、男は鼻で笑った。

「そんなお前が今更何の用だ? 俺様に見切りを付け、魔法省に媚びへつらい、ダンブルドアに恩を売った犬が」
「全てはこの時のためです、我が君……」

 いとも容易く、ハリエットの腕は放り投げられた。抵抗も何も、ハリエットは男の足下に倒れ込む。

「小娘を人質に取らねば、俺様が優位に立てないとでも?」
「そ、そんな……滅相もございません。私はただ――」
「ハリエット!」

 その時になって、ハリエットはようやく気づいた。男のすぐ近くの墓石に、ハリーが括り付けられている。腕からはダラダラ血を流しており、ハリエットは血相を変えた。

「ハリー!」
「まあ良い」

 男がハリエットに目を向ける。まるで蛇の目のような瞳に、ハリエットは微動だにできなかった。

「いずれは始末する予定だった。俺様の栄光に傷を付けたあの夜を生き延びた子供は誰一人として生きて返さぬ」

 男――ヴォルデモートの復活を、死喰い人は口々に祝った。その間も、ハリエットは小さく震えながらルシウス・マルフォイをじっと見つめる。

 彼は、こちらをちらとも見もしなかった。興味を失ったのだ。ハリエット・ポッターの養育者という立場は、ハリエットをヴォルデモートに引き渡した時点で用済みとなったのだ。

 売られた――。

 目の前が絶望で真っ暗になるのをハリエットは感じた。どんなに冷たくされても、無視されても、ハリエットはマルフォイ家のことを嫌いになることができなかった。たとえ、両親の敵の仲間だと知っても、どうしても嫌いにはなれなかった。

 ――ハリエットの中に愛情はあったのだ。確かに、あったのに。