マルフォイ家の娘

17 ―悲しみに曇る瞳―








 ドラコは急く思いでハリエットを呼び出した。

 第三の課題のあの日あの時、ハリー・ポッター、セドリック・ディゴリーと共にハリエットまでもが競技場に現れたとき、何が起こったのか分からず、ただただ不安を抱いていたが故のことだった。

 ただ、呼び出して早々、ハリエットに「ハリーは私の双子の兄なの」と告げられ、ドラコは衝撃と困惑と、そして隠しきれない高揚に気が高ぶった。

 ドラコは、目先の感情に囚われ、ハリエットが何をどう思っているかなんて、ちっとも考えが及ばなかった。だからこそ、思い詰めた表情で立ち尽くしていたハリエットを前にいつもの口が流暢に動いた。

「まさか君がハリー・ポッターの妹だったなんて! あいつの双子の妹! ちっとも似てないな!」

 始めは確かに戸惑った。ハリエットが自分の最も嫌いな男の妹だったなんて。だが、今となってはそんなことどうでもいい。大事なのは、あの男とハリエットはどうあっても恋愛関係にはならないということ――。

「でも、いつから君はこのことを知っていたんだ? まさか、兄と知らないで本気で好きだったんじゃ――」

 急に不安になって、ドラコの声は小さくなっていく。だが、ハリエットが小さく首を振ったので、またしても勢いを取り戻した。

「だろうな! そうだろうと思った! いやに仲が良いと思っていたが、まさか兄妹だったなんて……。でも、なんでわざわざあいつとダンスパーティーに行ったんだ? ああ、あいつにパートナーができなかったから哀れに思ったのか――」
「ドラコ」

 ハリエットが小さく声を上げた。

「私、もう今年はあの家に帰らないわ」

 彼女の言葉に、ドラコは急に現実に引き戻されたかのようだった。狼狽えたようにハリエットに近づく。

「なぜ? あ――ポッターと一緒に住みたいって? そう考えるのも仕方ないけど、マグルの家で虐げられてるって話だろう? 止めておいた方が――」
「あの夜、私がどうしてあそこにいたと思うの?」

 ハリエットの問いかけに、ドラコは答えることができなかった。元はといえば、それを聞くために彼女をこの場へ呼び出したのだから。

「――これは、今年クリスマスプレゼントとしてルシウス・マルフォイからもらったものよ」

 懐からハリエットはあのエメラルドのネックレスを取り出した。

「これが初めてのプレゼントだったの。あの人がヴォルデモートの仲間だってことは知っていたわ。でも、それでも嬉しく思ったのに」

 嬉しく思うことが後ろめたくて、両親に顔向けができないような気がしてハリエットも苦しんだ。それなのに。

「このネックレスが移動キーだったの。あの夜、トニーに言われてネックレスをつけに戻ったら、移動キーが作動して、マルフォイ邸に。……あの人と一緒に墓地へ連れて行かれたわ、ヴォルデモートの元へ」

 ドラコがハッと息をのんだ。ハリエットは構わず続ける。

「そんなに前から、私を売ることを決めていたのね。いいえ、もしかしたら、もっとずっと前から……」

 ハリエットはネックレスをドラコに押しつけた。彼は何も言わないままに受け取った。

「ドラコには感謝してるわ。私を唯一家族のように扱ってくれた。でも――無理なのよ。無理だった。私達は、最初から家族じゃなかった。私だけが孤立していたんだもの」

 胸の痛みには気づかない振りをして、ハリエットは笑った。

「今年の夏は、ダーズリーっていう、伯母の家に行くことになったの。あなたの言う通り、魔法が嫌いで、ハリーはいつもいじめられてるけど……でも、私は構わないわ。だってハリーっていう本物の家族といられるんだもの」

 俯いたままのハリエットに、ドラコは思わず詰め寄りそうになるのを堪えるだけで精一杯だった。

 ――僕は何なんだ?

 そんな、純粋な疑問。

 いつからかできていた心のヒビが、また大きく割いたような気がした。

 ハリー・ポッターが家族なら、僕は?

 家族でもない。友達でもない。

 僕は一体、君の何だったんだ?

 マルフォイ家というしがらみから解き放たれたハリエットを、自分の元に留めておくための言葉を、関係性をドラコは知らなかった。家族でも友人でもない自分は、一体どうすれば彼女の側にいられる?

 ハリー・ポッターがハリエットの恋人でなくて嬉しかった。だが、その代わりにあの男は彼女の兄という称号を受け取った。対する自分は? 兄という肩書きを失い、残ったのは――ハリエットを売った男の息子?

 ドラコはハリエットを引き留められなかった。どうすれば引き留められるのかが分からなかった。


*****


 キングズ・クロス駅の九と四分の三番線を出たばかりのプラットホームで、ハリエットはもう何度目かも分からない台詞を口にした。

「お願いします、私も一緒に住まわせてください!」
「なんでわしがそんなことをせにゃならん!」

 ダーズリーもまた、何度目か分からない言葉を吐いた。

「そもそも、お前が本当に小僧の妹だと!? ぜんぜん似とらんじゃないか!」
「ダンブルドア先生からも説明があったでしょう? ハリエットは、生き別れになった双子の妹なんです。今まで別の家で暮らしていたけど、今年からダーズリーの家で――」
「なぜわしらがそんなことをせにゃならん!」
「お手伝いもちゃんとやります!」
「そんなことは当たり前だ!」

 言っても言っても拉致があかない。

 ハリーとハリエット、困って二人で顔を見合わせたとき、女性がこちらへ近づいてくるのが分かった。いつだったか、ハリエットの腕を掴んだあの女性だ。

「……バーノン、一体どうしたの?」
「ペチュニア、良いところに! この前変な爺が来て説明してきた例の件だ! 小娘を預かれと!」
「…………」

 ペチュニアは、まるで値踏みするかのようにジロジロハリエットを眺めた。ハリエットは居心地が悪くなって身を縮こまらせる。

「……仕方ないわ。そういう約束だもの」
「ペチュニア!?」

 バーノンは驚愕の声を上げた。

「一度小娘を住まわせて見ろ、こいつも、こいつもと、数年後には小僧の兄妹が十人も増えているに違いない!」
「兄妹はハリエットだけです」
「お前は黙っとれ!」

 唾を飛ばす勢いでバーノンが叫んだ。実際、ハリーが袖で顔を拭いていたので唾が飛んできていたかもしれない。

「バーノン、早く家に帰りたいわ。どうせ夏の間だけよ。それも後数年で終わる……」
「ペチュニア……」

 労るように妻を見た後、バーノンはギュンッとハリエットを睨んだ。

「お前――小娘! ペチュニアにこれだけ負担をかけたんだから、夏の間こき使うからな!」
「は、はい。精一杯頑張ります――」
「当たり前だ!」

 怒鳴られすぎて、ハリエットの耳は耳鳴りがしていた。これからやっていけるのかしら、と不安げにハリーを見れば、彼もまた困ったようにハリエットを見た。


*****


 マグルの家での生活は、ハリエットにとって驚きに満ちた生活だった。バーノンの宣言の通り、一日目からこき使われたハリエットは、一番多くマグルの「不可思議」に触れていたからだ。

 特に掃除機なんかは一番の驚きだ。コンセントを差すだけで、まるで動物の唸り声のような音を出したかと思えば、グングンゴミを吸い取るのだから画期的だ。

「まるで魔法みたいだわ!」

 思わずそう叫べば、どこからともなくバーノンが現れ、ハリエット以上に叫んだ。

「その言葉を使うな!」

 その言葉? 魔法って言葉?

 ハリエットは何が何だか分からなかった。そして洗い物をしているハリーに近づくと、咄嗟に感じてしまったことを口にする。

「伯父様、まるでハリーがヴォルデモートの名前を言ったときのロンみたいな顔してるわ……」

 思わずといったハリエットの呟きにハリーは噴き出してしまった。慌ててゴホンゴホンと咳払いをする。

「伯父さんの顔には殺意も籠もってるけどね」
「魔法って言葉嫌いなの?」
「大嫌いさ。きっと犯罪者より憎んでる」
「じゃあ魔法を使うシリウスを見たら度肝を抜かすかもしれないわね」
「無駄話するんじゃない! 早く掃除機をかけんか!」

 バーノンの叫びに、ハリエットは慌てて返事をした。ハリーに下手なウインクをすると再び掃除機に戻る。

 不器用に机の角にガンガン掃除機を当てているハリエットを見ながら、ハリーは鼻歌でも歌いたい気分で洗い物をする。

 ダーズリーの家ではいつも一人だったが、今ではこうして軽口を叩ける存在がいる。

 ――ハリエットがいるおかげで、今年の夏は退屈しなさそうだ。

 にっこり笑えば、「何を笑ってる!」とバーノンに難癖をつけられ、ハリーはげんこつを食らってしまった。

 その日の夜には、また新たな問題が発生した。――ベッドが一つしかないのだ。

 ハリエットが女の子だからといって、特別に部屋を与えられるわけがなく、ベッドが一つしかないことを伝えても「だったら階段下の物置を使え」と言われる始末。

「一緒に寝るしかないわね」

 あっけらかんとそう言うハリエットに、ハリーの方がびっくりしてしまった。

「まさか! 本気で言ってるの?」
「駄目なの? 寝るだけじゃない」
「だって、僕達確かに兄妹だけど、異性だよ。それも、もうすぐ十五になる……」

 ごにょごにょ小さく言うハリーにハリエットは首を傾げる。夜にドラコの寝室へ押し掛けていって、そのままベッドの上で寝てしまう、なんてことは今までに何度もあったので、ハリエットとしてはハリーの考えの方がよく分からない。

「私は気にしないわ。……でも、男の子だったらやっぱり恥ずかしく思うものなの?」
「当たり前だよ」

 幼い頃から共に育ってきたのであれば慣れがあるかもしれないが、少なくとも、今のハリーにとって、ハリエットは妹よりも「女の子」に近い存在だ。同じベッドで寝るのは些か刺激が強すぎる。

 そもそも、こういったことは女の子側から断られて然るべきことだ。まかり間違ってもハリー側からこんこんと事態の「あり得なさ」を説明するようなものではない。

 まさか、マルフォイ家ではそういう教育をしていないのだろうか?

 そこまで考えて、ふと思い浮かんだのは。

「まさか、マルフォイにもこんな感じの距離感だったの? 同じベッドで寝たり?」

 先ほどまでの狼狽えようはどこへやら、詰め寄るハリーに、ハリエットは後ろめたく笑った。

「で、でも、別に変なことはしてないわ。普通に一緒に寝てただけよ」
「いつまで? 何歳まで?」
「最近はないわ。でも、最後に……あっ、去年の夏にちょっとお昼寝しちゃったことはあったかも――」
「駄目じゃないか!」

 ハリーの剣幕にハリエットはおろおろした。

「で、でも……」
「今後は絶対に止めてくれ。マルフォイだって男なんだ」
「でも、私達は兄妹として育ったのよ? 変な気は起こさないわ」
「でも、君達は自分達が実の兄妹じゃないってことを知ってる」

 ハリーはきっぱり言った。

「同じ屋根の下で暮らすって、それだけで何というか……変な気が起こることもあると思う。正直、ダドリーが君に何かしないかってことも心配なんだ。ここはただでさえ逃げ場がないし」

 改めてハリエットに向き直ると、ハリーはこんこんと言い聞かせた。

「これだけは守って欲しい。ダドリーと二人っきりにならないこと、もし言い寄られても無視すること、何かちょっとでもおかしいなって思う所があれば相談すること、万が一のために杖は肌身離さないこと――」
「でも、今は夏休みよ。魔法は使えないのに」
「身を守るためだったら仕方ないよ! 手遅れになる方が問題だ。あと、これが一番大事。マルフォイとは適切な距離を置くこと! 君にはそんな気なくても、マルフォイが変な気を起こすってことも十分あり得るんだ」
「そんなことないと思うけど……」

 なおも懲りずにハリエットが言うので、ハリーはその後数十分男女の適切な距離感について説明しなければならなかった。

 あまりにもくどくどとお説教されたので、その夜床についたのはもう随分と夜も更けた後だった。あくび混じりにハリエットの頭に思い浮かぶのは、つい先程のハリーの言葉。確かに同じベッドで寝るというのは他の人からしてみれば奇怪に映ったことだろう。それに、ドラコとは血の繋がった兄妹でもなんでもないので、変な気を起こすというか、そもそも恋愛だって結婚だってできるのだから、ふとした拍子にそういう気持ちになってもおかしくはない。

 そう思うと不思議な気持ちだ。私とドラコが結婚――? 義親となるだろうルシウスとナルシッサの顔がすぐに浮かんでハリエットはその幻影をかき消した。だが、それだけではハリエットの想像は留まらず。

 私とドラコが恋人――?

 恥ずかしげにはにかみながら、互いにそうっと顔を近づけ、キスをする――そんな光景が思い浮かんできて、ハリエットは思わず悲鳴を上げて飛び起きた。寝ぼけたハリーが「ヴォルデモートだ!」と叫び出すわ、ダドリーの部屋からは壁を蹴られるわ、階下からはバーノンの悪態をつく声が響いてくるわで散々だったので、ハリエットは大人しくもう何も考えずに寝ることにした。性懲りもなく脳裏に浮かんできたドラコの顔はすぐに頭から締め出して。


*****


 ヴォルデモートが復活したというのに、魔法界の情勢について知ることができず、ハリー達は悶々とした日々を送っていた。特にハリーは、友人やシリウスからも情報を開示されず、相当な不満を募らせていた。一方のハリエットも、慣れないマグル界でのお手伝いに疲弊していたので、ハリーについていく形で近くの公園にやってきていた。

 マグル界の公園は随分変わった形の乗り物があった。とはいえ、ハリー曰くほとんど壊れているらしいので、この光景もあてにはならないだろう。

 ハリーに漕ぎ方を教えてもらってブランコに乗っていると、ニヤニヤ笑いながら数人の少年が近寄ってきた。その中にはハリエット達の従兄弟ダドリーの姿もある。彼の肩を叩いて一人の少年が言った。

「お前の居候がガールフレンド連れてるぜ」
「生意気だ」
「眼鏡坊やともうヤッたのか?」

 下品に笑う少年達にハリエットは眉を顰めた。行きましょう、という意味でハリーの服を引っ張る。

「従姉妹だ」
「従姉妹ぉ?」

 ダドリーの返事に少年達がジロジロハリエットを見てくる。

「つまりは……ポッターの妹?」
「全然似てない」

 ジリジリと距離を詰められてきたので、ハリエットは後ずさった。咄嗟にハリーが立ち上がってその間に割り込む。

「僕達に構うな。さっさと行け!」
「妹の前だからって格好つけてるのか?」
「いつもベソかいて逃げてばっかだったくせに」
「弱っちい兄なんておいて俺達と遊ばない?」

 横から伸びてきた腕がハリエットを引っ張った。ハリーが慌てて反対の腕を掴む。

「何するんだ! 離せよ!」
「ポッター、そんなに粋がるなよ。ビッグD、やってやれよ。チャンピオンのすごさを見せつけて――」

 少年の声は、最後まで続かなかった。どこからか、底冷えするような寒気が這い寄ってきたのだ。世界中の灯りという灯りが消え去ったかのように、星も、月も、街灯も全て闇と化した。

「な、何するつもりだ!」

 ダドリーが恐怖の目でハリーを見た。

「僕は何もやってない!」
「止めろ! こんなことは止めろ! 殴るぞ!」

 言いながら、ダドリーはハリーに飛びかかって殴りつけた。ハリエットは悲鳴を上げてダドリーを止めようとしたが、彼の屈強な腕はハリエットの力では止めることなどできなかった。

 辺りの異様な空気に、他の少年達はとっくの昔に逃げ出していた。ダドリーもようやくよたよた立ち上がって逃げだそうとしたが、方向がまずかった。彼が今まさに逃げだそうとしている方向は、冷気が忍び寄ってくる方向で。

 冷気の正体である吸魂鬼が彼に覆い被さろうとしていた。ハリーは杖を取り出して守護霊の呪文を創り出す。

 ハリエットもまた後ろから吸魂鬼に襲われていた。凍えるほどの冷気に身体が動かなかった。黒い何かが、吸魂鬼が目の前に立って――いや、これはヴォルデモートだ――ヴォルデモートが、目の前に立っている。

 逃げようともがいても、まるで底なしの沼に入り込んだかのようにハリエットの足は思うように動かなかった。足が鉛のように重たい。むしろ後ろからヴォルデモートの方へ引きずられていくかのようだ。

 ハリエットの前に、マルフォイ家の三人が現れた。ヴォルデモートにひれ伏すことなく、こちらを無感動に眺めている。

「助けて……」

 弱々しく伸ばした腕は、誰にも取られることはなかった。嘲笑を浮かべたルシウスが歩き出し、憐れみの表情のナルシッサが前を向き――そして最後には。

 ドラコさえも立ち去った。振り返ることなく三人が歩いて行く。

「待って! 待ってよ!」

 ハリエットの声は届かない。誰も聞き入れてはくれない。

「置いて行かないで……」

 哀れな声が暗闇に響いて消えた。


*****


 マルフォイ邸の庭は、ちょっとしたティーパーティーを開けるくらいに広々している。ただ、そう頻繁には開かないし、そもそも騒がしいのは苦手なので、今だって家族でお茶を嗜むだけに留めている。

 じっとしていられない子供達はとっくの昔にお茶を飲みきり、広い庭へと遊びに出かけていた。ルシウスとその妻ナルシッサは、外国のお茶に舌鼓を打ちつつ談笑をしていた。

 日差しが強くなり、しもべ妖精がパラソルを出した。庭で走り回っているはずの子供達にも帽子を届けるようナルシッサがしもべ妖精に命令していると、どこからか彼らの声がした。

「ハリエットから先に行けよ」
「ドラコから言い出したんだから、ドラコから行って!」

 垣根の辺りで何やらゴソゴソしている。――と思ったら、後ろ手のドラコがそろりそろりと近づいてきた。ルシウスから見れば息子が何を持っているかなんて一目で分かったが、素知らぬ顔で何も言わない。

「母上」
「どうしたの?」
「これ……」

 もごもごしながら、ドラコは赤い花をナルシッサに差し出した。一瞬にしてナルシッサの目が嬉しそうに細められる。

「まあ」
「あげます」
「ありがとう」

 ナルシッサは小さな花束に顔を寄せると頬を緩ませた。

「良い香り」
「ハリエットも来いよ!」

 ドラコが叫び、そう間を置かずにハリエットも同じように恐る恐るナルシッサに近づいた。そうして彼女が差し出したのは、白い花。

「私も、プレゼントです」
「ありがとう……」

 不器用なドラコのものよりも女の子らしく丁寧にラッピングされている。しかも彩りも綺麗だ。

「どっちが好きですか?」

 勢い込んでドラコが尋ねた。

「どっちが母上の好みですか?」
「え? ええ……」

 ナルシッサの目が泳ぐ。微笑ましくルシウスは口角を上げるも、助け舟は出さなかった。

「まあ……こっち、かしら」

 素直な子供達を前に、どちらも好きとか、ドラコのものが好きよとか、そんな偽りは口にできなかった。途端にドラコがショックを受けたような顔になり、ハリエットはパッとそれこそ花が咲くような笑みを見せた。

「ほらあ! お母様はこのお花が好きなのよ。私知ってるもの!」
「別に――いいし! 僕は花なんて興味ないし!」
「ドラコが好きなのはクィディッチだものね」

 ナルシッサがフォローするように言った。ドラコは悔しげに唇を噛みながらも頷く。

「今年のクリスマスには、競技用のものを買ってもいい」

 何気なく発されたルシウスの言葉に、ドラコはパッと顔を上げた。

「本当ですか!?」
「ああ、約束しよう」
「ルシウス」

 眉を顰めながらナルシッサが割って入った。

「まだドラコには早すぎるわ、競技用なんて」
「そろそろいい時期だろう。ホグワーツでは一年から箒の授業もある。ドラコが遅れを取るなんてことあってはいけないからな」
「だからって、もし何かあったら……」

 ナルシッサはなおもブツブツ言ったが、ルシウスに発言を取り消す気がないことが分かるとため息をついた。

「もう……本当にドラコに甘いんだから」
「ハリエットは箒は良いのか?」

 行儀悪く立ってマフィンを食べながらドラコが尋ねた。

「私?」

 ハリエットは反射的にルシウスを見た。目は合わなかったが、すぐに下を向く。

「あの……」
「乗りたいのか?」

 素っ気なくルシウスが尋ねる。

「は、はい」

 おずおずハリエットが頷けば、ルシウスは少し考えて口を開いた。

「まあ――誕生日くらいになら良いだろう」
「いいんですか?」
「ああ」
「良かったな!」

 ドラコに輝かんばかりの笑みを向けられ、ハリエットもはにかんで頷いた。

「ありがとうございます!」


*****


 懐かしい夢だ。

 目を覚ましてまずハリエットはそう思った。

 慣れないベッドに、思いの外眠りは浅かったらしく、外はまだ暗い。ただ、もう一度眠る気にはなれず、ハリエットは起き上がってため息をついた。

 ――別に、そこまで箒に乗りたいわけではなかった。ただドラコと同じものが欲しかっただけだ。ドラコと同じものをプレゼントされたら、少なくとも同じ分だけの愛情をもらえたのではないかと、そんな風に思えるような気がしたから。

 ――その年のクリスマス、ドラコが箒から落ちた事件でその約束は叶えられることはなかったが。

 ハリエットはガウンを着て部屋を出、階段を降り始める。

 ハリエットは今、ハリーと共にグリモールド・プレイス十二番地のブラック邸に来ていた。あの時――公園で吸魂鬼に襲われたハリエット達だったが、ハリーの守護霊によって誰一人大きな怪我はなく家に戻ってくることができた。ただ、未成年にも関わらず魔法を使ったハリーは裁判を受けることになったのだが、無事無罪を勝ち取り退学は免れることができた。

 もはやマグルの土地も危険だからとブラック邸にやって来たハリエット達は、そこでシリウスと再会した。驚きも覚めやらぬまま、満面の笑みを浮かべたシリウスがガバリと両手を広げたのを見て、ハリエットは不意に泣きそうになったのを覚えている。いつだって、あんな風にハグを求められたことはなかった。キングズ・クロス駅でドラコがナルシッサにハグされているのを何度も見てきたはずで、もう自分でも気にしてないと思っていたのに、情けなくもシリウスの温かい腕の中で少しだけ泣いてしまった。シリウスはそのことに気づいたようだが、わざとらしいほどはしゃいで長い時間ハリエットを離さなかったので、他の人には気付かれなかっただろう。

 居間でお茶を飲んでいると、日が昇るにつれ続々と他の人が起きてきた。今日は始業式なので、皆普段よりも早めに起き出したようだが、直前になってあれもこれもと忘れ物を取りに戻るのはいつものことで、結局騒がしくバタバタしていた。

 いつもは車での移動だが、吸魂鬼のこともあって、今日はハリーとハリエットは護衛付きでキングズ・クロス駅へ向かうことになった。何より驚いたのが、犬になったシリウスまでもがついてきたことだ!

 モリーはカンカンになって怒ったが、ハリエットは少しだけ嬉しかった。話せないのは寂しいが、自分達を楽しませようとスナッフルが吠えたり跳ねたりするので十分楽しかった。

 九と四分の三番線を抜けると、先に汽車にトランクを預け、ハリーとハリエットはは精一杯スナッフルとの別れを惜しんだ。

 だが、ロン達はまだかとキョロキョロしているうちにマルフォイ家の特徴的なプラチナブロンドが目に入り、ハリエットは怯えたようにスナッフルの身体を抱きしめ、耳元で囁いた。

「あの人達がいる……。見つからないようにしないと」
「アニメーガスだよ? さすがに気づかないよ」
「でも、何するか分からないわ! もしシリウスのことを気づかれたら……。私、もう家族を奪われたくない」

 人混みに紛れてスナッフルをホームから出そうとしたが、その前に呼び止められた。ドラコだ。

「ハリエット」 
「……なに?」
「いや……少し話したくて」

 ドラコはちらりとスナッフルに目を向けた。スナッフルは唸り出し、ハリエットはハリーにスナッフルを連れて行くよう合図したが、スナッフルはその場から離れなかった。

「父上からあの夜のことを聞いた」
「……なんて言ってたの?」

 ドラコは、答えなかった。冷や汗を流しながら早口に言う。

「――父上も、きっと気が動転していたんだ。だって、まさかあの人が――復活するなんて思いも寄らなくて。板挟みになって苦渋の末の……」
「本当にそう思ってる?」

 悲しげにハリエットが問いかけた。

「あの人が、一度でも私を家族のように扱ってくれた? 大切にしてくれたことはある? 本当に悩んで悩んでそうしたと思うの?」

 ドラコにそう言われることが、何よりも屈辱的だった。あなたは、愛されてるからそんな風に言えるのよ――。

「これ以上私を惨めにさせないで!」

 ハリエットは痛いくらいにスナッフルを抱き締めた。

「あなたが考えた以上に、私だって考えたわ! でも、それでも答えはいつでも一緒! あの人は私を売ったのよ……」
「…………」
「お願いだからもう行ってよ……」

 スナッフルの柔らかい首元に顔を埋め、ハリエットは小さく言った。

「私なんていなくなって清々したでしょう! ようやく本当の家族に戻れるんだから、もう私に構わないで。私だって、私のことちゃんと家族のように思ってくれる人ができたの……!」

 ドラコの顔が強ばった。顔を上げないハリエットはそのことに気づかなかった。

「――脱獄囚と家族ごっこでも始めるつもりか?」

 ドラコの表情の変化には気づけなかったハリエットだが、あからさまな嫌味には気づかないわけがなかった。

「シリウスのことそんな風に言わないで!」

 ハリエットはキッとドラコを睨み付けた。今までにないその表情の険しさに、ドラコはたじろぐ。

「もし――もしシリウスのことを売ったら、私――本当に許さないから!」

 その剣幕に、怒気に、ドラコは言い返すことができなかった。突然現れた男に、血の繋がらない男に、裏切られるかも知れない男に、なぜ――そんな短期間でそこまで懐くんだ? 僕達と暮らしていた時間の方がずっと長いのに――それなのに、彼女は、僕らよりもあいつを取ると言う。

 もちろん、父のしたことは到底許されないことだ。見切りをつけられても仕方がない――でも、僕がいるのに。僕がいたのに。