マルフォイ家の娘

19  ―移ろう関係―








 ハーマイオニーは、もう何度目か分からない気がかりな視線を親友の頭上へ向けた。

「あの……ハリエット? いい加減シャキッとしないと取り返しのつかないことになるわよ」
「え?」
「編み物」

 ぼうっと一点を見つめていたハリエットは我に返り、慌てて頭上の救出に向かったが、時既に遅し。毛糸はぐちゃぐちゃに絡まり、編み物の方はいびつな形と成していた。

「ああっ!」
「何度も声をかけたんだけど、気づかないみたいだったから……」
「ど、どうしよう、ハーマイオニー……」
「貸して。まだやり直しが利くと思うわ」

 頼もしいハーマイオニーは、テキパキと魔法で編み物を少し前の状態まで戻してくれた。ハリエットは感極まって編み物を胸に抱く。

「ありがとう、ハーマイオニー!」
「お安いご用よ。それよりもどうしたの? 最近変よ」
「う、うーん……」

 ハリエットはあからさまに視線を泳がせた。

 悩みは、ある。でも、今までこういった経験がなかったので恥ずかしい気もするし、どこから話せばいいかも分からない。

 うだうだと思い悩むハリエットだが、ハーマイオニーは根気強く待ってくれている。思い切ってハリエットは口火を切った。

「ハーマイオニー……相談に乗ってくれる?」
「もちろんよ」

 ハーマイオニーはすぐに答えた。ハリエットは大きく息を吸い込む。

「あの……あのね……ドラコが、私のこと好きって……」
「好き? ハリエットを? マルフォイが?」

 目を丸くし、珍しくもハーマイオニーが何度も聞き返す。

「ええ……た、たぶん、女の子として、っていう意味だと思う」
「あのマルフォイが……?」

 押し黙り、ハーマイオニーは考え込むように首を傾げた。

「あの……ね、確かに家族にしては、やけに束縛しすぎというか、面倒見が良すぎというか、過保護というか、そんな風には思ってたわ。でも、まさか……いえ、確かにそんな兆候はあったけど、まさか……」
「わ、私も驚いたの。それに、どうすればいいか分からなくて」

 一度話し出せば後はもう流れに身を任せるのみだ。ハリエットは早口で続けた。

「アンブリッジ先生の罰則の帰り、私、ドラコにいろいろ言っちゃったの。ドラコには私の気持ちは分からないって。そうしたらドラコも怒って、『君だって僕の気持ちは分からないだろう』って。家族で我慢しようと思ってたのに、それすら叶わなくなって……私がドラコのことを避けがちになってたのに傷ついてたみたい」

 あの時のことが鮮明に思い出されてハリエットは俯いた。あんな風にドラコに詰め寄られたのは初めてだった。それほど彼のことを追い詰めていたのだ。

「それで……それで、もし私が嫌だって言うなら、縁を切るって……」
「縁を切るのは嫌なのね?」

 複雑なハリエットの心情をいち早くハーマイオニーは察したらしい。鋭く切り込む。

「マルフォイの父親はどうしたってルシウス・マルフォイだし、今後もマルフォイと交流を続けるのなら、父親も何かしら接触を図ってくるかもしれない。それでもいいの?」

 少し考え、ハリエットは頷いた。

「だって、ずっと小さい頃から一緒にいたの。ドラコは、ハリーとはまた違う意味で大切なの。……私、ドラコが優しくしてくれるのを当たり前に思ってた。あの家でドラコが唯一家族みたいに接してくれるのにすごく感謝してたはずなのに……。それなのに、あの人のせいでドラコとぎくしゃくするのは嫌だわ」
「それなら、一度ちゃんと話し合った方がいいわ」

 優しい声でハーマイオニーが言った。

「今言ったようなことをそのままマルフォイに言うのよ。前とは違う関係性になるかもしれないけど、悪いようにはならないはずよ」
「――ええ。一度話してみる」

 ハリエットはようやく笑った。目の前の霧が晴れたようだった。どうすればいいかずっと悩んでいたのが嘘のようだ。

「ありがとう、ハーマイオニー。相談して良かった」
「また何かあったら言って」
「ええ!」

 光明を見い出した気がして、ハリエットは今度こそ真剣に編み物に取り組んだ。


*****


 ハーマイオニーに相談してスッキリしたハリエットだったが、物事はそう簡単にはいかなかった。

 ひとまずはドラコと話し合おうと決めたはいいものの、今度はドラコがハリエットを避けるようになったのだ。あれ以降、ドラコはハリエットと顔を合わせるのが気まずいようだった。

 ただ、ハリエットもただ黙って時が過ぎるのを待っていることはできない。なんとかしてドラコと接触を図ろうとするが、彼は周りをスリザリン生で固め、ハリエットを近づけさせない。話しかけようとしても、そのスリザリン生達が「恋人を庇う目立ちたがりの女」とハリエットを馬鹿にしてくるのだ。

 こんな嘲笑は、ハリーが今受けている非難に比べれば痛くも痒くもない。だが、ハリエットにとって何よりも辛かったのは、ドラコが静観していることだ。妹がからかわれているのを見てもドラコが何も言わないので、スリザリン生はますます馬鹿にしてくる。どこからかハリエットとドラコが喧嘩したことを知り、これを機にグリフィンドールに入ったマルフォイ家の娘を貶そうという魂胆らしい。――今までも、こういったことは何度かあった。だが、そのたびにハリエット以上にドラコが怒るので、スリザリン生は強く出られなかったのだ。

 ――まるで、全くの赤の他人のような顔をしてドラコが通り過ぎるので、そのたびにハリエットは胸が押しつぶされそうになった。これまでだって些細なことで喧嘩をして頑として言葉を交わさなかったことはある。でも、これは違う。明らかにハリエットをいない者として扱っているのだ。ハリエットにとってこれ以上ない仕打ちだった。だが、これと同じような気持ちをドラコも味わっていたのだ。ハリエットは、自分に対する罰だと思って甘んじて受け入れていた。かといって、前に進むのを諦めたわけではない。何とかドラコと話す機会を窺っていた。チャンスがやって来たのは、ホグズミードの日だった。

 ロンはクィディッチの練習のため、ホグズミードへはハリー、ハーマイオニーと三人で行く予定だった。ただ、ハーマイオニーは一日中用事があるらしく、また、ハリーも午後から抜けるという。アンブリッジにより終身クィディッチ禁止を言い渡されたハリーはむっつりと黙りこみ、正直なところ、あまり楽しいホグズミードにはならなさそうだった。

 ただ、そんな矢先、ドラコが馬車の待機列に並んでいるのが見えた。列は次第に短くなっていき、ついにドラコたちの順がやって来る。ハリエットは思わず駆け出していた。すんででハリーのことを思い出し、振り向きざま一言彼に断りを入れ、また走り出す。

「クラッブ、ゴイル! ごめんなさい。次の馬車に乗ってくれる?」

 返事も聞かないまま、ハリエットは馬車に飛び込んだ。そうして扉を閉め、先に入っていたドラコの目の前に座る。

 呆気にとられるドラコを余所に、馬車は徐に動き始めた。何から始めようかとハリエットが悩み始める間もなくドラコが素っ気なく言う。

「何しに来た?」
「何……って」
「僕に関わったっていいことなんて何もない。お前はそっちの世界で生きたらいい」

 カッとなってハリエットはドラコを見た。彼は窓枠に肘をついて遠くを見ている。

「そっちの世界って? あなたが言ったんじゃない、どうすればいいか分からないって! だから私だってずっと考えてた! 私の答えも聞かずに、勝手なこと言わないで!」

 ドラコが驚いたようにハリエットを見た。その顔を見て、ハリエットは怒りを静めなければと思った。喧嘩しに来たわけではない。話し合いに来たのだ。

「――例のあの人が復活してから――私――あなたに素っ気ない態度を取っていたのは事実よ。私も、どうしていいか分からなかったの。あなたが……あの人の肩を持つんじゃないかと思って」
「父上の? なぜ――」

 言いかけてドラコは押し黙る。

『父上も、きっと気が動転していたんだ。だって、まさか例のあの人が――復活するなんて思いも寄らなくて。板挟みになって苦渋の末の……』

 ルシウスに裏切られ、傷ついていたハリエットに咄嗟に出た言葉だった。深く考えていなかった。この言葉が、ハリエットにどう聞こえていたかなんて。

「違う。肩を持つことはない。父上がしたことは許されないことだ。でも――信じられなかったんだ。まさか、父上がそんなことをするなんて……」
「分かってる」

 ハリエットは膝の上でギュッと手を握りしめた。

「分かってるわ。でも、ドビー以外であなたが唯一私の味方だったから、あなたにまで見捨てられるのは耐えられないと思ったの。だから、自分から距離を置いたの。自分が傷つかないように……」

 手の力を抜きながら、しかしハリエットは顔を俯けたまま続ける。

「私にとって家族はハリーとドビーと……そしてシリウスだけよ。私の中で、マルフォイ家はあなた達三人だけなの。幼い頃はそれが羨ましくも思ってたけど……いつか、私だけの家族を持ちたいって思うことで、寂しさを紛らわせてた。絶対にその輪の中に入ることはできないって分かってたから」
「…………」
「でも、だからあなたが大切じゃないってことにはならない。ずっと気づいてたわ。あなたが私のこと気遣ってくれてたことに。会話に混ぜてくれたり、一緒に隣を歩いてくれり。ウィルビーを買ってもらえるよう自然に言ってくれたことも嬉しかった」
「それは、でも、当たり前のことで……」
「それでも、嬉しかったの。ドラコがいてくれたから、寂しくなかった」

 ドラコは何も言わなかった。ただ黙ってじっと足下を見つめている。――と、急に揺れが収まった。ホグズミードに到着したのだ。

 馬車を降りると、温かな日差しが二人に降りそそいだ。素晴らしく良い天気だった。ハリエットは、ぼうっとした様子のドラコに笑いかけた。

「今日、ホグズミードで何か予定はあるの?」
「いや、特には……」
「だったら、一緒に回らない?」

 なんだかんだ、ドラコとホグズミードに来たことはなかった。そう思っての提案だったが、ひとまず馬車から離れようとするハリエットの手を彼は掴んだ。

「まだ話は終わってない。僕が君のことを女性として見てるってことについては、どう思ってるんだ?」
「え――」

 最初は何を言われたのか分からなかった。だが、徐々にその意味が自分の中に浸透していって――ハリエットはカーッと赤くなった。

「あ、えっと、それについては、別にはぐらかしたとかじゃなくて――」
「こっち」

 後続の馬車が続々やって来ていた。クラッブとゴイルの姿を認め、ドラコはハリエットを路地裏まで引っ張った。

 ハリエットとドラコは向かい合うようにして立っていた。他の人の目から隠すためだろうが、出入り口を塞がれるようにして立たれ、ハリエットは少し怖いとすら思った。上から見下ろされる感覚が落ち着かない。いつの間にドラコはこんなに背が高くなったんだろう――。

 ドラコは、ハリエットが話し出すまで待ってくれていた。ハリエットはそわそわしながら目を逸らす。

「……この前ドラコにあんな風に言われて、すごく驚いたの。だって私、そんな風にあなたのこと考えたことなくて――」
「知ってる」

 周囲のざわめきをものともせずハリエットの耳に飛び込んでくる声色は、低く穏やかだ。今まで何度と聞いてきた声のはずなのに、今は全くの別人に聞こえる。

「だから一生言うつもりはなかった。君は家族を求めてたから、もし僕がそんなことを言って気まずくなったら、家で孤独を味わうかもしれないと思って……だから黙ってた。でも、君がポッターと恋人になるのは嫌だった。あいつは、目立ちたがりだし、いつも危険なことに首を突っ込んでるし、それに、グレンジャーと二股かけるような奴だ……」
「だから、それは誤解だって――」
「分かってる。今思えばそうなんだって分かってる。でも、あの時は心配で堪らなかった。君はお人好しだし、人を見る目がないし、警戒心がない……」

 散々な言いようだ。ハリエットも言い返さずにはいられない。

「それは言い過ぎよ! ホグワーツに入学してからは、いろんな人と接して経験だって積んだわ!」
「でも、警戒心がないのは事実だ! 警戒心があったら、僕のベッドで呑気に眠れるわけがない!」

 ハリエットの頭は目まぐるしく回転した。そういえば、ハリーにも注意されたばっかりだった。だが、まさかドラコにも怒られるなんて思ってもみなかった。

「だって、それはあなたのこと友達みたいに思ってたから……」
「友達だったらそいつのベッドで寝るのか!? ウィーズリーのベッドでも!?」
「ロンのベッドでは……寝ないわ」

 少しの間をドラコは見逃さなかったらしい。怖い顔でハリエットを睨み付ける。ハリエットはもう少し時間を掛けて再度答えた。

「……寝ない。ロンのベッドでは寝ないわ。ドラコとは、昔から一緒だったからその名残だったの。よくお互いのベッドでそのまま寝ちゃったりしてたじゃない? 何歳になったら止めるなんて、そんなこと考えたりしなかったから……」

 謎の後ろめたさにハリエットの声はだんだん小さくなる。

「ハリーにも怒られたの。だからもう止める。ドラコのベッドでも寝ない」
「ポッターにも?」

 機嫌が悪いのを丸出しでドラコが尋ねた。ハリエットは殊勝に頷く。

「今後一切ドラコのベッドで寝るなって」
「……っ!」

 ドラコはみるみる顔を真っ赤にさせ、はくはくと口を開けたり閉じたりした。

「き――君は、まさか、ポッターに僕のベッドで寝たことを……?」

 言ったのか?

 掠れた声に、ハリエットはまた頷いた。ドラコは顔を手で覆った。また怒らせるようなことでもしてしまったのかとハリエットは慌てた。ドラコは深々とため息をつく。

「今後一切、僕とのことで起こった出来事は、ポッターには言わないでくれ。ウィーズリーにも」
「は、ハーマイオニーには……?」

 この状況で、まさに相談に乗ってもらったばかりだとは到底言えなかった。ハリエットは恐る恐る尋ねた。

「あんまり言ってほしくないが……まあ、時と場合による」

 あからさまにホッとした顔をするハリエットに、ドラコはもう手遅れであることを悟った。少なくとも、ハーマイオニー・グレンジャーには全て知られていると思った方がいい。

「とにかく……君が僕のことをそういう風に見てないのはよく分かった。でも、一つはっきりさせたいのは……」

 急にドラコの声色が真面目になった。同時に表情が陰る。青白い頬に睫が影を縁取った。ごくりと彼が喉を鳴らす音が鮮明に聞こえてくるほどだった。

「僕の想いは、気持ち悪い?」
「――そんなこと!」

 ハリエットはぶんぶん首を振った。詰め寄る勢いでドラコに近づく。

「そんなこと、絶対ないわ! ただ――戸惑ってて――誰かを好きっていうのも、分からなくて……」
「なら、良かった」

 短い返答だ。だが、その声にはありありと安堵が含まれていた。これほどまでに彼を不安にさせていたのかとハリエットは後ろめたくなった。今後、ドラコのことを好きになるかもしれないし、他の人と付き合うことになるかもしれない。そうだしても、ドラコのことを嫌ったり嫌がったりなんてことは絶対にない。家族だとかマルフォイ家だとか、そういうのを全て差し置いても、彼はハリエットにとって大切な存在なのだから。

「それなら、いつも通りにしてほしい。僕を避けたりせず……」
「ええ」
「僕はいつも通りじゃいられないかもしれないけど……」

 どういう意味だろう、と顔を上げたハリエットだが、手を握られてそれ以上何も言えなくなる。ドラコは大通りの方に顔を向けていた。

「もうそろそろ行こう。せっかくホグズミードに来たのに、話してばかりじゃもったいない」
「ええ……」
「行きたい場所はあるのか?」

 そのまま手を引かれてハリエットは大通りに出た。薄暗い路地裏にいたせいか、いつも以上に太陽が眩しく思えた。

「ハニーデュークスに行きたいわ。さっき、クラッブとゴイルを締め出しちゃったから、そのお詫びに何か買いたいの」
「そんなことしなくてもいいのに」
「そんなわけにはいかないわ」

 表情と声は不満そうだが、それでもドラコの足はハニーデュークスへ向けられる。

 握られた手はあくまで自然だった。手を握るなんてのは、幼い頃からよくしていた。それなのに、どうしてだかハリエットは緊張した。

 ホグズミードを練り歩く浮かれた生徒達は、誰一人として自分たちのことを見ているわけもなく、それなのにハリエットは、頬を赤らめてずっと俯いていた。繋がれた手がじわじわと熱を持っていくようで、熱くて堪らなかった。

 ハニーデュークスにつくと、クラッブ達がいつも食べているという大鍋ケーキのコーナーへ向かった。新作はないが、ちょうどクリスマスパッケージのものが売られている。嬉しそうにハリエットがそれを手に取ると、ドラコはあからさまにため息をついた。

「あいつらがそんなパッケージに喜ぶと思うか? それよりも、値段が同じでたくさん入ってるこっちの方がよっぽど泣いて喜ぶ」

 ずいっと差し出されたのは、いつもと変わらない味気ないデザインのボックス。ハリエットはへなへなと眉を下げたが、何を言うでもなく仕方なしにドラコのボックスを受け取った。ワクワクするようなクリスマスパッケージでも、少しの感慨もなく無残に剥ぎ取ってケーキにかぶりつく二人の姿が目に浮かんだからだ。

 クリスマス休暇はまだもう少し先だが、早いに越したことはないと、ハリエットは友達へのプレゼントも探し始めた。ドラコも自分の買い物があるようで、隣を歩いていたと思ったら、いつの間にかいなくなったりしていた。

 クリスマスプレゼントや、ドビーへのお土産、談話室で皆で摘まむ用、自分用とたくさん買い込むと、なかなかの大荷物になった。

 ようやく長蛇の列を抜け、やっとのことで入り口まで戻ると、先に買い物を終えたらしいドラコが涼しい顔で待っていた。

「何も買わなかったの?」
「買ったさ。ふくろう便で部屋まで持って行ってもらうことにした」

 その手があったか、とハリエットは思わず立ち止まった。ふくろう便は高いので、思いつきもしなかったのだ。

 固まっているハリエットの手からドラコは半分荷物をかっ攫った。ハリエットは慌てて我に返る。

「あ――大丈夫。自分で持てるわ」
「こんな人混みの中を?」

 ちらりとドラコが視線を向ける先には、気が遠くなってくるほどの人の山。ハリエットは項垂れる。

「お願いします……ごめんなさい」
「裏道を通ろう。大通りはもう行き飽きただろう?」

 ハリエットは小さく頷いた。

「最後に来れば良かった……」

 あまりにも考えなしな自分にハリエットは恥ずかしくなってきた。一軒目でこんなに買い込むなんて。

 落ち込んでいるハリエットを見かねてだろう。ドラコは「あー……」と口ごもりながら慣れない励ましを始めた。

「僕だってホグズミードに来る時は大抵一軒目がハニーデュークスだ。クラッブとゴイルが一緒だったら尚更」

 言いながら、どこに入れていたのか、ドラコは棒のようなものを差し出した。

「なに?」
「好きだったろう?」

 ドラコが持っていたのは、クリスマスデザインの砂糖羽根ペンだった。羽根の部分に雪の結晶を模した砂糖がちょこちょこくっついている。光の加減でキラキラ輝くラッピングも可愛い。

 ただ、一言言うと、ハリエットはもうさほどこれが好きではない。

 確かに、ハリエットは昔、砂糖羽根ペンが大好きだった。親戚からお菓子の詰め合わせをもらうと、ハリエットとドラコで交互に好きなお菓子を取っていくのだが、その時、ハリエットは必ずといっていいほど一番に砂糖羽根ペンを選んだ。ドラコもドラコでハリエットの好物は知っていたので、いつも砂糖羽根ペンは選ばないでいてくれた――とはいえ、ドラコも蛙チョコレートが好物だったので、互いに暗黙の了解を守っていただけかもしれないが――。

「ありがとう」

 かつての懐かしい光景が脳裏を過ぎり、ハリエットは目を細めて羽根ペンを受け取った。

 ハリエットは、今はもうそこまで砂糖羽根ペンが好物ではない。むしろフィフィ・フィズビーの方が好きだ。ただ、ドラコはそれを知る機会がなかったのだ。ずっと一緒にいたのはもう何年も前のことで、ホグワーツに入学し、寮生活になった今、ドラコよりもハリーたちと一緒にいる時間の方が圧倒的に長い。好きなものや嫌いなものが変化してもそれを知ることはできないし、ハリエットとて、ドラコが今何を好きで何が嫌いかなんて想像もつかない。それが切なくもあり、悲しくもあった。マルフォイ家の一員でなくなった今、きっと更に彼との距離は開いてしまうのだろう――。

「今食べてもいい?」
「好きにしろ」

 寂しい気持ちを押し殺し、ハリエットは慎重にラッピングを解いた。まずは雪の結晶をひとかじり。シュワシュワと炭酸が口の中で弾ける。

「おいしい」
「なら良かった」

 上からペロリとなめると、甘ったるい砂糖の懐かしい味がした。思わず口元が緩む。

「ありがとう、ドラコ」
「……ああ」

 ドラコの歩く速度が速くなったので、ハリエットは慌てて駆け足で追い付く。

「次はどこに行く?」
「どこでも」
「でも、私が行きたい所から行ってもらったから、ドラコは? クィディッチ専門店とか」
「いつも行ってるからいい。今じゃなくても」

 すぐには行きたい場所が思い浮かばなくて、ハリエットは困ってしまった。本当のことを言うと、悪戯専門店に行ってシリウスに何かお土産を買いたい気分だったが、あの店をドラコが気に入るかどうか……。

 ハリエットがもごもごしていると、ドラコがじーっと見つめてきた。ハリエットは観念して口を開く。

「あの……もし嫌だったら全然いいんだけど……ゾンコのお店に行きたい」
「悪戯専門店?」
「シリウスにプレゼントしたいの。ずっと家から出られずにいるから……」

 窺うようにして見ると、ドラコは肩をすくめて頷いた。言葉はないが、どうやらオーケーらしい。

「今まで悪戯に興味はなかっただろう」
「今も別にそういうわけじゃないけど……。シリウスを元気づけたいの」

 ドラコはまたも無言で首を振り、歩き始めた。ハリエットもそれを追い掛ける。

 しばらくは静かな時間が続いた。大通りから幾筋か逸れた道なので、店は少なく、その代わり往来もほとんどなく、楽に歩けた。

「……ブラックは、良くしてくれてるのか?」

 不意にドラコが口を開いた。その内容にハリエットは自然と緊張する。だが、自然と言葉は口をついて出てきた。噛みしめるように言う。

「ええ。とても、大切にしてくれてる……。お父さんとお母さんの話をたくさんしてくれたの。ハグをしてくれたときも、心が温かくなった……。前ね、私達さえ良ければ一緒に暮らさないかって言ってくれたの。とっても嬉しかったわ。結局は、まだ冤罪を晴らせずにいるけど、でも、いつかそんな日が来てほしいと思ってる……」

 こう言うと、ドラコを傷つけてしまうかもしれないが、これがハリエットの本心だった。ドラコに嘘はつきたくなかった。

「君達は、良い家族になると思う。目立ちたがりの兄も、破天荒な後見人もいるけど、お似合いだ」

 嫌味な口調ではなかった。言葉だけを聞くと完全にそうだが、しかし、決して嫌味ではない。

「ありがとう」
「マグルの家で辛いことはないか?」
「ちょっと変わった人達だけど、大丈夫。ハリーもいるから」
「そうか……」

 それから、ドラコは普段のハリエットの様子などを聞いてきた。グリフィンドール寮での過ごし方や、アンブリッジのこと、誰かに嫌がらせされてないかなどなど……。

 昔は、グリフィンドール寮のことなど聞きたくもないの一点張りだったが、どういう心境の変化だろうか。ただ一つ言えるのは、ドラコがハリエットのことを心配してくれているということだ。

 そんなところが、やっぱりまだ少しお兄ちゃんっぽいなあと思って、ハリエットはくすぐったくなって笑った。


*****


 ホグワーツへは、まだ日が高いうちに帰ってきた。どちらかに用事があったというわけではなく、単にハリエットが先に根を上げたのだ。ドラコに半分荷物を持たせたまま歩かせる罪悪感に。

 ドラコとは玄関ホールで別れるつもりだったのだが、脱獄囚がうろついているわけでもないのに、寮まで送ると言って聞かないので、甘えることにした。

 ただ、想定外だったのは、いざ別れる時に、肖像画の穴から出てきたハリー達三人組と遭遇してしまったことだ。

「…………」

 五人は、しばし困惑して相対した。よくよく考えてみれば、この組み合わせは珍しい。ハリエット達四人でいるところにドラコが突っかかってくることはあったが、ハリエットとドラコが二人でいるところに三人とばったり遭遇するなんて。

「マルフォイと一緒にいたんだ」

 何か言わねばと思ったらしいハリーが声をかける。ハリエットは慌てて頷く。

「最近あんまり話してなかったから……」
「てっきり喧嘩してるのかと思ってた。アンブリッジに媚びへつらってる奴なんだから」
「問題を起こさず、模範的に過ごすことをそう言うのならそうだろうね」

 ムッとしてドラコがロンを睨み付ける。

「君達みたいな人種は、真っ向から反発して自分の意見を声高にぶつけることしかできないらしい。それしか方法を知らないんだろう? 自滅するのは勝手だが、ハリエットを巻き込まないでほしいね」
「兄貴面か?」

 ハッとロンが鼻で笑った。

「残念だな。もうハリエットには立派な兄貴がいる。お前はお役御免さ」
「――僕は兄の座なんて興味ない」

 睨み、ドラコは言い返した。

「……親友の座か?」

 ロンはちょっと首を傾げ、隣のハーマイオニーに囁く。

「ハーマイオニー、君に宣戦布告だ。何とか言ってやれよ」
「ちょっと黙って」

 ピシャリとハーマイオニーは言い捨てる。

 ドラコが兄の座も親友の座も狙ってないことはハーマイオニーの目にも明らかだったし、更に言えば、ハリーも察せずにはいられなかった。彼のハリエットを見る目が違う、と。

 ハリエットから聞くに、ドラコはマルフォイ家で浮きがちだった彼女を支えてくれたらしい。大切な存在だとハリエットはまた言う。だが、それとこれとは話が別だ。全然違う。

「……少なくとも、ハリエットを傷つけるアンブリッジに僕は屈するつもりはない」
「君がそう主張し続けることで誰に飛び火してるか考えもしないらしい」
「……ドラコ」

 心配そうにハリエットが口を挟むと、ドラコはツッと視線を落とし――やがて黙った。

「じゃあ、もう行く」
「ええ。今日はありがとう。楽しかった」

 一瞬躊躇うようにドラコの足が止まったが、振り返らなかった。ハリエットも黙ってその後ろ姿を見送る。三人はハグリッドの所へ行くところだったらしく、ハリエットも荷物を寝室に置き、急いで戻ってきた。戻ってきてもなお、ロンは「あんな親友、僕ならいらないね」とぐちぐち言っていたが、誰も何も返さなかった。