僕が覚えてる

― 02:友達ですらなく ―






 隠れ穴の狭いキッチンでは、緊急会議が開かれていた。皆が皆難しい顔で頭を抱えている。

「つまりは――こういうこと? 見た目は普通だけど、中身が十歳に戻っちゃったって?」
「ハリエットは私達のことを知らなかったし、ハリーの話では、従兄弟の十一歳の誕生日のことは覚えてたから、現状、ハリエットはホグワーツ入学のほんの二ヶ月前の記憶までしか持ってないのよ」

 今までの話を軽くまとめ、ハーマイオニーは気遣わしげに視線を上へ向けた。

 会議が開かれるにあたって、まだ魔法の魔の字も知らないハリエットにとっては些か刺激的な会話が含まれるため、彼女は不参加だった。本当はこの会議にハリーも参加する予定だったのだが、知らない場所で初めて会う女の子――ハーマイオニーやジニーと三人きりになるのをハリエットが不安がったため、やむなく一緒に上の部屋に行った。

 十歳のハリーが突然十六歳のハリーになり、ハリエットはかなり混乱しているようだった。その上、『ハリー』が自分の双子の兄だと、ハリエットはまだ完全に信じている様子ではなかった。そのため、これを機に何とか信じてもらえ、と半ば無理矢理にムーディは二人を上の階へ追いやった。

「そもそも、どうして記憶が戻っちゃったんだろう? やっぱり防衛本能?」

 首を傾げるトンクスに、ルーピンが頷いた。

「それもあるだろうが……もしかしたら、フォークスがハリエットの記憶を封じたのかもしれない。記憶を封じた方が、回復が早いと判断して」
「だからって、ハリエットはどうなるの? 確かに辛い記憶はない方がいいけど、ずっとあのままっていうのは……」

 ロンは苦々しい顔つきで呟いた。十歳のハリエットも、十六歳のハリエットも同一人物であることには変わりはない。しかし、自分たちと一緒にいろんなことを経験し、成長してきたハリエットとは全くの別人だとも言える。何せ、今の彼女は魔法界のことだけでなく、自分たちのことすら分からないのだ。これからまた友達になるというのも一つの手だが――やはり共に時間を過ごした十六歳のハリエットとは別人だという感覚が拭えない。

「……わたしは、無理に思い出させない方がいいと思う。ハリエットには時間が必要だ。いきなり拷問のことを思い出したら、今度こそ壊れてしまうかもしれない」

 ロンとは逆に、シリウスは今のままでもいいかもしれないと思い始めていた。確かに、十六歳のハリエットのことは恋しい。だが、彼女が苦しむよりは、何の苦痛もない世界で、幸福だけを与えて共に生きたかった。

 シリウスは、どんなハリエットであっても愛する自信があった。たとえ記憶がなくても、これから一緒に思い出を作っていけばいい。何度でも。

 二つの足音と共に、あまり似てない双子が姿を現した。ハリーは困ったように頭をかき、ハリエットは彼の後ろでぎゅっとローブを掴んでいる。たくさんの視線に晒されたハリエットは、またしても怯えたように身を竦ませた。

「どうだ?」

 ソファにハリエットを座らせたハリーに、シリウスは開口一番尋ねた。

「僕が本物のハリーだってことは信じてもらえたよ。昔の――アー……とっても懐かしい思い出話をしたらね」

 残念ながら、昔の記憶には嫌な思い出しかなかった。仕方なしにハリーがダーズリー家でのことを話せば、ハリエットは『どうして知ってるの?』と言わんばかりの表情で聞き入っていた。皮肉なことに、嫌な記憶というのは、楽しかった記憶よりもインパクトが強いのだ。

「本当は今でも信じられないわ」

 ハリエットはハリーにだけ言うつもりで小声で囁いた。

「でも、ハリーがリッパーに追い掛けられたのは、私達とおじさん達しか知らないことだもの。それに、落とし穴に嵌められたことや、家出しようとして迷子になったことだって――」
「アー、ハリエット……過去の話は、僕にとっては名誉な話じゃないから、あまり口に出さないでくれると有り難いな」

 ハリーがちらりとジニーに視線を向けると、彼女はクスッと笑みを零した。

「ハリー、これのことは言ったの? ほら……」

 ハーマイオニーは、自分の杖を軽く持ち上げた。途端にハリーは『あっ』と分かりやすい返事を返した。自分のことを信じてもらうのに一生懸命で、一番大切なことを伝えるのを忘れていたのだ。

「……ハリエット、君はこれからもっと驚くことになる……僕が突然十六歳になったことなんて、ほんの些細なことに思えるくらい」
「これ以上何が来ても驚かないわ」

 皆の視線が自分に集まっているので、ハリエットはそわそわしながら返答した。

「いいかい……君は魔女なんだ。魔法を使うことができる」
「…………」

 真面目な顔をして何を言うかと思えば。

 ジョークだと笑い飛ばした方がいいのか、それとも真面目に相手をした方がいいのかハリエットは分からなかった。困惑してハリーから視線を逸せば、固唾を飲んでこちらを見守っている大勢の視線とかち合う。

 皆一様に真面目くさった顔をしていた。まるで、ハリエットの反応が興味深いとでも言いたげな顔で。

 ハリエットは頬を膨らませてハリーを見た。

「ハリー、私を子供扱いしてるのね? いくら何でも、そんなこと信じないわ」
「いや、嘘じゃないよ」
「私が本当は十六歳だってことも信じられないのに、魔法? ハリー、あなた疲れてるのよ。一ヶ月もずっと閉じ込められてたから……」

 ハリエットが同情の目で兄を見た。ハリーは躍起になって杖を取り出したが、慌ててモリーが止める。

「あなたはまだ未成年でしょう! 魔法は使っちゃ駄目よ!」
「でも、こうでもしないとハリエットが信じてくれないんです!」
「ハリー、ここには未成年の魔法使いの方が少ない。君以外に魔法を実演できる魔法使いが何人いると?」

 落ち着いてルーピンが言い、ハリーは恥ずかしそうな表情を浮かべた。

「じゃあ、えっと……誰か」
「わたしがやろう」

 シリウスは嬉しそうに立候補した。コホンと咳払いをし、ハリエットの目の前で跪く。

「いいか、よく見てるんだ。――エイビス 鳥よ」

 軽く呪文を唱えるだけで、シリウスの杖先からは鳥が数羽飛び出した。鳥は口々に囀りながら、ハリエットの周りを飛び回る。

手品マジック……?」
「そう、魔法マジックだ」

 シリウスは得意げに頷いた。しかし二人のすれ違いが良く理解できたハーマイオニーは首を振る。

「シリウス、違うわ。ハリエットは手品と勘違いしてるのよ。マグルの世界では、あなたがやったようなパフォーマンスが流行ってるの。もちろん仕掛けはあるけど」

 よりによって手品でもよくあるような魔法をシリウスが選んだことに、ハーマイオニーはため息をついた。

「ハリエット、よく見て。ウィンガーディアム レヴィオーサ」

 杖を振るい、ハーマイオニーは傍らのコップを浮かせて見せた。そしてそのままハリエットの目の前まで飛ばせる。ハリエットはあんぐり口を開けたままだった。

「持ってみて。タネも仕掛けもないわ」

 ハリエットは戸惑ったようにハーマイオニーを見、そしてコップを手に持った。何度か手の中で回してみるが、確かに何か仕掛けられた様子はない。

「そんな……」
「ハリエット、思い出してみて。ダドリーから逃げてるとき、僕が突然屋根の上に座ってたことがあったでしょ? それに、髪を切られても、次の日には元通りになったり」
「あれも、全部魔法だって言うの?」
「信じられないかもしれないけど、僕たちは魔法が使えるんだ。父さんと母さんも魔法使いだった」

 ハリエットは大きく目を見開き、マジマジとハリーを見上げた。

「魔法を? 本当に? でも、魔法が使えるのなら、自動車は避けられなかったの?」
「違う! あれはバーノン達がついた最低な嘘だ! 二人は自動車事故なんかで死んだんじゃない。悪い魔法使いから僕たちを守ろうとして死んだんだ!」
「悪い魔法使い?」
「ハリー、その辺りで」

 ルーピンが気遣わしげに止めた。それ以上突っ込めば、両親の最期も、ハリーが狙われていると言うことも話さなければならない。そこまで行くと、病み上がりで、しかも精神年齢が十歳のハリエットにとってはあまりに酷だろう。

「それよりも、自己紹介をしないかい? 初めて見た人ばかりでハリエットも緊張するだろう」
「じゃあわたしからだな」

 有無を言わせずシリウスはにこりと立ち上がった。一番初めの名乗りは誰にも譲れなかった。いい加減、ハリエットに知らない人の振りをされるのが堪えられなかったというのもある。

 背の高い彼にハリエットは一瞬怯えた様子を見せたため、シリウスはすぐに身を屈めた。

「あー、ハリエット、さっきはすまなかったね。わたしは君たちの後見人のシリウス・ブラックだ。君たちのお父さんの大親友だった」
「お父さん? 本当に?」
「ああ。後でアルバムを見せてあげよう。お父さんとお母さんの若い頃の写真もあるぞ」

 ポッとハリエットの頬が色づく。両親を話題に挙げて間違いはなかったとシリウスは胸をなで下ろした。

「じゃあ次は僕だ。ロン・ウィーズリー。君達とは一番初めに友達になったんだ」

 ちょっと誇らしげにロンは言った。負けていられないとハーマイオニーもその後に追随する。

「私はハーマイオニー・グレンジャーよ。私も、あなた達と友達だったの」

 ポカン、と音が鳴りそうなほど間の抜けた顔でハリエットはロンとハーマイオニーとを見比べた。しかし、やがて意を決した表情で、ハリーに何やら耳打ちをする。ハリーは渋い顔になった。

「証拠はって」
「えっ?」
「僕達が友達だっていう証拠は? って」

 みるみる顔を真っ赤にし、ハリエットはポカポカ兄を叩いた。どうやら、ハリーにだけ訊いたつもりのようだ。

「だって、だって信じられなくて――! 私達に友達だなんて……ダドリーにいじめられるかもしれないのに……」

 ハリエットの声は尻すぼみに小さくなっていく。ハリーはなだめるようにポンポン彼女の頭を撫でた。

「ここにダドリーはいないよ。もちろん、おじさんだって、おばさんだって」
「でも……」
「僕達、今はホグワーツに通ってるんだ。魔法を学ぶための学校だ。まともじゃないことが嫌いなあの人達が一番に嫌う場所だろう? そこで二人と友達になる分には、ダドリーだって何も言えない。それに、もしいじめられたとしても、二人は泣き寝入りするような性分じゃないよ。むしろ嬉々としてやり返すだろうさ」

 ハリエットはようやく笑顔らしきものを見せた。そして小さく『よろしくお願いします』とロン、ハーマイオニーに頭を下げた。ちょっと距離のある対応に、二人は複雑に笑って見せた。

 続いて、次々に自己紹介がなされた。ルーピンの朗らかさにはハリエットも少しだけ警戒を解き、ムーディのギョロギョロ動く魔法の目には終始ビクビクしていた。モリーには母親のような温かさを感じたし、フレッド、ジョージには自己紹介のついでに悪戯グッズで驚かされ、ハリーに怒られていた。

 目まぐるしい自己紹介も終わりに近づいた頃だ。ふとハリエットは、静まりかえり、皆がある一点を見つめているのに気づいた。と同時に、自然と人垣が割れ、その人物の姿がハリエットの視界に映し出される。プラチナブロンドの、ハリーとそう年の変わらなさそうな青年だった。やつれ、表情が乏しいせいか、余計に儚げな印象だ。

「……ドラコ・マルフォイだ」

 居心地の悪い沈黙の中、彼はようやくそれだけ言った。

「……あなたも、私の友達……?」

 恐る恐るハリエットが尋ねれば、彼はまるでその答えが分からないといった様子で周りを見渡した。おかしな話だ。彼の中に答えがあるはずなのに。

「いいや、ただの同級生だ」

 彼の視線を受け取ったのはシリウスだった。

「彼は、我々の利害が一致したから今ここにいるまでだ。特に気にする必要はない」

 皆が皆、各々の反応を見せた。ハッとした顔をしたり、顔を顰めたり、困ったように眉を下げたり。

 ドラコだけが、シリウスの言葉を重く受け止め、今にも消えてしまいそうな佇まいでその場に一人立っている。彼の寂しそうな瞳を見ていると、何故だか胸がざわめき、ハリエットは彼から目を逸らすことができなかった。