僕が覚えてる

― 05:秘密の友達 ―






 隠れ穴は、不死鳥の騎士団の本部となっているので、たびたびその団員による会議が行われる。

 普段は一階リビングのソファが定位置のハリエットだが、この時ばかりは上の階へと移される。精神年齢が十歳ばかりのハリエットには難しい話ばかりだし、ショッキングな話もあるので、気を遣われているのだ。

 ハリエットも、時々難しい顔をするハリーの力になりたかったが、右も左もわからない今の状態では足手まといになることは明白だったために、我儘は言わなかった。

 リビングを出されたときのハリエットのお気に入りの場所は、五階と六階の間にある踊り場だ。そこにこさえてある小窓からは果樹園が見渡せ、おまけに日当たりも抜群にいいからだ。

 まるでお昼寝をする猫のように、ハリエットは踊り場に丸まって窓から景色を覗いていた。膝上には、ハーマイオニーの飼い猫であるクルックシャンクスもいる。ふわふわの毛並みを撫でていれば、温かい日差しも相まって、クルックシャンクスは徐々にとろんとまぶたを下ろしていく。ハリエットも同じような顔になっている自覚はあった。それだけこの場所は気持ちいいのだ。

 ふとクルックシャンクスの耳がピクンと動き、ハリエットは覚醒して目を瞬かせた。ついで、誰かが階段を登ってきていることに気づく。さすが猫の聴覚だと驚いている間に、足音の人物は、ハリエットたちに大きな影を作った。

「……こんにちは」

 現れたのは、ドラコ・マルフォイだった。手に洗濯物を抱えている。朝も挨拶をしたのだが、なんて言えばいいのかわからず、ハリエットはひとまずへにゃりと笑う。

「……こんな所で何してるんだ?」
「外を見てるの。とってもいい景色だから」

 たびたび開かれる会議に、ドラコが参加している姿は一度も見かけたことがなかった。今更ながら、ドラコは仲間ではなく、ただ利害が一致しただけだというシリウスの言葉が頭に染み渡っていく。会議に参加することをドラコが拒否しているのか、それとも団員ではないからと追い出されているか、ハリエットには分かりかねるが、少なくとも今のハリエットとドラコの状況は非常に似ていた。

「お手伝いをしてるの?」
「洗濯物を届けに。アクシオ――ああ、いや、呼び寄せる魔法を使うとグチャグチャになってミセス・ウィーズリーが嫌がるから……」

 会議から追い出されても、こうして手伝いをしているドラコを思うと、呑気に猫を撫でているだけの自分が恥ずかしくなり、ハリエットはそわそわした。

 そうしている間に、ドラコはロンの部屋に三人分の洗濯物を置き、また戻ってきた。

「ミスター……あの、マルフォイさん?」

 ハリエットはまだドラコと話したことがほとんどなく、なんと呼べばいいか、土壇場で迷ってしまった。年齢が近い人たちは皆下の名前で呼び合ってはいるが、ドラコだけは、皆がマルフォイと呼ぶので、とても下の名前では呼びづらかった。

「……ドラコでいい」

 小さくそう返し、ドラコはだんだん階段を降りていく。どうしても彼を引き止めたくて、ハリエットは咄嗟に叫んでいた。

「ど、ドラコ!」

 驚いたような顔でドラコは振り返った。呼んだのは自分なのに、なぜかハリエットの方が驚いてしまって、へにゃりと笑う。

「私とお話してくれない?」

 一人じゃ寂しくて、と付け足すと、ドラコはあからさまに逡巡した。辺りを伺うように見回すが、当然この家の住民は皆一階だ。ドラコは諦めたように、恐る恐るハリエットの隣に腰を下ろした。

 ハリエットは急に緊張してきて、心を落ち着かせようと右手を這わせてクルックシャンクスを探した。だが、膝の上で丸まっていたはずの雄猫は、いつの間にやらかどこかへ行ってしまっていた。ハリエットが騒がしくしたので、おそらく違う安眠の場所を探しに行ったのだろう。

「ドラコは、どこの寮だったの?」

 そうして、緊張の最中ハリエットが話題に上げたのは、まだ見ぬホグワーツのことだ。ホグワーツに寮が四つあるということは知っていた。だが、隠れ穴の住民や、騎士団員はほとんどグリフィンドールばかりだったので、他の寮のことはほとんど分からないのだ。あまりにグリフィンドール寮を締める割合が多いので、ホグワーツ最大の寮がグリフィンドールなのだと思い違いしたくらいだ。

「……スリザリン」
「どんな寮なの?」
「地下にある。すぐ側に湖があって……だから、窓からはいつも湖の様子が見られる。大王イカや淡水魚が泳いでいるんだ」
「素敵! いつも水族館にいる気分を味わえるのね。でも、スリザリンは初めて聞いたわ。レイブンクローの人も、まだ隠れ穴で会ったことないもの」
「寮にはそれぞれ適性があるから。グリフィンドールは勇敢で騎士道精神があって……だから、ここの人たちはそういう部分があるからグリフィンドールに組分けられたんだ」
「でも、私もグリフィンドールだって聞いたわ」

 ハリエットは急にしょんぼり静かになった。

「私が勇敢だなんて、似ても似つかないわ。私、いつもハリーの後についていくばっかりだったし……」
「そんなことはない」

 慌ててドラコが言った。

「君は、思いやりがあって、人のために動ける人だった。分かりやすい勇猛さではないかもしれないが――きっとそういう部分を組分け帽子は見抜いてくれたんだと思う」
「……私たち、本当にただの知り合いだったの?」

 気づけばハリエットはそんな風に尋ねていた。シリウスが言うには、利害が一致したただの顔見知りらしいが、どうにもそんな風には思えない。だって、同級生なのだ。いくら寮が違うからといって、話したこともないなんて、そんなことあるだろうか?

「ああ……」

 どこか遠くを見つめる目で、ドラコは頷く。

「僕は……君のことを、あまり知らなかった」
「…………」
「君もそうだった。僕のことは、たぶん、全然知らない。好きなものや、嫌いなもの、得意なこと……。だから、そういう意味では、僕たちは友達じゃない。君はいつもウィーズリーやグレンジャーと一緒にいて、僕も、いつも違う人と一緒にいた。そもそも、寮が違ったし、滅多に会わなかった。世間話だってしたこともない。……本当に、接点なんてほとんどなかった」
「……でも、友達だったんでしょう?」

 なぜか確信を持ってハリエットはそう口にしていた。虚を突かれたようにドラコは押し黙る。狼狽えたように視線が彷徨った。

「いや……」

 小さく漏れ出た声は、掠れていた。

「いや、違う。僕はいつも君たちに突っかかってばかりで……」
「じゃあ、今の私と友達になってくれない?」

 勇気を振り絞り、ハリエットはおずおすと言った。ダドリーの脅威のないこの場所では、不思議と何でもできる気がした。

「私……ちょっと寂しいの。ロンもハーマイオニーも、私の友達だって言うけど……十六歳の私と友達なのよ。今の私は、きっとお呼びじゃない……」

 三人が話す思い出についていけない自分がもどかしい。時折悲しそうな表情をする三人に、申し訳なさを抱いてしまう。気兼ねなく話せる相手が、今のハリエットには誰もいない。

「でも、僕は皆からあまりよく思われてない。皆から君が何か言われるかもしれない」
「じゃあ、皆には内緒にすればいいわ!」

 よく思われていない、の意味は分からなかったが、とにかくハリエットは意地になって続ける。初めてできそうな友達を逃すものかと意気込んでいるのだ。

「皆が会議してる時とか、周りにいない時とか、そういう時にちょっと話すだけよ。それじゃ駄目?」
「まあ、それくらいなら……」
「じゃあ私たち、秘密の友達ね!」

 その言葉は、非常にハリエットの声に馴染んだ。正真正銘、ドラコが今のハリエットの友達第一号だ。

「でも、何から話せばいい……?」

 ハリエットは躊躇いがちに尋ねた。

 プライマリースクール時代、ハリエットはろくに友達がいなかった。だから、友達がどんな話をするものかもよく分かっていない。その上、ドラコは生粋の魔法界生まれらしく――。

 急にピンと来たハリエットは明るい声を上げた。

「じゃあ、お互いにどういう風に育ったか話さない? 私、まだ魔法界ってどういう所か分からないし、ドラコも私たちの生活は知らないでしょう?」
「ああ」
「ドラコはどんな場所で育ったの? イギリスよね?」
「そう、ウィルトシャー州だ。自然豊かな場所で、静かな所だった」
「周りにマグルはいないの?」
「いるにはいるけど、マグルには僕らの家は見えないようになってる。そういう魔法が掛けられてるんだ」
「じゃあ、私たちの周りにも実は魔法使いがいたってこと?」

 冗談半分で聞いたら、ドラコは真面目な顔で頷いた。

「見た目には分からないだけで、君の周りにもいたと思う」
「そうなの……? 私、てっきり私たちの世界と魔法界はきっちり別れてるんだと思ってたわ」

 ただ、同時にふと思い出した。小さい頃、紫色のマントを着た人がハリーに握手を求めたり、三角帽子を被った男性がお辞儀をしてきたり。言われてみればそれらしい兆候はあったのだ。ハリーは魔法界では有名らしいのでそれも今なら納得だ。

「君はどういう所で?」

 今度はドラコが尋ねてくれた。嬉しくなってハリエットは饒舌になる。

「私は町中の方だったわ。でも、あんまり遊べる所は少なくて、近くに公園もあったけど遊具が壊れてるの。だから夏休みは行く所がなくて、だいたい図書館で――」

 言いながら、ハリエットはだんだん恥ずかしくなってきた。自分の惨めな境遇を聞いていてドラコは楽しいだろうか? もっと楽しいことを、と思ったハリエットは、自分の中で気に入ってるものを取り上げた。

「でも――でもね、時々隣の家にお邪魔することがあるんだけど、そこではたくさん猫が飼われてて、みんな可愛いのよ。私に懐いてくれてるの」
「猫が好きなのか?」
「ええ、猫が一番好き!」

 シリウスが聞いたら大いに嘆きそうな台詞だが、今のハリエットには知るよしもなく晴れやかな笑みで答えた。

「ドラコは何かペット飼ってる?」
「ワシミミズク。家には孔雀もいる」
「孔雀!?」

 ハリエットは目を瞬かせた。

「ドラコの家ってお金持ちなの?」
「ああ……まあ」
「すごーい。じゃあ休みの日にはいろんな所に旅行に行ったり? 最近はどこに行ったの?」
「最近は――行ってない」

 ドラコの表情に陰りが出た。ハリエットが不思議に思う間もなく話題を変えられてしまったので、そのまま違和感は霧散してしまった。

 それから、二人でいろんなことを話した。ホグワーツでの暮らしや、プライマリースクールのこと、魔法や魔法生物について……。

 ハリエットは、初めてできた友達に興奮していたので、もしかしたらハリー相手の時以上によく話したかもしれない。ドラコが良い聞き手だったのもあるだろう。もともとハリエットは人見知りをする質だったが、不思議と彼相手にはあまり気にならなかった。

 いつの間にかあっという間に時間が経ち、やがえ階下が騒がしくなってきた。もしかしたら会議が終わったのかもしれない――と、ハリエットが感じると共にドラコがすぐに腰を上げる。

「じゃあ。僕はもう行く」
「また話してくれる?」

 あまりにもあっさりしていたので、ハリエットは不安になってそう尋ねた。

「人の目がない所だったら」
「分かったわ。今日のことは皆に内緒ね!」

 秘密の関係にハリエットはワクワクして言った。ハリーにも内緒だなんて、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 ドラコを見送ると、ハリエットはシリウスのお迎えが来るまでまた窓に背を預けた。いつもどことなく感じていたもの寂しさが、今はすっかり立ち消えていることにすら気づかなかった。