天上の見守人

― 01:真実の望みは ―


モルダウ様
リクエスト





 生前、もし死後の世界があると言われても、ジェームズはすんなり信じただろう。そもそも、ポッター家の家宝である透明マントが、経年劣化しない本物であることは、父から譲り受けて数年で気づいたことだ。「三人兄弟の物語」に出てくる死の秘宝の一つが実際に存在するのであれば、その他のニワトコの杖や蘇りの石も存在する可能性が出てくる。時間を遡り、過去を改変することのできる逆転時計だって現存するのだから、死後の世界くらいきっとあるだろう。

 とはいえ、可能性の一つとして考えていた死後の世界やニワトコの杖、蘇りの石にジェームズがさほど興味を示さなかったのは、ひとえに自分の世界には不必要だと考えていたからに他ならない。落とし穴を作るのに最強の杖が必要か? クソ爆弾をぶつけるのに蘇りの石が必要か? ――答えは否。罰則を科そうと追い掛けてくる管理人から逃げるために、ほんのちょっと透明になれるマントがあれば充分だ。

 ただ、時間の遡りには少々興味があった。――時間を遡り、過去の自分に悪戯を仕掛けるなんて、最高に面白い出来事じゃないか! だが、生憎と逆転時計の類いは魔法省で厳重に管理され、いくら透明マントを持っているジェームズといえど、さすがに犯罪を犯すこともできず、泣く泣く諦めた。後に妻となったリリーから、優秀が故に複数の授業を受けるために逆転時計を使っていたことを明かされたときは、思わず血涙を流した。確かに、教師にとっては理想的な優等生ではなかったかもしれないが、学年首席だった自分にも打診くらいはあっていいものじゃないか、と。問題児に杖を二本あげるほど先生方は愚かではないわ、とリリーにはきっぱり言いきられたが。

 とにかく、親友達と過去へ冒険に行く道を断たれたジェームズは現実を生きていた。家族や親友や、自分が生まれ育った魔法界を守るため、不死鳥の騎士団員として、闇の魔法使いと必死に戦っていたはずが――気づけば、ジェームズは死んでいた。

 いや、気づけば、というのは少し語弊がある。ジェームズは死の間際をよく覚えていた。

 あの日は、やけに穏やかな日だった。日課である散歩の時にたくさんあやしたおかげか、子供達の寝付きは良く、ジェームズとリリーは居間で談笑していた、その矢先。

 激しくドアが吹き飛ばされ、侵入者がやって来たことを悟った。こんな時に限って杖が手元にないことに気づいたが、ジェームズの頭には妻と子供達を守ることしかなかった。憤然としてヴォルデモートの前に立ちはだかったが、激しい緑の閃光を前に、ジェームズは為す術なく倒れた。実にあっという間の出来事だった。妻と子を想う時間もないほどに。

 ――本来であれば、ジェームズは、その後のことなど知るよしもなかっただろう。妻や子は生きているのか、どうして自分達の居場所が発覚したのか――。

 だが、生前、もしかしたらと考えていた死後の世界は、あったのだ。ジェームズは、その後の魔法界のことを知り得た。リリーが子供達にかけた愛の魔法がヴォルデモートの死の呪文を跳ね返し、ヴォルデモートが滅んだこと。生き残った子供達は、リリーの親戚の家に預けられたこと、ピーターに嵌められたシリウスがアズカバンに収監されたこと、闇の魔法使いが滅んだことで、魔法界は平和になったこと――。

 もしかしたら、ジェームズが知り得たこの情報は、自分が生み出した妄想なのかもしれない。ジェームズが死の世界を認識してから今までずっと側にいてくれるリリーは、ジェームズの見ている都合のいい幻覚なのかもしれない。

 だが、どうしてもそうとは思い切れなかったのは、目の前で流れていく光景があまりに無情だったからだ。子供達は生き残ってくれた。だが、愛するリリーは死んでしまった。子供達は親の愛情すら分からないで意地悪な伯母一家で毎日虐げられている。後見人の――ジェームズの親友のシリウスは、アズカバンに収監されている。冤罪だ。自分達はそれをよく知っている。なのに、リーマスを疑い、ピーターを信用し、ダンブルドアを頼らず自分達の力を過信してしまったせいで、彼をあの地獄のような場所から救い出せずにいる。

 これは、自分の執着が見せる夢なのかもしれない。だが、たとえまやかしであったとしても、愛おしい子供達の、大切な親友達の行く末が気になってしまうのは、仕方のないことで。

「あんのトロール野郎……!」

 その愛おしい子供達が、憎き義甥に暴力を振るわれているのを、どうして黙って見ていることができようか。

「ジェームズ、言葉が汚いわ」

 リリーに窘められてもジェームズは全く意に介さない。ギリギリと歯ぎしりを立てる。

「だって見たかい、リリー!? あのトロール、ハリーばかりかハリエットの髪まで引っ張って! 可哀想に、どれだけ痛かったことか!」
「ええ、私ももう我慢ならないわ。女の子に暴力を振るうなんて!」
「あの憎たらしい顔に今すぐクソ爆弾を投げつけてやりたい……! それとも結膜炎の呪いでもかけてやろうか――」
「あら、コウモリ鼻糞の呪いで充分よ。特大のね」

 ジェームズとリリーは、今まさに下界で繰り広げられている子供達の現状を、リアルタイムで眺めていた。どうしてそんなことができるのか、それはもう降って湧いた幸運としか言えない。

 死後の世界は、ジェームズにとってはホグワーツのような場所で、リリーにとってはゴドリックの谷のポッター家のような場所に見えていた。どちらも白い靄がかかっており――そして、同じ場所に「みぞの鏡」のようなものがあるということも共通していた。これは、いつか悪戯仕掛人で校内を散歩・・してるときに偶然迷い込んだ空き教室で見かけたものだ。立派で見事な意匠だったが、鏡は鏡だ――そう思ってジェームズは特に気にしなかったが、珍しくリーマスが縫い付けられたように鏡の前から動かなかった。

 リーマスにはただの鏡には見えていないようだった。かといって、何が見えているのかと問うても言葉を濁すばかりで答えてくれない。そんな折、枠に彫られている文字の意味に気付き、鏡の正体を知ったのだ。

 その時のことをきっかけに、以前からリーマスが隠し事をしているようだという点も相まって、彼の重大な秘密に迫っていくドキドキハラハラな話があるのだが――それはまた別の機会で。

 とにかく、校内で見つけた「みぞの鏡」は、その者の本当の望みを映し出すものだった。何もない死後の世界に、鏡だけがポツンと存在していることを不思議に思わないわけがない。

 鏡を覗き込んだジェームズは心臓が止まりそうになった。そこから見えたのは、自分の顔ではなく、行く末を心から心配していたハリー、ハリエットの寝顔だったからだ!

 リリーが鏡を覗いても、全く同じ状況が見えたらしかった。つまりは、この鏡は、ジェームズ達の本当の望みを映し出してくれたのだ。たとえ死後の世界であっても、せめて子供達の成長が見られたなら。

 その奇跡を心から天に感謝し、それ以降、ジェームズとリリーはいつもその鏡を覗き込み、下界の様子を眺めていた。

「もうあの子達は八歳になるのね」
「八歳には到底見えないくらい身体は小さいけどね……。でも、日に日に僕らにそっくりになっていく」
「ええ、特にハリーは、あなたの頑固な髪質までそっくりよ。毎朝セットするのが大変そう」
「ハリエットだってリリーにそっくりだ! トロールのお下がりを着てるせいで気づかれにくいけど、ちゃんと着飾ったら絶対に学年一可愛くなる」
「ねえ、八歳の誕生日は何を贈る?」

 ジェームズの親馬鹿発言は無視をして、リリーはうっとりと言った。この話題は、いつも愛しい子供達が誕生日を迎える度に繰り返される。

「ハリーには箒さ、もちろん競技用の! 一歳であれだけ箒に乗るのが上手だったんだ。将来は絶対に有名なクィディッチ選手に――」
「はいはい。あなたはいつもそれじゃない。去年はクィディッチ用のゴーグルだったかしら? たまにはそれ以外の物の方が喜ぶと思うわ」
「いいんだよ。違うものを欲しがったらそれもプレゼントすればいい」
「ハリーが我が儘になったら困るわ!」
「そんなことにはならないさ! ハリーはリリーにそっくりだから。僕としては、もうちょーっと冒険心を育てて欲しい所だけど」

 ジェームズは、見る所はよく見ている。リリーは目を丸くし、やがて毒気を抜かれて微笑んだ。

「ええ、そうね。ハリーは大丈夫。優しい子だもの」
「ハリエットもね。そうだ、ハリエットの誕生日プレゼントはどうする?」
「私はよそ行きのお洋服をプレゼントしたいわ。髪留めやちょっとしたアクセサリーもつけて。信じられる? あの子、一度だってスカートを履いたことないのよ!」
「マグル界は大損害だよ! 一人の素晴らしく可愛い女の子に陽の光が当たらないでいるんだから!」
「ハリエット、コマーシャルで女の子がドレスを着てるの、とても羨ましそうにして見てたから、そういうのを贈っても喜ぶかしら」
「マグル界は震撼するだろう! 一人の素晴らしく綺麗な女の子が誕生するんだから!」

 この死後の世界は、どうやらジェームズとリリーしかいないらしかった。だからこそ、親馬鹿な会話に突っ込みを入れる者は誰もいない。

 やがて、一年、また一年と月日が積み重なっていく。子供達の成長はあっという間だった。ダーズリー一家に虐げられ、たった二人きりで支え合っていく姿には心が痛むが、それでもこの目で子供達が成長していく姿を見られるのはとても幸福なことだった。ただ、闇の魔術の気配は徐々に忍び寄ってきていた。

「今の……聞いた?」
「ハリーがまさかパーセルマウス……?」

 ジェームズは茫然と呟く。

「でも、ポッター家がスリザリンの末裔だったなんて聞いたことがない。突然変異か?」
「ジェームズ……」

 リリーが不安そうに呟く。ジェームズはハッと顔を上げた。

「ハリーが蛇語を話せるからって、ハリーはハリーだ。僕らの息子に違いない。……でも、心配なんだ。ハリーのあの額の傷……。ハリーは、ヴォルデモートと因縁がある。あの夜のせいで、ヴォルデモートと嫌が応にも繋がりができてしまった。ヴォルデモートが本当に死んだならそれで良い。でも、もしそうじゃなかったら――」
『すごい!』

 重苦しい空気を切り裂くように、下界からきゃっきゃと声が上がった。

『もしかして、猫は? 猫ともお喋りできる? 今度話しかけてみて。私にもコツを教えて欲しいもの』
『コツなんてないよ。普通に話しかけたら、向こうも応えてくれたんだ』
『素敵……』

 毒気を抜かれ、ジェームズとリリーは想わず顔を見合わせた。

「素敵、だって」
「パーセルマウスが、素敵……」

 ジェームズは顔をクシャッとさせて笑った。

「なんか、ヴォルデモートのことなんかどうでも良くなった」
「魔法界の常識なんて関係ないわ。ハリエットからしてみれば、お伽噺みたいなことが起こってワクワクしてるだけなんだもの」
「ハリエットは動物が好きだからなあ。僕が鹿になってじゃれついたらどれだけ喜ぶことか」
「あなたの角に怯えちゃったりして」
「リリー……」

 牡鹿の立派な角はジェームズの自慢でもあるが、そこを取り上げられたら為す術もない。しゅんとするジェームズを見てリリーもクスクス笑う。

「ハリエットは案外ハグリッドと気が合うかもしれないわ」
「リリー、正気かい? ハグリッドは危険生物・・・・が好きなんだ! ハリエットが怪我させられたら大問題だ!」
「生き物を大切に思う気持ちは一緒でしょう? 話が合うんじゃないかしら」
「リリーはハグリッドの本気を知らないんだよ。あれは度が過ぎてる……」

 ジェームズはぶつぶつ言うが、リリーはあまり気に留めなかった。

 そしてその噂の人物は、一月後にやってきた。あまりにも常識外れな登場の仕方に、リリーは呆れ、ジェームズは喜んだ。

「ハグリッドったら、何を考えてるの!? いくらバーノンが厄介だからって、あんな風にポンポン魔法を使うなんて――」
「まあまあ、僕はいい気味だと思ったよ。特にあの子豚ピグレット! 豚の尻尾だなんてイカしてる!」

 ハグリッドの登場により、ハリーとハリエットはようやく魔法界の存在を知ったのだ。彼らの初ダイアゴン横丁行きには、年甲斐もなくジェームズもリリーもはしゃいだ。自分達も久しぶりのダイアゴン横丁ということもあったが、まるで、子供達の入学用品を買いに、自分達も一緒に付き添いをしているような感覚を味わえたからだ。

「ポッター家の財産様様ね。あの子達が生きていけるだけのお金があって本当に助かったわ」
「うん、せめてお金にだけは不自由がないようで良かった。ちょっと箒の一本や二本買ってもまだまだ余裕はあるしね」
「まだ箒を持たせたいの? 一年生は箒の持ち込みは禁止されてるのよ」
「でも、ハリーだって箒に興味を持ってる!」
「珍しいだけかもしれないわ」

 丁度ニンバス二〇〇〇が出たばかりということで、ジェームズの興奮は類を見なかった。

「ああ、一体どれくらいの速度が出るんだろうな、ニンバス二〇〇〇……。僕が昔乗ってた奴とは比べものにもならないだろうなあ」
「あ、ほら、あの男の子も丁度クィディッチの話をしてるわ」

 リリーの言葉にようやく意識を引き戻し、下界を見るジェームズ。ハリーの隣に並び立つプラチナブロンドの少年を見て彼は顔を引きつらせた。そうこうしている間にも、少年が言葉を発すれば発するほど、出るわ出るわ、尊大で高慢な言葉の数々――。

「なんだあのいけ好かない奴は? ルシウス・マルフォイにそっくりじゃないか!」

 ジェームズがカッカと怒る中、少年は自己紹介した。

「マルフォイ! あいつの息子か?」
「似てるわね。あなたとハリーもよく似てるけど……」
「一緒にしないでくれ!」

 ジェームズとほぼ同じ印象をハリーもまたドラコ相手に感じたらしい。素っ気ない別れの後ハリエットと交代する。

 ジェームズは嫌な予感を抱いた。ハリエットの、「初めての友達できるかしら?」という期待に満ちた表情を見て……。

 そして、最悪なことにその予感は当たった。ハリエットは、ハリーとは対照的に「親切で優しい人」という印象を抱いたらしい。ジェームズは吠えた。

「ハリエットは人を疑わなさすぎる! どうしてそいつの本性に気付かない!」
「そこが美点でもあると思うわ。もちろん、悪い人に騙されないか心配だけど……」
「ハリーも優しすぎるんだ。しっかりした人がついてないと、二人は痛い目をみるかもしれない……」
「心配ね。魔法界に詳しい人や、しっかりした人が友達になってくれれば良いけど」

 子供達の付き添いであるハグリッドは、マグル界の知識に疎く、魔法を乱発するような魔法使いではあるが、しかし、心からの優しさを持ち合わせていた。今日はハリーとハリエットの誕生日だったが、そのお祝いとして、彼はなんとそれぞれにペットを買ってくれたのだ!

「ハグリッドには本当に感謝してもしきれないわ。生まれて初めてあの子達は自分達以外から誕生日プレゼントをもらったのよ」
「僕達、今まで十一回誕生日プレゼントを考えてきたけど、ふくろうなんて一番最高のプレゼントだね」
「ええ、本当に」

 ハリーの杖選びの時には、オリバンダーに不吉なことをいわれ、またしても胸がざわついたが、それでも子供達の旅立ちに高ぶる興奮を静まらせるには至らない。

「あの子達も、もう十一歳か……」
「いよいよホグワーツへ行くのよ」
「どんな出会いが待ってるんだろう」
「きっとたくさん友達ができるわ」

 下界では、愛しい子供達がようやく寝付いた所だった。ベッドの上には、新しく買ったばかりの教科書が山と積まれている。ハグリッドからプレゼントされたふくろうの名付けのため、教科書を参考にしていたのだ。さんざん悩んだ末、ハリーのふくろうには「ヘドウィグ」と、ハリエットのふくろうには「ウィルビー」と名付けられた。

 あどけなくも満足そうに眠りにつく子供達に、ついつい笑みがこぼれてしまう。

「良い夢を、ハリー、ハリエット」

 囁くように言うと、リリーとジェームズは微笑んで鏡にキスを贈った。