天上の見守人

― 02:懐かしのホグワーツ ―






 来るホグワーツ旅立ちの日。

 ジェームズとリリーは、子供達以上に緊張と興奮を抑えきれずにいた。

「いよいよホグワーツだ……!」
「あの子達、うまくやっていけるかしら」

 心配の種は尽きない。何せ、この子達はほとんど知り合いのいない、今までとは全くの別世界へ赴くのだから。

 だが、そうはいっても親は親。先の見えない未来よりも、ついつい今見えているトランクの方に目が行ってしまい――。

「ハリーったら、靴下をトランクに詰めるの忘れてるわ! だから昨日のうちに用意しておけば良かったのに!」
「ハリエットってば、ふくろうにおやつをあげてる暇なんてないのに! それにウィルビーはついさっき朝食を食べたばかりじゃないか。甘やかしてばっかりは駄目だぞ!」

 和やかに身支度している子供達よりも、天国の方がよっぽど騒がしい。ようやくと下界では準備が完了したらしいが、最後の難関が立ちはだかっていた。

 でっぷりと超え太った義兄のバーノン・ダーズリーが、双子を駅まで送るために、なかなか動き出さないのだ。

「あいつもホント意地の悪いやつだ。ハリーがソワソワしてるのに、わざとぐうたらして! これじゃあ汽車に乗り遅れるじゃないか!」

 カッカとしてジェームズは言うが、なんだかんだバーノンはきちんと時間に間に合うように送ってくれた。問題は、九と四分の三番線の場所が分からないということだ。

「ハグリッドったら、伝えるのを忘れてたのね。もう十分前よ、乗り遅れるわ!」

 だが、幸いなことに、親切な魔法族の一家に助けてもらい、なんとか汽車に乗り込むことができた。座席に腰を下ろし、窓から見える景色は、家族がしばしの別れを惜しむ場面ばかりで。

「…………」

 ジェームズとリリーは、期待と不安に満ちた複雑な表情をしている子供達に、何の言葉もかけられないことを恨んだ。二人の成長が見られるだけで幸せだということは分かっている。だが、人間、もっともっとと欲が溢れてしまうのは仕方のないことだった。

 汽車が動き出すと、赤毛の男の子がハリー達のコンパートメントにやってきた。ジェームズは、彼の上着のポケットから顔を出しているネズミにすぐ気づいた。その正体にも。

「――ピーター……」

 見まごうことなく、ネズミはかつての親友だった。再会・・があまりにも突然で、衝撃的で、ジェームズはしばし茫然とする。

「ピーター? どういうこと? あのネズミが?」
「今まで何度ピーターがネズミに変化する姿を見てきたと思う? 僕が見間違えるわけがない」
「でも……それなら、どうしてロンの所に?」
「情報を集めるためさ。状況証拠だけで言えば、ピーターのせいでヴォルデモートが失脚したようなものだ。魔法使いの、それも魔法省勤めの家にいれば、死喰い人の情報も逐一得られ、うまく隠れ住むことができる」

 ネズミは眠り込んでおり、まだハリー達の存在には気づいてないようだった。

「ずっと、ネズミの姿で生きてきたんだね」

 目覚めたら、彼はどうするだろうか? 慌てふためく? コンパートメントから逃げ出す? それとも、過ぎたことと気にも留めないだろうか?

「君はそれで幸せかい?」

 リリーは何も言わずジェームズを見ていた。ジェームズも、ピーターのことしか見えていなかった。

「君はどういう顔であの子達の前に立つつもりなんだ……」

 問いかけに答えてくれる存在はいない。ジェームズは片手で顔を覆い、鏡の前からしばらくの間退いた。


*****


 ハリーとハリエットは二人ともグリフィンドールに組み分けられた。ジェームズとリリーによるお祭り騒ぎも束の間、教員席に見慣れた顔を見つけて阿鼻叫喚となった。

「どうしてあいつが教員に!」
「まさか……スネイプ……?」

 妻の唖然とした呟きに、ジェームズは敏感に反応した。結婚してもう随分経つが、ジェームズとて昔の恋敵には思う所がある――もちろん、セブルス・スネイプとの因縁はそれだけに留まらないが。

「教師とは一番ほど遠い所にいるような奴がどうして……。それに、今ハリーのこと睨んでなかったか?」
「あなたにあまりにそっくりで驚いてたんじゃないかしら」
「どうだか! 大方、どうやってハリーをいじめようかと考えてるに違いない……。学生時代僕達にやられたことの仕返しをしようと企んでるに違いない……」
「大袈裟よ。それに、あなた達がやっていたことが仕返しされるようなひどいことばかりだっていう自覚はあるのね?」
「リリー……」

 妻には頭が上がらないジェームズだが、しかし、この時の彼の発言は何も的外れなことではなかった。むしろ、的確すぎたくらいだ。

「何なんだあれは! 魔法界に来たばかりの一年生にする質問じゃない! それも意地悪く三回もするなんて!」
「確かに、いくら何でもあれはひどいわ。ネビルの鍋の失敗だってハリーのせいにさせられて減点するなんて」
「ハリーに何の恨みがあるっていうんだ!」
「ハリーじゃなくてあなたにでしょう。あなたにそっくりだからハリーがこんな目に遭ってるのよ」

 ぐぬぬと悔しそうに唇を噛むジェームズには、「それにしたって、息子に仕返しするスネイプも意地が悪いわ」と言っているリリーの言葉は聞こえていなかった。

 ジェームズの機嫌は、飛行訓練がやってくると自然と浮上した。自分が大好きだった箒がこの目で見られること、そして子供達にも味わってもらえることが嬉しくて堪らないのだ。

 ハリーが箒に呼びかけ、一度で片手に収めたときは、たったそれだけのことなのにジェームズは絶賛だった。リリーは呆れつつも、箒に言うことを聞いてもらえず奮闘するハリエットのことを応援していた。

 やがて、あの高慢な男の子、ドラコ・マルフォイがネビルの思い出し玉を使ってからかおうと画策した。ハリーがそれに怒り、先生の言いつけを破って箒に乗った結果、その場面をマクゴナガルに見られ――つまるところ、ハリーはグリフィンドールのシーカーに就任したのだ。

「やっほう! 聞いたかい、リリー!? 百年に一度の名シーカーの誕生だ!!」
「まだシーカーになるかどうかは分からないけどね。でも、本当にすごい。さすがはハリーね」
「ああ……僕が生きていたら、一緒にクィディッチができたのに」

 ジェームズは、もしかしたら少し泣きそうな表情で微笑んだ。胸に溢れてやまない喜びが感極まって零れ落ちそうになっているらしい。リリーはトントンと彼の背中を叩いた。

「でも見て。ハリエットにはちょっと練習が必要かもしれないわ」
「そんなの、僕が手取り足取り教えるさ! 冬休みに一緒に箒を持って野原に出かけるんだ。ハリエットが箒に慣れてきたら、みんなでクィディッチをやってもいい。僕とハリエット、リリーとハリーで、丁度いい戦力になるだろう」

 だが、リリーの言う通り、確かにハリエットはクィディッチのクの字すらできないほどの飛行技術だ。どこからともなく寄ってきたドラコに馬鹿にされ、しょんぼりしている。ますますジェームズは歯噛みした。

「ああ、今すぐにでも箒を教えに行きたくて堪らないよ。あっという間に上手くなれるのに」

 授業の最後には、ハリエットは何とか一メートルは飛べるようになったようだが、それだと箒に乗れたとはお世辞にも言えない。

 ハリエットもこのことを恥じ、自ら練習しようと思い立つ真面目っぷりだ。だが、教師となる人物がいないのが痛い。もし万が一ハリエットが箒から落ちてしまっても助けてくれる人すらいないのだ。

 にも関わらず、ハリエットは箒に乗りながらどんどん人気のない方へ進む始末。

「大丈夫かしら……」

 固唾をのんで見守っていると、ハリエットは同じく箒に乗っているドラコに遭遇した。彼の飛行技術は、まあ一年生にしては上手かった。

「ハリーには及ばないけど」

 ポツリとジェームズが呟く。彼の技術に見方を変えたのは何もジェームズだけではなかった。

 何を思ったか、ハリエットは、まるで脅すようにドラコに箒の先生になってもらえるようお願いしたのだ。ジェームズはポッカリ口を開いた。

「ハリエット! 一体何を考えてるんだ! 先生ならハリーにお願いすればいいのに!」
「遠慮したのよ。ハリーはクィディッチの練習で忙しそうだし」
「だからって、何もあいつに頼まなくても……」

 ジェームズは非常に不服そうだ。よほど娘の周りにスリザリン、それも性格の悪い少年がうろつくのが気に食わないらしい。

 だが、ジェームズのある意味で平等なスリザリン嫌いは、今回に関しては正しく然るべき相手に向けられていたといっても過言ではない。

 確かに、最初こそドラコは文句を言いながらも丁寧にハリエットに箒の乗り方を教えていた。ことあるごとに嫌味や悪口を言っていたが、一応はリリーも我慢できる程度ではあった。だが、問題はハリーの二度目のクィディッチ対抗戦の時に起こる。

 いつものようにハリーの悪口を言う所は通常運転だ。だが、あろうことか彼はハリー達を孤児だと馬鹿するだけに留まらず、ハリエットのお下がりの服を嘲笑い、そしてロンの母親の手製セーターまでをも侮辱したのだ。

『でも、誰にだって踏み込んじゃいけないラインはあるわ! あんな風に言われるくらいだったら、殴られた方がマシよ!』

 ハリエットの悲痛な叫びは、目の前のドラコ以上にジェームズ、リリーの胸を打った。ダドリーのクタクタなお下がりばかり着ている子供達を見て、何度心を痛めたか分からない。友達の母親からの手編みのセーターを、まるで天からの贈り物のようにあれだけ喜ぶ子だ。どれだけ愛情に飢えているかは聞かずとも分かる。

『ロンのお母さんから手編みのセーターをもらったときはすごく嬉しかったわ。家族じゃないのに、本当の家族のように私たちも扱ってくれて。ううん、それだけじゃない。もしお母さんが生きていたら、こんな風にセーターを編んでくれたのかもしれないって、そう思うだけですごく嬉しかったの』
「私だってセーターを編んであげたかった……」

 リリーは思わずほろりと涙をこぼす。

「あの子達に似合う色を考えて、デザインに頭を悩ませて、そしてクリスマスに、手袋とマフラーもセットにして、二人を驚かせたかったのよ……」
『ありがとう、お母さん!』

 絶対に一生聞くことのできない台詞だ。あの子達の満面の笑みは、全て下界の人々に向けられ、自分達に向けられることは一生ないのだ――。

「リリー……」

 ハリエットのみならず、リリーまでも傷つけたドラコにジェームズが好印象を持つわけがない。険しい表情で、娘から事実上の絶交を突きつけられて立ち尽くすドラコを見つめていた。


*****


 季節は巡る。その間も、ジェームズとリリーは片時も目を離さずに子供たちの様子を見守った。ドラコに関することだけではない、子供達の身にはいろんなことが起こっていた。校内にトロールが侵入し、ロンとハーマイオニー、四人で力を合わせてトロールを撃退したこと、クィディッチ初試合で危うくハリーが落ちそうになったこと、四階の廊下で見つけた仕掛け扉、ハグリッドのドラゴン騒ぎに禁じられた森での罰則――。

「あれは、本当にヴォルデモートだと思う?」

 リリーが不安そうに尋ねた。ジェームズは迷いなく頷く。

「大方ハリーの見立て通りだと思う。ヴォルデモートは、あの夜死にはしなかった。死の直前まで追い込まれて、何とか今まで生き延びてきたんだ。そして、きっとあいつは――自分をここまで追い詰めたハリーを見逃しはしないだろう」
「でも、まさかスネイプがそれに手を貸してるなんて思ってないわよね?」

 リリーがなおも問う。ジェームズは厳しい目を彼女に向けた。

「あいつは自らの意思で死喰い人になったんだ。再びヴォルデモートの下につくことだって容易に想像がつく」
「だからって――スネイプは、最後には私達の方へ寝返ってくれたわ。ダンブルドアが彼は安全だって断言してたもの」
「そこが分からない。なぜスネイプがこちらへ寝返ったのか――その理由は何だって言うんだ? 多くは語らないってことは、何かやましいことが隠されてるに違いない。それが分からない限り、僕はスネイプは信用に値するとは思えない」

 何せハリーに八つ当たりするくらいだし、とおまけのようにジェームズは付け足した。リリーは何も言えなかった。

 ハリー達も、怪しいスネイプは警戒対象だと捉え、その動きを把握しようとした。だが、生憎ダンブルドア不在の時がやってきて、ハリー達は今夜スネイプが動き出すと予測し、四階の仕掛け扉から賢者の石を目指して進んだ。

 賢者の石を守るため、ホグワーツの教師は様々な工夫をこらして試練を与えた。だが、ハリー達も負けじとそれに挑んでいく。悪魔の罠にはハーマイオニーが機転を利かせ、魔法のチェスにはロンが決死の勝負を挑んだ。気絶したロンはこの一年練習を重ねたハリエットが箒に載せて運び、最後の試練、スネイプの論理に大してはまたしてもハーマイオニーが知恵を絞り、ハリーを賢者の石が収められている部屋に送り届けた。

 賢者の石を手に入れようとしていたのは、スネイプではなくクィレルだった。ヴォルデモートに乗り移られたクィレルとハリーの決死の戦いにはジェームズもリリーもハラハラさせられた。だが、最後にはハリーの勝利で幕を閉じた。ハリーに触れた途端、クィレルの肌が真っ赤に爛れ、そのまま灰となって消えてしまったのだ。

 医務室で目を覚ましたハリーはダンブルドアにことの次第を聞いた。クィレルがハリーに触れられなかったのは、ハリー達の母リリーの愛の守護が未だ効いていたからで、クィレルのような憎しみや欲望に満ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者は、それがためにハリーに触れることができなかったのだと。

「リリー……」

 妻から、彼女の最期を聞いていたジェームズは、もちろんダンブルドアの言う愛の守護のことを聞き及んでいた。愛おしい子供達が殺される恐怖に陥ったとき、咄嗟に頭に浮かんだのがその魔法だったのだと。

「改めて言わせてくれ。ハリーとハリエットを守ってくれてありがとう」

 杖が手元になかったジェームズは、呆気なくヴォルデモートにやられてしまった。たとえ家の中でも油断さえしていなければ、もしかしたら刺し違えてでもヴォルデモートを倒し、そして今でもリリーと子供達、三人で暮らせていたかもしれないのに。

 ――自分は何もできなかった。妻や、子供達を守ることさえも。

 ジェームズは自分があまりにも不甲斐なくて俯いた。

「何言ってるのよ」

 そんな彼にリリーは笑いかけた。ジェームズの大好きな、見れば全てがどうでも良くなってしまうような溌剌とした笑みだった。

「あなたが一番に立ち向かっていってくれたからよ。その姿に勇気をもらったの。何としてでもこの子達を守らないとって思ったの」

 見て、とリリーが囁く。

「そのおかげで、この子達はもうこんなに立派になったのよ」

 グリフィンドールが寮対抗杯を獲得し、歓声を上げるハリーとハリエット。友達に囲まれて、その顔はとてもとても幸せそうだった。

「だから私、充分幸せだわ」
「うん……うん」

 鏡に頬を寄せ、ジェームズとリリーは笑い合った。そうしていると、まるで自分達のすぐそばに子供達がいるような気がして、とても幸せな気持ちになれた。