天上の見守人

― 03:届かない警告 ―






 友達からの手紙が届かない。

 日増しに子供たちの元気がなくなっていくのを見て、ジェームズとリリーも心を痛めた。

「ここまで音沙汰が無いのは……。忙しいからなんて理由もつかないよね?」
「でも、あの子達に限って返事を出さないなんてことないと思うわ! あれだけ何度も手紙を送るって言ってくれてたんだもの。きっと――何かそう、事故があったのよ。二人からの手紙が届かないような……ふくろうが怪我をしたとか」
「でも、ハーマイオニーはふくろうを飼ってない。きっとマグル式で出したはずだ。それなのに届かないなんてことあるかな? マグルは手紙が届かないなんてことよくあるの?」
「ない、けど……」

 考えていても拉致があかなかった。ついに子供たちの誕生日がやって来たとき、郵便物が届かない理由が判明した。ドビーというしもべ妖精の仕業だったのだ。その上、彼がしでかしたことはこれだけに留まらない。バーノンの商談相手にケーキをぶちかまして見事バーノンをカンカンに怒らせ、可哀想に、ハリーたちは部屋に閉じ込められ、更には出入りができないよう外から板を打ち付けられたのだ!

 あんまりな仕打ちに、さすがにリリーも絶句する。ジェームズなんて怒りのあまり鏡を叩き割りそうになったくらいだ。

 ただ、唯一の救いだったのは、ハリーたちの消息が途絶えたことを不審に思ったロンたちが、空飛ぶ魔法の車で様子を見に来てくれたことだ。

 捕まえようとするバーノンの手を掻い潜り、ハリーとハリエットはウィーズリー家に避難することができた。

 夏休みらしい夏休みの過ごし方に、ようやくジェームズとリリーも一息つけた。だが、そこには思わぬ伏兵がいた。

「ハリエットもギルデロイ・ロックハート良いなって思うでしょう?」
「ええ、間一髪、思いも寄らない機転で危険を回避するところ、とっても格好いいと思う……!」

 胡散臭い笑みを浮かべたロックハートの本を片手に語りかけるモリー。対するハリエットもその表紙にうっとり目尻を下げていて。

「あんな奴のどこが良いんだ!」

 ひょっとしたらバーノンの子供たちに対する冷遇以上にジェームズは怒っていたかもしれなかった。それほど、愛する娘が軟派でいけ好かない男に入れ込んでいるのが我慢ならなかった。

「シリウスの方がよっぽどハンサムじゃないか!」

 入れ込むにしても、まだシリウスの方が許せる。なぜ寄りにもよってあの気障ったらしい男なんだ!

 ジェームズの怒りは尽きない。新年度の買い物にダイアゴン横丁に向かった先で、なんとハリエットはロックハートのサイン会に遭遇してしまったのだ。自分の子どもと同じくらいハリーとハリエットのことを大切にしてくれているモリーに感謝はしている。だがこれはいくらなんでも許容できない所業だ! ロックハートのサイン会に合わせてダイアゴン横丁行きを決めるなんて!

 ロックハートに肩を抱かれて写真を撮り、更には本にサインまでもらえたのでハリエットは嬉しそうにふわふわ笑っている。自分が娘を笑わせられない現状だけでも腹立たしいのに、あんな奴が満面の笑みを引き出したのかと思うと怒りのあまりどうにかなってしまいそうだ。

 頭をぐしゃぐしゃするジェームズと、それを宥めようとするリリー。二人は乱闘騒ぎのことなど気に掛けていなかったし、その騒ぎに乗じて怪しい物がハリエットの教科書の中に紛れ込んだことにも気づかなかった。

 ジェームズがようやく復活する頃には、子供たちはいざホグワーツへ向かうところだった。ウィーズリー家がぞろぞろと九と四分の三番線を駆け抜けていく所までは良かった。問題はハリーの出番になったとき、突然壁が閉じて通り抜けられなくなったことだ。

「こんな不具合今までに一度だってなかったわ。まさか壁が閉じちゃうなんて」
「しもべ妖精だよ。あいつの姿がちらっと見えた。また奴の仕業だ」
「でも、一体何のために? どうしてここまでハリーたちをホグワーツに行かせたくないのかしら? 悪気はなさそうに見えるわ」
「だから余計にたちが悪いんだよ! このままじゃあいつ、歯止めが聞かないうちにもっととんでもないことをしでかすかもしれない――」

 ジェームズの予想は当たってしまった。二人の子供、それぞれにしもべ妖精は妨害を仕掛けてきたのだ。まずハリエットが狙われた。ロックハートとハーマイオニーと箒の練習をしている時に――まさにジェームズが描いていたような形でハリエットに箒の指南するロックハートに対し、ジェームズがギリギリと歯噛みしたことは言うに及ばない――突然彼女の箒が暴れだし、ハリエットが地面に落下して腕の骨を折ってしまったのだ。痛みに喘ぐハリエットにロックハートがしたことといえば、適当な呪文で彼女の腕の骨を更に粉砕したことで――ジェームズとリリーは絶句した。教師ともあろう者が、生徒を助けるどころか余計な痛みを与えたなんて!

 激痛のあまり気絶したハリエットは医務室に運ばれた。ジェームズは今にも射殺さんばかりの目でロックハートを睨み続けていた。

 翌日はハリーのクィディッチの試合で、その頃になってくるとようやくジェームズの気持ちも落ち着いてきた。ハリエットの分まで精一杯ハリーを応援しようと拳を握る。

 だが、またもハリーは不幸に見舞われた。ブラッジャーがハリーだけを執拗に狙うようになったのだ。いくらクィディッチには危険がつきものとはいえ、ブラッジャーに徹底的にマークされながらスニッチを追うシーカーなんて聞いたことがない。

 ハラハラと見守るしかできないまま試合は続行し、ついにはハリーの肩にブラッジャーが激突し、リリーは悲鳴を上げた。

「ハリー!」
「さすがだ、ハリー!」

 ジェームズとリリーとでは、着眼点が違った。リリーはブラッジャーの攻撃を食らった上、地面に転がるようにして落ちたハリーを心配そうに見つめ、ジェームズはと言うと、ブラッジャーの攻撃に耐えた上でスニッチを掴み取った息子に感極まった様子だ。

「さすが百年に一度の名シーカー! 素晴らしいキャッチだ!」
「ジェームズったら、ハリーが心配じゃないの!? ブラッジャーに当たって落ちたのよ!」
「そりゃ心配ではあるけど……でも、ここはハリーの勇姿を讃えるべきだよ」

 ブツブツ言いながらも、ジェームズは大人しく口をつぐんだ。すっかり母親の顔になっているリリーに何を言っても聞いてもらえないのは経験済みだ。己も学生時代ごまんとブラッジャーに当たったことはあるのだが、果たしてリリーはその一割でも記憶に残っているのかと思うと虚しくなってくるジェームズだ。

 だが、そう悠長とはしていられなかった。ハリエットの件で全然懲りていないロックハートがまたも出しゃばって呪文をかけた末、今度はハリーの腕の骨をまるまる抜き取ってしまったのだ!

 怒りのあまりジェームズは無言になった。拳をキリキリと握っているが、きっとそこには見えない杖が握られているはずだとリリーは察した。

 結局仲良く医務室送りにされた双子達。二人の身に起きた不幸の理由が分かったのは、その日の夜のことだった。ドビーがやってきて、ポロッと口を零すことには、二人に怪我をさせれば家へ帰ってくれるのではと思ってのことだったらしい。あまりにも過激で短絡的な行動だ。だが、ドビーの二人を心配する気持ちは本物らしく、「さもなければ、あなた様に危険が及びますし、あなた様の大切な人が不幸になります」と言い残して彼は去っていった。


*****


 ドビーの忠告は、「秘密の部屋」に関することなのは明らかだった。ハロウィーンの日をきっかけに継承者によって開かれたという秘密の部屋。そこに住む怪物が解き放たれ、現に、同日フィルチの飼い猫のミセス・ノリスが石にされてしまったのだ。

 継承者は誰だろうとハリーたちも思い思いに考えを口にする中、ジェームズもまたワクワクと推理に頭を巡らせていた。子供たちの成長を見守るだけでなく、こうしたちょっとしたスパイスがジェームズの悪戯仕掛人としてのプライドを擽るらしい。だが、それにあまり良い顔をしなないのはリリーだ。

「ドビーの話では、秘密の部屋のせいでハリーたちに危険が及ぶかもしれないってことなのよ! どうしてそんなに楽しそうにできるの?」
「でも、継承者が誰かってのは気になるじゃないか……。二人のことは確かに心配だけど……」
「ハリエットなんて、二年生になってからしょっちゅう体調を崩してばかりだわ! 一年生の頃はこんなことなかったのに……」

 ハリエットは、最近よく医務室に行くだけでなく、妙に元気がなかった。ロックハートの授業は少しだけ元気になるが、それ以外ではいつもぼんやりとしていて、時々居眠りもしている。何か思いつめたように考え込んでいることもあり、リリーは気を揉んでいた。

「何か悩み事でもあるのかな。いつもと変わったところはある?」
「特に何も……あっ、でも、最近日記にハマってるみたい」
「日記? それは良いことだ。ホグワーツは目まぐるしい日々だからね。書くことが一杯あるんだろう」
「でも、あんな古い日記、どこで手に入れたのかしら? ダドリーのお下がりでもないみたいだし」

 いつも子供たちの様子を見ているとはいえ、四六時中というわけではない。シリウスやリーマスの方を見ることもあるし、特にジェームズは、年頃になってきた娘の寝室を覗くのも憚られてその間は自重することがほとんどだ。かといって、リリーも娘の日記を覗き見るようなことはしなかった。だから余計に気づくのに遅れてしまったのかもしれない。

「待って――ジェームズ!」

 シリウスやリーマスの様子も交えて交互に見ていると、リリーが異変に気づいた。食い入るように鏡を見つめている。

「ハリエットがいないわ! どこに行ったのかしら」
「下でお茶でも飲んでるんじゃないの?」

 だが、ジェームズの予想は外れた。談話室にもその姿はなく、念の為とハリーの寝室を覗いてみても、ハリエットの姿はどこにもないのだ。

 ハリエットは夜に校内を出歩くような子ではない。だが、寮にいないのであれば、当然校内へ出て行ったという訳で――。

「夢遊病……?」
「まさか! だってこんなこと今までに一度だって――」

 焦りながらも、丁寧にハリエットの姿を探していく。こんな時に忍びの地図があればとジェームズは歯がゆく思ったが、校庭まで見て回ったとき、ようやくハリエットの姿を見つけた。おぼつかない足取りでハグリッドの小屋に向かっている。

「こんな夜中に、どうして……?」
「やっぱり夢遊病なのよ。危ないわ、森に行くつもりじゃないかしら……」

 だが、二人の予想と反して、ハリエットは鶏小屋に入っていった。こんな時でも動物か、と少し微笑ましく思ったのは最初のうちだけだった。虚ろな表情をしたハリエットは、突然眠りこけている雄鶏の首を締め始めたのだ。

「ハリエット!?」
「どうして、こんな――」

 苦しそうな声を上げて雄鶏はもがき苦しむ。だが、ハリエットの力は緩まない。やがて雄鶏の身体がぐったりして、ハリエットはパッと手を放した。真っ黒なローブは鶏の羽だらけだ。だが、ハリエットは頓着した様子もなくまた立ち上がり、鶏小屋を出ていった。

「――ハリエットは何を持ってるんだ?」

 何かに気づき、ジェームズは鋭く尋ねた。

「あれは日記よ。ハリエットがいつも書いてる……」
「光ってる」

 よくよく見れば、ハリエットが大切そうに抱えている日記は仄かに明かりを発していた。夢遊病ではどうにも納得できなかったジェームズは口元に手を当てながら囁く。

「きっとあの日記が原因だ。ハリエットは日記に操られてるんだ」
「日記なんかが、どうして……?」
「闇の魔術の代物なんだろう。ハリエットの魔力や魂を吸い取って力を得てるんだ」

 無事――といってもいいものか――ハリエットは寮まで戻ってきた。日記を机の上に置くと、汚いローブもそのままにベッドに崩れ落ちて寝息を立て始める。

「ジェームズ……」
「ハリエットはあの日記を誰からもらったんだろう」

 ジェームズはぶつぶつと疑問を口にした。

「あんな古い日記は、買うのも拾うのも考えられない。誰かからもらった――?」
「でも、ふくろう便で来た様子はないわ。第一、少しでも何か起こったらハリーに話してるはずだもの」
「…………」

 日記はそれからもたびたびハリエットを操った。ハリエットが蛇語らしきものを話しだした時はジェームズもリリーも仰天した。まさか、ハリエットまでもがパーセルマウスだったなんて――。

 だが、冷静になって思い返してみれば、ハリエットは動物園で蛇が話すのは聞き取れていなかった。ハリーが蛇とシューシュー会話していたときも、不思議そうに眺めているだけだった。つまりは、操っている何者かがパーセルマウスで、まさしくハリエットを乗っ取っている証拠だった。

 秘密の部屋に隠れ住む怪物とはバジリスクのことで、操られたハリエットは、ハッフルパフのジャスティン・フィンチ-フレッチリーとほとんど首無しニックを襲った。不幸中の幸いだったのは、ジャスティンはゴースト越しにバジリスクを目視したため、死なずに石になるだけで済んだことだ。だが、これでからくりは解明した。トム・リドルという者がハリエットを乗っ取って秘密の部屋を開け、ホグワーツの生徒を次々に襲っていったのだ。

 この時ほど、ジェームズもリリーも己の無力を思い知らされたことはない。自分たちは、所詮この場で見ている・・・・ことしかできず、下界の人達には、話しかけることも、警告を出すことさえできないことを。

 ハリエットは、きっとこのことを覚えているだろう。

 優しいあの子のことだ。我に返ったとき、一体どれだけ罪悪感に苛まれることか。雄鶏の首を絞めたこと、恐れおののく生徒たちを襲ったこと、そして何より、大切な親友を石にしてしまったこと――。

「ルシウス・マルフォイ……!」

 ジェームズは地の底を這うような低い声を出した。

「やっぱりこいつの仕業だったか! 復讐のつもりだったんだろう。ダンブルドアをホグワーツから追い出し、同時にハリエットが継承者だって露呈すれば『生き残った男の子』の権威も貶めることができるから……!」

 ハリーは最後までハリエットが継承者だと気づかなかったが、それでもロンやハーマイオニーの力を借り、トム・リドルの下までたどり着いた。

 ハリーがバジリスクに噛まれてしまったときは目の前が真っ暗になって絶望を感じたが、不死鳥のフォークスの癒やしの涙で間一髪ハリーは助かった。もちろん攫われたハリエットもだ。

 子供たちは確かに無事だった。怪我もそれほど重症ではない。だが――ハリエットの心の傷が大きかった。退院の日が来ても、いつまでもベッドに留まって寮に戻ろうとしないのだ。頭から毛布を被り、時折思い出したかのように涙を流している。ジェームズもリリーも見ていて心が痛かったが、なんの優しい言葉もかけられないことが何よりも辛かった。

 ハリーたちの励ましにもハリエットは心を閉ざしたままで、そんな時、唯一ドラコとの会話がハリエットの琴線に触れた。

 うじうじしている暇があったら、誠心誠意謝る。

 ハリエットが急にベッドから起き上がって医務室を出ていったのには驚かされたが、それでもリリーは嬉しかった。ハリエットが前を向こうとしているのが十分よく分かったからだ。

 だが、相も変わらずジェームズはぶすっとしたままだ。

「元はといえばルシウス・マルフォイのせいなのに、どの面下げてあいつは見舞いに来たんだ?」
「でも、あの子――ドラコは助けようとしてくれたわ。ハリエットのことを心配してくれたし、日記を捨てようと頑張ってくれた」
「どうだか! ほんの気まぐれに決まってる! それか、父親が罰を受けるのを見たくなかったか――どちらにせよ、自分たちのことしか考えてないに決まってる!」
「本当にそうかしら?」

 リリーの目には、ドラコは不器用にハリエットのことを心配しているように見えた。口も態度も悪いが、それでも確かにハリエットから日記を遠ざけようとしてくれたのだ。

「ハリエットは、ウィルビーに触れるのでさえ怖がってる」

 眼下では、ウィルビーがいつものようにハリエットにすり寄っているが、ハリエットはぎこちなく笑うだけでその手は動かない。雄鶏の首を絞めた感触がまだ残っていて、もしも今度はウィルビーを絞め殺すようなことがあれば――と恐れているのだ。

「こんなに自分が不甲斐ないと思ったことはないよ……。危険を発することも、慰めることすらできないなんて」

 ハリエットが撫でてくれないので、ウィルビーがしょんぼりしている。ハリーも妹とウィルビーの様子は気になっていたようで、ハリエットに近づくと、何やら囁く。そして唐突にぎゅっとハリエットの手を握ると、そのまま一緒にウィルビーを撫で始めた。ハリエットは手を引っ込めようとするが、ハリーは離さない。

 ハリエットは黙ってされるがままだった。何かに耐えるようにじっとウィルビーを見つめている。やがて堪えきれずにポロポロ涙をこぼすと、自分からウィルビーを撫で始めた。ハリーは微笑んでその場から離れる。

 ジェームズとリリーは食い入るようにその光景を見つめた。ハリエットがウィルビーを撫でるように、ジェームズとリリーもまた慈しむように鏡に映る娘を撫でていた。