愛し子

― 05:優柔不断の組分け ―






 ホグワーツ入学の日、ハリエットは三十分も前にスネイプと共に九と四分の三番線のホームに到着した。チラホラ姿が見えるのは、新入生の証である黒いローブ姿の子供が多い。皆不安そうに両親と話したり、トランクをホグワーツ特急に積めてもらったりしている。

「セブルス」

 どこのコンパートメントを取ろうかと迷っていると、ルシウスとナルシッサが歩いてくるのが見えた。

「いよいよ今日か。ドラコは間違いなくスリザリンに入る。ぜひともよろしく頼む」
「よろしくお願いしますね」

 ナルシッサは頭を下げ、その傍らでスネイプとルシウスは握手を交わした。それが終わると、ルシウスはハリエットに目を向けた。

「君もドラコのコンパートメントに行くと良い。前から五番目だ」
「はい」

 何か内密の話でもあるのだろうか。厄介払いのような雰囲気を感じ取り、ハリエットはスネイプに頭を下げた。

「先生、お見送りありがとうございました」
「ああ。――気をつけて」
「はい」

 周りの子たちは、しばしの別れに、ハグをしたりキスをもらったりと思い思いの時間を過ごしている。だが、ハリエットとスネイプの間にそれはない。物心ついたときからそうしたコミュニケーションは一度も行われなかったし、スネイプの方に一定の壁を感じて、ハリエットからもハグを求めたことはなかった。

 だって、それに――。

 言い訳のようにハリエットは付け足す。

 私たちは、何ヶ月も離れるわけじゃないわ。数時間もしたらホグワーツで会えるし、だから、そんな、ハグなんて必要ないもの――。

 新入生として、これからのホグワーツ生活に不安を抱く点は一緒だ。スネイプに一言「大丈夫」とハグしてもらえたら、きっとその不安も払拭されるだろうことも想像に容易い。だが、ハリエットはそれを求めなかった。愛情のねだり方を知らなかった。

 大きなトランクを抱え、ハリエットは汽車に乗り込んだ。五つ目のコンパートメントに到着すると、控えめにノックをする。

「誰だ?」

 不機嫌そうな声に、すぐにドラコだと分かった。

「ハリエットよ。入っても良い?」
「ああ」

 戸を開けると、腕を組んでふんぞり返っているドラコと、その真正面に大きな図体の男の子が二人座っているのが見えた。座席には所狭しとお菓子が散らばっている。

「クラッブとゴイルも一緒だったのね。ホグワーツまで一緒にいて良い?」
「席は空いてる」

 ドラコは顎で隣を指し示した。「ありがとう」と言ってひとまずトランクを詰めようとするが、ハリエットの非力な腕ではなかなか持ち上がらない。痺れを切らしてドラコが立ち上がった。

「貸せ」
「いいの?」

 問答無用とトランクをひったくったドラコだが、彼も半分ほどしかトランクは持ち上がらず、むしろガタンと座席にぶつけてしまっていた。

「おい――クラッブ! 呑気にお菓子を食べてないで、僕たちが困ってるのが分からないのか!」

 今まさに食べようとしていた百味ビーンズを残念そうに箱に戻し、クラッブがトランクを上げるのを手伝ってくれた。

「二人とも、ありがとう」

 やがて汽車が汽笛を鳴らして出発の合図を出した。窓の外を見ると、丁度マルフォイ夫妻がドラコに向かって手を振っていた。その隣にスネイプがいたのも見えて、ハリエットは少し嬉しくなった。もしかしてとっくの昔にホグワーツへ姿くらまししたのかと思っていたからだ。

「行ってきます、父上、母上!」
「い、行ってきます、先生」

 ドラコに続いて小さく言えば、スネイプが僅かに笑ったように見えた。あっと思う間もなく彼の姿は小さくなっていって、事の真相は分からなかった。

 汽車が走り出してしばらくすると、コンパートメントの戸が開いた。ノックもないその無遠慮さにドラコの声は低くなる。

「何の用だ?」
「ネビルのヒキガエルかいなくなったの。見なかった?」
「ハーマイオニー?」

 入ってきたのは、マダム・マルキンの洋装店で出会った女の子だった。ハリエットはすぐに喜色を浮かべた。

「久しぶりね! 会えて嬉しい!」
「ハリエットね! 一つ一つコンパートメントにお邪魔しようと思ってたから、いつか会うとは思ってたけど、まさかこんなにすぐ会えるなんて!」

 ハーマイオニーにギュッと手を握られ、ハリエットは照れて顔を赤くした。

「そ、それで、カエルを探してるの?」
「ええ。ネビルがペットのヒキガエルを逃がしちゃったみたい」
「見つけたら渡しに行くわ。どこのコンパートメントなの?」
「始めの方の車両に座ってるわ。私、一番乗りだったの。どうしても待ちきれなくって、十時前には到着していたんだけど、あまりにも暇だったから、もう一度教科書を読み直していたの。だって、どんな風に組分けが行われるか不安で堪らなかったんだもの! 一応教科書は全部暗記したんだけど、でも、それだけで足りるかどうか――そういえば、その子たちはハリエットの友達?」

 ハーマイオニーは、ようやくドラコ達に気がついたかのように声をかけた。ドラコはぶすっとしたままそっぽを向いている。

「ええ。彼がドラコ・マルフォイ。幼馴染みなの。彼はビンセント・クラッブ、こちらがグレゴリー・ゴイル」
「よろしく」

 クラッブとゴイルはもごもご口の中で何か言い、ドラコにしては返事すらしなかった。ハーマイオニーはピンと片眉を跳ね上げたが何も言わず、ハリエットに向き直った。

「じゃあ私、カエル探しを続けなきゃ。またホグワーツで会いましょう!」
「私も手伝いましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ! ネビルと手分けして探してるから!」

 嵐のようにハーマイオニーは去って行った。この一月でもしかしたら自分のことを忘れているかもしれないと思っていただけに、ハリエットはハーマイオニーとの再会がとても嬉しかった。その気分に水を差すようにドラコが割り込んでくる。

「見るからにマグル臭い女じゃないか。いつ知り合ったんだ?」
「マダム・マルキンの洋装店よ」
「ああいう知ったかぶりはレイブンクローに行くんだろうな。それとも出しゃばりな精神はグリフィンドールに向いてるかな」
「どうしてそんな意地悪言うの? ハーマイオニーは私の友達よ。そんな言い方は止めて」

 ピシャリとハリエットが言うと、ドラコは不満そうに押し黙った。

 その後は気まずい沈黙とクラッブ、ゴイルによる咀嚼音が続いた。だが、ハリエットは妥協はしなかった。折角できた友達を馬鹿にされ、良い気分になる人はいない。

 ちょうどお昼を過ぎた頃、コンパートメントの外が騒がしくなった。話題に上がってるのはハリー・ポッターという人物で、何でも、最後尾の車両に乗っているらしい。

「ハリー・ポッターか。一体どんな奴なのかこの目で見るのも悪くないかもしれない」
「ハリー・ポッター? 誰なの、その人?」

 スネイプからも、マルフォイ家でもそんな名前を耳にしたことはない。気まずかったのもすっかり忘れて尋ねれば、ドラコは目を丸くしてハリエットを二度見した。

「知らないのか? 闇の帝王を前に唯一生き残った男の子だ!」
「闇の帝王って?」
「十年くらい前まで、魔法界を支配しつつあった闇の魔法使いだ」
「ハリー・ポッターも新入生なの? 私たちと同い年?」
「ああ。額に稲妻形の傷があるらしい」
「何の傷なの?」
「それはもちろん、闇の帝王を倒したときについた傷さ。ハリエットも見に行くか?」

 すっかり物見遊山に見に行く気満々らしい。ハリエットはあまりそういう気分にはなれなかったので残ることにした。

 しばらくハリエットは窓の景色を眺めていたが、ふと制服に着替えなければということに思い至った。もう随分日は傾いているし、直に到着する頃合いだろう。

 ホグワーツ指定の制服は少し大きめに作られていた。ローブもネクタイもまだ真っ黒で、これが組分け帽子によって寮が選ばれるとそのシンボルカラーにパッと変化するらしい。

 スネイプはスリザリンの寮監で、ドラコもスリザリン希望なので、ハリエットもスリザリンが良いなと思っていた。いきなり知らない人ばかりの所へ放り出されてはさすがに怖い。

 一旦ネクタイとローブは座席に置き、ワイシャツに着替えた。スカートを脱いだところで、唐突にバンッとコンパートメントの戸が開く。

「全く、なんて奴らだ! 礼儀が――」

 なってない、と続こうとしたのだろうが、不自然に言葉が途切れる。恐る恐るハリエットが振り返れば、ポカンと口を開けたドラコがいて――。

「きゃあっ!」

 ハリエットが驚いてバランスを崩すのと、戸が再び閉じるのは全く一緒だった。「大丈夫か?」と声がかかるが、ハリエットは叫び返す。

「ノックくらいして!」
「まさか着替えてるとは思わなかったんだ!」

 心外だと言わんばかりにドラコは言い返したが、ハリエットの機嫌はなかなか直らなかった。礼儀がなってないのはどっちだと思って!

 だが、ホグズミード駅に着く頃にはハリエットも緊張と興奮でそれどころではなかった。あまりにソワソワしているので、ホグワーツまで行く道のりで一体何度転び掛けたことか。

 いざ組分けの儀式が始まると、ハリエットの緊張は最大限まで高まった。落ち着かなく教員席の方を見れば、丁度スネイプもこちらに目を向けた所だったようだ。はたと目が合い――おそらく相当不安そう顔をしていたのだろう――彼は、小さく頷いてくれた。たったそれだけでハリエットの気分は舞い戻ってくるのだから単純なものだ。

 普段通り気分が落ち着いてくると、周りの声もよく聞こえるようになった。

「ほら、あの怖そうな人」
「誰?」
「黒いコウモリみたいな格好の人よ」

 ドキリとハリエットは心臓が鳴るのが分かった。常日頃、ハリエットもスネイプの格好がコウモリのようだと思っていたからだ。

「あの人、スリザリンの寮監で、ひどくグリフィンドールを嫌ってるみたい。私、グリフィンドールに行きたいのに怖いわ」
「そんなことあるの? 嫌だなあ、私もグリフィンドールちょっと良いなって思ってたのに」
「マルフォイ、ドラコ!」

 ハリエットの気が逸れているうちに、ドラコの名が呼ばれた。ハリエットがドキドキする間もなく、彼は帽子が頭に触れるか触れないかの瀬戸際ですぐにスリザリンと叫ばれていた。

 スリザリンのテーブルでドラコが目配せしてくるが、ハリエットは再び緊張が戻ってきたのを実感した。グリフィンドール――自分に勇気があるとは思えないので、選ばれることはないだろうが、もし万が一グリフィンドールに組分けられてしまったら、スネイプは怒るだろうか。

 モヤモヤしている間にあのハリー・ポッターがグリフィンドールに組分けられた。グリフィンドールからは盛大に歓声が上がり、随分な歓迎っぷりだった。

「スネイプ、ハリエット!」

 そうしてあっという間にやってきたその時。マクゴナガルが声高々にハリエットの名を呼んだとき、生徒が盛大にざわついたのは気のせいではないだろう。現に、席を立ってまでハリエットの顔を見ようとする生徒が現れる始末。自分の保護者がホグワーツの教師だったということも忘れ、なぜ自分の組分けがこんなにも注目されるのか、その一点が気になりすぎて危うくスツールの前で転びそうになるところだった。

「ふーむ、なるほど……」

 突然低い声が耳の中で聞こえてきたので、ハリエットは驚いて悲鳴をあげそうになった。

「君に一番向いているのはハッフルパフだな。人を思いやり、我慢強い君はハッフルパフであれば多くの友人や大切な人に愛されるだろう」
「スリザリンは? 私、スリザリンが良いの」
「残念ながら、君にスリザリンは向いていない。適性のない寮へ組分けるわけにはいかない。ハッフルパフが気に入らないのならグリフィンドールはどうかね? 両親もグリフィンドールで、君自身、控えめだが勇気もある。ちと厳しい道のりではあるが……まあハッフルパフも同じようなものだし……」
「グリフィンドール? 私の両親は二人ともグリフィンドールだったの?」
「そうだとも」

 初めて得た情報に、ハリエットは戸惑いと興奮を覚えた。お父さんもお母さんもグリフィンドール――。正義感と勇気に溢れた人だったのだろうか? もしグリフィンドールであれば、二人のことをもっとたくさん知れるだろうか――?

 だが、そう思う一方で、つい先ほど小耳に挟んだことがハリエットを押し止める。――あの人、スリザリンの寮監で、ひどくグリフィンドールを嫌ってるみたい――。

 私がグリフィンドールに入ったら、嫌われるだろうか?

 どうしよう、どうしよう――。

 ハリエットの、そんな優柔不断を見かねてか、組分け帽子はしばらく悩んだ後、大きく叫んだ。

「ハッフルパフ!」

 ワーッと温かで落ち着いた歓声が大広間に響いた。ハリエットはしばし茫然とし、マクゴナガルに背中を叩かれてようやくよろよろハッフルパフの方へ移動した。

「やあ、よろしく、アーニー・マクミランだ」

 ブロンドの少年に握手を求められ、ハリエットはそれに応じた。近くには女の子も座っていて、自己紹介しようとしたが、わっとハッフルパフの生徒に囲まれる。

「君、本当にあのスネイプの娘なの?」
「全然似てないや!」
「俺はあのスネイプが結婚してたことにまず驚きだな!」
「全く、どんな酔狂な女なんだ――」
「こらこら」

 怒濤の言葉の数々に、ハリエットが目を白黒させていると、ハンサムな少年が仲裁に入ってくれた。

「他の新入生の組分けもまだだろう? 質問は後だ」
「はーい」

 蜘蛛の子を散らすように皆が席に戻っていくと、少年はハリエットに照れ笑いを見せた。

「三年のセドリック・ディゴリーだ。よろしく」
「ハリエット・スネイプよ。さっきはありがとう」

 質問攻めにされるのが嫌だったわけではないが、落ち着かない気分だったので助かった。ハッフルパフには優しい先輩がいるのだとハリエットはホッとした。

 組分けの儀式が終わると夕食の時間だ。ハリエットは再び上級生に囲まれた。セドリックの仲裁もあってか、先ほどよりも控えめだ。

「君、母親似なんだね」

 そう言ったのは誰だっただろうか。ハリエットは早く誤解を解かなければと少し声を大きくした。

「あの――私、先生の本当の娘じゃないんです。孤児だったのを先生は引き取ってくれて」
「スネイプが?」

 そんなまさか、とでも言いたげな顔だ。だが、ハリエットの手前声には出さない。

「それでも娘であることには変わりないんだろう? 娘がハッフルパフに入ったんだから、これで少しは我が寮への当たりも柔らかくなるかな」
「グリフィンドールに入ってたらどうなったことやら」

 遠慮なく言う彼らに、ハリエットは再び不安に襲われた。恐る恐るスネイプの方を見やれば、彼はまたしてもちょうどこちらを見ていた。

 微笑むでもなく、怒るでもなく――彼は不可思議な表情でスッとハリエットから目を逸らした。

 気のせいだろうか?

 ハリエットはドクドクと心臓が嫌な音を立てるのが分かった。

 ――今の――もしかして――失望してた?

 スネイプはあまり表情豊かな方ではない。ハリエットも、そんな彼の表情から感情を読み解くのは得意な方ではない。それなのに、なぜか直感的にそう思ってしまったのは、自分自身そう思われるかも知れない・・・・・・・・・・・・と思っていたからか。

 私――何か間違えた?

 ハリエットは胸騒ぎと共に、そう思わずにはいられなかった。




*おまけ*



「そういえばハリエット・スネイプ? あの子の時もざわついてたみたいだけど、有名人なの?」
「僕もよく知らない。でも――ほら、スネイプって姓。フレッドから聞いたけど、スネイプってスリザリンの寮監なんだ。意地が悪くて、スリザリンを贔屓してる。特にグリフィンドールを目の敵にしてて、よくフレッドたちも減点されてるらしい。その娘だからじゃないかな」
「でも、あの子はハッフルパフだったね」
「スネイプは気に入らないみたい。ほら、おっかない顔してる」
「あの人がスネイプ? 全然似てないよ」
「母親似なんじゃない?」
「おいおい、スネイプの話は止めだ。あの子がグリフィンドールに入らなかった時点で我が寮が今年もネチネチ嫌がらせを受けることは確実なんだから」
「馬鹿言うなよ、ジョージ。スネイプの娘がグリフィンドールに入ったら、それこそスネイプの機嫌が地に落ちるどころか地球の裏側に行っちまう」
「まあとにかく、グリフィンドールに飛び火しないことを祈るのみだ」