愛し子

― 04:入学に向けて ―






 ハリエットに魔法の存在がバレてからというもの、スネイプは朝ポストに郵便物を取りに行くという習慣を止めた。というより、ふくろうにポストへ配達させるのを止めたのだ。

 マグルはふくろうが配達などしない。だからわざわざポストを経由して郵便物を受け取っていたのが、もうそれを取り繕う必要はなくなったためだ。ハリエットも、郵便物を届けに来たふくろうに水をやったり餌をやったりと甲斐甲斐しくお世話ができるので、一石二鳥……のようなものだろう。

 その日も、いつものようにふくろうが配達しに来た。日刊予言者新聞を届けるふくろうに加え、小包や手紙を届けに来たふくろう――今日はいつもより数が多いわ、とハリエットが餌を用意しに立ち上がると、スネイプがその前に手紙を差し出した。

「君に」
「私?」

 確かに、分厚い羊皮紙の封筒には「ハリエット・スネイプ様」と書かれていた。裏返してみると、真ん中に大きく「H」と書かれ、その周りをライオンや鷲、穴熊、ヘビが取り囲んでいる。

 戸惑いながら封を切り、中の手紙を読み進めると、ようやくスネイプが重い口を開いた。

「ホグワーツ入学許可証だ。十一歳になるとホグワーツに入学できる」
「ホグワーツって、先生が教師をしてる? 本当に私も入学できるんですか?」

 興奮を隠しきれない声でハリエットは尋ねた。ドラコからホグワーツのことは聞いていたが、入学できるがどうかは許可証が届くかどうかだと言われていたので、内心とても不安だったのだ。

「それが何よりの証拠だ。もっとも、君がマグルの学校に通いたいというのであれば……」
「そんなことないわ! 私、ホグワーツに行きたい!」

 ドラコに教えてもらって、箒も少しは乗れるようになってきた。スネイプから教わる魔法界のことについての勉強だって、もっともっと教えてもらいたいと思うことばかりだ。

 ハリエットのキラキラな瞳を真正面から受け止め、スネイプは居心地悪そうに視線を逸らした。

「今週末、学用品を買いにダイアゴン横丁へ行く」
「はい!」
「準備をしておくように」
「はい!」

 ダイアゴン横丁へ行くのに、一体どんな準備が必要なのかハリエットは分からなかったが、ひとまずは優等生な返事をして置いた。

 「今週末」は、ハリエットが指折り数える間もなくあっという間にやってきた。ただ、一つ不満だったのは、漏れ鍋について早々、しばらくここで待っておくようにと言われたことだ。何でも、もう一人マグル生まれの新入生を迎えに行かなくてはならないらしい。スネイプと二人きりだと思っていたハリエットはがっかりした。

 バタービールを持たされ、ハリエットは隅のテーブルで待っているよう指示された。

「一時間ほどで戻る。おかわりが欲しければ頼むといい」

 そう言ってスネイプはお金をいくらかテーブルに置き、パブを出て行こうとしたが――すぐにまた戻ってきた。

「誰かに声をかけられてもついていかないように」
「先生、私もう十一歳になるわ。そんな心配しないでください」

 一体どれだけ子供だと思っているのだろう。思わずむくれて言い返したが、スネイプは笑いも呆れもせずただただ真面目な顔を崩さない。そしてそのままの表情で行ってしまった。きっと、彼の中でハリエットはまだ五、六歳くらいの子供なのかもしれない。

 バタービールの泡が消えかけた頃、ようやくスネイプが戻ってきた。後ろに髪の毛がくるくるカールした男の子を連れている。

「お帰りなさい」
「何事もなかったな?」
「はい」
「では、まずマグルのお金を換金しに行く」

 初めて会った少年少女に紹介も無しに、スネイプはさっさと用事を済ませようと足早にパブを出て行く。ハリエットと男の子は慌ててその後についていったが、やがてどちらからともなく顔を見合わせ、笑った。

「僕、ジャスティン・フィンチ-フレッチリー。よろしく」
「私、ハリエット・スネイプ」

 スネイプの歩幅は広く、悠長に握手を交わす暇も無かった。二人は歩きながら話す。

「君のお父さん、おっかないね。最初にあの人が現れた時、父さんも母さんも腰を抜かしちゃってさ。魔法界のことを聞いた時はもっと驚いてた」
「私の本当のお父さんじゃないの。先生は私を育ててくれてて」
「そうなの? あんまり似てないなとは思ったけど……」

 ジャスティンはそれ以上は言わず、呑み込んだ。代わりに自分の身の上について語り始めた。

「僕、本当はイートン校に入学する予定だったんだ」
「イートン校? すごいのね」
「でも、魔法学校の方がもっと素晴らしいさ! ちょっと不安だったけど、空を飛べたり、物を浮かせたりできるんだ。これほどやってみたいことはないよ」
「私も。入学の日が待ち遠しいわ」
「君は? もういろんな魔法が使えるの?」
「いいえ。未成年は魔法は学校以外じゃ使っちゃいけないの。杖だってまだ持ってないし……」
「それなら良かった。僕だけ遅れてたらどうしようって思ってたんだ」

 入学前の不安と興奮を話しているだけで、あっという間に時間は過ぎた。ジャスティンの持っていたお金の換金を終え、三人はマダム・マルキンの洋装店へやって来た。ここで制服の採寸をするのだ。

 教科書を購入するスネイプと別れ、二人は店の中へ入った。

「いらっしゃい。二人ともホグワーツの新入生?」
「はい」
「誰から採寸する?」
「レディファーストだ」

 ジャスティンが気取った態度で言うので、ハリエットは勧められるがまま台の上に立った。ハリエットの隣にはふわふわした栗毛の女の子がいて、パチッと目が合った。

「こんにちは」
「あなたもホグワーツに入学するの?」
「ええ」
「あの……じゃあ、あなたは魔女なの?」

 女の子は緊張した様子で尋ねた。

「その……つまり、お父さんもお母さんも魔法使いなの?」
「そう聞いてるわ。あなたも?」
「いいえ、私は普通の――マグル生まれよ。だから、とっても不安だったの。遅れを取るんじゃないかって……」

 つい先ほども聞いたような不安に、ハリエットは安心させるように笑った。

「それなら大丈夫。ちょうどあの子――ジャスティンって言うんだけど――彼もマグル生まれなの。マグル生まれの子もたくさんいるって聞くから、そんなに不安に思うこともないと思うわ。私も、両親は魔法使いだけど、そこまで魔法界に詳しいわけじゃないの。今まで通ってた学校はマグルのプライマリースクールだし」
「そうなの? そういう子もいるの?」
「私みたいな子は珍しいみたいだけど……。でも、魔法界の子って言っても、入学前に魔法を使うことは禁止されてるから、皆スタートは一緒よ」
「マクゴナガル先生もそう仰ってたけど……」

 ジャスティンとは違い、不安はまだ拭えないようだ。ハリエットは勇気を出して彼女に向き直った。

「ねえ、友達になってくれない? 私、女の子の友達がいないの。だから……」
「もちろんよ!」

 女の子もパッと喜色を浮かべて向き直った。どちらからともなく右手を差し出す。

「私、ハリエット・スネイプ」
「私はハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね」

 えへへ、と笑い合うと、空気を読んでいたマダム・マルキンが「はい、じゃあまた前を向いてちょうだいね」と二人の肩をポンと叩いた。

 二人の採寸はほとんど同時に終わった。ハリエットはまだジャスティンを待たないといけないので、ハーマイオニーとはこれでさよならだ。名残惜しく互いのことについて話していたら、また一人洋装店の中に入ってきた。厳格な雰囲気の女性だ。ハーマイオニーの知り合いらしく、すぐにこちらにやって来た。

「こんにちは」

 彼女もホグワーツの教授だろうか。ハリエットは頭を下げた。すると、女性は目を細めてハリエットをじっくり眺める。

「あなたは――ミス・ハリエット・スネイプですね? 大きくなりましたね」
「え?」
「赤ん坊の頃に一度会ったことがあるんですよ」
「そうなんですか? じゃあ、先生――スネイプ先生とお友達で?」
「ああ――ええ、まあ、そんなようなものです」

 少し口ごもったが、結局彼女は頷いた。

「ミネルバ・マクゴナガルです。ホグワーツで変身術を教えています」
「ハリエット・スネイプです。よろしくお願いします」
「あなたとももっとお話ししたいところですが、まだミス・グレンジャーの準備をしなければ……。またホグワーツで会いましょう」
「はい。……ハーマイオニーも、バイバイ」
「またね、ハリエット」

 手を振ってハリエットは二人を見送った。早速女の子の友達ができて、ハリエットはとても嬉しかった。ますますホグワーツに行くのが楽しみだ。

 採寸が終わると、迎えに来たスネイプと共に、教科書や鍋や秤などを購入した。スネイプは、検知不可能拡大呪文がかけられたバッグを持っていたので、ハリエットもジャスティンも、それほど荷物に苦しめられることなく買い物を続けることができた。そうなってくると、余裕が出てくるというもので、もともと物怖じしなさそうなジャスティンは、一見近寄りがたい印象のスネイプにも、果敢に話しかけていた。

「僕、両親からペットを飼ってもいいって言われてるんです。ホグワーツはペット可なんでしょう? 特に猫やふくろう! 犬は駄目なんですか?」
「犬は許可されていない。入学用品リストに記載されていた通りだ」

 それだけでは些かぶっきらぼうだと思ったのか、スネイプはしばらくして付け加えた。

「マグル生まれにはふくろうをおすすめする。ご両親と文通するのであれば、魔法界とマグル界を繋ぐものが必要だ。ホグワーツで飼われているふくろうを借りることも可能だが、好きな時に手紙を送りたいものだろう」
「そうですね。じゃあ、ペットショップに寄ってみてもいいですか? ふくろうを見てみたいです」
「よかろう」

 スネイプが寄ったのは、ダイアゴン横丁で一番大きいふくろう百貨店だった。至る所に大小様々なふくろうがホーホー鳴いている。これだけ数がいれば、選ぶのも一苦労だ。

「……飼いたいのがあれば持ってきなさい」

 感嘆の思いと共にふくろうを見て回っていれば、いつの間にかスネイプがそばにいた。驚いてハリエットは彼を見やる。

「いいんですか?」
「ふくろうじゃなくても、他のペットでも――」
「ううん! ふくろうがいいです!」

 ハリエットは断言した。猫も好きだが、やっぱり幼い頃に買ってもらったふくろうのぬいぐるみがハリエットの原点だった。ドラコの飼っているワシミミズクがとても羨ましかったというのもある。

 スネイプの許可をもらい、ハリエットは店の奥へ奧へとピューッと走り出した。

 そうして見て回ること十分。

 ここはあまりにもふくろうの数が多すぎた。正直、目移りしてばかりだった。どの子も可愛い。可愛すぎる。ワシミミズクのようなキリッとしたふくろうもいいが、手乗りサイズのふくろうも可愛らしい。あちらこちら、上下左右に首を振って忙しないハリエットは、ふと同じように首を振るのに忙しいふくろうがいるのに気づいた。ハリエットが真っ直ぐ見つめると、そのふくろうも首を振るのを止める。ふくろうが首を傾げると、なぜかつられてハリエットも首を傾けてしまった。

 フサフサした灰色の小さなふくろう。今は部屋でお留守番をしているあのぬいぐるみとはてんで似つかないが、それでもハリエットはその子を彷彿としてしまった。

 ハリエットが笑うと、ふくろうは「ホッホッ」と鳴き声を上げる。可愛く思って、そーっと檻に指を近づけた。あわよくば、少しだけ身体を撫でさせてもらおうと思っていたのだが――。

「そいつ、凶暴だぜ」
 不意に声をかけられ、ハリエットは驚いて振り返った。見ると、浅黒い肌の少年が立っていた。

「噛まれたの?」
「噛まれたやつを見たんだ」
「ふーん……」

 ハリエットはどうにも腑に落ちずにふくろうに向き直った。彼が信用できないというわけではない。ただ、どうしても信じられなかったのだ。こんなに円な瞳をした子が噛むだろうか? 指を伸ばせば、嬉しそうにすり寄ってきてくれそうな、可愛らしい子が――。

「いっ――たたたっ!」
「だから言ったのに」

 ハリエットは慌てて指を引っ込めた。小さいふくろうなのに、確かにとんでもなく凶暴だ。吸い寄せられるようにちょっと指を入れただけなのに、この子はとんでもない勢いで突き始めたのだ。当初の予定通り指を無防備に突っ込んでいれば、確実に明日はペンが持てなくなっていただろう。

「ブレーズ?」

 チクチクする指を撫でていると、母親らしき女性に呼ばれて少年は離れて行った。微かに会話が漏れ聞こえる。
「ふくろうなんて買って、誰と文通するって? 俺がペットなんて柄だと思う?」
「可愛くない子ね。せっかく買ってあげようってのに。いらないならもう行くわ。時間がないの」

 二人が出ていくのと入れ替わりに、スネイプが近寄ってきた。

「どれにするか決めたのか?」
「う、うーん……」

 ハリエットはちらり、と先ほどのふくろうを見る。灰色のふくろうは、ハリエットの指を突いたことなどお構いなしにきょときょと首を動かしている。ハリエットは檻を持ち上げた。

「この子がいいです!」
「よかろう」

 レジへ行くと、ちょうどジャスティンもふくろうが決まったところだった。一緒に支払いをする。店を出て早々、ジャスティンはハリエットのふくろうを見て尻込みした。

「ハリエットは……そのふくろうにするの?」
「この子のこと知ってるの?」
「さっき指を噛まれたんだ。ちょっと危なくないかなあ」
「私も突かれたけど……でも、可愛いから」

 ちゃんと学んだハリエットは、もう指を入れようとはしなかったが、ふくろうと目線を合わせるように檻を持ち上げると、ふくろうが「ホーッ」と鳴いたので、嬉しくなった。

 ジャスティンを駅まで送ると、ハリエットたちは煙突飛行で家に帰ってきた。クタクタになってソファに倒れ込む間もなく、スネイプから大量の教科書を渡されながら「予習はきちんとするように」と釘を刺されてしまった。だが、そんなことではハリエットの気持ちは沈まない。なんといっても、もうすぐホグワーツに通えるのだから――ハリエットは、胸膨らませながらその日眠りについた。




*おまけ*



 ふくろうの檻を前に、うんうん唸っていたハリエットは、やがて決心すると、恐る恐る階下へ降りた。リビングのテーブルでは、スネイプが本を読んでいる。

「先生」
「なんだ?」
「この子に名前をつけたんです。だから聞いてほしくて」

 せっかく買ってもらったのだから、スネイプにもこの子のことを可愛がってもらおうと、ハリエットは意気込んで宣言した。

「グレイってどうですか?」
グレイ宇宙人……ではないな?」
グレー灰色です……」

 とんでもない意味に取られ、ハリエットはしゅんとした。スネイプは一瞬呆れをその顔に浮かべたが、すぐに消した。

「そもそも、性別は知っているのか?」
「わ、分からないです」
「店員は雌だと言っていた」

 つまり、ちょっとグレイは似合わないと言いたいようだ。噛む力が強いので、勝手に雄だと思っていたのだが……。

 「せっかく考えたのに……」と弱々しくこぼしてしまったせいか、スネイプも罪悪感を抱いたらしい。本は一旦閉じ、ハリエットの名付けに付き合ってくれた。

 その後、スネイプにさり気ない駄目出しを食らいつつ、とうとうふくろうの名前はウィルビーに決まった。特に意味は込められていない。ハリエットが意味を考えて名前を付けると、大抵変な方向に進んでしまうので、スネイプから不評だったのだ。

 とはいえ、可愛い響きなのでハリエットは大満足だ。何度もウィルビー、ウィルビーと呼びかけて、名前を覚え込ませようとする。

 そんな彼女を横目に、スネイプはまた読書に戻った。ちょっと緩んでしまった口元を引き締めながら。