■小話

01:悪戯なバッジ



*炎のゴブレット『バッジを巡って』後*


 四人目の代表選手として自分の名が呼ばれてからというもの、ハリーは針のむしろ状態だった。グリフィンドールからはかろうじて応援されているものの、ハリーが炎のゴブレットに自分の名を入れていない、ということはどうしても信じてもらえなかった。
 もちろん、他寮の生徒からの当たりは強かった。スリザリンはいつものことなのでまだ良いとして、普段は穏やかなハッフルパフ生からも冷たく当たられるのは、ハリーを精神的にも追い詰めた。

 廊下を歩くたび、顔も知らない生徒にひどい言葉を浴びせられたり、リータ・スキーターによるあの馬鹿な記事に触れられたり。

 中でも、最近流行っているのが、スリザリン生手製の『汚いぞ、ポッター』バッジである。表面上は、赤い蛍光色で『セドリック・ディゴリーを応援しよう――ホグワーツの新のチャンピオンを!』と書かれているのだが、バッジを押すと、その文字が消え、代わりに『汚いぞ、ポッター』という文字が浮かび上がるのだ。

 ハリーと廊下ですれ違うたび、合同教室で一緒になるたび、スリザリン生や他寮生がバッジを光らせるので、ハリーのストレスは限界だった。

 たちの悪いことに、このバッジは、表面上はただホグワーツ代表選手のセドリックを応援するものなので、文字を変えるタイミングさえ間違えなければ、先生から注意を受けることがない。そもそも、当の本人であるハリーが、ハリエットやハーマイオニーに説得されても、『負けた気がするから嫌だ』と言って告げ口するのを嫌がるのだ。

 ハリーがそうした負けず嫌いを発揮しても、他寮生から攻撃の手が止むことはない。朝食に向かおうと大広間へ向かっていたところ、玄関ホールでハリーの天敵ドラコ・マルフォイと遭遇した。全く朝から嫌なものを見たとハリーは顔を顰める。

「おや、四人目の代表選手殿じゃないか」

 ドラコは得意満面でバッジを光らせた。『汚いぞ、ポッター』の文字が目に眩しい。後ろのクラッブ、ゴイルも一瞬遅れて光らせるので、余計に目がチカチカする。

「第一の課題はどうやってダンブルドアを出し抜くか相談中か?」

 周りの目を憚るように話していたハリエット、ハーマイオニー達三人との会話を指しての発言だ。ハリーはいきり立った。

「僕はそんなことしない!」
「どうだかね。もしかしたらダンブルドアさえ味方につけたのか? だったら、君が代表選手になれたのも頷ける」
「ハリー、気にしちゃ駄目よ。行きましょう」
「逃げるのか? 代表選手がそんなに臆病で大丈夫か?」

 ハリエットが腕を引いても、ハリーは頑としてその場から動かなかった。一触即発の雰囲気に、いつ杖を取り出してしまうかととハーマイオニーは気が気でなかった。だが、そんな険悪な雰囲気を、カラッとした二つの声が吹き飛ばした。

「よう、ハリー」
「もうすぐ第一の課題だな」

 ウィーズリー家の双子、フレッドとジョージは、ハリーとドラコの間に割って入った。

「なんだ、またマルフォイに絡まれてるのか?」
「あいつも暇だよな」

 肩をすくめる双子に対し、ドラコは鼻で笑った。

「お仲間が現れて良かったな。汚いポッター、汚いグリフィンドール」
「マルフォイ!」

 ハリーは拳を握った。自分が馬鹿にされるだけならまだしも、同じグリフィンドール生にまでやっかみが向かうのはどうしても許せなかった。しかしそんな彼の肩を、赤毛の双子は両側からポンと叩いた。

「ハリー、落ち着けって」
「まあ見てろ」

 パチンとウインクをして、フレッドとジョージは意気揚々とドラコ達の元へ進み出た。

「マルフォイもそうカッカすんなって」
「そうそう。糖分が足りないんじゃないか? ほら、これでも食えよ」

 そう言って、フレッドは懐から『ベロベロ飴』を取り出した。ハリーも見覚えのある飴だった。夏休み、ダドリーが誤って食べて、舌が一メートルも伸びた悪戯グッズだ。
 ドラコの後ろからクラッブとゴイルが、普段は演技かと思えるくらいの素早さで手を伸ばした。一瞬遅れて、ドラコは慌ててその手をはたき落とす。

「止めろ! こんな奴らのものを食うな! 何が起こるか分かったものじゃない!」
「おいおい、それは聞き捨てならないなあ?」
「我らが親愛なるマルフォイへのプレゼントじゃないか」
「何が起こるかはお楽しみ!」

 ほれほれと二人の巨体の前で飴をチラチラさせると、クラッブとゴイルは物欲しそうにそれをじっと見つめた。だが、ドラコの手前、それに手を伸ばすことはできない。
 そうしてフレッドがドラコ達三人の気を引きながら、その後ろではジョージが杖を振るった。その呪文で何が起こったかは、ハリー達の場所からでは見えなかった。

「いい加減にしろ!」

 ドラコは顔を真っ赤にしてフレッドを押しのけた。人が集まってきたので、チラチラと周りを気にした後、尊大な様子でハリーを見た。

「とにかく、せいぜい頑張ることだな、ポッター。一つ目の課題で犬死にしないことを祈るよ」

 口元を歪め、ドラコはバッジを光らせた。『セドリック・ディゴリーを応援しよう』バッジがみるみる……『可愛いぞ、ハリエット』バッジに変化した。
 それには気づかず、ドラコは颯爽と大広間に入っていった。ハリー達は唖然とし、フレッドとジョージはうまくいったぜとハイタッチした。

「じょ、ジョージ!」

 先に我に返ったのはハリエットだ。

「なんであんなことを……」
「そんなの決まってる」

 ジョージがニヤニヤした。

「『格好いいぞ、ハリー』なんてバッジをつけてても、嫌味にしか見えないいだろ?」
「あのお坊ちゃんにはこっちの方がダメージ大だ」
「だからって……」

 ハリエットはおどおどした。
 確かに『汚いぞ、ポッター』よりはよっぽど良い。だが、かといって新しいバッジは、どう考えてもハリエットの方がダメージを受ける気がするのは気のせいだろうか。

「あいつ、いつ気づくと思う?」

 フレッドが片割れの肩に腕を乗せた。

「あいつら、ハリーに向けてしかバッジを光らせないからな。他寮生が指摘するまで気づかないとみた」
「かといって、スリザリンにそんなお節介をやく奴がいると思うか?」
「いつも威張ってるスリザリンに」
「指摘したら逆に八つ当たりされそうなスリザリンに」
「そんなの、いるわけなーい!」

 声を合わせて、双子は陽気に走って行った。後に残されたハリーは、愉快そうに微笑んだ。

「これでしばらくはストレス解消になりそうだ」
「…………」

 ハリエットは恨めしげな視線を兄に向けた。ハーマイオニーは同情を込めて彼女の背中をポンと叩いた。

 それからというもの、ドラコはもちろん、ハリー達三人とすれ違うたびにバッジを光らせた。ジョージの魔法はもちろんそのたびにうまく作動して『可愛いぞ、ハリエット』に変わった。ドラコにとって気の毒なことに、そのことを指摘してもらえることはなかった。同じスリザリン生は、いつもハリーに向かって、ハリーの反応を楽しむようにバッジを光らせるので、ドラコの文字がいつもとおかしいことに全く気づかなかったのだ。他寮生は、偶然にも気づくことはあったが、何せスリザリン生の、しかも相手はドラコ・マルフォイなので、指摘したら指摘したで厄介に巻き込まれることを恐れ――ほとんどは面白半分だが――見て見ぬ振りをした。

 グリフィンドール生はこの事態に内心爆笑だった。だが、長引けば長引くほど、ドラコが気づいたときの反応が面白くなるだろうことは想像に容易いので、表面上は無反応を装った。
 ドラコが絡んでくるのは、廊下や教室だけには留まらない。時には大広間のグリフィンドールのテーブルまでやってきた。

「もうすぐ第一の課題だけど、準備はできてるかい?」
「ああ、おかげさまで」
「それは良かった。おい、汚いポッター殿は皆の前で大恥を晒す準備ができたそうだ」

 クラッブとゴイルに話しかけながら、ドラコはバッジを光らせた。例によって『可愛いぞ、ハリエット』に変わるバッジ。

「マルフォイ」

 そろそろ潮時だとハリーは声をかけた。天敵ドラコに一泡吹かせられる喜びに、彼の口元は喜びでヒクヒクしていた。

「ずっと言おうと思ってたんだけど……妹にそんなに何度も愛の告白をしないでくれる?」
「…………」

 ドラコは意味が分からないといった顔で固まった。ハリーは笑いをかみ殺した顔でバッジを指さす。つられて己の胸元を見たドラコは――真っ赤になってバッジをむしり取った。

「いつからだ!」
「ここ最近ずっとだよ」
「数えてたけど、あなた、十六回は告白してたわよ」
「うるさい!」

 ドラコはハーマイオニーに叫び、バッジに杖を向けた。

「くそっ! どうやったら元に――」

 そして必死になって杖を振るったが、どんなに頑張っても、せいぜい『ほんとに可愛いぞ、ハリエット』にしかならなかった。ハリーはお腹を抱えて笑ったし、ハーマイオニーは気の毒そうな表情を浮かべ、でもやっぱり堪えきれずに笑い、少し離れた場所で、ロンもプッと噴き出し、ハリエットはというと、自分を出しにされたようで、少しムスッとしていた。