■過去の旅

30:交渉


 友達が落ち込んでいるときに、ただ黙って見ているなんてことできるだろうか。

 いつまでも続くこの胸が締め付けられるような状況に、ロンとハーマイオニーはたびたびこっそり話し合った。じっとしていることはできなかった。今まで四人の身に降りかかってきた出来事のように、命の危機が迫っているわけでも、ホグワーツが混乱に陥っているわけでもない。しかし、今回の件に関して言えば、今まで以上に自分達が何とかしなければという焦燥に駆られていた。時間は有限だ。いつまでこの時代にいられるかも分からない。もしこのまま喧嘩別れしたまま元の時代に返ることになれば、ハリー達は一生心に消えない傷を負うことになる。永遠に仲直りなんてできない。ハリーとハリエットは、『父親に絶縁された』ことに永久に苦悩しながら生きていかなければならないのだ。絶対に、二度と癒えない傷として。

 医務室の入り口が見える廊下の隅で、ハーマイオニーは囁くようにしてロンに言った。

「ハリー達は、もしかしたらこの時代に来ない方が良かったのかもしれないわ」
「どうして? そりゃ、今回こんなことになっちゃったけど、ジェームズやリリーと話せて二人は嬉しそうだったじゃないか」
「でも、ここにはペティグリューがいるのよ。どうしたって嫌な思いをすることになるわ。それに」

 ハーマイオニーが言葉を濁した続きが、不思議とロンには理解できた。

「過去にさえ来なけりゃ、ジェームズ達のあんな場面を知ることもなかった?」
「……正直、複雑なのよ」

 ハーマイオニーは観念したように漏らした。

「二人の父親のことを悪く言いたくはないけど、時々やりすぎだと思うことはあるもの。特にスネイプに関しては。若気の至りでは片付けられないわ。さすがに度が過ぎてる。ジェームズやシリウスのスリザリン嫌いはちょっと異常よ」

 ハーマイオニーは落ち着きなく両手を組み合わせた。

「ただ、そういう考えになるのも無理ないことは理解してるの。スリザリンを嫌ってるのはジェームズ達だけじゃないし。大々的に例のあの人を支持してる人達はスリザリン出身者ばかりで、そうなれば、スリザリンは純血主義、あの人の味方、いずれ死喰い人になるだろう――そう思ってしまうのも仕方ないわ」
「でも、実際スリザリンはほとんどが死喰い人じゃないか」
「ほとんど、ね。大事なのはそこよ。家が純血主義でも、シリウスがそれに反抗しているように、スリザリンに組分けされても純血主義じゃない人はきっとたくさんいるわ。それに、それを言うなら、死喰い人は何もスリザリン出身者だけじゃないわ。グリフィンドールやレイブンクローからも輩出されてる。今の時代の人たちにはまだ浸透してない情報かもしれないけど」

 ハーマイオニーは窓に寄りかかってどこか遠くの方を見た。

「知らない情報をあげ連ねて批判することはできないわ。でも、スリザリンは全員が死喰い人になる訳じゃないし、他の寮からも死喰い人は出るかもしれない――そういう可能性には目を瞑って、目に見える敵、分かりやすい敵として、スリザリンを嫌うのはおかしいって私は言いたいの。ダンブルドアの傘下であるホグワーツでさえこうなのよ。魔法界全体のことを思うと――」
「スリザリン嫌いが加速してるってことか」

 頭の後ろで腕を組み、ロンは仰け反った。

「スネイプが純血主義かは分からないけど、スリザリンだし、闇の魔術が好きだしで、ジェームズが嫌う要素は揃ってる。リリーとだって仲良いし……」
「ジェームズもやり方が間違ってるのよ。好きな女の子の友達をいじめてる限り、その子が振り向いてくれるはずないのに――」

 ガラガラと唐突に医務室の扉が開いた。話に熱中するあまり、ここがどこかをすっかり忘れてつい声が大きくなってしまっていた。

 もしかして聞かれてしまったかとハーマイオニーは焦ったが、それ以上に引きつった顔をしているのは、今まさに医務室から出てきたリーマスの方だ。

 彼は、ハリー達とジェームズが喧嘩して以降、しばらく姿を見せなかった。もうすぐ満月なので、体調を崩していたのかもしれない。数日ぶりに見た彼は、明らかに憔悴しきった顔だった。気まずい沈黙が流れる。

「……君達も医務室に?」

 引きつった顔のままリーマスが問う。ハーマイオニーはしどろもどろになりながら頷いた。この機を逃すと、リーマスと話すタイミングを失ってしまうと医務室を張っていたが、彼にとっては最悪のタイミングだったかもしれない。

「あの……大変なときにごめんなさい。でも、どうしても話がしたくて。……少し時間いいかしら?」
「……いいよ。すぐそこの空き教室に入ろう」

 誰かに聞かれて嬉しい話ではない。ロンとハーマイオニーも異論なくリーマスの後に続いた。

「それで、話って言うのはジェームズ達とのこと?」

 話しやすいようにリーマスが先に切り出してくれた。ハーマイオニーは躊躇いがちに頷く。

「二人との仲を取り持つことってできるかしら? その、話し合いのための」
「仲直りのために?」
「うん」

 ロンが即答した。

「ハリー達と仲直りしてくれないかな? 今のこの状況がすごく辛そうで見てられなくて」
「……ピーターも辛かったと思うよ。訳もなく自分だけ嫌われて」
「謝るよ」

 ハーマイオニーが驚いたようにロンを見た。ロンはそのことにも気づかないまま拙く言葉を紡ぐ。

「ピーターに謝るよ。誠心誠意。……だから……その、仲直りしてくれると嬉しいというか……」
「どうして自分が嫌われていたのか、その理由も教えてくれないのに、ピーターは納得できるかな?」

 ロンは言葉に詰まる。口調がきつかったかもしれないと、リーマスは慌てて続けた。

「もし――君達の事情で、理由が話せないって言うなら、むしろピーターには謝らない方がいいと思う。余計に拗れるだけだよ」
「でも……そうしないと」
「今度はジェームズの方が納得しないだろうね。彼は――とても友達思いなんだ」

 リーマスは、苦しそうな顔をしながら呟いた。

「ジェームズだけじゃない。シリウスも、ピーターも。……僕は、とても素晴らしい友達に恵まれたと思う」
「でも、素晴らしい友達だったとしても、間違ってるときは間違ってると言わないといけないと思うわ」

 リーマスはハッと息をのんだ。

「二人から聞いたわ。スネイプのこと。私は、リーマスがいじめを黙って見過ごせるような人じゃないと思ってるわ」

 リーマスなら、差別されることの苦しみを知っているはずで、他者へ向ける優しさだって持っているはずなのに。

「友達が大切なのは分かるわ。私達だって、ハリー達のことが心配でこうしてあなたと話をしてるんだもの。……どうか、ジェームズ達と話をする機会を作ってくれない?」

 いつも四人で行動している彼らを、ピーターだけ抜きで話すために呼び止めることは難しい。だからこそのお願いだった。ピーターに少しでも不審に思われたら、その時点で更にジェームズ達との仲が拗れることは必至なのだから。

 リーマスは、逡巡しているようだったが、やがて頷いた。

「分かった。じゃあ、ここに連れてくるのでいいかな。もしできたらだけど……」
「そうしてもらえると有り難いわ」

 ロンとハーマイオニーは、祈りを込めてリーマスを見送った。三人を待つ時間が、途方もなく長く感じられた。


*****


 落ち着きなく教室の中を行ったり来たりしていると、ようやく待ち人がやってきた。

 ジェームズとシリウス――しかし、そこにリーマスの姿はない。器用に仲を取り持ってくれそうな人材の不在に、ロンはよほど不安そうな顔をしたのだろう。尋ねる前にジェームズが応えた。

「リーマスはピーターに勉強を教えてる。そういう建前でピーターを引き止めてるんだ。僕達だけでいい?」
「あ……もちろん」

 ぎこちなくロンは頷いた。

「呼びたててごめんなさい。来てくれてありがとう」

 ジェームズとシリウスは、入り口近くで佇んだままで、奥まで入ってこようとしない。

 それでも構わないと、ハーマイオニーは一歩前に出た。

「あの――あなた達もここに呼ばれた理由は分かってると思うけど――」

 ハーマイオニーにしては珍しく、しどろもどろな調子で口火を切った。

「私達も悪気があったわけじゃないの。でも、ピ、ピーターに対して辛辣だった自覚はあるの。ごめんなさい」

 ハーマイオニーが頭を下げるのに合わせて、ロンももたつきながら頭を下げた。

「本当は、直接謝った方が良いと思う。でも――謝ったからと言って、ピーターがスッキリするかも分からないわ。私達の自己満足になっちゃいけないから。だから、あなた達に任せる」

 言いながら、ハーマイオニーは焦っていた。ジェームズ達の反応が全くないからだ。もとより、今までろくに友達もいなかったために、喧嘩や仲直りの経験は少なかったのだ。間違ったことを言ってないか、ハーマイオニーはとにかく不安だった。

「すぐに許されるとは思ってないわ。でも、私達――今まで通り、あなた達と仲良くしたいの」
「でも、君達はピーターのことが嫌いなんだろう?」

 ずっと黙っていたジェームズが鋭く切り込んだ。

「心の中では嫌ってるけど、表面上はそれらしく仲良くするからこれでいいだろってこと? そんな風に言われて、はい仲直りだなんてできると思う? ピーターを馬鹿にしてるの?」
「そんなつもりはないわ!」

 焦ってつい尖ってしまう声を、ハーマイオニーは必死に抑えた。

「本当は、心からピーターのことを友達と思っているように見せかけることは可能だわ。でも、あなた達はそれじゃ納得しないでしょう? ……正直に言うわ。私達は、これからもずっとピーターのことは好きになれないと思う。でも、今まで通りあなた達と仲良くしたかったから、態度を改めようと思ったの」

 ジェームズが深くため息をついた。ハーマイオニーはビクリと肩を揺らすが、堪えてなお怯まなかった。

「この提案があなた達にとって気にくわないのは分かってる。でも、これ以上の良い方法が思い浮かばないの。どうすれば私達と仲直りしてくれるの?」
「どうしても仲直りが必要かな?」

 ジェームズが静かに言った。

「君達は、僕らとスネイプの関係が気にくわない。僕らは君達のピーターに対する態度が納得できない。それなら、もう関わり合いを持たない方が良いじゃないか。気が楽だよ」
「そんなこと言わないで!」

 思わずロンが割って入った。

「せめてハリー達だけでも仲直りしてくれないかな? 二人、君達のことが大好きなんだ。一緒にいて僕も辛いんだよ。君達と話せなくなって、本当に落ち込んでるんだ。ハリーはずっと部屋にこもってるし、ハリエットは編み物だって止めちゃって……君に、あの、憧れてるからプレゼントしたいって、頑張って作ってたのに……」

 途中から何を言ってるのか分からなくなってきて、ロンの声は知りすぼみに消えていく。ハーマイオニーがその後を引き継いだ。

「私達はいいの、今のままでも。申し訳ないことをしたって思ってるし、あなた達がそれを許せないのも当然よ。でも、ハリー達だけは許してあげてほしい。今まで通り仲良くしてあげて欲しいの」

 重苦しい沈黙が流れた。ハーマイオニーはいつしか顔を上げていられなくなって、自分のつま先を見つめていた。どこか遠くの方から鐘の音が聞こえてきたとき、ようやくジェームズが口を開いた。

「……少し考えるよ」

 たったそれだけ言った。ロンとハーマイオニーは顔を見合わせ、やがてどちらからともなく視線を外すと、教室の入り口へと向かった。意図せず扉を塞ぐ形で立っていたシリウスは横にずれた。

 ロンとハーマイオニーが完全に出て行ったのを見届けると、ジェームズは深々と息を吐き出した。

「……ずっと静かだったね。シリウスはどう思った?」
「仲直り……っていうか、別に俺は普通に話しかけても良いと思う」

 ジェームズは一瞬固まり、そして苦笑いを浮かべた。

「ずいぶんあっさり言うね」
「俺だって気分は良くないさ。でも、人には合う合わないがあるだろう? 俺もスリザリンの奴らは大嫌いだ。だから無理に仲良くしろなんて言えない」
「スリザリンは無視すればいいだけの話じゃないか! ピーターの場合は違う。自分だけ仲間はずれの気分を味わわないといけないんだ」
「態度を改めるって言ってたじゃないか。もし今後も同じような状況が続くのであれば、その時考えればいい」

 ジェームズは苦い顔で黙り込んだ。目を閉じ、しばし熟考する。

「……ハリー達は、ピーターのどこが嫌いなんだろう」

 ふとジェームズがポツリと言った。シリウスも思案顔で上を向く。

「まるで憎んでるみたいだ」
「考えてみれば、初めて会ったときからぎこちなかった」
「ハリー達はマグル生まれだ。今の今まで、ピーターとは接点がなかったはずなのに」

 どれだけ考えてみても、納得のいく答えは思い浮かばなかった。クシャクシャと頭をかき回し、ジェームズは教室を出ていった。