■過去の旅

56:激励パーティー


 あまりにもいろんなことをしすぎてクタクタになったハリー達。しばらく談話室で休憩した後、夕食を食べに大広間へ行こうとした所、「待った!」と元気よくジェームズが声をかけた。

「まさか大広間に行こうとしてる? 今日はここでパーティーをやるつもりなのに」
「パーティー?」
「うん。君達の旅立ちの激励というかさ」

 別れではなく旅立ち。

 そう称してくれた彼の思いやりに胸が温かくなった。

 ハリー達四人の激励会には、グリフィンドール生が入れ替わり立ち替わり参加してくれた。皆この半年ですっかりほとんどが顔見知りになっていたのだ。

 軽食を摘まみながら、ワイワイ騒いでボードゲームに興じる。先日のように酩酊薬があるわけではなかったが、年頃の少年少女が集まりゲームに臨めば盛り上がらないわけがない。最近は忙しそうに勉強していたリリーも今日ばかりはゲームに参加してくれてハリエットは嬉しくなった。

 男の子達は、次第にチェスに熱を入れ始めたので、ハリエットは少し休憩するつもりで離れた場所に腰を下ろした。そう間を置かずにリリーがバタービール片手にやって来る。

「楽しんでる?」
「ええ」
「なら良かった」

 ポスンとリリーは隣に腰掛けた。これがリリーと話す最後の時間になるかもしれないと思うとハリエットは緊張した。何を話そうか、と考えあぐねていると、リリーがあっと声を漏らした。

「そうだわ、あなたに渡すものがあったの」

 そう言って彼女は階段を上っていって、そしてすぐに戻ってきた。

「ハーマイオニーには昨日別のものを渡したの。大したものじゃないけど、これ、プレゼント」
「良いの……?」

 驚きと嬉しさで頬を紅潮させながら、ハリエットは正方形の包みを開けた。中には花の刺繍が施されたポーチがあった。皮でできていて、とても触り心地が良い。魔法界にはないデザインなので、もしかしたらマグル界で買ったものかもしれない。

「とっても可愛い。ありがとう、リリー!」
「でも――あの、気を悪くしないで欲しいんだけど、それ、もともとは別の人に渡そうとしていたものなの」

 リリーは落ち着きなく両手を組み合わせた。

「私の姉よ。でも、私がホグワーツに入ってからはずっと仲が悪くて、プレゼントも受け取ってもらえないの。最近では、突き返されるのが怖くなっちゃって渡せずにいて。それも今年の誕生日に渡そうと思っていたものなの。チュニーは――姉は魔法が嫌いだから、マグル界で買ったものなんだけど」

 早口で言ってのけ、リリーはため息交じりに頭を下げた。

「ごめんね、本当はちゃんとハリエットにって考えたものを買いたかったわ。でも、あまりに突然で、ふくろう便でも何も用意することができなかったから……本当にごめんなさい」
「そんなことないわ! とっても嬉しい! でも、本当に良かったの?」

 ハリエットの伯母でもあるペチュニア宛てのプレゼントだったのだろう。そう思うと、ハリエットとしては複雑な気分だ。

「ええ、ハリエットが使ってくれたら嬉しい」

 リリーの心からの笑みに、ハリエットは有り難くいただくことにした。どういう因果か、伯母宛のものが自分の所へ来ることになったが――リリーからのプレゼントということに変わりはない。

 ハリエットが嬉しそうに箱の中にポーチを戻していると、リリーは眩しげに目を細めた。

「私ね、あなたのことちょっと妹みたいって思ってたの。もちろん、顔が似てるってだけじゃなくて」
「本当?」
「ええ。ハーマイオニーは一人っ子でしょう? でもハリエットはハリーの妹でもあるし……。うまく言葉にはできないけど、すごく妹みたいに思えたの――お姉さんって、こんな気分になるのね」

 リリーは黙って微笑み、そのまま顔を正面に戻して、どこか遠くの方を見つめる。

 もしかしたら、ペチュニアに思いを馳せているのかもしれない――そう思って、ハリエットは声をかけなかった。


*****


 激励会も終盤にさしかかると、これでもかと用意した食べ物やら飲み物が切れかかってくる頃だ。丁度ロンとリーマスの白熱したチェス試合を観戦していたジェームズは、空のジョッキを片手に途方に暮れた声を上げた。

「誰かおかわり持ってないの? 厨房から持ってきてくれる優しい人は?」
「私が持ってくるわ」

 はい、とジョッキを受け取ろうとしたハリエットに対し、ジェームズは目を剥いてジョッキを抱き締めた。

「何てことだ! 主役に使い走りさせる奴なんてここにはいないよ! シリウス、僕のために――」
「自分で行ってこい」

 無碍なく言い捨てられ、ジェームズはしずしず立ち上がった。周りの人数を数えて、おかわりの数を目算する。

「ジェームズ、ねえ」

 ハリエットは並々と入ったジョッキをジェームズに押しつけようとした。だが、ジェームズは頑として受け取らない。

「ハリエット、うん、気持ちは嬉しいけど――」
「違うの。ほら、リリーのジョッキも空っぽよ。これ、渡してきてあげて。まだ飲んでないから大丈夫」
「いいの?」
「もちろん! あっ、糖蜜パイも好きみたいだから、一緒に持って行ったら喜ぶかも!」
「ありがとう!」

 浮かれた足取りでリリーの元へ向かうジェームズを、これまたホクホク顔で見送るハリエット。そのまま身軽に談話室を出た。

 大いに盛り上がる談話室と廊下の気温差は意外に大きかった。ハリエットは一瞬ぶるりと身体を震わせ、シンとした校内を歩く。

 昼間はあれだけはしゃぎながらホグワーツ内を練り歩いた分、夜一人になってみると余計寂しさが込み上げてくる。もちろん、明日になればここを離れるというのも大きいだろうが――。

「ハリエット」

 パッと振り返ると、丁度シリウスがハリエットの隣に並んだ所だった。

「一人じゃ無理だろう」
「ありがとう」
「こんな時まであいつの恋愛の手伝いなんてしなくていいのに」
「そう? でも私、二人はとってもお似合いだと思うから……。シリウスはどう思う?」

 父の親友の意見をぜひとも聞いてみたい。その一心でハリエットはうずうずしながら尋ねた。

「え? うーん、お似合いとは思わないかなあ。エバンズは真面目だし、ジェームズとは気が合わないと思う」
「そう……?」

 言い切られてハリエットは少し落ち込む。だが、ハリエットはそうとは思わなかった。

 確かにリリーは真面目だが、頑ななわけではない。寛容さもあり、悪戯を楽しいと思う心もある。ただ、ジェームズのこれまでの態度からつい否定から入ってしまうのが当たり前になってしまっただけで……。

「それより――」

 シリウスが何か言いかけた。ハリエットは待ったが、彼はその続きを口にしようとしなかった。

「なに?」
「いや……何でもない。それより、ホグワーツを出たらどうするつもりだ? ずっと理不尽な親戚の家に居続けないといけないのか?」
「――ええ」

 一瞬遅れてハリエットは返事をした。

「私達の保護者は今その人達だけだから」
「悔しいよな」

 ふとポツリとシリウスが言った。

「勝手に決められた人生を生きるなんてごめんだよな」
「…………」

 シリウスが何を思っているかが分かったからこそ、ハリエットは返事ができなかった。俯き、しばらく間を置いて答える。

「でも、私は幸せだったわ。ここに来られて良かった」
「成人したら家を出るのか?」
「そのつもり。一緒に暮らしたい人がいるの」
「その人と今一緒に住むことはできないのか?」
「ちょっと事情があって……。でも、いつかは絶対に暮らしたいの」

 その「住みたい人」というのは未来のシリウスのことであって――。

 過去のシリウスを前にこんなことを話しているのがおかしくて仕方がなかった。ハリエットはクスクス笑う。シリウスは不思議そうにしていたが、やがて口角を上げた。

「いつかバイクを買うからさ。アメリカだっけ? そこまで迎えに行って、バイクの後ろに乗せてやる」
「……楽しみ」

 まだシリウスとはヒッポグリフの背中に一緒に乗った思い出くらいしかない。バイクの背中も、きっと驚くくらい楽しい走行になるのだろう――そう夢見て、ハリエットは微笑んだ。


*****


 夜も更け、一人、また一人と寝室へ戻っていく人の姿が多くなった。軽食やバタービールのおかわりも底をついているが、厨房から持って来ようと言い出す人はいない。皆欠伸を堪えつつおそらく最後の一戦になるだろうチェスゲームを見守っている。

「ハリエットはチェス嫌いなの?」

 不意にソファの隣が沈んだ。声だけで彼がピーターだと分かった。

「別にそういう訳じゃないけど……」
「あんまりしてる所見たことなかったからさ」
「でも、ちょっと苦手ではあるかも。駒が壊されるのがリアルだから」

 一年生の時、賢者の石の試練でロンがチェスの駒に殴られたのはなかなかショックな出来事だった。ゲームを観戦する際、誰かの駒が取られる度思い切り粉砕される様があの時の出来事を彷彿とさせてハリエットは少し苦手だった。

「ただ、見るのは好きよ。難しい戦略はよく分からないけど、ドキドキするから」
「そっか。……今日は楽しかった?」
「ええ、とっても! 今日一日だけでマクゴナガル先生に百点は減点されたと思うけど」
「優等生のハリエットからしてみればそうだよね」

 笑いながら返された言葉に、ハリエットは唇を尖らせる。

「私、そんなに優等生じゃないわ」
「どこが?」
「よ、夜中に校内を歩いたり……?」
「そんなことしてたの!?」

 思っていたより反応が大きかったのでハリエットはびっくりした。言ってはいけないことだっただろうか――でも、このくらいで未来人とは結び付けられないだろう――。

「驚いた……てっきりハリエットはそういうことしないと思ってた」
「するわ、するする!」

 私だってジェームズの娘なのだ。それくらいすると言えずして、娘を名乗ることなんてできない。

 なぜか自慢げに見えるハリエットに、ピーターは小さく笑った。

「手紙、書くね。僕、マグルのこと勉強する。マグル界では、ふくろう便は使わないんでしょ? 何だっけ……ポスト? ポストで手紙をやり取りするんでしょ? お金を貼り付けて。僕、それで君に手紙を書くよ」
「……ありがとう。楽しみに待ってる」
「チェックメイト!」

 その時、ロンの明朗とした声が響き渡った。ついで、ジェームズの絶望的な声も。

「っだあああ! どうして君には一回も勝てないんだ!
何が駄目なんだ……じわじわ包囲されてることは分かるのに、いっつもその打開策が思い浮かばない……」
「チェスだけは誰にも負けない自信はあるから」

 得意げに言うロンを恨みがましく見つめた後、ジェームスはちらりとリリーを見た。彼女はこちらを見ていなかったので、情けない所を見られずにホッとする気持ちと全く興味も持たれていないことに対するショックとがない交ぜになって余計落ち込んだ。

 傍から見ていると、ジェームズの感情の移り変わりが面白いくらいによく分かる。クッションの上に顎を乗せて微笑ましく眺めていると、ピーターが立ち上がった。

「僕はもう行くね」
「え? ええ、もう寝るの?」
「うん」

 そのまま階段の方へ行くかと思いきや、ピーターは躊躇うようにハリエットの傍に立ち尽くしたままだ。

「どうしたの?」
「うん……あのさ、言いたいことは全部言った方が良いよ」

 最後、囁くようにそれだけを言って、ピーターは階段を上っていった。ハリエットはきょとんとその後ろ姿を見送る。

 言いたいこと――。

 誰に?