■過去の旅

55:最後のホグワーツ


 次の日の朝、なぜか異様にテンションの高いジェームズに集められたかと思ったら「湿っぽいのは無しだ!」と唐突に宣言された。

「僕達らしくないよ! 不本意ながら――君達が明日ホグワーツを去るというのは受け入れた。でも、このままで終わらせたら悪戯仕掛人の名が廃る!」

 拳を握って弁舌を振るうジェームズに、ハーマイオニーでさえポカンとしている。

「いいかい、君達は、些か優等生に過ごしすぎた!」
「……至って普通に過ごしてたと思うけど」
「いいや、僕からしてみれば地味すぎるホグワーツライフだ! そんなんじゃホグワーツを満喫したとは言えない。何しろハーマイオニー、君はマクゴナガルから一度だって減点をもらっていない」
「減点されることが満喫することだって言いたいの? だったら私はごめんよ!」

 一抜けた、と言わんばかりにハーマイオニーはさっさと立ち上がった。ジェームズに目配せされ、リーマスは困ったように「まあまあ」とハーマイオニーを引き留めた。

「ジェームズは、最後なんだからほんの少しだけ羽目を外してみないかって言ってるんだ」
「手始めに、まず授業をサボる」
ほんの少し?
 ハーマイオニーは訝しげにリーマスを見た。リーマスはいよいよ笑うしかなくなる。

「まあ……今日がホグワーツ卒業の日だって思えば可愛いものじゃないかな?」
「こんなのまだ序の口だよ」

 リーマスの必死の言い訳を颯爽と覆していくジェームズ。コートを羽織りながら元気よく声をかけていく。

「じゃ、早速行こう! みんな、今日はちょっと寒いみたいだから軽く羽織っていくんだよ。ローブは駄目だからね!」
「……なんかお父さんみたい」

 思わずとピーターが呟けば、ジェームズはにんまり笑った。

「ピーター君はパパが恋しいのかな? だったら今日一日だけはパパって呼んでも良いよ?」
「え、遠慮しとくよ!」

 真っ赤になって言うピーターに、皆が笑った。ちょっと羨ましいなとハリエットが思ったのは内緒だ。

 各自部屋に戻って着替えてくると、ジェームズを先頭に談話室を出た。一限目があるのに明らかにどこかへ出掛ける気満々の一行を見てリリーは渋い顔になったが、何も言わなかった。ハリエットが小さく手を振ると、困ったように笑って「行ってらっしゃい」と返してくれた。

 一行が向かったのは、ホグズミードへの抜け道である隻眼の魔女の像だ。

「ホグズミードに行くの?」

 長いトンネルを歩きながらロンが尋ねる。

「そうだよ。今月の頭に新商品を入荷したお店が多いらしいから、最後に行っとかないと」

 そう言ってジェームズ達が連れて行ってくれたのは、ハニーデュークスやゾンコの悪戯専門店だ。ホグズミード上級者が行きそうな場所は前回たっぷり案内してもらっていたので、今回はまた初心に戻って有名どころばかりを巡った。

 そんなつもりは全くなかったのに、餞別だと言って四人はいろんなものをプレゼントしてくれた。リーマスはお菓子、ピーターは学用品、ジェームズとシリウスは悪戯グッズだ。悪戯グッズなんて、マグル界に戻ったら一番使い道に困る代物なのだが、ハリー達がマグルにいじめられるのではないかと心配している彼らとしては、もしいじめられたらこれを使って仕返ししろという激励のつもりらしかった。

 小間物店では、ガラス製の写真立てを手に取ってジェームズが歓声を上げた。

「いいなあ、これ! 立体的に写真が映し出されるんだって。僕のクィディッチする姿を収めたら絶対に迫力が出るよ」
「部屋に飾ったらどうだ?」
「うん? 欲しいって? 仕方ないなあ、今度の誕生日、シリウスにプレゼントしてあげるよ」
「いらない」

 そんな会話を微笑ましく聞いていたら、不意にリーマスが言った。

「後で皆で写真を撮ろう。そういえば、皆で写真撮ったことなかったしね」

 複雑な心境でハリエットはハーマイオニーと目配せした。写真をこの時代に残すわけにはいかない。リーマスの申し出は大変に嬉しいことだが、うまい言い訳を考えて辞退するしかないだろう――。

 買い物が終わると、食事をしに三本の箒へ向かった。店主のマダム・ロスメルタには「またサボったの?」と開口一番に言われたので、今まで一体どれだけ彼らはこっそりホグワーツを抜け出してホグズミードに羽を伸ばしに来たのかと呆れてしまった。

 軽く昼食を取った後は、そろそろ帰ろうかという話になった。

「でも、まだお昼だよ? まだ遊べるのに」
「そりゃ、これだけで終わる僕達じゃないさ。今日は他にやりたいことがあってね」

 シリウスお得意のお届け呪文で身軽になった後、四人で連れてこられたのは叫びの屋敷だった。抜け穴からこっそり中へ侵入する。

「ちょっと見せたいものがあってさ」

 そう言って案内されたのは、屋敷の中でも一番大きい部屋だ。シリウスが冤罪だということを知ったあの部屋でもある。

「そこに立っててもらえる?」

 悪戯仕掛人の四人が立つ前に並ばされるハリー達。一体これから何が起こるのかとハリエットはそわそわした。

「信じられないかも知れないけど、よく見てて――」

 ジェームズの声は、ポンッと言うジュースの栓を抜くような音にかき消された。みるみる彼の身体が奇妙な形に変化し、立派な角が生え、茶色の毛が生え――そこには牡鹿が立っていた。

 隣のシリウス、ピーターにしても同様だった。シリウスは黒い毛がふさふさ生え、次の瞬間には大きな黒犬がこちらを見つめていたし、ピーターの身体も瞬く間に縮んで小さなネズミへと変化した。ハリー達は思わずポカンとする。

「もっと驚くと思ったんだけど……」

 唯一ヒトの姿のままのリーマスの方がなぜか慌てた。

「三人はアニメーガスなんだ。あ、アニメーガスって分かる? 動物に変身することができる魔法で……」
「ホントに鹿だ……」

 呟き、ハリーは茫然としたままジェームズの方へ近寄った。ハリエットもその後に続いて、鹿の硬い身体を撫でてみる。意外と温かく、安心感のある温度だ。生きている――その実感が湧いて、何故だか急に鼻の奥がツンとしたような気がした。

「あれ、意外とジェームズが人気? てっきりシリウスかと……」

 リーマスの言葉に、黒犬がぶるんと鼻を鳴らした。

 ジェームズが一番人気で、シリウスもピーターもどこか落ち込んでいるように見える。対するジェームズは、もっと褒めてくれと言わんばかりに角を格好良く突きだした。危うく腕に突き刺さりそうだったハリーはすんでの所で避けた。

「アニメーガスはさ、すごく難しいんだ。イギリスの魔法界でも、ほんの一握りの魔法使いじゃないとアニメーガスは使えない」

 思い詰めたように話し出すリーマスに皆が耳を傾けた。

「でも――僕が人狼だってことを知ったとき、皆はアニメーガスを習得しようって頑張ってくれたんだ。人狼はヒトを襲うけど、動物には興味ないから――動物であれば、満月の夜僕と一緒にいることができるから。――実は、アニメーガスができるようになったら、届け出を出さないといけないんだ。無申請だったら重く罰せられる。でも三人は無許可なんだ」

 リーマスはぐっと拳を握った。

「僕のせいなんだ。アニメーガスになっても、もし噛まれたら……そういうのを危惧して、先生方はきっと三人が僕の側にいることを許してくれないだろう。だから、誰も申請せず――」
「いいや、違うよ」

 いつの間にかジェームズが元に戻っていた。シリウスも、ピーターもだ。

「確かにそれも一つの理由ではある。でも、一番の理由は、満月の夜に動物姿で校庭を闊歩する奇天烈を経験したかったからに決まってる」
「おかげで考えていたホグワーツライフが三倍は楽しくなった」
「次の満月はどこを探険しようっていつもワクワクしてるよ」

 それぞれの言葉に、リーマスは嬉しそうな、泣きそうな顔で笑った。シリウスが軽く小突くと、面白いくらいに簡単によろけてそれを見てハリエット達も思わず笑ってしまった。

「でも、どうしてアニメーガスのことを教えてくれたの?」

 ハリーが尋ねた。

「うーん、まあそれは……僕達なりの友情を示したかったというか」

 珍しくジェームズは気恥ずかしそうに笑う。

「君達が、一緒にリーマスの秘密を守ってくれた同志だからさ。リーマスがどれほど嬉しかったか、きっと君達は知らないんだろうな。あの夜、すごく興奮してたんだ。君達がどんなに良い子かって夜通し話して聞かせてきてね」
「いつもエバンズエバンズ言うジェームズに負けず劣らず、あの日のリーマスもうるさかった」
「大袈裟だよ!」

 頬を赤くしてリーマスが叫んだ。一生懸命「あの二人は大袈裟なんだ」とか「本気にしちゃ駄目だよ」とか言ってきたが、残念ながらあまり説得力はなかった。

「これからも一緒に遊べないのは悲しいけど、君達と友達になれて良かった」

 晴れやかに言うジェームズに、四人は胸がむず痒くなった。今ハリー達が受け取ることのできる、最大の賛辞だと思った。


*****


 叫びの屋敷の抜け道を使って、その後は再びホグワーツに戻ってきた。ホグワーツでは午後の授業が始まっていたので、生徒の姿はもちろんない。悪戯仕掛人が意気揚々と案内してくれたのは、なんとスリザリン寮だった。合言葉を口にして中に入り、軽く見て回った後は――そういえばなぜ合言葉を知っていたんだろう――ハッフルパフ寮だった。廊下の脇にある樽の底をポンポンと軽快に叩くと、瞬く間に寮へ続く扉が現れ、これまた当たり前の顔でジェームズ達は寮内を案内してくれた――本当になぜ入り方を知っているのだろう――。

 最後はもちろんレイブンクローだった。ドアノッカーの出す問題にシリウスが難なく答え――一瞬出遅れたジェームズは悔しそうな顔をしていた――ここも十分ほどで見学を終えた。

 全ての寮を見終えた後は、近かったので、天文台の塔に寄った。ここは、天文学の授業で使うというくらいで、特に何があるというわけでもなかったが、ただ『立ち寄る』だけのはずがなかった。ジェームズ達は花火を用意していたのだ。

「音が鳴らない奴だから安心して」

 そういう問題でもないが、他寮への白昼堂々の侵入罪を犯していたハリー達は、少々感覚が麻痺していた。恐る恐る一発空に打ち上げたら、それからはもう罪悪感など吹き飛んだ。授業中に花火という背徳感に病みつきになってしまいそうで、ハーマイオニーですら、ちょっと嬉しそうに打ち上げている。

「そういえば、文字を打ち上げられる花火もあるよ。ちょっと高かったけど、それだけの価値はあるさ……」

 言いながら、ジェームズが空に打ち上げたのは「愛してるよ、エバンズ!」で、シリウスには呆れられ、ピーターにはため息をつかれていた。それを皮切りにメッセージ花火も続々上げられていく。シリウスは「純血主義は糞食らえ」で、それがツボに嵌まったリーマスは勢いで「満月なんて糞食らえ」と打ち上げてしまい、誰かがこれを見ていたらと少し冷や冷やさせられた。ハリーやロン達も次々にメッセージを打ち上げていったが、ハリエットは最後まで何の言葉にしようか迷っていた。悩みに悩んでようやく花火を打ち上げたとき――ドンッと爆弾のような音が鳴り響いてハリエットは飛び上がってしまった。そしてすぐさまサーッと血の気を失っていく。――失敗してしまった。音の鳴らない花火なのに、失敗して音を立ててしまった――。

「悪戯大成功!」

 その時、悪戯っぽく笑うジェームズの顔が目の前に現れた。ハリエットはポカンとしたままで何が何だか分からない。

「びっくりした? 一個だけ音の鳴る奴混ぜといたんだ」
「どうしてそんなこと――」
「だって面白そうだから!」

 悪びれる様子も慌てた様子もなく言いきるジェームズにハリエットは肩すかしを食らった気分だ。彼は分かっているのだろうか? こんなにド派手な音を立ててしまったということは、ホグワーツ中に響き渡ったということで――。

「そんな所で何やっとる!」

 ダダダッと素早く階段を駆け上ってきたフィルチ。ハリー達はまたしても飛び上がった。

「逃げろ!」

 捕まえようとするフィルチを上手くいなしたのは逃走歴五年のシリウス。その横をジェームズを先頭に七人が駆け抜けていく。

「グリセオ!」

 長い長い階段をジェームズは杖の一振りで滑り台に変えた。

「さあ、お楽しみの時間だ!」

 お楽しみ?
 聞き返しそうになったハリーを無理矢理座らせ、心の準備も何もなくその背中を押した。ハリーは叫びながらながら滑り台を滑り落ちていく。

 にこりと振り返るジェームズに、ロンとハーマイオニーは後ずさりした。まさか……?

 その後のことは言わずもがなで。

 問答無用で滑らされ、ハリエットも泣きそうになりながら地下一階まで一気に滑り落ちていった。悲鳴はきっと授業を受けていた生徒にも聞こえていただろうし、スカートは絶対にお尻の所が薄くなっているはずだ。

 そうしてフィルチを撒いた一行は厨房で食べ物を少しもらい、食べ歩きをしながら禁じられた森の散歩をした。

 魔法生物と触れ合ったり怒らせて逃げ回ったりしているうちにまた校庭に戻ってきたので、今度は四対四のクィディッチをして遊んだ。ジェームズ、ピーター、ハリエット、ロンのチームと、シリウス、リーマス、ハリー、ハーマイオニーのチームだ。

 戦力が拮抗するかと思いきや、計算外だったのが、意外にもハリーとシリウスの息がピッタリ合ったことだ。ジェームズは二重の意味で悔しそうだった。言葉にはしないが、ハリーにも、シリウスにも嫉妬しているようだった。

 クィディッチが終わると、まだ肌寒い季節とは言え、さすがに汗だくになってしまった。お風呂に入ろうという話になったが、折角なので監督生のお風呂が候補に挙がった。リーマスが監督生なので、一般の生徒でも一緒に入って問題ないのだ。

 監督生のお風呂が素晴らしく豪華なので、ぜひとも味わって欲しい――その一心で、ジェームズはハリエットとハーマイオニーも一緒に入らないかと誘った。

「女子は水着を着れば良い」

 そう提案するジェームズをハーマイオニーは訝しげに見た。その言い方だと、まるで――。

「もちろん男子も水着だよ!」

 ハーマイオニーのもの言いたげな視線の意味を正しく理解したジェームズは慌てて言った。

 マグル界でもプールはあったので、水着になることに抵抗はなかった。ただ、久しぶりということもあって少しの気恥ずかしさはあったものの、初めて監督生用のお風呂に入ればすぐにそんな感情は吹き飛んだ。何せ、何もかもが本当に素晴らしかった! 白い大理石の浴室に、天井からは蝋燭の灯った豪華なシャンデリアが吊されており、まるでここだけどこかの宮殿の内部のようだった。

 プールのように大きい浴槽にはぐるりと百はあるだろう金の蛇口が取り付けられ、豪華なことに一つ一つ取っ手の所に宝石がはめ込まれていた。

 一番の見所は、その金の蛇口だった。蛇口によって様々な入浴剤の泡が出てくるらしく、ピンクやブルーの大きな泡や、ハンモックのように上に乗れるしっかりとした泡、香りの強い泡が飛び出してくることもあった。大きな泡の上に乗ってスイスイ宙を泳いだり、飛び込み台の上からド派手に飛び込んでみたり――とても楽しい時間だった。あまりに熱中しすぎて、少しのぼせてしまったくらいだ。

 皆が皆顔を真っ赤にしたまま、湯冷ましにパンプキンジュースを飲みながら校内を散歩した。校長室の入り口にたどり着いたときには、誰が言い出したのか「合言葉あてゲーム」をやることになった。

 ガーゴイルの前に順番に立ち、適当にお菓子の名前を叫んでいくのだ。優勝賞品は――暗黙のうちに罰ゲームという言葉は使われなかった――一人でダンブルドアに会いに行ってお菓子を渡すというものだ。フィルチに追われたとき以上に緊迫した空気を醸し出しながら、見事合言葉を当ててしまったのはロンだ。爆発ボンボンを片手に顔を引きつらせながら校長室へ向かったロンは、数分後に戻ってきた。

「ダンブルドア、何だって?」
「見応えのある花火大会だったって……」
「見られてたのか!」

 特段怒られもしなかった様子のロンにホッと息をつきながら、そろそろ日も暮れていたのでようやく寮へ戻ることにした。あっという間ではあったが、今までにないくらい濃く、そして楽しい一日だった。