■過去の旅

54:零れ落ちる後悔


 翌朝、ハリー達四人は速やかにジェームズ達の部屋に集められた。あの後――ハリエットが衝撃の発言をした後――彼女は無責任にもすぐにまた眠り込んでしまったので、詳しく聞くに聞けず、じゃあハリー達に聞こうと部屋に戻ってみれば、ハリーとロンは二人仲良く眠り込んでいる所で。

 モヤモヤしながら浅い眠りについたジェームズは、早朝ハーマイオニーとハリエットを部屋まで連れてきたのだ。

「どういうこと? ここを去るって」

 癖になっているのか、クシャクシャ髪をかき回しながらジェームズが尋ねた。

「ホグワーツを辞めるってこと? ハリエットがってことは、もしかしてハリーも?」

 気まずそうにハリーが頷く。それに追随するのはハーマイオニーだ。

「私とロンもよ」
「君達も!? 一体何で急に――」
「私とロンは幼馴染みなの」

 エッとロンが顔を上げた。大人しくして、とハーマイオニーが彼の脇腹を肘で小突く。

「私がいけなかったのよ。お父さんもお母さんも、一人で魔法界へ行く私のこと心配してて……。日刊予言者新聞を渡したら、いろんな情報が分かるんじゃないかって安易に渡してしまったの」

 日刊予言者新聞と聞いて、ジェームズ達の顔が苦いものになる。ホグワーツにいるとつい忘れがちになってしまうが、今こうしている間にも、闇の気配は徐々に魔法界を蝕んでいるのだ。

「今、魔法界では闇の魔法使いが活発化しているでしょう? 考えに賛同しない魔法使いが殺されたり、拷問されたり……その中でも特にマグル生まれが狙われるっていう記事を読んで、すごく心配になったみたいなの。もちろん、ホグワーツにいる限りそういう不安はないし、ダンブルドア先生も実際両親に説明してくれたわ」
「ダンブルドアが?」

 信憑性を持たせるため、この辺りはダンブルドアと口裏を合わせていた。ハーマイオニーは自信たっぷりに頷く。

「でも、お父さん達の心は動かせなかった。ロンもそうよ。お互いの親で話し合って、ホグワーツを退学することになったの」
「ハリーとハリエットは?」
「二人は、親戚に引き取られることが決まったの。アメリカよ。遠い親戚らしくて」

 ジェームズ達はなんとも言えない表情になった。混乱のあまり、詰問するかのように四人を問いただしたが、蓋を開けてみれば、彼ら自身にはどうしようもできない事情で。

 あまりに突然で、タイミングが良くて――完璧すぎる。まるでこの日のために誂えたかのような理由だ。

 ただ、事情が事情だけに、ジェームズ達も深く突っ込むことはできなかった。代わりに、何とかこの状況を打破できないかと考えを巡らせる。

「もし――あれだったら、僕達、今年の夏休みに君達のご両親へ説明に行くことができる。ダンブルドアが説明したってことだけど、ホグワーツが危険じゃないっていう話はしてても、どんなに楽しくてワクワクするところかっていう話は忘れられてるだろう? 僕達なら、それを実演することができるし、うまく丸め込むこともできるかもしれない。それに――ハリー達だって、そう、ホグワーツはほとんど寮生活だ! 夏休みに帰るときだけ……なんだっけ、マグルの空を飛ぶ鉄の固まり……」
「飛行機」
「そう! ヒコウキを買えば良い」

 中途半端な知識故に飛行機を買うだなんて発想に行き着き、普段であればちぐはぐでおかしくも思っただろうが、今回ばかりは誰一人と笑わなかった。

「不思議なことが大嫌いなんだ」

 真面目な顔でハリーが返す。

「その親戚は……魔法とか、そういうファンタジーなことが嫌いで」
「ファンタジー?」
「現実では起こりえない不可思議なことってこと。魔法の存在を信じてないんだ。心底忌避してる。ホグワーツみたいな不思議な学校じゃなくて、ちゃんとした――まともな・・・・学校に通わせたいと思ってるんだ」
「信じられないな――目の前で魔法を見せてもそんなこと言ってられるのか?」
「聞く耳持たないんだ。目の前で魔法を見せたら怒って一ヶ月は階段下の物置部屋から出られない」

 ハリエットに服を引っ張られ、ハリーは話しすぎたと口を噤んだ。しかし、ジェームズ達はそんな理不尽な親戚を自分達のことのように怒ってくれた。

「どうしてそんな親戚のところに行かないといけないんだ!? 君達がその方が幸せだって言うなら仕方ないよ。でも、ホグワーツを退学してまで選んだ道がそんな親戚のところに行くことだって言うの?」
「家出はできないのか? 夏休みの間だって、ジェームズの家や――俺だっていずれ一人暮らしする予定だから、一緒に住むこともできる」

 ハーマイオニーの筋書きでは、親戚に引き取られて幸せに暮らすハリーとハリエットを想像していたはずだ。こんな風に反論されてはその通りだとしか言いようがない。場を乱すだけ乱して、ハリーはハーマイオニーに助け船を求めた。

「……マグルの法律では、未成年は保護者の下で暮らさなければならないし、そうならない場合にも保護者の許可が必要なの。いくらハリー達が嫌だって言ってもどうにもならないのよ。……私達の場合だってそう。手紙でいろいろ言ったけど駄目だった。たとえあなた達がどんなに魔法が素晴らしいかって見せてくれたとしても、命の危機とは比べものにならないって言われるわ」

 きっぱりとした物言いに、今度こそジェームズはどう反論すれば良いか分からなくなる。無駄に髪をくしゃくしゃかき回す。

「なんて言ったら良いか分からないよ……。だって、いきなりすぎて――どうしても退学するしかないの?」
「ええ」

 こっくりハーマイオニーが頷く。ジェームズは糸が切れたようにベッドに腰を下ろし、ため息をついた。

「普通にさ……僕達が卒業するまで、悪戯したり話をしたり……。卒業した後も、夏休みとかに会って……そんなのをぼんやり想像してたんだ。でも、それが突然なくなるなんて思いもしてなくて」

 ジェームズの言葉は、嬉しい。だが、今のハリエット達にとってはひどく辛い言葉でもあった。それができたら、どんなに良かっただろう――。

 ハーマイオニーに促され、ハリー達は寝室を出た。ことの報告をするのは彼らだけではない。――リリーがいる。

 リリーに退学の話をしたときも、彼女は驚き、心配し、そして何とかならないかとアイデアを出してくれた。

「私があなた達のご両親に会いに行くわ! 私だってマグル生まれだもの、ご両親の不安は想像できるし、それを解消する術だってこれから考えるわ。ホグワーツにマグル生まれが何人いるか、そのうちのたった一人でもホグワーツで危険な目に遭ったことなんて――」

 言い切ろうとして、すぐ目の前のハリエットがついこの間ひどい目に遭ったばかりなのを思い出し、リリーは言葉を濁した。

「と、とにかく、ご両親と話をさせて欲しいわ。そうだ、手紙を書きましょうか? 校長先生やあなた達の話だけじゃなくて、実際にホグワーツで暮らしているマグル生まれの話もあった方が信憑性が増すと思うわ」
「あの――リリー、気持ちはとっても嬉しい。でも残念ながらもう決まったことなの。三月の末には私達、ホグワーツ特急で行かないといけないの」
「だって、そんな……こんなのって」

 狼狽えたようにリリーは一人一人を見据えた。

「急すぎるわ。やっとあなた達だって慣れてきた頃なのに……」

 感情が高ぶったのか、リリーは何も言わずハリー達を抱き締めた。実質一歳ほどしか年が離れていないので、ハリー達四人の身体はリリーの腕では有り余った。それでも安心感を感じるのは、リリーが母親のような温かさと包容力のある人だからだろう。

「――私、手紙を送るわね」

 しばらく経って、リリーは四人から離れてそう言った。

「だから住所を教えて。四人とも!」
「あの、でも、私達まだ詳しい住所が分からなくて……」
「なら向こうに着いて落ち着いてからでも大丈夫。あ、でもあなた達はふくろうを持ってないのよね……。じゃあ後で私の家の住所を教えるわ! そこに手紙を送ってくれたら大丈夫」
「ありがとう、リリー」

 リリーの気持ちはとても嬉しかった。胸が痛いくらいに。

 ハリー達が彼女に手紙を送ることはないだろう。いつまで経っても届かない手紙に、リリーは何を思うだろう? 失望したりするだろうか?

 リリーに挨拶を終えた後は、四人は一限目である変身術の教室へ向かった。いざホグワーツを去る日取りが決まっていても、こうした日常は何一つ変わらないのだ。悲しいほどに。

 だが、計算外だったのは、悪戯仕掛人と顔を合わせるとどうしてもしんみりしてしまうことだった。食事の席で鉢合わせしても、以前のように上手く話すことができない。そもそも、話題がないのだ。これからの悪戯計画にも参加できず、今後必要なくなる魔法について話す必要性もなく、「今日した悪戯話」も、そんな気分にはなれずにそもそも何もしていないのだから、いよいよ話題がなくなってくる。

 あれがおいしいとか、これ食べてみなよとか、そんな当たり障りのない話しかできない。授業があるのでそんな時間だってあっという間だ。あれよあれよという間に夜が来て一日が終わった。もう明後日には帰らなければならないというのに、時は無情だ。

 ただ、夜がやって来ても素直に眠れるというわけでもなく――むしろ、明後日に迫った別れのことを思うと一層目が冴えてハリエットは眠れなくなってしまった。眠れないのにベッドに横になっているというのもなかなか辛く、ハリエットは一人談話室に降りた。

 談話室には、まだちらほらと生徒が残っていた。大半が七年生で、NEWT試験に向けて勉強しているようだった。

 顔見知りはいないので、ハリエットは隅のソファでぼうっとしていた。未来で過ごしていた談話室と同じような造りで代わり映えもしなかったが、こうしているだけでジェームズ達との思い出が脳裏にふつふつと蘇ってくるのだから不思議だ。

「ハリエット?」

 己の名を呼ぶ声にハリエットは現実に引き戻された。パチパチと瞬きをしながらリーマスを見る。

「眠れないの?」
「ええ、まあ……。リーマスは?」
「これから監督生の見回りなんだ」
「こんな時間にもやってるの?」
「ホグワーツに慣れてきた一年生が抜け出すことを覚えてくる時期でもあるから」

 悪戯っぽく笑うリーマスに、ハリエットは自分が一年生の頃を思い出して小さくなった。魔法使いの決闘をしに行ったり、ドラゴンを運ぼうとしたり、賢者の石を守りに行ったり――監督生であるリーマスには顔向けできないほど規則を破ってばかりだったものだ。

 話を終え、そのまま出ていくかと思いきや、寸前でリーマスはまた談話室へ戻ってきた。忘れ物でもしたのか、彼にしては慌ただしく階段を駆け上り、何かを持って戻ってくる。

「母さんから外国の茶葉が送られてきたんだ。良かったら一緒に飲まない?」
「でも見回りは?」
「一年生にも少しくらい冒険は必要さ」

 ハリエットは思わず笑ってしまった。リーマスのような人が監督生であれば、生徒達は伸び伸びとホグワーツで過ごすことができるだろう。

 二つのカップに紅茶を注ぎ、リーマスはそのうちの一つをハリエットに渡してくれた。一口二口すすると、お腹の中がポカポカ温まってきた。

 会話はないが、今日のように気まずい感じはなかった。ただ目のやりどころはなく、ハリエットは透き通るような鮮紅色の水面を見つめた。

「……明後日には行っちゃうんだね」
「ええ……」
「寂しくなるよ。でも、君達はきっとマグル界でもうまくやっていけるだろう。君も、ハリーも、ロンもハーマイオニーも、みんな良い子だ。素直で、思いやりがあって。環境が変わって不安かもしれないけど――いや、違うな」

 急に言葉を切り、リーマスはくしゃりと顔を歪めた。

「こんなことを言いたかった訳じゃないんだ。――だから、僕は、もっと君達と仲良くなりたかった」

 そう呟いてすぐリーマスはカップを強く握り込んだ。

「君達が僕を受け入れてくれた後も、本当はまだ怖かったんだ。内心では僕のことを怖がってるんじゃないかって。だからもう一歩踏み出せなかった――でも、今ではそれを後悔してる。まさか、こんな突然遠く離れるなんて思いもしなかったから……」
「私も、もっとたくさんリーマスと話がしたかった」

 ハリエットはポツリと言った。

「ジェームズ達と喧嘩しても、いつもリーマスだけは普通に接してくれた。それがどんなに有り難かったか。あなたにとっては何でもないことでも、心から嬉しく思っている人がたくさんいると思う。リーマスみたいな人が監督生でグリフィンドール生は幸せよ」

 ハリエットの言葉にリーマスはきょとんとして、そしてすぐに笑い飛ばした。

「僕はジェームズ達のお目付役で選ばれただけだよ」
「そんなことないわ。マクゴナガル先生の目は間違ってない。痛みを知ってるから、リーマスは相手の身になって寄り添えるんだと思う。かといって、厳しいときは厳しいし、ちょっとした悪戯なら素知らぬふりする所も、私は好き」

 深夜ということもあるのだろうか。

 別れが差し迫った今、言えることはなんでも言っておこうと思っていたら、言い過ぎてしまった気にもなってハリエットは少し恥ずかしかった。手放しに褒められたリーマスの方も気恥ずかしそうだ。

「元気づけるとか、そういうつもりじゃなかったんだけど……でも、これじゃあまるで僕が励まされてるみたいだ。僕の方が二歳も年上なのに、情けないな」

 リーマスは小さく笑った。そしてすぐにまた笑みを消して真剣な顔になる。

「……本当に、心から悔やまれる。どうしてもっと早く君達と仲良くしなかったんだろう」

 ハリエットとしては、返す言葉もなかった。彼の言う通り、もっと仲良くなっていれば、もっと別れるのが辛くなっていたことだろう。

 一年に一度は会えるかも知れない――そう思っているリーマスとは反して、もう二度と会うことはできないのだから。