■過去の旅
53:心の叫び
すっかり出来上がった酔っ払いが四人いたものの、ジェームズの誕生パーティーに何ら影響はなかった。酩酊薬の存在も――リリーやハーマイオニーには少々呆れた顔をされつつも――盛り上がる要素の一つとして歓迎された。
ただ、性の別がもたらす慎重さ故か、ハリーやロンは興味津々で酩酊薬に手を伸ばすものの、ハリエットやハーマイオニーは普通にバタービールを飲むばかりだ。これでは計画の実行が望めない。
正直な話、流されやすくお人好しなハリエットに酩酊薬を飲ませることは容易だろう。直接勧めれば案外抵抗もなく試してくれそうだ。だが、忘れることなかれ、彼女の傍にはハーマイオニーがいるし、パーティーを行う団体を遠巻きにしつつも大騒ぎになリ過ぎないよう注視しているリリーもいる。悪戯仕掛人総出でハリエットに酩酊薬を飲ませようとしていることがバレれば、いろんな意味でその立場が危うい。ジェームズの恋の行方だってお先真っ暗だ。決してバレてはいけない。
そんなこんなで、ハリエットの対処は慎重に行われた。もしかしてうまいことやればハーマイオニーに酩酊薬を飲ませることも可能では――と思った一行だが、理性的なハーマイオニーは、娯楽のための魔法薬に警戒心を露わにし、一口二口楽しむだけに留めていた。これにはさすがの四人もお手上げだった。
とはいえ、今日のパーティーはそれだけが目的な訳ではなかったので、純粋にパーティーを楽しみ、大いに盛り上がったし、時にハリーに何か心配事や相談事はないかとジェームズが尋ねてみたりはしたが、ハリーは困ったように笑って「大丈夫だよ」とさらりと受け流した。
夜が更けてくると、さすがに騒ぎ疲れた面々が寝室へ一人、また一人と帰っていく頃になってきた。酩酊薬の影響か、皆大あくびをこさえている。そういうジェームズ達だって、他人を酔わすならまず自分からの方針で、べろんべろんに酔っ払っていたので人のことは言えない。
「ピーター、ハリエットから聞き出すってあれ、どうなったの?」
「どうって……ハリエットもガードが堅いし、無理だよ」
「やってみなきゃ分からないよ! ほら、声かけて。ちょっと話そうとか何でも!」
視界の隅では、シリウスがハリーを捕まえて何とか寝室で二次会にしけ込もうとけしかけている。さすがはシリウスだとジェームズはうんうん頷いた。ここからは、いかにあの仲良し四人組を分断できるかにかかっている!
一番の強敵ハーマイオニーは、なぜかハリエットを置いて一人だけ先に寝室へ上がってしまった。これにはジェームズも拍子抜けだった。てっきり二人は一緒に行動するものと思っていたが――。
「アー、ハリエットはこの後どうするの?」
ソワソワしている様子のハリエットに、彼女以上に落ち着かない様子のピーターが尋ねた。
「私? あの……まだ起きてようかなって。まだ眠たくないし……」
「アー、それなら、勉強教えようか?」
「え?」
あまりに唐突な誘い。誕生パーティーの後に勉強会。
ちぐはぐすぎる組み合わせだった。それはピーターにもよく分かっていたのか、徐々に首筋から顔が真っ赤になっていく。どう見ても酩酊薬だけの影響ではないだろう。
ハリエットはハリー達の方を気にしているようだった。そしてやがて目を伏せ。
「勉強は、もういいかな……」
「もういい?」
もういい、とは。今は良いとか、まだ良いとか、そういう言い方なら分かるが、もういい?
視界の端では、ハリーとロンがシリウスに寝室に連れて行かれる所だった。その光景を、自覚しているのかしていないのか、ハリエットはさも羨ましそうに眺めていた。不意にシリウスが振り返り、手を振ってジェームズを呼ぶ。
「夜はまだ長いぞ! さあ二次会だ!」
両手を擦り合わせ、ジェームズは嬉しそうに笑った。軽やかな足取りで階段を上がっていく彼を、これまたハリエットはじっと眺めていた。ピーターは言わずにはいられなかった。
「ハリエットも二次会やらない?」
「――いいの?」
ズキリと胸が痛んだことに気づかない振りをして。
「うん、皆でやった方が楽しいし。行こうよ」
「ありがとう!」
嬉しそうに笑うハリエットに何とか笑みを返すと、ピーターは男子部屋へ向かった。ハリエットと二人で扉を開けると、何とも驚いた顔で出迎えられる。
「ピーター? えーっと、ハリエット?」
「私も二次会参加していい?」
「ああ、うん……もちろんだよ!」
一瞬微妙な雰囲気になったことにハリエットは不安そうにしていたが、やがて始まった二次会にすぐその空気も吹き飛んだ。
何せ、ここには酩酊薬がある! 紅一点のハリエットだが、自分以外の皆が飲むのなら、と手を伸ばし、幸か不幸か、ジェームズ達の当初の目的はつつがなく達成されつつあったのだ。
酔っ払って調子に乗ったジェームズが「もっと酔わせろ!」とジェースチャーで言っている。いたいけな少女を故意に酔わせるなんて――本当に酔わせるわけではないが――後ろ暗い犯罪を犯しているようで決まりが悪かった。いや、実際にこれは犯罪に当たらないだろうか?
急に不安になって酔いが覚めてきた。だが、今更嫌とは言えないのがピーターだ。それに、正直なところ、早くスッキリしたいという気持ちもあった。本当にハリエットはジェームズが好きなのか――その事実を知れば、もしかしたら諦められるかもしれないのに。
そうは思うものの、実際今ハリエットの隣に座り、きっと今後も諦めがつかなさそうだとは、開始数十分で自覚したことだ。
まず、ハリエットはアルコールに弱いらしかった。薄めた酩酊薬を一口二口飲んだだけでぽうっと頬が赤らみ始め、いつもよりはしゃいだ声をあげるようになった。ボードゲームの最中は、アルコールと眠気のせいでうまく頭が回らないのか、ピーターが横から補助をしてやらなければ、うんうん悩んでばかりで一向に進まない。酔いが回って平衡感覚が狂ったのか、くらくら身体を揺らしながら、ふと気づけばピーターの方に身体を傾けていることも多々あり、その度に反対側からハリーが自分の方に引き寄せていた。
こんな状態のハリエットを前に、どうして皆が平然としていられるのか、ピーターはそっちの方が不思議でならなかった。正直な話、ピーターは会話の内容もボードゲームの勝敗さえもさっぱり覚えていなかった。ただ頭の中に残っているのは、女の子らしい良い匂いと、ちょっと舌っ足らずな声と、赤く染まった頬くらいで――。
落ち着かない様子でため息ばかりついていると、正面の、ニヤニヤしたジェームズと目が合う。
「ハリエット、そろそろ限界じゃない? ピーター、寝室まで送ってあげたら?」
「私、まだだいじょうぶよ」
「大丈夫じゃないよ。これ以上付き合わせたらハーマイオニーに怒られる。ほら、立った立った」
ジェームズに促され、ハリエットはよろよろ立ち上がった。ハリーが何かもの言いたげに彼女の方を見るが、今まさに彼は罰ゲームと称して百味ビーンズのゲテモノ味だけを煮詰めた代物を飲まされる所だったので、よそ見をするなと怒られてしまった。
「ちょっと心配だから、下で水でも飲ませてあげなよ」
最後にそう声をかけたジェームズの無言のメッセージなど分かりきっている。ピーターは痛む頭を抑えながら、ハリエットと共に談話室へ向かった。
ハリエットの足取りは非常に危なっかしかった。これでは、ジェームズに言われるまでもなく、談話室で少し酔いを覚ましてからではないと、階段から転げ落ちてしまいそうだ。
やっとのことでハリエットをソファに座らせると、ピーターは水を持ってきてテーブルの上に置いた。
「水を飲んで少し休んでなよ」
「ええ……」
こっくりと頷くハリエットは、今にも眠り込んでしまいそうだ。そんな彼女を気にしつつも、ピーターは散乱した談話室を片付け始めた。こんな具合では、明日リリーが怒って寝室に押し掛けてくるのは明白だった。せめてもと今見える範囲だけでも整頓してみる。
真夜中をとうに越し、談話室はひっそりと静まりかえっていた。かといって二人だけというわけではなく、よくよく目を凝らしてみれば、酩酊薬をしこたま飲み、ソファの上で深い寝息を立てている生徒もちらほら見える。
どちらにせよ、彼らをそれぞれの部屋に帰さなければ、談話室を片付けたくらいではリリーの怒りは収まらないかも知れない、とピーターは明日を思ってまたため息をつく。
――と、視線をハリエットに戻したところで、ピーターは動きを止めた。ハリエットが手に持っているのは、ジョッキ――?
「――あっ」
思わずソファから身を乗り出し、ピーターはハリエットの手からジョッキを取り上げた。
「駄目だよそれ! それにも酩酊薬入ってるんだよ!」
「……え?」
一瞬遅れて首を傾げるハリエットに、ピーターは既に全てが遅かったことを悟った。ハリエットのためにと用意した水は全く減っておらず、逆に取り上げたジョッキの中身は半分は減っているし――ハリエットが僅かながらでも飲んでしまったことは想像に容易い。
「とりあえず、水飲んで……」
何とか水を少し飲ませたはいいものの、果たして彼女の酔いが覚めるのはいつになることやら――と、そこまで考えて、ピーターははたと我に返った。そういえば、そもそもの目的はハリエットの酔いを覚ますことではなかった。むしろ酔わせて彼女の想いを聞き出すことであって。
ごくり、と生唾を呑み込み、ピーターはハリエットを見つめた。彼女は今、ぐでんぐでんに酔っ払っている。聞くなら、今だ。
しかし、まだ僅かながらに残っている葛藤がピーターを苦しめる。
女の子を酔わせておいて、そのうちに秘密を聞き出すなんて最低なことをやるのか?
「ジェームズは?」
不意に尋ねられ、ピーターはギクリと肩を揺らした。
「ジェームズ?」
「ええ、さっきまで一緒にいたのに……」
寂しそうにハリエットは俯く。ピーターは心がざわつくのを感じた。
「……ジェームズのことは好き?」
思わずと尋ねれば、ハリエットは不思議そうに顔を上げ、そして。
「好き……」
へにゃっと嬉しそうに微笑んだ。眠たげなとろんとした瞳にドキッとし、そしてすぐにピーターは項垂れた。他の男への「好き」にドキッとしてどうする。
「そう……そう、だよね。ジェームズ、格好いいもんね」
「そう、かっこいいの!」
「運動神経も良いし」
「チェイサーってすごい!」
「友達思いだし」
「それにおもしろいわ!」
何が嬉しくて、ジェームズの話で盛り上がらないといけないのか……。
ピーターは失意の中顔を上げることができなかった。乾いた笑い声を上げながらそっと問う。
「ハリエットは、僕のことどう思ってる?」
そこまで言ってから、ピーターはようやく自分が何を口走ったか気づいた。慌てて言い訳に突入する。
「あっ! 別に変な意味じゃないよ! ただ、その……ハリー達は僕のことあんまり好きじゃないみたいだし、ハリエットはどうして僕みたいなのと仲良くしてくれるのかなって……」
ハリー達の態度が柔らかくなったと感じたのは、リーマスの事件があってからだろう。人狼事件を経て、仲間意識が強くなったのだろうか。とはいえ、それでもまだ一定の距離を感じる。原因も分からないまま、聞くに聞けずに今に至ったが、ハリエットは、実際に自分のことをどう思っているのか――。
「ピーターは、優しい人だわ」
先ほどまでのはしゃぎっぷりは陰りを見せ、ハリエットは小さな声で答えた。
「人のことを思いやれる。私のことも、いつも気にかけてくれて、勉強も教えてくれて、すごく、嬉しかった。な、なのに」
「どうしたの!?」
声のトーンが落ちたのに気付き、思わず顔を上げれば、彼女の膝に涙が一粒零れ落ちた瞬間で。ピーターは慌てて立ち上がった。
「なのに……」
「僕、君達に何かした?」
ピーターは聞かずにはいられなかった。ハリエットの前に居住まいがなさそうに立ち尽くす。
「正直、ハリーが……僕を嫌ってるっていうか――何か悪いことをしたのなら謝らないとって思うけど」
それすら聞くのが怖かった。ジェームズやシリウスがスネイプに突っかかっていくような、そんな単純な怒り、憎しみじゃない気がして。
「な、なにもしてない」
「だったら――」
「でも!」
せきを切ったようにハリエットは涙を溢れさせた。
過去に来てから、ピーターと関わるようになってから、ハリエットは何度も考えた。あの時のピーターにどういう選択肢があったのか。どうすれば良かったのか。
「何か、他に方法があったはずよ。たとえお母さんを人質に取られても……。私が同じ立場だったらって考えた。ロンやハーマイオニーを売るか、お父さん達を守るか――」
顔を歪めてハリエットは叫んだ。
「私には、どっちも選べない! だから、皆と相談して、ダンブルドア先生に助けを求めて、何か良い方法がないか――ただそれだけをしてくれるだけで良かったの!」
そうすれば、彼が重ねて罪を負うことはなかっただろう。何の罪もないマグルを虐殺し、シリウスにその罪を着せたのは弁解の余地もない彼自身の罪だ。
ダンブルドアに相談したからといって、全てが解決する話ではない。もしかしたら、両者とも失う結果になるかも知れない。それでも、一縷の望みはあったはずだ。皆が生き延び、幸せになる未来が、あったかもしれないのに――。
「どうして、どうして……」
ハリエットの声は次第に小さくなっていく。相づちを打たないせいで、ハリエットは今にも眠りに落ちてしまいそうだった。その様を、ピーターは何もできないまま見つめる。
ピーターは訳が分からなかった。ハリエットが言っていることはほとんど理解できなかったし、ハリエットの両親と自分にどんな関係があると言うのだろう。
ただ――彼女の心の叫びは痛いほど伝わってきた。事情は分からないが、両親の死が今もなお彼女を苦しめているのだろう。酩酊薬のせいで、記憶や考えが混濁し、自分に訴えかけてきたのだろうか。
一体どれだけの時間が経っただろう。自分に向けて言われたことではないと思いつつも、ハリエットに言われたことがどうしても頭から離れず、思い詰めていたとき、誰かが階段を降りてくる音で我に返った。
「こんな暗いところでどうしたの?」
ジェームズだった。へらっと笑った顔に安堵すら覚え、ピーターは苦笑いを返す。
「いや……ちょっと考え事してて」
「なかなか戻ってこないから心配してたんだ」
咄嗟に、ピーターの頭にハリーのことが思い浮かんだ。ハリエットを送ったきり自分が戻ってこないので、兄として心配していたのか――ピーターが送り狼になるのではないかと。
そんな邪推をした後、ピーターは自分で自分が嫌になった。推測でしかないのに、こんなことを考える自分が情けなくなる。
「ハリエットは?」
「水を飲ませようと思ったら、更に酩酊薬を飲んじゃって、そのまま眠り込んじゃったんだ」
「ああ……」
ひょいひょいと器用にソファを避け、ジェームズはハリエットの近くまでやって来た。顔を覗き込み、微笑ましそうに笑う。
「子供みたいにぐっすりだね――あれ、でも、泣いてる?」
頬が濡れていた。微かに残る涙の筋を思わずと拭き取れば、彼女の睫が震えた。
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
「……お父さん……?」
寝言と共にふにゃふにゃと笑うハリエットに、小さい子供みたいだとジェームズは内心笑いをかみ殺す。何だか自分が本当に父親になったような気持ちになってくる。
「そんなに似てる?」
困ったように笑うジェームズに、ハリエットは次第に頭が覚醒するのを感じた。目の前にいるのは――お父さん。いや、違う。お父さんの若かりし頃。あと数年後に、彼はこの世を去る――今こうして目の前にいるのは、ほんの僅かな奇跡の果てで。
「ハリエット?」
こうして名前を呼んでもらえるのは、あと何回だろうか。あと何日したら、この笑顔を見られなくなってしまうのか。
腹の底から何かが込み上げてきて、ハリエットはくしゃりと顔を歪めた。
「私ね――私達ね」
「ん?」
「もうすぐここを去るの」