■呪いの子

17:後悔と決意


 ハリエットは、翌日の朝に目覚めた。まだ夜も明けきらない時間だったが、フォークスがいち早く気づき、短く鳴いたので、ドラコもすぐに目を覚ました。ほどよく冷えた水を飲ませながら、ハリエットの具合を見ていく。

「痛いところはないか? 些細なことでも何でもいい」
「大丈夫よ。ちょっと頭痛がするだけ」
「頭痛か……。魔法薬だ。飲めるか?」
「ええ」

 薬を飲ませた後は、またゆっくりハリエットの身体をベッドに横たえさせた。ドラコはまた椅子に腰を下ろす。

「どれくらい寝ていたの?」
「半日程度だ」
「そう……」

 ハリエットは天井を見上げた。

「あれ、ボガートだったんでしょう?」
「……ああ」

 目を瞑ってハリエットは笑った。

「レグ達には、恥ずかしいところを見せちゃったわね。呆れてない? あの子達の年で習うような魔法生物相手に、私ったら取り乱して。恥ずかしいわ――」
「辛かったろう……」

 ハリエットの言葉に被せるようにしてドラコは言った。

「側にいてやれなくてすまない」
「ドラコ……」

 ハリエットは泣きそうな顔でドラコの胸に頭を押しつけた。

「怖いわ、これが私の見ている夢なんじゃないかって。皆は私が創り出しただけの夢じゃ――」
「そんなことある訳ない」

 ドラコはすぐに否定した。ハリエットの冷たい手をギュッと握りしめる。

「君がボガートに対して感じた恐怖は、残念ながら本物だ。だが、私から伝わってくる熱もまた本物だ。そうだろう?」

 ハリエットはこくりと頷いた。ドラコは僅かに口の端を上げる。

「それに、まさか二十年も夢が続くなんて、君はそこまで想像力が逞しくないだろう?」
「それもそうね」

 ハリエットはクスクス笑った。ようやく笑みが戻ってきたことにドラコもホッとする。

「レグは起きているかしら? もし起きてたら呼んでくれる?」
「ああ」

 ドラコは部屋を出て行った。そして次に戻ってきたとき、彼はレギュラスとアルバスを引き連れていた。

 ハリエットはアルバスもいることに驚いたが、すぐに目を細める。

「二人とも、昨日は驚かせたでしょう? ごめんなさい。でも、あのボガートは二人が退治してくれたのよね? すごいわ、ルーピン教授に報告しないと」
「お母さん……」

 レギュラスは不安で一杯の顔で、ハリエットに抱きついた。ハリエットは息子を優しく抱き留める。

「心配かけてごめんね」

 レギュラスは声もなく首を振る。

「私はもう大丈夫よ」
「ごめんなさい……」
「どうしてレグが謝るの?」
「だって僕、何にも分かってなかった」

 嗚咽を漏らしてレギュラスは泣き出した。

「お母さんの過去を掘り返してごめんなさい……」
「そんなこと気にしてたの?」

 ハリエットは困ったように笑った。

「記事のおかげで、皆から好意的に接せられることが多くなったのは事実よ。紛れもなくこれはあなた達のおかげよ。勝手にやっちゃったことは良くないけど、でも、私達のことを思ってやったことは分かってる。もういいのよ」

 レギュラスの背中を撫でながら、ハリエットはアルバスを見た。

「アルバスもありがとう」
「ううん……」

 その日、ハリエットは大事を取ってずっとベッドに横になっていたが、翌日にはすっかりいつもの調子を取り戻し、まだ休んでいたらという声を押し切り仕事に出掛けた。

 傍目には元気そうに見えているハリエットだが、しかしレギュラスは心配で堪らなかった。母親の恐怖の叫び声が耳について離れない。朝方になると、両親の寝室の方からうめき声が聞こえてくるような気がして、レギュラスはなかなか眠れなかった。

 そんな矢先、またもデルフィーから手紙が届いた。ここしばらく手紙はなかったが、突然届いたというからには、ハリーから何らかの働きかけがあったのではないかとアルバスは考えた。もう会わないと約束した二人だったが、友達として、やはりきちんと職場復帰できるまではデルフィーを支えなくてはと意志を確かめ合った。そして会いに行く決心をした。もちろん両親には内緒にして。後ろめたさはあったが、悪いことをしているという自覚はなかった。デルフィーは悪い人ではないし、ベラトリックスに似ているとか、記事を書いた張本人だとかで忌避されているのは申し訳ないと思った。

 漏れ鍋で待ち合わせし、二人は煙突飛行ネットワークでひとっ飛びに向かった。デルフィーは先にもう到着していて、どことなく元気そうに見えた。

「デルフィー、職場には戻れた?」
「え?」

 挨拶もそこそこに質問するアルバスに、デルフィーはパチパチと瞬きをした。

「どういうこと?」
「父さんが、デルフィーが週刊魔女に戻れるよう声をかけてくれるって言ってたんだ。まだ戻れそうにない?」
「うーん、どうだろう」

 デルフィーはあちこちに視線を這わせた。

「まだそんなふくろう便は届いてないけど……そのうち待ってたら来るかな? でも、どうして急にそんなことに?」
「デルフィーが解雇されたって言ったんだ。そうしたら、もうデルフィーと会わないなら掛け合ってみるって」
「私達、会っちゃってない?」
「このくらい大丈夫さ。デルフィーがちゃんと戻れるまでは、僕たちもサポートする。だって僕たちのせいで君がこんな目に遭ったんだから」

 アルバスの言葉に合わせて、レギュラスが家から持ってきた食料をドンとテーブルの上に置いた。デルフィーはくすぐったそうに笑う。

「ありがとう、君たちの気持ちは嬉しいよ。これも有り難くもらうね。でも、それよりも、どうして私と会っちゃいけないって? 私が記事を書いたから?」
「うん、それもあるけど……」

 アルバスは気まずそうにレギュラスと視線を合わせた。レギュラスも言って良いものか微妙な顔だ。

「どうしたの? 浮かない顔をしてるけど、何か嫌なことでもあった?」
「…………」

 デルフィーは鋭い。二人は顔を見合わせたままだんまりになった。デルフィーは心配そうに首を傾げる。

「何かあったのなら、教えて欲しいわ。私達、友達でしょう?」
「……やっぱり、何でも無いよ」

 散々悩んだ上で、やはりアルバスは口に出すことはできなかった。デルフィーがベラトリックス・レストレンジに似ているといえば気を悪くするだろうし、ボガートでハリエットが取り乱したというのも、決して他の人に漏らしてはいけない個人の事情だ。自分たちが記事を出したことで、ハリエットの過去を掘り返してしまったのは確かだ。デルフィーに相談することで、何か的確なアドバイスもらえるかもしれないが、しかし、そんなに簡単に解決してもいけないことのように思えた。

「気持ちは嬉しいけど、本当に何でも無いんだ。ちょっと家でゴタゴタがあっただけで」
「アルバス、私の目を見て」

 唐突にデルフィーが言った。アルバスは素直に彼女の目を見る。

 形の整った瞳だった。濃い茶色のをしている。アルバスは吸い込まれるように彼女の瞳を見た。

 心がざわつくような、不思議な感覚があった。なぜかボガートが現れた時のことを思い出した。ハリエットの叫び声に、ベラトリックス・レストレンジのボガート、レギュラスの死体に、シリウスの死体、ヴォルデモートと思われる低い声も――。

「どうして二人でそんなに見つめ合ってるの?」

 場違いに明るいレギュラスの声で、アルバスは我に返った。パチパチと瞬きをし、レギュラスを見る。彼はきょとんとしていた。

「思ったよりもアルバスの瞳が綺麗で」

 デルフィーが微笑んだ。

「明るい緑で、本当に吸い込まれそう――」

 また彼女と目が合う。今度はなぜか逆転時計のことを思い出した。盗み聞きしたあの夜のことを。本物の逆転時計が見える。ハリーが報告しないと言い切る声がする。

「――ねえ」

 拗ねたような声でレギュラスが言い、アルバスのローブを引っ張った。

「二人の世界に入らないでよ。僕、もしかしてお邪魔だった?」
「いや、そんなことないよ」

 慌ててアルバスは首を振った。デルフィーから目を逸らすと、ようやく落ち着かないこの気持ちが収まった。一体何なんだろうとアルバスはいつもよりも速く脈を打つ胸に手を当てた。

「レギュラスも私と目を合わせる?」

 悪戯っぽくデルフィーがウインクした。純なレギュラスは途端に真っ赤になった。

「ぼ、僕はいいよ……。アルバスに悪いもの」
「そんなんじゃないって」

 アルバスは再び否定した。レギュラスのことだ、いつ何時今日のことをペラペラと周りに話してしまうか分からない。しっかりと釘を刺しておこうと思った。

「じゃあ、私はもう行かないと」

 にっこり微笑んでデルフィーは立ち上がった。

「もう?」
「ええ、これから大切な用があるから。私に会いたいときは、漏れ鍋の店主に言って。私が泊まってる宿を教えてくれると思うわ」
「うん……デルフィー、本当にいろいろありがとう」
「気にしないで。私も良い経験をさせてもらったわ。またいつか会いましょ」

 ヒラヒラと手を振ってデルフィーは去って行った。彼女の姿が見えなくなってようやくパブの喧噪が戻ってきた気がした。