■呪いの子

20:汽車からの逃走


 新学期、ホグワーツへと向かう魔法族の集団で九と四分の三番線は溢れていた。アルバスもその中の一人だったが、すぐに家族に別れを告げて一人汽車へ乗り込んだ。まだジェームズやリリーは両親と離れがたそうにしていたが、アルバスは清々した気分だった。

 汽車に乗ってからも、しばらくアルバスはホームを見渡していたが、マルフォイ家の姿は見えなかった。それも当然かもしれない。この人ごみで姿を現せば、確実に噂されること間違い無しだ。――となると、レギュラスは一体どこにいるのだろう? 人の目を避けて、もしかして一番に汽車に乗り込んだのかもしれない――。

「アルバス」

 入り口から離れ、通路を歩いていると、後ろから息せきってローズ・ウィーズリーがやって来た。

「ずっと探してたのよ」
「僕を? どうして?」

 ローズは、どう言うべきか迷いあぐねているようだった。

「四学年が始まるわ。つまり、新しい学年の始めよ。また友達になりたいの」
「僕たちのことずっと避けてるのに?」
「そんなつもりはないわ」
「僕たちはそう思ったさ。スリザリンの落ちこぼれが友達だって思われたくないんじゃないの?」

 そう言って立ち去ろうとするアルバスを、ローズは空いているコンパートメントに引っ張り込んだ。

「あなた達のことが心配なのよ。新聞を読んだわ。ママもパパもすごく気にしてる。力になってあげなさいって――」
「そう、ママに言われたから僕に話しかけてるんだね?」

 ローズは押し黙った。

「ローズ、僕たちのことは放っておいてくれ」

 アルバスはまた通路を歩き始めたが、ローズも諦めずについてくる。

 レギュラスは、いつものコンパートメントに座っていた。アルバスが先に入り、ローズもめげずに後に続く。

「やあ、ローズ――」
「レギュラス、私、アルバスにも言ったんだけど、また友達にならない?」
「え、僕? いいの!?」

 途端にレギュラスは目をキラキラさせた。始めからレギュラスを懐柔するんだったとローズは後悔した。

「ええ、そう。私、あなた達とまた友達になりたいわ」
「うん、僕もぜひ!」

 レギュラスは満面の笑みで右手を差しだしたが、ローズの手が触れる前に、あっと手が引っ込められた。

「でも……今僕と友達になったら、ローズまでひどいことを言われるよ」
「そんなの気にしないわ。私、人気者だもの。誰になんと言われようと、気にならないわ」
「でも、グリフィンドールでは君は一人だ。僕たちも助けてあげられない。ジロジロ見られたり、大声でひどいことを言われたり、トランクに落書きだってされるんだ。女の子の君をそんな目に遭わせられないよ」
「…………」

 ローズは口をあんぐり開けたまま固まった。普段ぼんやりしているレギュラスが、紳士的なことを言うのが信じられないらしい。

 アルバスは得意げに胸を張った。そう、レギュラスにはこういう面もあるのだ。無自覚にジェントルマンを発揮する一面――。こうした所は、父親に似たのだろう。

「べ、別に、私は……」

 普段周りから女の子扱いされていないのか、気が強いローズも顔を赤くしてしどろもどろになっている。アルバスは物珍しく二人の様子を見守った。

「ローズ、君の気持ちはとても有り難いよ。でも僕は大丈夫だ。時々また話してくれるだけで充分さ」
「でも、それじゃあなたが……」
「僕にはアルバスがいるもの」

 レギュラスは嬉しそうにアルバスを見た。無意識か、ローズは恨めしそうにアルバスを見た。

「そうだ、じゃあ今度ローズの家に遊びに行っても良い? 僕、久しぶりに君のパパとママに会いたいな」
「も、もちろんよ。ぜひ泊まっていって。ヒューゴも喜ぶわ」
「ありがとう! 確か、ヒューゴは今年入学だよね? グリフィンドールには入れると良いね」
「ええ……」

 コンパートメント内が静かになった。アルバスは居心地悪そうに身じろぎしたが、自分から話し出そうとはしなかった。あくまでことの成り行きを傍観する。

「そういえば、レギュラスは昔蛙チョコカードをコレクションしてたのよね? 今もまだ集めてるの?」
「うん、前ほどは熱心じゃないけど、一応集めてるよ」
「ふ、ふうん……私、パパから蛙チョコたくさんもらうんだけど、レギュラスの欲しいカードがあったらあげるわ」
「本当? ありがとう。嬉しいよ」

 レギュラスはにっこり笑った。邪気がないからこそ、ローズはその笑みを真正面から見ることができずに俯いた。

 ――蛙チョコカードなんて子供っぽいと言っていたくせに、どの口がこんなことを言うのか。

 アルバスはすっかり呆れてローズを見ていた。

「今は僕、チェスにハマってるんだ」
「ち、チェスね……」

 ローズは渋い顔になった。

「ヒューゴはチェスは得意だけど、私は苦手なのよ」
「うわあ、そうなの? じゃあぜひヒューゴとも一戦交えてみたいな」
「…………」

 ローズはまたも恨めしげな顔になった。もしかしなくても、頭の中の弟に向けているのだろう。

「ロンおじさんもチェスが得意なんだよね? 僕、お父さんとよく練習してるんだけど、お父さんとロンおじさん、どっちが強いんだろう? アルバスはどう思う?」

 急にレギュラスはアルバスへと視線を向けた。釣られてローズもアルバスを見る。二人の視線が交錯した。

 ローズは、この時ようやくアルバスの存在を思い出したようだった。カーッと頬に熱を集め、慌ててトランクを持ち上げる。

「私、もう行くわ!」
「もう行っちゃうの?」

 寂しそうに言うレギュラスに後ろ髪引かれたようだったが、ローズはぶんぶんと首を縦に振る。

「とっ、友達のところに行かなきゃ!」
「結局ローズは何しに来たのさ」

 アルバスはからかうようにローズを見た。ローズは口をパクパクさせてアルバスを見つめる。

「わ、私――えっと……だから、今更もう友達にはなれないかもしれないけど、でも、力にはなりたくて――逆転時計のこととか、ヴォルデモートのこととか……だから、あの、そうね、何が言いたいかって言うと――」

 ローズは緊張の面持ちで息を吸い込んだ。

「ホグワーツ特急に初めて乗ったあの日、あなた達の出会いからやり直したいって思ったのよ」

 それだけやけに真っ直ぐに言い切り、ローズは慌ただしくコンパートメントを出て行った。レギュラスはきょとんとしてアルバスを見る。

「ローズ、何だかいつもと様子が違ってたね? 普段ははっきりものを言う子なのに」
「…………」
「アルバス?」
「僕たち、汽車を降りなくちゃ」

 アルバスはポツリと言った。冗談を言ったのだと思ったレギュラスはクスクスと笑う。

「もう遅いよ。とっくの昔に動き出してる。次はホグワーツ!」
「なら、動く汽車から飛び降りなくちゃ」

 アルバスは、窓を開けて外に身を乗り出した。

「まだ寝ぼけてるの? 僕たちが乗ってるのは動く魔法の汽車だよ」
「ローズが最後になんて言ったか聞いてた?」
「ローズ? ううん……蛙チョコカードを僕にくれるって――」
「それは大分前の台詞だよ! 最後だ、最後! いいか? ローズは『あなた達の出会いをやり直したい』って言ったんだ」
「僕、あの時そんなに駄目だったの? 何かやらかしたのかなあ」
「厳密に言えばやらかしたのは向こうだ! でも今それは関係ない。僕が言いたいのは、逆転時計を使えば過去に戻ってやり直すことができるってこと」
「何をやり直すの?」

 アルバスはニヤリと笑った。

「君のお母さんを救うんだ」
「……どういうこと?」
「いいか? 叔母さんがスリザリンの継承者じゃなければ、そもそもスキーターはあんなに勝手な記事は書けなかった。ドラコおじさんだって、叔母さんの拉致に失敗していれば、こんなにも悪者扱いされることはない」
「もしそうなったら素敵だけど……でも、そんなにうまくいくかな?」
「レグ、僕はやる。やらなくちゃいけないんだ。僕たちのせいで二人は苦しんでる。君も僕も分かっていることだけど、君が一緒に来てくれないと、僕は絶対しくじる。さあ、行こう」

 アルバスはまたニヤッと笑い、汽車の上によじ登っていく。レギュラスは一瞬躊躇い、顔を顰めたが、しかしすぐに窓から身を乗り出し、アルバスに続いて外へと姿を消した。

 列車の上では、アルバスは四方から吹き付けてくる風にも負けず、決然として立っていた。

「僕の計算では、間もなく鉄橋にさしかかる。そこから漏れ鍋まで、ちょっとだけハイキングだ」
「僕、君と同じくらい興奮してるよ。人生初めての反抗期だ。お母さん心配するだろうな……家出だって思われたらどうしよう……」
「待って、レグ、車内販売魔女だ」
「ハイキング用のお菓子が欲しいの? 三シックルまでならオーケーだよ」
「違う、車内販売魔女がこっちに来るんだ」

 アルバスが指差す方向を見ると、そこには台車を押しながら近寄ってくる魔女がいた。ローブがはためく程の風にも負けず、平気な顔で歩いてくる。

「何かいりませんか? カボチャパイは? 蛙チョコレートは? 大鍋ケーキは?」
「蛙チョコレートください。僕たち、これからちょっと遠出するんです」
「レグ、近づくな。何か変だ」

 のこのこ近づこうとするレギュラスを押しとどめ、アルバスは目を凝らした。車内販売魔女はニヤリと笑う。

「私は二百年近く前からこの仕事を続けている……この両手は六百万個以上のカボチャパイを作ったが、しかし、カボチャパイが簡単に他のものに変わることには誰も気がつかなかった……」
「何に変わるの?」

 レギュラスが聞いた途端、魔女はカボチャパイを一つ掴み、手榴弾でも投げるように放り投げた。すると、パイは見事に空中で爆発した。

「ああっ!」

 レギュラスは血相を変えた。

「そんなことしたらもったいないよ……」
「目的地に着く前に、誰かに汽車を降りさせたことは決してない。一度も。降りようとした奴はいる。シリウス・ブラックと悪ガキ仲間。ウィーズリーの双子兄弟フレッドとジョージ。全員失敗した。なぜならこの汽車は、誰かが降りるのを嫌う――」
「うわあ、お爺ちゃん!?」

 突然レギュラスは興奮で鼻息を荒くした。

「僕達、シリウスお爺ちゃんと同じことしようとしてるの!? 僕、お爺ちゃんに悪戯の才能は欠片もないって言われてたのに!」
「やれるものならやってみるがいい。私が相手だ」

 車内販売魔女はほくそ笑む。アルバスは顔を引き締めた。

「レグ、下に鉄橋が見えるだろう? クッション呪文を試すときだ」
「アルバス、待って、僕、もっと話を聞きたい――」
「もう駄目だ。行くぞ、一、二、三、モリアーレ! 緩めよ!」
「アルバス!」

 アルバスは勢いよく汽車から飛び降りた。レギュラスはパニックになってアルバスと、車内販売魔女とを見比べる。魔女は髪を逆立て、鋭い指をこちらに向けていた。

「あっ……あう……あの、もっとお爺ちゃんのこと聞きたかったけど、時間がないみたい……カボチャパイは投げないでね……」

 レギュラスは鼻を摘まみ、アルバスを追って飛び降りた。呪文を唱えるのをすっかり忘れていたが、アルバスはそんな親友のことも想定済みだった。自分が上手く着地した後で、レギュラスのために呪文を唱えた。

「モリアーレ!」