■呪いの子

27:豹変した父親


 また二日が過ぎた。有益な情報が掴めない中、レギュラスの下にドラコ・マルフォイから手紙が届いた。魔法省へ来るようにとの文面だった。一筋の光が差したような気分だった。父に会って、これまでのことを全て聞くのだ。他の皆はどうしているのか、シリウスやロン、ハーマイオニーはどこにいるのか――父に会えば、万事解決だ!

 そう意気込んだレギュラスだったが、会いに行く方法がないことに気づいた。ここはホグワーツだ。そもそも長期休みが来なければ両親に会いに行くこともできない。にもかかわらず、ドラコからの手紙に寄れば、午後十時に魔法省の私の部屋に、と書いてある。家ではなく、なぜ魔法省なのだろうか、とレギュラスはますます首を傾げた。

 もしかして、前の世界とではホグワーツの規則が変わっているのだろうかと、さりげなくカールに尋ねれば、アンブリッジの煙突を借りれば良いと言われた。レギュラス――ここではスコーピウスだが――程の生徒になると、自由に家とホグワーツとを行き来できるらしい。

 恐る恐る校長室へ向かうと、アンブリッジは特に質問攻めにすることなく暖炉を貸してくれた。やっぱりね、という顔をしていたのが印象的だった。

 魔法省のアトリウムに到着したレギュラスは、再び途方に暮れた。『魔法省の私の部屋』とは、どこの部屋を指すのだろうか?

 魔法省は、ひどくどんよりした場所だった。かつて逆転時計を盗みに侵入したあの時とは似ても似つかない。皆が怯えたような顔ですれ違い、ビクビクしている。唯一ふんぞり返って歩いているのは黒々しいローブを着た死喰い人だけだ。

 その中で、レギュラスは顔見知りを見つけた。この心細い世界で、ようやく心許せる相手に出会えたのだ。自然とレギュラスの声は大きくなる。

「パーシーおじさん!」

 書類の束を抱えているパーシーと、その周りにいる人々は、揃って振り返った。周りの人たちは、声をかけた主がレギュラスであることに気づくと、ハッとした顔をし、そそくさと顔を背けて去って行く。パーシーは訝しげな顔をしながら近づいてきた。

「何でしょう?」
「おじさん、あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「何なりと」
「…………」

 レギュラスは目を丸くした。まるでフレッドとジョージのような口調だ。

「おじさん、どうしたの? 体調でも悪い?」
「父親がアズカバンに入れられてからは、ええ、毎日体調が悪いですが、何か?」
「……アズカバン? アーサーお爺ちゃんが? どうして?」
「あなたのお祖父様に聞いてみてはいかがでしょう? きっと喜んでお話しくださるでしょう。それで、ご用件は?」

 パーシーは冷たい目でレギュラスを見た。彼からこんな素っ気ない態度を取られたことなどなかったので、レギュラスは戸惑った。

「あ……お父さんの部屋を――」
「スコーピウス」

 固い声が、レギュラスの今の名を呼んだ。聞き慣れた声だ。心細かったレギュラスの胸の中にポッと灯りが宿る。

「お父さん! 探してたんだ!」
「敬語を使え。それに遅刻だ。部屋の場所も分からないとはなんたることだ」

 ドラコ・マルフォイは、黒いローブを翻し、レギュラスに近づいた。何かに怒っているような彼の険しい表情に、レギュラスは怯む。

「ウィーズリー、もう行け。息子に構うな」
「仰せのままに」

 パーシーは嫌味なほどドラコに頭を下げた。

「私は忙しいんです。混血の魔法使いの家系図を洗って、マグルの血が入っている者をあぶり出すという、大変に名誉な仕事を与えられたのでね。ええ、頭がおかしくなりそうだ……」

 ブツブツ言いながらパーシーは去って行った。レギュラスは愕然とその場に立ち尽くす。

「お、お父さ――」
「来い」

 まるで別人のような風格を身につけ、ドラコは吐き捨てるように言った。足早に歩いて行く父を、レギュラスは慌てて追い掛ける。

 迷いなくドラコが向かったのは、魔法法執行部の部長室だ。本来ならば、ここはハリーの部屋だった場所だ。権力の匂いが染みついたような部屋で、両脇にはオーグリーの紋章の旗が下がっている。

 部屋は無人ではなかった。机の前にルシウス・マルフォイが佇んでいる。

「父上、何かご用でしたか」

 前触れもない訪れだったのか、ドラコも驚いたように聞いている。

「スコーピウスが来ると小耳に挟んだので、私も会いに来たのだ」
「お祖父様……」
「お前の学校での様子は聞いている。誰彼構わずハリー・ポッターに関する質問をしているとな。分かっているのか? お前は私とドラコに恥をかかせたのだぞ! よりによってハリー・ポッターなどと!」

 空気が震えるほど怒鳴られ、レギュラスは身体を縮こまらせた。――一体目の前のこの人は誰だろう? ルシウス・マルフォイという人は、もっと遠慮がちに、純血とは、スリザリンとはなんたるかを語り、息子や妻に怒られるような人だったのに。

「ドラコ、お前は一体どういう教育をしているのだ?」

 ルシウスは矛先をドラコに変えた。

「お前がどうしてもと言うからスコーピウスのことは任せてきたのに――やはり穢れた血が入ると駄目だな。何が何でも純血の女と結婚させるべきだった」
「お母さんのこと悪く言わないで……」

 レギュラスはキッとルシウスを睨み付けた。ドラコは息子の頭をグッと押しつけるが、レギュラスは怯まなかった。

「何だと?」
「お母さんのこと悪く言わないで! お父さんとお母さんは好き合って結婚したんだ! 純血だからってお父さんは――」
「スコーピウス!」
「――っ」

 空気がピリピリと震える。レギュラスは首根っこを掴まれた気分になった。父が、恐ろしい形相で自分のことを睨み付けていた。

「お祖父様になんて口の利き方だ! スコーピウス、私はお前をこんな体たらくに育てた覚えはないぞ! 教育も、マナーも、箒も一流のものを学ばせてきた。帝王学すら叩き込んできたのに、お前のこの様は何だ。お祖父様に謝れ!」

 レギュラスは目に大粒の涙を浮かべ、ドラコを見上げた。全くの別人だった。そこにかつての父の姿はない。レギュラスは震えながら頭を下げた。

「申し訳ありません……」
「全く……」

 ルシウスはやれやれと首を振った。

「以後、スコーピウスの教育は私が引き受ける。もうあの女とは会わせないように」
「父上――」
「最初からこうすれば良かったのだ。いや、今からでも遅くはない。純血の由緒正しい女を見繕うのだ――」

 ルシウスは決心をその瞳に宿し、慌ただしく部屋を出て行った。レギュラスはローブを握りしめたまま、固く口を閉ざしていた。

「スコーピウス……」

 ドラコは膝を折った。先ほどとは打って変わって弱々しい声だ。

「なぜお祖父様にあんな態度を取った? 常日頃言っているだろう――」
「お父さんは変わっちゃったんだね」

 レギュラスは鼻をすすった。赤くなった目は決してドラコに向かない。

「お父さんは僕のことを恥ずかしいと思ってるんだ。だらしがないって思ってるんだ」
「スコーピウス、私は……」
「お父さんは……なんで魔法法執行部の部長なんてやってるの? まさか……まさか、今朝の日刊予言者新聞――ロウルと二人の魔法使いが、一度に何人のマグルを殺せるかを見せるために、橋を吹き飛ばした――これはお父さんがやったことじゃないよね?」

 レギュラスは急に不安になって父親に縋った。厳しい父親というだけならまだ良い。だが、レギュラスは、尊敬していた父親に、己の手を血で汚して欲しくはなかった。

「お父さんはこんなことしないよね? ねえ、お父さん!」
「マグルを吹き飛ばした愚か者達の事は、違う。私はやっていない。命令もしていない。死喰い人が勝手にやったことだ」
「勝手にやったことでも、どうして止められなかったの!? 何か罰はあったの? 罰を受けたんだよね!?」
「お咎めは無しだ」

 ドラコは視線を逸らした。レギュラスの頬にカッと熱が入る。

「どうして……お父さんは見て見ぬ振りをしたの? マグルやマグル生まれの魔法使いが虐げられてるのを、お父さんは知らない振りをしていたの?」
「こうしなければ、生きて来られなかった……お前達を守れなかった……」

 レギュラスは力なく首を振る。言い訳が聞きたい訳ではなかった。

「お母さんは、お父さんのこと勇敢な人だって言ってた。意地悪なことばっかり言うけど、いつも助けてくれて、だから好きになったって言ってたのに――」
「……彼女は本当にそう言ったのか?」

 ドラコは驚いたように聞き返した。

「私のことを……?」

 レギュラスにはドラコの声は聞こえていなかった。

「でも……でも、僕は今のお父さんは嫌だ。今の僕も嫌だ。サソリ王なんて呼ばれて、皆から崇められて、何をやって来たのか分からないのが怖い。ホグワーツの地下から叫び声が聞こえるんだ。あそこで何が行われてるの? それに僕も加担してたんだと思うと、怖くて堪らない」
「スコーピウス」

 ドラコは窺うように下から息子の顔を見上げた。両肩に手を置き、しっかりと目を合わせる。

「お前がリーダーに向いていないのは分かっている。私に似て臆病なのも。だが、もう二度とそんなことは口にしないでくれ。お前のためなんだ。どんなに辛くても、ヴォルデモートに忠誠を誓う振りをするんだ。心を殺せ。血の舞踏会にも参加するんだ。穢れた血を――」
「お父さん!」

 レギュラスは暴れるようにして父親の手を振り払った。

「どうしてそんなこと言うの!? 僕は嫌だ!」
「一体どうしたんだ!」

 息子が思い通りにならず、ドラコは怒りのままに怒鳴った。

「お前は――今まで――私の言う通り、サソリ王を演じてきただろう! どうして急に聞き分けのないことを言うんだ!」
「間違ってるからだよ!」

 レギュラスもまた叫び返した。

「今までの僕も、お父さんも、皆間違ってるからだよ!」

 肩で息をし、レギュラスは地面を見つめた。睨み付けても、現実は何も変わらない。

「お母さんはどこ?」

 まるで迷子のような顔で、レギュラスは頼りなく尋ねた。

「お母さんに会いたい……お母さんなら、お父さんの目を覚ましてくれるはずだよ」
「……勝手に行けばいい」

 ドラコは扉を指差した。

「ウィルトシャーだ。帰省の時期ではないが、トニーに言えば開けてくれる。裏から入れ。誰にも気づかれるな」
「…………」

 レギュラスは黙って頷き、扉へ向かって歩き始めた。

「どうして分かってくれないんだ……」

 あまりにも弱々しい声に、レギュラスは後ろ髪引かれたが、その思いを振り切って外に出た。