■呪いの子

07:落ちこぼれ


 アルバスは、地下室の埃臭い地下牢教室で、鍋の火加減を見ていた。今はグリフィンドールと合同の魔法薬学で、担当教授はセブルス・スネイプだ。

 彼のファーストネームがミドルネームに入ってるアルバスだが、スネイプに優しくして貰ったことなど一度もない。彼に優しくされた日には、おそらく空からピクシー妖精が降ってくるだろうが、しかし、一年に一度くらいはそんな日があってもいいんじゃないかと思うくらい、彼はアルバスに優しくない。

 とはいえ、彼はほとんどの生徒にも同じような態度だった。唯一彼の機嫌が良いときは、己の出身寮であるスリザリン生を指導しているときだが、残念ながら、アルバスとレギュラスは、彼の中ではスリザリンに組み分けされていないらしい。減点こそされないが、他のスリザリンには緩い採点をしているのに、自分たちは普通だ。いや、厳しく点数をつけられている他寮生に比べたら良い方だろうが、同じスリザリンでも差をつけられている時点で嫌われてはいるのだろう。

 今日の授業だって、アルバスは材料を取りに行くだけでジロジロ見られた。まるで、薬品棚からアルバスが何か盗んでいくとでも思っているかのようだ。

 納得できない思いで、アルバスは早速レギュラスと組み、調合を始めた。手先が器用なレギュラスが材料を刻み、アルバスがそれを鍋で調合していく算段だった。

「アルバス・ポッター。浮いてる人。肖像画でさえ、あの人が階段を上ってくると背を向けるのよ」

 ポリーがクスクス笑いと共に、大きな声で言う。アルバスは聞こえない振りをした。

「さあ、ここで加えるのは――二角獣の角だったかな?」
「ほら、教科書をよく見て……」

 レギュラスはヘビの牙を砕きながら言った。

「あいつと死喰い人の子は相手にするな、いいか?」

 カールがそう囁くのが聞こえていた。レギュラスも聞こえない振りをした。

 しかし、その後すぐ魔法薬が大きな音を立てて爆発し、二人は否が応でも我がことに集中しなければいけなくなった。爆発したのは自分たちの鍋だった。アルバスは困ったようにレギュラスを見る。

「オーケー、修正する材料は何だ? 何を入れれば変わる?」
「何もかもだ。スリザリン五点減点」

 突如背後からスネイプが姿を現した。杖を一振りし、魔法薬をまるごと消失させる。

「大方、二角獣の角ではなく火とかげの血液を加えたな?」
「あっ、おしい! 僕たち、最初はそう思ったんです!」

 レギュラスが果敢にも声を上げた。スネイプが一瞬呆れたように上を見たのを、アルバスは見逃さなかった。

「おしい、当たっていたの世界ではない魔法薬学は! 魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術なのだ!」
「お父さんが魔法薬学得意だったから、僕もそうなると思ってたんですけど……」
「確かにミスター・ドラコ・マルフォイは繊細で複雑な調剤が得意だった。しかしお前は……母親に似たようだな」
「ありがとうございます! お母さんに言ったら喜んでくれると思います」
「勘違いするな、我輩は褒めてなどいない!」

 スネイプは疲れたように肩を落とした。レギュラスに振り回される教師は何も彼だけではない。だが、一番振り回されているのはスネイプだとも言えるだろう。ムキになって叫ぶスネイプを、レギュラスがきょとんとした顔で軽くいなすのだから、それも当然だ。

 結局、アルバス達はまた一から調合を始めることになったが、なんだかんだスネイプに難癖をつけられ、辛うじてDを逃れられただけマシと言えるだろう。

 散々スリザリンやグリフィンドールに笑われた二人は、そのまま温室に突撃した。この時間、薬草学の教授ネビル・ロングボトムがここにいることは把握済みである。予想通り、ネビルはマンドレイクの鉢の前にいた。

「先生!」
「どうしたんだい? そんな怒った顔して」
「スネイプがまた理不尽なことを言ってきたんだ!」
「スネイプ先生だろう?」

 ネビルは苦笑した。アルバスは聞こえなかった振りをした。

「二角獣の角を入れるタイミングが早いとか、混ぜ方が雑だとか、他のスリザリン生は見逃してるようなことでも、僕たちにはいちいち小言を言ってくるんだ」
「僕たちに対しては、毎日虫の居所が悪いみたい」

 レギュラスも呑気に付け足す。

「あれでも優しくなった方なんだから」
「あれよりもひどいことなんてあるの?」

 アルバスが聞き返した。ネビルは感情を込めて頷いた。

「大ありだよ。特にハリーに対してはひどかったね」

 急に父の名前が出てきて、アルバスは顔を顰めた。しかしマンドラゴラの葉の様子を見ていたネビルは気づかない。

「ネチネチ嫌なことを言ったり、ハリーの作った魔法薬を零して零点にしたり。よくもまあこんなに意地悪なことができると思ったものだよ」
「でも、じゃあなんで父さんは僕にあの人の名前をつけたの?」

 アルバスは身を乗り出した。

「あの人が影でお父さんのことを守ってたってことは知ってるよ。父さんがそれに感謝してることも……。でも、あの人は僕のことが嫌いだ。父さんは、なんで僕にあの人の名前をつけたの?」
「それは……」
「ロングボトム先生!」

 急に温室の扉が開いて、明るい声が響いた。振り返れば、赤いネクタイを緩めた、活発そうな少年達が入ってくるところだった。

「遊びに来ました!」
「僕たち、もう行く……」

 アルバスは怯えたようにレギュラスのローブを引っ張った。

「落ちこぼれのスリザリンと仲良くしてるってことがバレたら、先生が嫌われちゃう」
「アルバス――」
「またね」

 小さく挨拶すると、アルバスはもう振り返らずに温室を出て行った。


*****


 魔法薬学の後は、夕食までに随分と時間が空いている。

 大広間に行くには早すぎるし、かといって談話室でゆっくり、なんてのはアルバスとレギュラスにとっては考えられない。

 ハグリッドの所は、禁じられた森が大好きなジェームズの溜まり場になっているので、何となく足が重たくなって行きたい気分ではない。

 どうしたものかと二人が廊下を彷徨い歩いていると、とある部屋の中から声がした。

「アルバスと、レギュラスかい?」

 二人は後戻りして声の主を探した。ルーピンが、自分の部屋のドアの向こうから覗いていた。

「何してるんだい? もし暇なら、ちょっと中に入らないか? 丁度次のクラス用のグリンデローが届いたところだ」
「グリン……?」

 興味を惹かれて、二人は部屋の中に入った。部屋の隅には大きな水槽が置いてあり、鋭い角を生やした気味の悪い緑色の生き物がいた。

「水魔だよ。三年生用の生き物だ。こいつはあまり難しくない。コツは指で絞められたらどう解くかだ。異常に長い指は強力だが、とても脆いんだ」
「アリエスが見たら泣いて嫌がりそうな生き物だ」

 レギュラスは興味津々に水槽に近づいた。上からそうっと手を差し入れようとしたところ、慌ててルーピンに止められる。

「レギュラス……君は時々目を離すのが怖くなるね。見た目はこんなだが、グリンデローを甘く見てはいけない。杖も持たずに触ろうとしてはいけないよ」
「はい、先生」

 レギュラスは大人しく謝った。ルーピンはこの、見た目は大人しそうだが、その内面は実にジェームズ要素を孕んでいるレギュラスは要注意だと再認識した。

「紅茶でもどうだい? 私も丁度飲もうと思っていたところだ」
「いただきます」

 アルバスは素直に言った。落ち着く雰囲気を持つ彼のことを、アルバスは好いていた。

 お湯が沸くのを待ちながら、レギュラスはルーピンに話しかけた。

「そういえばルーピン先生、この間、僕、ルーピン先生のカードをゲットしたら見せに来るって約束してたのに……駄目になってしまいました。妹にあげちゃったんです」
「ついにゲットしたのかい?」
「はい。ハーマイオニーおばさんがくれたプレゼントの中に、蛙チョコがたくさん入ってて……それでルーピン先生のカードが当たったんですけど、でも」
「ホグワーツに行くとき、アリエスが別れるのを嫌がったので、レグがアリエスに渡したんです」

 あんまりレギュラスがしょんぼりして言うので、アルバスが代わりに答えてしまった。レギュラスは、まさかルーピンが怒るとでも思っているのだろうか。

「そうか、見られなかったのは残念だけど、でも、アリエスは喜んだだろう」
「はい」
「なら落ち込むことはないよ。どう考えたって、こんな年老いた先生を喜ばせるよりも、可愛い妹を泣き止ませた方がよっぽど賢い選択だ」
「でも、アリエスと先生に差をつけたわけじゃありません! 咄嗟にカードを出していて……」
「分かってるよ」

 ルーピンは笑いをかみ殺して言った。レギュラスの素直な反応がおかしいらしい。

「私は気にしてないよ。クリスマスプレゼントは蛙チョコがいいかい? 私のカードを見せに来てくれるのを楽しみに待ってるよ」
「はい!」

 ようやくレギュラスが元気になった。

 アルバスもホッとして紅茶に口をつけた。

「それで、君たちはあんな所でどうしたんだい? 何か思い詰めたような顔をしていると思ったのだが。悩みごとかい?」

 アルバスとレギュラスは顔を見合わせた。先に口を開いたのはアルバスだ。そして、思いつく限りのスネイプの悪行を愚痴り出す。全てを聞き終えると、ルーピンは苦笑いを零した。

「素直になれないだけだよ」

 まるで反抗期真っ只中の少年の心中を言い当てるが如く、彼は軽く言ってのけた。

「愛する女性の孫が、憎い相手にそっくりで、でもミドルネームには自分の名前が入っていて……。リリーとジェームズの子供であるハリーを相手にしていたときですら複雑そうだったのに、今度は孫だろう? 彼は今混乱してるんだ」
「混乱……?」

 アルバスは首を傾げる。混乱なんて、スネイプには似ても似つかない言葉だ。むしろ、水を得た魚のように、と言い当てた方が合っているような気すらする。

「なに、セブルスには私から言っておこう。いい加減子供っぽいことは止めるんだと」
「ありがとうございます」

 アルバスとレギュラスは頭を下げてルーピンの部屋を出た。

 二人は、あの優しいルーピンに何を言われたところで、見た目からして意地悪成分が湧き出しているスネイプが態度を改める訳がないと思っていたが、しかし、この時の彼らは、まだ『怒らせたら一番怖い人』というジャンルを知らない純粋な子供が故の思い込みだった。