■回想
04:刻一刻と
ハリーとハリエットが一歳の時に死ぬかもしれない――しかし、逆を言えばそれまでは死なないとも言える。
六年生以降落ち着いていたはずのジェームズの元来の無鉄砲さが顔を見せ、ホグワーツを卒業してすぐ、周りの反対を押し切って彼も不死鳥の騎士団に属することになった。もちろんリリーもだ。
「一体どうしてだ!」
これに一番激高したのはリーマスだ。家族を持つことを諦めていたリーマスにとって、ジェームズとリリー、そしてハリーとハリエットは理想の家族になるはずだった。誰よりも安全な場所で、幸せな家族の形を成していて欲しかったのに。
「確かに、魔法界のために戦いたいっていうのは分かる。特にジェームズ。君がじっとしていられるなんて僕だって思ってない。でも、危険がないわけじゃない! 二人が生まれる前に死ぬことだってあり得るのに!」
「ムーニー」
リーマスの怒りとは対照的に、ジェームズは穏やかだ。
「僕たちが今やるべきことはなんだ? 逃げ続けることか? いや、違う。死ぬかもしれない可能性を乗り越えてでも、僕はハリーたちが生まれる前にこの戦争を終結させたい」
「…………」
「それにね、君たちは僕がリリーがって心配してくれてるみたいだけど――君たちのうち誰かが死ぬ可能性だってあるんだ」
ジェームズは真剣な表情でリーマス、シリウス、ピーターを見回した。ピーターが遅れて息を呑む。
「僕だって死にたくないさ。でも、君たちが死ぬのだって耐えられない。だから戦うんだ。大切な人を誰一人喪わないために」
何を言わずとも、ジェームズとリリーは顔を見合わせ頷き、そしてまたリーマスに向き直った。きっと二人で散々話し合った上での結論なのだろう。
リーマスはため息をつき、諦めを示した。ジェームズは苦笑いを浮かべてコホンと咳払いをする。
「さてさて、僕たちのことが大好きなムーニー君の不安を吹き飛ばしたところで朗報を一つ」
そして次の瞬間には輝かんばかりの笑みを浮かべて。
「僕たち、結婚します!」
突然立ち上がったかと思うと、リリーをも強引に立たせてそのまま軽々と抱き上げた。リリーがきゃあっと悲鳴を上げる。
「リリー! 世界の誰よりも幸せにする!」
「もう――止めて! 下ろして!」
「幸せにするよ!」
「聞いちゃいないな……」
リリーを抱えたまま何度もキスをするジェームズに、最初こそ怒っていたものの、ジェームズに絆されてだんだんクスクス笑い始めるリリーは、とてもお似合いだった。
*****
時代が時代なので、大きな結婚式こそ挙げられなかったが、それでも幸せ一杯の結婚式だった。この時ばかりは戦争のことなど忘れ、皆幸福に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
しかしそんな幸せも束の間。
リリー懐妊の吉報を祝ったたった数ヶ月後、ダンブルドアがポッター家を訪れ、真剣な表情で凶報を告げたのだ。
「わしは今日、予言を聞いた」
ポッター家には、悪戯仕掛人とリリーがいた。大切な話があると召集を受けたのだ。
「予言では、闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいていると。そしてその者を示すのは二点。闇の帝王に三度抗った者たちに生まれると言うことと、七月の末に生まれるということ」
リリーが口元に手を当てた。つい先日、出産予定日は七月の末だと言われたばかりだった。
「わしの知る限り、その子を産む可能性を持つ者はロングボトム夫妻と君たちじゃ、ジェームズ、リリー」
「そんな……」
「そして――あまり考えたくない事実じゃが、そのことがヴォルデモートに漏れた可能性がある」
「――っ、じゃあ、ジェームズとリリーが狙われるということですか!?」
「その可能性は多分にある。幸いなことに、七月にどの家族に子が生まれるかはヴォルデモートもまだ知らぬじゃろう。じゃが、それも時間の問題じゃ。人の口に戸は立てられぬように、いずれ予言の子はロングボトム夫妻か、君たちの間に生まれることが伝わるはずじゃ」
今あからさまに姿を隠しては、相手に情報を漏らしているようなものだ。そのため、いよいよという時が来るまで忠誠の術はかけずに様子を見ることになった。
過去から来たハリーたちが意図せず漏らした情報で、一応はジェームズもリリーも二人が一歳になるまでは生きられることが分かっている。
だが、それでも先行きの見えない未来は不安で仕方なく。
その日の夜、ジェームズとリリーは食欲もないまま早々に就寝についた。だが、すぐに寝られるかと言われればそんなわけもなく、特にリリーは、暖かいベッドの中で、まるで何かに怯えるかのように終始身体を震わせていた。ジェームズはもちろんそんな妻に気がついていて、少しでもリリーの震えが止まるよう優しく抱き締めている。
「僕のせいだね」
しばらくして、ポツリとジェームズが言った。
「僕が不死鳥の騎士団に入ろうって言ったから……。騎士団にさえ入らなければ、ヴォルデモートと戦うことはなかったし、三度相対することもなかった……」
「な――何言ってるの?」
涙を拭き、リリーは半身を起こした。つられてジェームズも起き上がる。
「私たちが騎士団に入らずに逃げ続けていたとして、魔法界はもっと悪くなっていたかもしれないのよ。少なくともハリエットは死喰い人の存在を知らなかった。だったら、きっとあの子たちの時代にはヴォルデモートはいない――それは、私たちが騎士団員としてやるべきことをやったからだわ」
「僕の我が儘に君を巻き込んでしまったんじゃないかと気が気じゃなくて……」
「馬鹿言わないで。私にだって私の意志があるわ」
リリーは自らのお腹を抱き締めた。もうすでに出産予定日まであと数ヶ月のところまで来ている。
「私は騎士団に入ったことを後悔なんてしてない。あなたと同じように、その時やるべきと思ったことをやっただけよ――。でも、それでも不安で堪らないの。もしこの子たちを守り切れなかったらって思うと……」
ジェームズはリリーを抱き締めた。お腹に差し支えないよう、優しく、包み込むように。
「きっと僕たちは、命がけで子供たちを守ったんだね」
「え……?」
「ヴォルデモートがハリーを狙ってるって分かってても、逃げ出さずに立ち向かったんだ。僕たちは死んでしまったけど――ハリーとハリエットは良い子に育った。僕たちは頑張ったよ」
「でも、死にたくない……」
リリーは涙ながらに訴えた。
「私、あの子たちに何もしてやれなかったもの……。別れ際の、ハリエットの泣きそうな顔が頭から離れないの。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのかしら。もっとたくさん話したいこともあったはずよ」
「僕も心残りはたくさんある」
ヒントはたくさんあったはずだ。どうして四人が在学中に気づいてあげられなかったのだろう。ジェームズのことを好いていると勘違いされていたハリエットの行動の全てが、慕う父親に対するものだったのだと思うと、途端にやりきれない思いがこみ上げてくる。
「でも、だから絶対に生き残らなくちゃ。大丈夫」
ジェームズはトントンとリリーの背中を叩いた。
「大丈夫だよ。生き残ろう、二人のためにも、絶対に――あっ」
ジェームズとリリーは同時に顔を上げ、そして小さく笑った。リリーのお腹で誰かが蹴りを放ったのだ。
「この力強さはハリーかな? ママが泣いてるから元気づけようとしてるみたいだ」
「パパが珍しくしんみりしてるから怒ってるのかもしれないわ」
そんなくだらないことを言い合いながら、クスクス笑う。
不安は全て吹き飛んだとは決して言いがたい。だが、少なくともこの子たちがいるおかげで頑張れる。
そんな気がして、リリーは守るようにお腹を抱き締めた。
*****
ゴドリックの谷に佇む民家の玄関前、小さなポーチに器用に姿現しをした影が一つ。彼は興奮を隠しきれない声でどんどん扉を叩いた。
「ジェームズ! リリー! 開けてくれ!」
「パッドフット?」
一瞬の間を置いて返ってきた声に、シリウスは食い気味に答える。
「そうだ、プロングズ、ハッカ・チェイサー! 早く開けてくれ!」
ガチャリと鍵が開き、中からジェームズが顔を出した。しかし見るからに不機嫌そうだ。
「その呼び方するのは止めてくれないか! リリーにだって言ってないのに!」
「リリーはもう知ってるよ」
ジェームズを押しのけながらシリウスはあっけらかんと言ってのけた。一瞬ジェームズは固まる。
「……えっ?」
「先にハリエットにポスター見せたのはお前の方だろう?」
「パッドフット!」
思わず怒りかけるが、しかし自分にも落ち度はあるので強くは言えない。
悔しそうに歯噛みしながらジェームズは鍵を掛けた。
「でも、どうして今日はわざわざ玄関から……。煙突飛行を使えばいいのに」
「家に帰ってる暇が惜しかったんだよ!」
勝手知ったるポッター家の居間まで入り込むと、シリウスは目当てのものを見つけてパアッと笑顔になった。
リーマスが、毛布に包まれた小さな赤毛の女の子を抱いていたのだ。
「リーマスが一番乗りか?」
「お先に抱かせてもらってる」
「くっ……! 死喰い人追跡の任務がなかったら俺が一番に来るはずだったのに!」
「でも、まだハリーは抱けてないんだ」
苦笑したリーマスの視線の先には、リリーが黒髪の男の子を抱いてあやしている光景があった。謎の対抗心を生やし、シリウスはリリーの下へすっ飛んだ。
「抱かせてくれ!」
「ぐずりやすいけど、大丈夫かしら?」
「任せてくれ!」
確証もない自信に満ち溢れてそう言い切ったシリウスだが、自身の手にハリーの重みをしかと感じた瞬間、火がついたようにハリーが泣き始めた。シリウスはびっくりして固まる。
「抱き方が悪かったのか?」
「そうね、居心地が悪いのかもしれないわ」
「ど、どうしたらいい?」
あわあわするシリウスの傍ら、ハリーは魔法力も暴発させて毛布やらおしゃぶりやらを浮かせている。
「大人しくリリーに任せた方が得策さ」
おしゃぶりと毛布を回収しながらジェームズが言う。どうやら彼も同じ目に遭ったらしい。
リリーにハリーを返すと、ハリーはしばらくぐずっていたが、やがて大欠伸をしてうとうとし始めた。シリウスは感心の声を上げた。
「さすが母親だ。ハリーがすぐに大人しくなった」
「抱き方をバチルダお婆さんに教わっていたからかもしれないわ。慣れれば大丈夫よ」
言いながらも、リリーの愛おしげに細められた目はハリーから離れない。シリウスは苦笑するとリーマスに近づく。シリウスの心境などお見通しなのか、リーマスは悪戯っぽく笑った。
「交代する?」
「いいのか?」
「どうぞ。寝てるから起こさないようにね」
シリウスは今度こそまるで壊れ物でも扱うかのように優しく、怖々とハリエットを抱えた。もごもごと小さな口が動いたときはヒヤリとしたものだが、何とか堪える。
「可愛いなあ」
すやすやと寝息を立てる大人しい赤ん坊に、ついついシリウスが破顔してしまうのも仕方がなかった。反射的に手が伸び、人差し指でふくふくのほっぺたを撫でてみる。弾力のある頬と子供体温に更に口角が緩む。
くすぐったいのか、ハリエットは手をふにゃふにゃ動かし始めた。その隙にとシリウスが指をねじ込んでみれば、まるで指を握られているようで幸福感が込み上げてくる。
「ちょっと」
それを見て不機嫌になるのはジェームズだ。ハリーもハリエットも取られてしまったので我慢ならなかったのだ。
「うちのハリエットにあんまり触らないでくれるかな? まだ僕だって長いこと抱っこしたことないのに」
「ちょっとくらいいいじゃないか。お前たちはこれからいくらででも一緒にいられるんだから」
「今日という日は一度しかないんだ!」
やいのやいの口論を始めるジェームズとシリウスの騒がしさに目を覚まし、ハリエットはぐずり始めた。それに共鳴してか、大人しくなっていたハリーまでもが声を上げて泣き始める。またしてもシリウスが慌てた。
「リリー! どうやってあやせばいい?」
「リーマスみたいにどっしり構えておけばいいのよ。慌ててたらこの子たちにもその不安が伝わっちゃうわ」
「ほうら、パパだぞー!」
ジェームズは流れるような動作でシリウスからハリエットをかっ攫った。しかし文句を言う暇もない。右に、左にと揺られたハリエットが、次第に大人しくなり始めたからだ。まだ父親歴数日かそこらのはずなのに、すっかり差をつけられたようでシリウスは納得いかない。
――と、緑色の炎が燃え上がり、暖炉からピーターが姿を現した。疲れたような顔で灰を払い、何とか笑みを浮かべる。
「やあ」
「ワームテール!」
「ワーミー、いらっしゃい。来てくれてありがとう」
ハリーを抱えたままリリーが出迎えた。
「どうしたの? 少しやつれてるみたい」
「いや……大丈夫。ちょっとこのところ寝不足が続いてるだけだよ」
「騎士団の仕事は大変?」
「いや……そんなことはないよ」
そう言って笑うピーターだが、やはり元気がない。リリーはハリーの顔がよく見えるようにピーターに向かって傾けた。
「ほら、ハリーよ」
「……可愛いね」
「でも、今からやんちゃの片鱗が見えて困っちゃうわ。生まれてから数時間で魔法力を何度暴発させたか」
「それに比べてハリエットは大人しいよな」
またも寝入ったハリエットを覗き込んでシリウスは言う。
「スクイブっていうわけでもないのに」
「でも、私も赤ちゃんの頃はそんな片鱗なんてなかったみたいよ。だから人に寄るのかも」
「もしくは性別?」
ジェームズはハリエットの頬をつついた。ハリーに比べてハリエットはおっとりしていて、ちょっかいをかけても泣き出さないので悪戯し放題らしい。
「ワームテール、ハリエットを抱っこするかい?」
「え?」
「ハリーはなかなか気分屋なんだけど、ハリエットは大人しいから。ほら、頭を支えて、そーっとね」
ジェームズに言われるがまま、シリウス以上にぎこちない動作でピーターはハリエットを抱き抱えた。眠たげな瞳と目が合い、へらっとピーターは笑う。
「……狙わないでね?」
「え?」
あまりに低い声だったのでうまく聞き取れず、ピーターは聞き返した。
「狙ってないよね? いくら君がハリエットのこと好きだったからといって、僕は二十も年の離れた男に娘はやれないからね?」
「えっ! ワーミーって、ハリエットのこと好きだったの!?」
「ジェームズ! なんてこと言うんだ!」
一瞬にして顔を赤く染め上げたピーターが非難の声を上げる。ジェームズはちっとも悪びれた様子もなくケラケラ笑う。
「今更リリーにバレたくらいでなんだ! でも、本当にハリエットは駄目だよ。お嫁になんて行かせない!」
「ハリエットも可哀想に。プロングズの執着心と諦めの悪さは随一だからな。ホグワーツ在学中に恋人の一人も作れなかったりして」
「あり得るなあ」
シリウスとリーマスが笑い出した。つい数年前に「エバンズ!」と叫んでいた口が、数年後にはハリエットに変わっているのだろう。
穏やかな笑いに包まれるポッター家は、まさに幸せを絵に描いたような光景だった。こんな日が永遠に続くように、誰しもが錯覚していた。