■回想

05:膨らむ猜疑心


 ハロウィーンを目前に控えたある日、ポッター家にダンブルドア、そしてマクゴナガルがやって来た。騎士団の本拠地は別にあるため、二人がやって来るのは久しぶりだ。失礼がないようにリリーは気合いを入れて掃除をしたのだが、やんちゃ盛りの子供たちがミルクをひっくり返したり玩具を放り投げたりと、直前まで暴れていたのでリリーはてんてこ舞いだった。

 てっきり手伝ってくれるものと思っていたジェームズは、久しぶりに会ったシリウスと話し込んでばかりでてんで役に立たない。それだけならまだしも、ハリーを箒に乗せて更に騒動を引き起こすものだからリリーも呆れてものも言えない。

 続いて到着したリーマスが唯一手伝ってくれたのでリリーは心の底からお礼を言った。

「ありがとう、リーマス。本当に助かるわ」
「このくらい全然だよ。掃除も手伝おうか?」

 ハリエットを抱っこしたままリーマスは器用に杖を取り出すが、リリーは苦笑する。

「ハリエットをあやしてくれるだけで充分よ。もし良かったら、そのまま上で寝かしつけてくれる?」
「分かった」

 ハリエットはまだ遊び足りなさそうに手を伸ばしているが、リーマスがその手にぬいぐるみを押し込めば大人しくなった。

 階段を上っていったリーマスを見送り、リリーはキッと箒に夢中な三人組を振り返った。

「ジェームズ! シリウス! そろそろいい加減にしないと――」

 その時、ポッター家のチャイムが響いた。大人たち三人はハッとして玄関の方を見る。

「楽しそうな声がここまで漏れておる。わしらも混ぜてもらえんかのう?」

 ダンブルドアの声だ。リリーは頬を赤らめてすぐに扉を開けようとした。

「す、すみません! 来られることは分かってたのに――」
「リリー、待って」

 そんな妻の前にジェームズが身を滑り込ませる。

「ダンブルドア、あの子たちが未来へ戻る前見た花火であなたが一番驚いたのは?」
「難しい質問じゃのう……。じゃが、一番と言われると『満月なんて糞食らえ』かのう」

 ジェームズは笑顔で扉を開けた。

「僕もです!」

 ダンブルドアは微笑み、その後ろのマクゴナガルは呆れた顔でポッター家に入った。リリーは目を白黒させている。

「誰がそんな花火を打ち上げたの?」
「分からないかい? リーマスだよ! シリウスに感化されたみたいだ」
「言葉遣いまで移っちゃって……」

 リリーは呆れてため息をついた。優等生で監督生のリーマスが『糞食らえ』だなんて……。せめてハリーたちに悪影響がいかなかったのが唯一の救いだろう。

 ダンブルドアとマクゴナガルを中へ案内した後、リリーはシリウスからハリーを取り上げて――シリウスはまるで玩具を奪われた子供のようにふて腐れた顔をした――二階でハリーを寝かしつけた。ハリーはまだまだ元気いっぱいで、毛布の上でえいやと手足を上下左右に動かしていたが、やがて子守歌で眠りの世界に誘われた。

 ハリエットの隣でうとうとしていたリーマスを起こし、一階へ降りると、ちょうどピーターもやって来たところだった。以前会った時よりもまた一段と痩せたようだ。

 全員がテーブルに着き、一瞬で場が静まりかえる。

「さて」

 重苦しくダンブルドアが口を開いた。

「忠誠の術について書かれた文献をようやく見つけた。君たちにその術をかける時が来たようじゃ」

 忠誠の術は、以前からダンブルドアから聞いていた。生きた人の中に秘密を閉じ込める魔法で、その者は秘密の守人と呼ばれることになる。守人となった者が自ら口を割らない限り、誰もその秘密を暴けないのだ。真実薬でも、服従の呪文でも。

 だが、守人も一人の人間だ。拷問にかけられれば秘密を明かしてしまうことだってある。今までも、守人が拷問に耐えきれず口を割ってしまった事例は幾度とある。

「ロングボトム夫妻には、昨日わしが秘密の守人になって術を掛けてきた。君たちも――」
「俺が秘密の守人になります」

 ダンブルドアの言葉を遮り、シリウスが宣言した。

「それはならぬ。守人には危険が付きまとう。君の実力が疑わしいと言っているわけではないが、より確実性を考えるとわしの方がいいじゃろう、それに」

 シリウスに口を挟む余地を与えず、ダンブルドアは一息に言う。

「――この前も少し言及したが、誰か、君たちに近しい者がヴォルデモートに情報を流しているのじゃ。念を入れるに越したことはない」
「俺が内通者の可能性もあると?」
「そうは言っておらん。じゃが、全ての不安を取り除いておきたい」

 シリウスはじっとダンブルドアを睨み続ける。不服を隠そうともしていない。また口を開きかけたとき、彼の一歩先をいった者がいた。

「僕は、シリウスに任せたい」
「……ジェームズ」

 ダンブルドアの青い瞳は、今度はジェームズに向けられた。全てを見透かすようなその瞳は普段であれば居心地の悪いものでもあるが、ジェームズが意に介した様子はない。

「ダンブルドア、あなたは騎士団に必要な存在です。秘密の守人になって、死喰い人に執拗に付け狙われるなんてことがあってはいけない。せめて僕たちの守人がシリウスになるのなら、あなたの負担も減るはずだ」
「じゃが……」
「シリウスのことなら心配はご無用です。パッドフットなら、僕たちの居場所を明かすくらいなら死を選ぶだろう?」
「ああ、名誉の死だ」

 シリウスがきっぱり言いきった。

「二人の身に危険が迫ってるのに、一人のうのうと暮らすことなんてできない」
「じゃが、君たちの仲がいいことはヴォルデモートにも伝わっている。君が秘密の守人であることはすぐに露呈するじゃろう」
「身を隠すつもりです。外国に逃げたっていい。万が一拷問されたとしても、口を開くものか」

 真剣な眼差しに、ダンブルドアはそれ以上強く言うことができなかった。重々しく頷き、そしてシリウスに忠誠の術を行う方法を教えた。

「――誰一人欠けることなくあの子たちの誕生日を祝えるように……この一年を乗り越えるのじゃ」

 そう言ってダンブルドアはマクゴナガルと共に去って行った。リーマスもその後に続き、ピーターも暖炉へと身を屈めたところで、ひしとシリウスに腕を掴まれる。

「ワームテール、話があるんだ」
「い、今? 僕、この後行かないといけない所があって――」
「大事な話なんだ。ジェームズ、リリーも」

 シリウスの勢いに気圧され、ピーターはまたリビングに戻ってきた。ハリーたちの様子を見に行ったリリーが戻ってきたところで、シリウスは口火を切る。

「いろいろ考えたんだが――秘密の守人はワームテールがいいと思う」

 突然出てきた自分の名に、ピーターは盛大に肩を揺らした。動揺のあまり、いつも以上にどもる。

「し、し、シリウス! どうして急にそんなこと――」
「ワームテールが守人になって、俺が囮になるんだ。さっきも言った通り、ジェームズが身を隠したとき、一番に守人だと疑われるのは間違いなく俺だ。だが、その点ピーターは今まであまり戦場に立つことはなかったし、まさかピーターが守人だなんて誰も思わないだろう」

 シリウスの言いたいことは分かる。だが、今のピーターには冷静に考えるだけの余裕に欠いていた。どうして自分にそんな大役を押しつけるのか――そんなことばかりを考えて落ち着きなく視線を彷徨わせる。

「たとえ死ぬよりも辛い拷問をかけられたとしても、俺は口を開くつもりなんかさらさらない――だが、相手はヴォルデモートだ。どんなに閉心術に長けたやつでもヴォルデモートの前ではなす術もなかった。忠誠の術が、必ずしも万能だと言い切れるか? もし俺たちの知らない闇の魔法をあいつが知っていたとしたら? 噂では、あいつは箒もなしに飛べるっていう話もある」
「…………」

 ジェームズもリリーも重苦しい顔で黙りこくっている。シリウスはピーターに視線を向けた。

「ピーター……この役目をお前に任せたい」
「で、でも、どうして僕に? リーマスだっていいじゃないか……」
「さっきダンブルドアが内通者がいるかもしれないって言ってただろう。俺は、それがリーマスじゃないかと思ってる」
「シリウス!」

 いきり立ってジェームズが立ち上がった。

「なんてこと言うんだ! なぜリーマスが!」
「この前、あいつが狼人間の溜まり場に入って行くところを見た。媚びへつらいながら、まるで旧知の仲のように――狼人間はヴォルデモートの配下なんだぞ!? 今更何のために狼人間とつるむって言うんだ? 情報を漏らすため以外に理由があるか!?」
「でも、それが騎士団の任務なのかもしれない! 少し前から、君だって僕たちに任務のこと話してくれなくなったじゃないか! それは、ダンブルドアから言われたからだろう? 誰が内通者か分からないから――潜入捜査をしている団員の身に危険が及ぶから、自分の任務のことは誰にも話さないようにって!」
「でも――じゃあ誰が情報を流してるって言うんだ! ポッター家に生まれた子供が双子だと、どこから漏れた?」
「私は、誰かが悪意を持って漏らしたんじゃないと思うわ」

 今までずっと黙っていたリリーが口を開いた。

「たとえば、服従の呪文。開心術とか。あなたが言ったのよ、パッドフット。ヴォルデモートは開心術に長けてるって。もしかしたら、私たちが気づかないうちに情報を抜き取られていたのかも知れないわ」
「君は、自分が思っている以上に疲弊している」

 腕を伸ばし、ジェームズはシリウスの肩を叩いた。予想外に細い肩だ。改めて見たら、前に会ったときよりも痩せ細ったような気がする。

「長く続く戦争に疲れ切ってるんだ。死喰い人を追い、潜入し、戦闘をする毎日。誰に気を許してもいけない。今話している目の前の人物が死喰い人かもしれない――そんな疑念を抱きながら常に神経を張り詰めさせる日々。つい誰かを疑ってしまうのも仕方ないことだと思う。それに比べて僕たちは――不甲斐ないことに、こうしてこの家で守られる立場だ。でも、その分周りがよく見える。シリウス、ムーニーはスパイじゃないよ」

 長い間シリウスは口を閉ざしていた。ようやく言葉を発したとき、その声は掠れていた。

「……でも、ムーニーは体質がある。月に数日は苦しい思いをするのに、その上更に守人を頼むわけにはいかない」
「……それはそうだね」
「ヴォルデモートの未知の力を危惧するなら、守人は俺じゃない方がいい」

 シリウスの目はピーターに向けられていた。ピーターはごくりと生唾を呑み込む。

「ワームテール、頼めるか?」

 返事をするのに、どれだけの時間がかかっただろう。

 気づいたときには、ピーターはまるで服従の呪文にかけられたかのように口を動かしていた。

「……分かった」

 その時、ピーターの声が震えていたことに、一体何人が気づいただろう。