■回想

07:ネズミの友達


 夜の魔法界を彷徨い歩いた結果、ピーターが行き着いたのは叫びの屋敷だった。ここ以外安心していられる場所を他に知らなかった。シリウスやリーマスは今一番会いたくない人たちだし、他に頼れる知り合いもいない。一体どこに行けというのか。

 ピーターは、いつしか悪戯仕掛人のたまり場と化した部屋へやってきた。いつもリーマスが人狼に変化する隣の部屋だ。叫びの屋敷にはマダム・ポンフリーも出入りするため、あまり派手に内装を変えることはできないが、それはリーマスがいつも人狼になる部屋と、そこに続く廊下の話だ。

 いつも鍵をかけているこの部屋は、探検に行く気分じゃなかったり、リーマスの具合が本当に悪かったりしたときに使われる場所だ。ソファや絨毯も敷かれていて、食料も備蓄されている。自分たちが過ごしやすいようにインテリアされたそこは、部屋だけ見ても叫びの屋敷内にあるとは到底思えないだろう。

 崩れるようにソファに腰を下ろしたピーター。ちょうどその部屋からは月が見えた。もうすぐ満月だ。だが、その時リーマスのそばに自分たちはいない。卒業してから、人狼の彼に寄り添える者はいなくなった。リーマスを疎かにしているわけではなく――単に、その時間と余裕がないのだ。

「あの頃は、楽しかったなあ」

 ふとピーターの口から漏れ出る。

 あの頃――学生時代は、ただシリウスたちの後をついていけば良かった。彼らと一緒にいれば、何でもできる気がした
ジェームズたちと一緒にいることで、自分をも憧れの目で見られて得意になっていた部分もある。あの頃が、間違いなく自分の人生の中で一番輝いていた時間だろう――それなのに。

 卒業してからはどうだ。不死鳥の騎士団という仲間ではあるが、もちろんそれぞれの生活や仕事があって、四人はバラバラになった。流されるまま、勢いで団員になったはいいが、バラバラになったとき初めてピーターは事の深刻さを思い知ったのだ。――誰も、ここには自分を守ってくれる人はいないのだと。

 死喰い人に襲われたら誰に助けてもらえばいいんだ? もしも、ヴォルデモートが襲ってきたら――?

 団員にさえなっていなければ、少なくともそこまで大袈裟に恐怖することはなかっただろう。団員だからこそ、ヴォルデモートに目をつけられてしまったのだ。ジェームズに鼓舞されたから、団員になる他なかった。あの三人と友達だったから、ピーターにはもう選択肢がなかったのだ。

 それからはもうピーターはひたすら陰に徹するようにした。積極的に表舞台には立たずに、ネズミというアニメーガスを活かして情報収集をし、顔が割れる戦闘はほとんどしなかった。

 とはいえ、ピーターも団員としての仕事ばかりするわけにはいかない。ピーターは、財産のあるジェームズやシリウスと違って働かなければ生きていけなかった。細々と働きながら、団員として時折情報収集したり敵の襲来に助けに入ったり。そんな日々が数カ月、一年と続き、やがて孤独と不安に苛まれそうになったとき――ヴォルデモートに捕まったのだ。

 重苦しい緊迫感。虐げられる苦痛。死がすぐ目の前まで迫った恐怖――誰だって、耐えられない。ジェームズたちは論外として、普通の人だったら耐えられない。なのに、どうして僕が責められないといけない? どうして僕だけがこんな目に?

 窓ガラスが激しく揺れる音が聞こえてきて、ピーターはビクッと肩を揺らす。もしや、誰か侵入者でもあったのかと恐る恐るカーテンの隙間から外を覗くが、ただの風だということが分かるとホッと胸をなで下ろす。

 思えば、この屋敷も、暴れ柳も、低学年の頃はそばを通るだけでも怯えていたが、今はそうでもない。それは、叫びの屋敷へ向かうため毎月ネズミになって果敢に根元まで駆け抜けた経緯があったからだろう。

 最初こそ、自分に暴れ柳を止めるという役目を与えたジェームズたちを恨んだものだ。三人の中で一番体が小さく、また小回りが利くからといって、そんな大役をどうして自分に押しつけるのかと。

 だが、次第にコツを覚えてきて、皆に頼られていることが嬉しく思えるようになってきた。ジェームズたちでさえできないことを、自分がやっている。自分が暴れ柳を止めないと、ジェームズたちはリーマスの下に行くことすらできない――。

 けれども、本当はピーターとて分かっていた。本来であれば、ピーターは三人の仲間になることすらなかったのだと。

 数々の奇跡的な巡り合わせにより、たまたま彼らの仲間たり得ただけであって、同級生でなかったら、グリフィンドールでなかったら、同室生でなかったら――いや、そもそも、始めにリーマスが声をかけていなければ――あれが最大のきっかけだっただろう。

 リーマスとは、最初にコンパートメントが一緒になった。緊張であまり喋れなかったピーターに対し、リーマスはお菓子をくれて、それがきっかけで仲良くなったのだ。それ以降も、彼はピーターと共に行動し、授業についていけなくなったときには、優しく丁寧に教えてくれた。リーマスは面倒見がいい。そうでないと、彼自身ジェームズたちと仲良くなったとき、さり気なくピーターのことも引き入れたりしないだろう。

 リーマスは優しい。他人の痛みに敏感だ。だが臆病だ。だからこそ、スネイプに対するいじめを心苦しく思っているのも知っていたし、友情が壊れることを恐れて止めることをしなかったのも気づいていた。

 彼の気遣いにピーターは何度救われただろう。それなのに、ジェームズたちとリリーとの間で板挟みになって苦に悩んでることに気づかない振りをして、むしろ一人空気の読めない彼を疎ましく思っていたことすらある。己の体質に嘆き、偏見に絶望し、周りに攻撃的になる狼人間は多いというのに、リーマスはむしろ周囲に優しすぎるくらいだったのに。リーマスは、友達に嫌われるかもしれないと、ただそれだけの理由で己の体質をひた隠しにしていたのだ。

 そんなリーマスの秘密に勘づいたのもジェームズだった。日々の些細な事情、そして満月を挟む数日間リーマスが姿を消すことから人狼と結びつけた。秘密を知る前と何ら変わらず友達を続けるというだけでなく、彼は自分たちがアニメーガスを習得し、リーマスのそばにいるという野望まで打ち出したのだ。

 友達のために非合法のアニメーガスになるなんて正気じゃない。きっと大部分は高度な魔法を違法で習得するというところに好奇心をくすぐられたからに違いない。

 始めはピーターもそう思っていたし、実際、ジェームズにそんな感情が欠片もなかったと言えば嘘になるだろう。だが、ジェームズは諦めなかった。天才肌のジェームズですらアニメーガスの習得はかなり厳しいもので、何度も挫折しかけたが、諦めることをせず、むしろシリウスやピーターを鼓舞し続けた。

 ジェームズがアニメーガスを習得した後も、彼はピーターの習得にアドバイスを続けた。ジェームズとは頭の造りが違っていて、正直半分以上は何を言ってるのかさっぱりだったが、しかしそれでも根気強く付き合ってくれた。初めてアニメーガスに成功したときは、自分のことのように喜んでくれたくらいだ。

 動物姿でリーマスの前に現れた時――その時のことをピーターはよく覚えている。リーマスはグシャグシャに泣き、ジェームズやシリウスはすぐに元に戻ってリーマスを慰め、笑い、そしてピーター自身も、様々な感情で胸が一杯になったのだ。達成感や自信、改めてこの三人と友達で良かったという幸福感。友達ではありながらも、絶対に追いつけなかっただろうその背中に、初めてすぐ目前まで近づいたような高揚感。

 そう、ピーターは彼らと友達であると共に、激しい劣等感と憧れを抱いていた。優しく気遣いもでき、先生からの信頼も厚いリーマス、リーダー気質で正義感があり、いつも皆の中心にいるジェームズ。中でもピーターが特に憧れを抱いていたのはシリウスだった。

 ブラック家の長男でありながら、真っ向から家風に抗い、そして代々スリザリンという家柄にもかかわらず、念願のグリフィンドールに組み分けされた信念の強さ。ホグワーツに入学しても誰にも媚びることはせず、あくまで自分を貫く格好良さ。

 シリウスは、ジェームズと同じくらい勉強も箒も魔法もなんでもよくできたが、ジェームズと違うのは、それを鼻に掛けないところだ。シリウスは非常に分かりやすい性格で、興味のあるなしで態度が全く違うのだ。彼にとって、勉強も箒も特に興味のある分野ではなく、ホグワーツという場所でどうおもしろおかしく過ごせるかということが何よりも魅力的に映っていたようだった。ピーターの目には、それがとても格好良く映った。

 誰もが羨む才能を持っていながらも、それをひけらかすどころか、全く頓着しないのだ。周りからの羨望の目すらも視界に入ってない様子だった。

 その性格を裏打ちするかのように、シリウスは一度懐に入れた仲間は大切にし、その他の者にはあまり関心を見せなかった。だからこそ、彼のハンサムな顔立ちや家柄、才能に酔いしれた者たちは遠巻きに羨望の目を送るほかなく、そんなとき、そばにいたピーターは言いようのない優越感に浸れた。自分までもが特別になったような気がした。

 だが、もちろん彼ら人気者のそばにいることは良いことばかりではなかった。四人はいつも何かしらの悪戯をしていたし、目立っていたので、そのせいで恨みや嫉妬を買うことも多かった。ただ、学年首席と次席、監督生に面と向かって仕返しすることは躊躇ってか、その報復をピーターに向ける者は多かった。ピーターにもプライドがある。ろくにやり返すこともできず、やられてばかりの境遇を恥じ、三人に打ち明けたことはなかった。だが、ピーターと一番時間を共にするシリウスは気づいていたようだ。そしてピーターもまた、シリウスが人知れず仕返ししてくれていることに気づいていた。というよりも、嫌でも気づかされた。シリウスの報復が更に恨みを買い、ピーターへの攻撃が一層過激になったのだから。

 当時は、知られてしまった恥ずかしさもあって、シリウスも余計なことをしてくれたものだと恨んでいたものだが、今思い返してみると、仕方のない部分はあったのだと思う。たとえ頭は良くても、直情的で後先考えずにすぐに行動に移してしまうので、ピーターのことを知った時も、きっとすぐに身体が動いていたのだろう。

 才能や家柄、人格、その全てがピーターは三人よりも劣っていると思う。そのことに何度も引け目を感じていた。だが、彼らとの間で築いた友情は確かにある。――彼らなら、もしかしたら――。

 ――そんなことあるわけないだろう!
 急に冷や汗を浴びせられたようにピーターは冷静になった。

 だってそうだ。彼らは自分とは違う。自分がいなくたって何事もなかったかのようにやっていける。

 彼らの仲間に入るのは、何も自分でなくたって良かったのだ 
 きっと、同じ寮じゃなかったら――いや、それどころか同じ部屋でもなかったら――自分は、あの三人の仲間になることはなかっただろう。誰か別の同室生が仲間入りしてたに違いない。それが分かっていたから、卒業したら、これで縁は切れるだろうと、ピーターはそのことを怖がってもいた。だからこそ騎士団に入ったというのも理由の一つだ。これからも彼らと繋がっていたかった、仲間でいたかった、だから縁を切られまいと騎士団に入った――。

 でも、ピーターとて分かっていた。きっと、ヴォルデモートや不死鳥の騎士団や、そんな存在がない世界だったとしても、彼らは変わらずピーターと交流を持とうとしてくれたのだろう。学生時代のかけがえのない友人の一人として。

 ――だってそうだ。

 突然ピーターは閃いた。

 僕のことをどうでもよく思っていたら、わざわざあんな回りくどいことはしない。臆病者の僕に暴れ柳を止める役目を与えるなんてこと。

 僕たちは魔法使いだ。魔法で枝か何かを飛ばして節に触れさせるだけで暴れ柳は止まるのに、なぜ臆病なネズミを鼓舞してまで毎回やらせるのか。「ワームテールがいないとムーニーは寂しい夜を過ごすことになるな」なんてからかい混じりの言葉をかけたりしない。ひとえに、全てピーターに自信をつけさせるためであって――。

 ピーターの思考を切り裂いたのは、激しい風が窓ガラスを不気味に鳴らしていった音だったが、もう彼は怯えることはなかった。

 この屋敷には思い出が詰まっていた。悪戯仕掛人の根城と化した叫びの屋敷。

 何を思ったか、ピーターは屋敷内を歩いて見て回った。この時には、もしかしたらもう覚悟を決めていたのかもしれない。ただ無心で屋敷の中を歩き、思い出に浸る。

 最後にたどり着いたのは、この屋敷で最も大きな部屋。いつもリーマスが狼姿で待っている場所だ。いつもリーマスが待機している場所なので、他の部屋よりも傷やへこみが多い。だが、その分思い出だってある。唯一ハリエットたちの共通の思い出もこの場所だった。

 自分たちはアニメーガスだと四人に明かしたあの日。ハリーやハリエットはジェームズの鹿姿に夢中だった。人間の時も動物の時もジェームズには勝てないのかとチリチリ嫉妬の炎が燻っていたのも今では笑い話だ。ハリエットは、父親のアニメーガスに興奮していただけなのに。

 あまりに鮮明にあの時のことが思い出され、目を瞑れば、あの光景が脳裏に再現されそうな勢いだった。だが、違う。ピーターが目を瞑った時、浮かんできたのは、ハリエットの顔だった。ピーターが射貫かれたハリエットの嬉しそうな笑顔ではない。まるであの時のような泣き顔だった。酩酊薬を飲み、ピーターに本音を曝け出したあの時のような。

 ハリエットは声もなくポロポロ泣いていた。何も言わない。何も言ってこない。だが、その顔は、その瞳は、まるでピーターに助けてと言っているようで。

 お父さんとお母さんを助けて。お願い、殺さないで。助けて、ピーター――。